砂ビルジャックレコード (original) (raw)

9月の3連休に大阪旅行に行った。大阪で公演が行われるダウ90000「旅館じゃないんだからさ」のチケットをゲットしたのだ。落選していたら旅行もしなかったので、秋の楽しみをもたらしてくれたダウ90000には感謝しかない。

大阪でやりたいことリストを洗い出す。絶対に2泊3日ですべてを達成できないことはわかっているけども、なるべく組み込もうと誓う。出発当日になって、行きの新幹線で、何かサブスクで映画でも見ようと思ったけど、結局寝てしまう。名古屋に着く直前で一回起きるけどまた目を瞑る。本も何冊か持ってきたのに。目覚めたら別の場所にいるという感覚が好きなのかもしれない。

夕方前に新大阪に到着して、大阪メトロに乗ってホテルの最寄り駅まで移動する。今までに何回か大阪に来たことはあるけど、御堂筋線西中島南方のアナウンスにいつでも興奮する。御堂筋の車線のことはよくわからないけど液晶のハングル語表記はやっぱり長い。

宿に着いて荷物を置く。ちょうどダウのチケットが当たった時ぐらいにアメトーークで「ドーミーイン芸人」をやっていた影響もあり、なんばのドーミーインを確保した。テレビをつけたら明石家電視台が放送されていて、雛壇にファミリーレストランが座っていてとても関西を感じた。

公演まで時間があったので徒歩で道頓堀近くを散策する。ホテルから道頓堀が近いのは嬉しい。小腹が空いていたので、わなかのたこ焼きを食べる。ベタにたこ焼きを食べる大阪旅行も悪くない。

道頓堀ってこんなにインバウンド向けだったのかと再確認する。先に小さい旗をつけた棒をもっているガイドを何人も見かける。自分がツアーの観光客だったらあれぐらいの旗じゃ全然迷う自信がある。道頓堀のつるとんたんは夕方なのに行列ができている。一回もつるとんたんに行ったことがないけど、なんだか六本木を感じる。つるとんたんでは、うどんではなく「おうどん」なのかと学習する。

最近フルーツの串刺しを屋台で見かけるけどあれは一体なんなんだ。幼い時にフルーツの森という駄菓子をつまようじで一気に刺してたけど、それの豪華版ってこと?だとしたら一度食べなくちゃ。

公演の時間が近づいてきたので天王寺近鉄アート館へ移動する。物販を狙って早めに来たけどお目当てのステッカーが公演後に販売開始するということを知って、ちょっと落ち込む。劇場の中に入ると、客席が舞台を囲んだすり鉢状の3面になっているのに驚く。

https://kintetsuartkan.jp/about/sanmen.html

開演まで待っていたら、ちょうどダウ90000のYouTubeが更新されていた。

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結果として自主的に早劇場をしている私を褒めてあげたい。早劇場して心を落ち着かせてみるのが一番だよ。

「旅館じゃないんだからさ」は期待通り最高の公演だった。自分がダウ90000の存在を知る前に上演していた内容をようやく見れた喜びもあった。地方のTSUTAYAを舞台にしたある夜の話。自分の席が端側だったので、なんだか監視カメラの映像を覗き見しているような感覚でもあった。通常の舞台の形状とは違うから奥行きを存分に使った演出も良かったし、試聴機や、置いてあったけど一回も遊んだことのないクレーンゲームも効果的だった。

ここしばらくTSUTAYAに行っていない。会員証はとっくに切れている。実家の最寄りの店舗も潰れたと聞いたし、この間ひとつ前に住んでいた街に行った時も、まあまあ大きかったTSUTAYAが別の店になっていた。私は恋人とDVDを選ぶひとときの良さを若い世代に伝えるおじさんになるんだと誓った。

せっかく大阪に来たのだからもっと芸人を浴びたい。今夜はダウ90000だけでは終わらせるつもりはなかった。

(続きます)

『アイアンクロー』を観た。

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その痛みを容易に想像できるという点ではアイアンクローという必殺技は理想的だ。己の強靭な握力を生かして、相手のこめかみを掴んで、リンゴのように潰そうとする。この単純明快な力技に「アイアンクロー」と名付けたのもかっこいい。もう片方の手を、握る方の手首に添えているのも趣がある。おそらくリアルタイムで見ていた父親にかけられたし、技名を覚えてからは小学校で実践してみたりしていた(子供の握力では全く意味がない)

このアイアンクローの使い手が伝説的なプロレスラー、フリッツ・フォン・エリックという男で、彼の息子たちもプロレスラーになる。『アイアンクロー』は、このエリック家の数奇な人生を元にしたドラマだ。

自分はプロレスが好きで、フリッツ・フォン・エリックやエリック家が「呪われた一族」と呼ばれていることも知っているが、あくまでもWikipedia上の情報に過ぎない。プロレスに興味を持つ前に起きた出来事だから、映像で歴史を勉強しているような感覚でもあった。

作中には、エリック家以外のプロレスラーも対戦相手などで登場していた。ここで自分が知っている選手が出てくるとテンションが上がる。ブルーザー・ブロディやリック・フレアーとか、それぞれのレスラーのクオリティも高い。当時のプロレス中継の雰囲気を感じ取れるのも好きだ。アメリカのケーブルテレビで放映されていたプロレス中継の、レトロフューチャーなテロップだったり、ヘッドホンをつけたアナウンサーの名調子などリアルタイム世代でなくてもわくわくする。

「呪われた一族」という異名が、ついていることからわかるようにエリック家を待ち受けている運命は壮絶だ。一方でエリック家の息子たちにも、プロレスラーであることを望まれる呪いみたいなものも降り掛かっていく。顛末を知っているから、少し見たくない部分はあったけどもその事実を過度に脚色せず、淡々と描いているのが好きだ。

プリシラ』を観た。

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商品の比較サイトを多用している。値段やサービスなどいくつかの項目に分かれた表を見ながら何が最適解なのか検討が止まらない。優柔不断な自分が嫌でありながらも迷う幸せを感じている。人生では比較して最善の選択をとるという行為自体が出来ない場面がよく存在する。

実話が元になっている『プリシラ』では、人生の序盤にもかかわらず主人公にとって重要な決断が突然やってくる。親の仕事の都合で西ドイツに暮らしていた14歳の少女プリシラの前に現れたのは世界的大スターのエルヴィス・プレスリー。兵役中でたまたま西ドイツにいたエルヴィスと出会った二人は徐々に関係を深めていく。

この映画を見るまでプリシラという女性のことを知らなかったがなんとも数奇な人生だ。まだ恋愛をよく知らない年頃の人間が、世界中から愛される歌手と恋に落ちるって。恋愛はタイミングっていうけれど、なんとも早すぎる。最初からラスボスと対峙するようなもので、出会ったが最後。付き合うも別れるもプリシラは選択をしなければならない。たしかにチャンスは平等だけど残酷。

プリシラが選択したあとに待ち構えている展開も考えさせられる。かたや学生、かたや大スターで、もともと違う世界にいた二人が強いつながりを持ってしまったからには歪みが生まれるわけで、学校に通いながらも、華やかな時間を知ってしまったプリシラの苦悩が描かれていく。

ハッピーエンドという言葉はあるけど、それはあくまで、その”物語”における最後のページが幸せだったわけで、実際の人生ではその先が続く。「プリシラ」でもハッピーエンドで終わってもいい瞬間が何度もあるけど、そんなキレイなものではない。エルヴィスに振り回されるプリシラの空虚な感じが、囚われたプリンセスのようだった。

一方でエルヴィスの苦悩も見逃せない。大スターならではのプレッシャーによる弊害がプリシラにも及んでいく。果たしてこの二人は一緒に歩むことは幸せだったのか?当時とは違った時代に生きている自分が判断することはおこがましいけど、シンデレラストーリー的な構図にも関わらず、何か素敵なロマンスと手放しでは思えない。彼らの人生の中での美しい瞬間は描かれているけど場面として記憶に残っているのはそれぞれが抱えていた孤独な表情だ。

ただ、この『プリシラ』におけるラストシーンは、自分にとってはハッピーエンドとして捉えた。大きな幸せを続けることの難しさを痛感した。