被団協にノーベル平和賞2 (original) (raw)

10日の「ひと」欄に「北海道警によるヤジ排除を憲法違反として訴え、勝訴した」として桃井希生(きお)さんが登場していた。

朝日新聞10日付

2019年の参院選で、札幌駅前で街頭演説する安倍首相に「増税反対!」とやじっただけで警察官に取り囲まれ、排除された。女性警官二人が彼女の抵抗を抑えて両側から自由を奪い、数百メートルも「連行」した。その様子は映画『ヤジと民主主義』で生々しく描かれ、背筋が寒くなった。野党にやじっても何も起きないのに、安倍首相や与党政治家にやじると強制的に排除される。ここは独裁国家か!

翌20年に北海道を相手取り提訴、今年8月、ヤジ排除を「表現の自由」の侵害とする判決が最高裁で確定した。

国家権力の不当な行為に黙っていないで追及するのはすばらしい。エールを送りたい。ちなみに彼女は、私の友人のフォトジャーナリスト、桃井和馬さんの娘さんだ。先が楽しみです。
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日本被団協ノーベル平和賞受賞。朝刊を見ると、ノーベル賞って、注目度がすごいんだなとあらためて思う。

11日朝日新聞朝刊一面

報道によると、平和賞授賞を発表したノーベル委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長は、1984年生まれの39歳で、広島も長崎も訪れたことはなく、被爆者と話したこともないという。それでもヒバクシャを知っていた。

フリドネス委員長

「1990年代、私は(日本とは)地球の反対側(ノルウエー)にいました。それでも、被爆者の話を知ることができたのです」

被爆者とその証言が、いかにして世界的な広がりを持ったか。いかにして世界的な規範を確立し、核兵器に『二度と、決して使ってはならない兵器』という汚名を着せたか。それこそが、この章の本質なのです」(フリドネス氏)

「記憶」とその継承が「歴史の過ちの繰り返しを避けること」につながるという。

言われてみれば、たしかに世界中にヒバクシャという言葉ともに、原爆の悲惨な実態が伝えられてきたのは、本当に地道な努力の積み重ねがあったからだと気づかされる。

ところで、原爆投下により、45年末までに亡くなったのは広島が約14万人、長崎が約7万4千人とされている。一方、ノーベル委員会の授賞理由の中に「米国の2発の原爆によって、広島と長崎の推定12万の市民が殺害されてから来年で80年を迎える」とあるが、この数字はどこが出元なのだろう。ある記事に—

「米軍が広島に原爆を投下した1945年8月6日から同年末までの原爆犠牲者として広島市が名前を把握しているのは、今年(2019年)3月末時点で8万9025人であることが(11月)27日、分かった。広島市が一般的に示している推計値の「14万人±1万人」と大きな開きがあり、被爆から75年近くがたっても相当数の死亡者が特定できていない」(中國新聞https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/33253)とあるから、特定された犠牲者に限った数なのかもしれない。

「記憶の継承」という点で、被団協が重要な役割を果たした背景には、戦後日本が占領下に置かれ、実態が知らされなかったことがある。

占領下で報道を統制する**GHQ連合国軍総司令部)の「プレスコード」**のため、米国や連合国、占領軍に否定的な報道は統制された。とりわけ原爆被害に関する情報は厳しく抑え込まれた。だから、原爆被害の実態は覆い隠され、国内外に伝えられなかったのである。

「生ましめんかな」の栗原貞子、「にんげんをかえせ」の峠三吉被爆詩人も不自由な創作活動を強いられた。

原爆記録写真も統制対象となる。従軍記者として広島入りした朝日新聞大阪本社写真部の宮武甫(はじめ)氏は、上司から「フィルムは一切焼却してくれ」と言われたが、「そのまま聞き流して自宅の縁の下に隠しておいたため、没収の難は免れた」という。

東京本社出版局カメラマンの松本栄一氏も、広島・長崎で獲りためた写真のプリントがすべて検閲で没収された。ネガの提出も要求されたが「自主的に処分する」と拒み、「個人のロッカー奥深くにしまいこんだ」。

彼らの写真に光が当たるのは、52年4月、日本と連合国が結んだサンフランシスコ講和条約の発効で占領が終結したあとだった。その年の8月6日号で、アサヒグラフが「原爆被害の初公開」という特集号を出すと、大きな反響を呼び、増刷4回を重ねて70万部を発行したという。

広島で疎開中に被爆した共同通信記者の**堀場清子氏(93)**はGHQ関連の膨大な検閲資料を調べ、95年の著書『原爆 表現と検閲』(朝日新聞社)で、こう総括した。

「戦後の無念は、敗戦と占領との隙間にさえ、日本人の手にあった原爆情報が生かされず、歴史の欠落を許した点にある」。(以上、11日付朝日新聞夕刊より)

(つづく)