241026-27 #siraph酒蔵バスツアー の思い出 (original) (raw)
およそ4年ぶりの投稿だ!わー!
近年、こういった類のテキストはfacebookに上げることが多かったのですが、ネタ的にFBに上げるわけにもいかないのでここに置きます。
siraph酒蔵バスツアーで私は何を考えていたのか
喜多方は工事用のフェンスの脚が赤べこ
最近ちょっと思っていたのは、自分自身が揺らいで変化したり、X(Twitter)での投稿スタイルが変化したりといったこともあり、自分が何者であるのかが当然にネットでは伝わらなくなってきていて、かつ、なんか書くことによって伝え直しておきたいなということです。
例えば、siraphというイカれたバンド(褒め言葉です)の謎のバスツアーに参加して3回ライブみて飲んだくれて朝ラー食べて太りました楽しかったね、っていうのは一息で言えることで、1ツイートで言えばまあそういう話で合ってるんだけど、こういう経験で自分がどう揺らいだのかについて、ちゃんと書いておくことは意義のあることだと思うのです。
siraphが2024年10月26日〜27日に福島県で実施した酒蔵バスツアーでは、SAKAGURAライブや酒蔵見学が行われました。東京駅からの往復貸切バスで、宿泊プランも用意。ファンは音楽と日本酒文化を楽しむユニークな体験ができました。
Explanation generated by Perplexity by input "日本のsiraphという音楽バンドが実施した酒蔵バスツアーとはどんなものですか"
siraphというイカれたバンド(褒め言葉です)
先日、NHKのクローズアップ現代でガストロノミーツーリズム*1というのをやっていて、まあ今回の旅はガストロノミーツーリズムではないんですけど、ある土地に人を連れてくるフックを立てて都会から若者を連れて行くこと、その土地で若者にどんなことを体験してもらい、感じてもらい、都会に返すのか。土に種を撒くように、都会の若者に与えた感情から芽吹いたものがやがてその土地に何かしらの形で還ってくるように。siraphが喜多方への旅にそこまでのテーマを埋め込んでいるかは知らないものの、おそらく旅のホストの一人である大和川酒造の佐藤社長や地元の皆さんにとっては、元・酒蔵のイベントホールに都会から人を連れてくることには様々な意味があるはずで、私はそんなことをぼやーと考えていました。
や、siraphのオタクなんだから音楽にもっと溺れろよ!その時の演奏の話とか言うことあるでしょ!って思うじゃないですか。
や、あるかもしれないけどないよ!っていうのが私の答えですよね。だって私、楽器演奏できないし、いままで音楽に何百万円も使ってきてると思うけど、音楽について精緻に評論するほどの知識も技術もないし。わかんないよ!だいいち、siraphのライブにはもう何十回も足を運んでいて、聴く曲だって何度ライブで観たかわからないくらい、なんどもなんども見ているわけだから。その一つ一つに解像度の高い感想とか感情とか(沸くこともあるかもしれないけど)ないです。
ないけど、でもあえて喜多方の街に来て推し音楽に浸ることは、前述のような人の暮らしの営みに業深くお邪魔させていただく、少し脳の端がぴりぴりするような、特別な感情をもたらすのです。
サステナビリティとか
私は地元が北関東某県にあるいわゆる”ニュータウン”なるところで、団地ではなく一軒家がばーっと並ぶフォーマットではありますが、東京に対して車がないと生活できない田舎、映画館とかカラオケとかショッピングするところとか、そういうエンタメや娯楽のない街に暮らすことをわかった上で、東京に暮らしている。
喜多方に向かうバスの車窓から高速道路の向こう側にひろがる風景をぼーと見ていると、飽食の東京など秒で「狂気」と言い切れるくらい、情報濃度が薄く、でも何か濃くて豊かに思える空気感が広がっている。頭の中では、あの土地は1m2あたりどれくらいの付加価値生産をするんだろうなどという、しょうもないマクロ経済が去来する。土地が持っている意味が違いすぎる。東京の土地は縦に積み上げられて、1階1階で小難しい頭脳戦が行われている。しかしこの土地では平屋の風景が稲作に勤しんでいる。当然、付加価値生産量は東京のほうが多いのだ。でも米が食えなくなったら東京は死んでしまう。福島の1m2の”価値”が低いなどということはありえない。他方、私には難しく、よくわからないと感じるのは、東京の1m2と福島の1m2と、いずれのほうが濃厚に芳醇に”幸せ”を生産しているのかということだ。
まーはっきりって、そこにいる人が幸せであれば、都市や田舎の構造なんてどっちだっていいと思うのだ。そして東京にいる人が幸せなのか不幸なのか、それはミックスされた感情なんだけど、それは、私からもなんとなく想像可能な範疇にある。しかし、この緑豊かな地域が幸せなのか、不幸なのか、どうミックスされているのか、それは私にはわからない。
「サステナビリティ」という語はなんだか浅い響きになってしまったけど、「持続可能性」ということです。人の営みの見通しが決して暗いものではない、ということです。それが見通せないことは、もどかしいし、不安を呼ぶ。
私は喜多方をどう解釈すればよいのかわからなかった。
脈動するようなもの
5年ぶりに訪れた大和川酒造は展示スペースがリニューアルされていて、1700年代から続く酒蔵の歴史や、近年仕掛けているビジネス上の試み(大和川ファームの事業拡大による無/低農薬稲作米の自家調達など)がおしゃれに説明されていた。
農業と街を維持するための商業を主体とする街において、遠くまでの流通を実現する酒造と酒販はお金をよく撹拌して流通させるポンプのような役割を果たす。稲作1m2で稼げる額はオートマティックに決まってしまう。なにがしかの方法で付加価値生産を集積し、お金を集める必要がある。そこで第二次産業は重要である。酒蔵を”工業”と呼ぶのが正しいのかどうかはわからないけど(大和川酒造はそれなりに工業化されているとの説明もあったが)、工業は1m2あたりに稼げる額を濃縮する。街を維持する心臓*2になり得る。
かつてはその工業がある種の人海戦術だったので、工場(こうば)のある街には人が集まった。もちろんいまもそういう場所はある。TSMCの熊本や、ラピダスの千歳など、半導体産業がその典型か。人が集まる街には、街と生活を維持するための商業が芽生える。食堂、商店(コンビニ)、ある程度の人数がいれば、ショッピングモール、映画館。私の地元のニュータウンは帰って寝るための街なので、飲み屋やスナック街などはあまり発達していないが、例えば季節労働や独身者、単身赴任が多い、あるいは従業員が男性に偏りがちな街では飲み屋やスナックが発達するかもしれない。喜多方の街なかにも、喜多方らーめんの有名店の坂内食堂のまわりあたりは、居酒屋やスナックがいくつもみられた(夜、それらが営業しているのかどうか定かではない店もあったが)。
狭い道沿いにちょっとした飲食店がならぶ。自動車のまえの時代から街が発達していたのを感じる
10月末の気温10℃すこしの朝の空気の中だから、しんと寂しい感じがするのは街だけのせいではない。昼や夜には大賑わいなのかもしれない。でも、冬になるとすきま風がしんどそうだなあと思える古い住宅がたくさんあり、空き家となって蔦が絡まってほぼ朽ちてしまった建物もいくらかある。
あー寂しい田舎ですね、過疎ですね、30年後はどうなってしまうんでしょうね、地方創生の出番ですね、って、ロジカルにテクニカルに言い切って、誰かに課題を託してしまうのも簡単なことです。Not my business、ってそうなのかもしれません。私は私の田舎の心配でもしとけよって。だけど私は、街をとぼとぼ歩きながら、それでも思うわけです。「でも誰かがここに私を連れてきた」と。「なにかすごい、魔法のようなパワーが行使されて、日曜は昼まで寝ているような体たらくの私が、何万も払ってここに来て、朝7時から町を徘徊し、ラーメン2杯食ってる」と。
その魔法のようなパワー、ポンプ、脈動の正体を私たちは知っているわけです。
幸せを生産する
われわれはここでなにを目撃したか
自らの会社が所有する蔵を文化施設とし、喜多方に来る人、住む人の幸せに寄与する「場」とする。大和川酒造の佐藤社長の意図の背景を私は直接聞いたわけじゃないから、ほんとうになにも知らない。ノリなのかもしれないし、深い意図があるのかもしれない。しかしほんとうに、蔵の横に備え付けられたすっごいきれいなトイレの水をがばーと流しながら、歴史ある会社を経営し、土地とその街の人脈のなかに埋め込まれ、社員の暮らしを支え、酒の文化を守り、街の未来を背負うって、プレッシャー強すぎる、すごい仕事だ、尊敬しかない、このトイレをきれいに改装しようっていう判断にまで、経営の神様が細部に宿っている、そう思うのです。
アニソンDJで音楽大好きだから加振とう酒の実験して、推しキャラや推しバンドでお酒つくってオタクに売りました、って、あーなんと美しい付加価値生産だろう、クラクラする、と思う。
そして狂度の高いオタクが3, 40人くらい居るから、ばばんとお金も出してくれるだろうから、とりあえず呼んで飲ませて街でラーメンも食わせてお土産もたんと買ってもらって、そうやって街の営みに組み込んでしまおう。
意図的じゃなくても、そういうとりあえずやっちゃえの集積が、人や街の豊かさを作り上げていくことは疑いようのないこと。東京モンがまじで忘れてはいけないことは、この蔵の1m2は明らかに東京のしょーもねえビルの1m2よりも濃厚でやばい幸せを生産しているということなのだ。
音が出たとき、勝手知ったるライブハウスの音ではないということを身体で感じる。私たちはみんな、音楽は耳から聴くだけじゃなくて身体で摂取するものだと熟知しているけれど、ほんとうに、この場に来ないと得られない栄養がある。特別な経験をしているという実感が演者のテンションにも影響し、建物の振動を通じて聴衆と狂気を交換している。特別な時間だから思いつく、許される、不思議な企画と乱痴気騒ぎ。宴の後のつめたい空気と真っ黒な空と知らない星空。どっかいなくなっちゃった友達を探す、学生時代以来のエモみの強い散歩―
Life goes on, living on a prayer
siraphのライブのアフターパーティではいろんなカバー曲が披露された。七尾旅人のサーカスナイト、米米CLUBの浪漫飛行、荒井由実の卒業写真。でもまあ、盛り上がったのはBON JOVIのLivin' on a prayerですよね。
私は日本人なので、キリスト教圏内の”なにかを好転させるために祈る”っていうのがちょっとよくわかんなくて、いや行動してくれや、と思いがちなのですが、今回の演奏を聴いて歌詞を呼んで、これはそういう意味だったのかと。
みんな、それぞれが何かしらの社会に埋め込まれて生きていると思うのですが、ほんとうに、幸せを作り出すためになにか一歩一歩、未来への希望を失わず、試しながらやっていくのが人生で、私もそういうものになりたい、ならねばと。
We've gotta hold on to what we've got
It doesn't make a difference if we make it or not
We got each other, and that's a lot for love
We'll give it a shotWhoa, we're half way there
Whoa oh, livin' on a prayer
Take my hand, we'll make it, I swear
Woah-oh, livin' on a prayer
Livin' on a prayer手にしたものを手放してはだめ
成功しようがしまいが、たいした違いではない
お互いがいる、それで十分素敵なこと
さあ挑戦してみよう
もう半分まで来ている
希望を持って生きている
私の手を取って、私たちはきっとやれる、誓うよ
希望を持って生きよう
BON JOVI - Livin' on a prayer (訳:筆者)
私はたぶん他人の幸せを生産するような生き方はできていないんだろうと思うのですが、喜多方のその場所にはたしかに幸せがあって、私はそういう営みがこれからもずーっと続いていってほしいと思うし、それに向けて私ができることは非常に限られているんだけど、このちょっぴり胸アツなかんじを、ちゃんと持続しておかなければ、と。
そういうことを考えている
ということで、siraph酒造バスツアーの感想は以上なのですが、どんな感想なんだよ!音楽のことや乱痴気アフターパーティーの話とか何も出てきてないだろもっと感想言えよ!読んだ時間返せ!てなるかもしれませんが、ほんといつもこんなことしか考えていないのでこれが感想です、すみません。
大阪の北堀江歩いてても、名古屋の鶴舞のあたりを歩いてても、米子・境港をドライブしてても、ずーとこんな感じです。そして出かけていて「あー、私をココにつれてきてくれた魔法のようなパワーがある!」といつも思いますね。
あぐらをかいて、日本酒の一合瓶をラッパ飲みしながら、浪漫飛行ってちょっと世代がズレてて1サビ以外歌詞わかんないな―とか思って、いい年こいた大人が馬鹿なことやって楽しくしているのっていいなー、みたいな。
まあ、そういうことを考えているし、突然考えられなくなるほど理性が飛んで、「あー魔法のようなパワーがある!!」と思います。語彙。
ライブ中に突然照井さんから「うつんさんにとって幸せとは」と言われて全く返せなかったんですけど、色々検討した結果「色々あっても総じて楽しさが持続すること」と「理性を脱ぎ捨てられる瞬間」が重なるときかなあなどと思った。
この5年でたくさんの理性を脱ぎ捨てて、かなりたぶん幸せになりました— う つ ん (@takemyhands) 2024年10月26日