同じ日などはない (original) (raw)

役目を了えて無惨に枯れさらばえた花茎を、剪定鋏で根元近くからバッサリ伐り離したのは、わずか三日前のことだった。そこへ短時間豪雨を含むこの数日間の猛残暑だ。これぞ絶好機と踏んだものか、君子蘭は信じがたい速度で、葉を伸ばしてきた。数日前までここに花が咲いていたなんて、だれが信じるだろうか。

昨日に似た今日を過したいと考えた。昨日のうちに読み了えた若者の新作を、より細部まで吟味して、参考意見を提供できるものならと目論んだ。いわゆる三度読みだ。
一度目は通常読者として、並速で読む。二度目は細部の表現にまで注目して、キーワードを拾ったりしながら読む。短い書込みや線引きが入ることもある。昨日は電車内だったので、シャープペンシルは使えなかったが。そして三度目は、要所で立ち停まって原稿から眼を離したり、つまり考えたりしつつ読む。感想めいたやや長い書込みが発生することもある。書評や解説を依頼されたり、応募作品の選考を担当したりする場合の、私なりの読みかただ。能率的ではないが、年月をかけて定着させてきた自己流である。
昨日以上に気合をこめようと、自前の朝食を摂った。洗いものを済ませ、戸締りを点検し、さてあとは冷水シャワーと身繕いだけとなったところで、面倒な雑用が発見されてしまった。


このたりは念のためだと軽視していた箇所の粘着兵器が、仔ネズミを捕獲していた。今季七匹目だ。いいかげんに勘弁してくれよ、という気分である。
前回六匹目を駆除したあと、家内に物音や気配はほとんどなくなった。不用意に騒ぐ仔ネズミはおおむね駆除できたのだろうと、いささか愁眉を開いていた。とはいえ全滅したわけではない。まだ親が残っている。じっさい思わぬ場所で私と鉢合せして、物陰へと逃げ去る後姿を二度ばかり視ている。力も知恵も仔よりはあるだろうから、罠にかけるのは容易ではない。辛抱強い長期戦になろうと、覚悟はしていた。ところが今朝また、一匹の仔ネズミが最新兵器の餌食となったのだった。

駆除の鉄則で、当初はすみやかに成仏させていたが、ある日から宗旨替えした。鎮魂と成仏祈念と、そしてなによりも記録のために、悪趣味を承知で写真に収めることとしたのだ。手早く撮影を済ませてから、水を張ったバケツで呼吸を止めてやり、ぐしょ濡れの兵器もろともビニール袋に密封して、紐を十文字にかける。ダニや細菌の影響が他に及ばぬようにしてから、生活ゴミの袋に投じなければならない。作業終了後には、兵器が置かれてあったあたりもバケツも、消毒しておかねばならない。けっこうな手間となる。


いくらかでも涼しいうちに外出しようと企てたのに、結局は午前十一時台の猛暑のなかを駅まで歩くことになってしまった。しかも今日は、ダイヤとの相性もよろしくなかった。豊島園行きで練馬まで。乗継ぎが保谷止り。そこでの乗継ぎが小手指止り。ようやく飯能行きに乗れた。
加えて陽気のせいか老化のせいか、炊事・食事・片づけをしただけでもすぐに疲労をおぼえ、仮眠をとりたくなってしまう。エアコンの効いた車内ともなればなおさらだ。睡魔と乗継ぎとに妨げられて、本も原稿も一行も読めぬうちに飯能に着いてしまった。

池袋へ着くまでにはからくも体調を取戻して、あとは読むことも考えることもできた。そして夕刻にはわが町へと帰り着き、いつもの店のいつもの席で、いつものビールといつもの肴とにありついた。

「判で捺したような日常」なんぞと云われることもあるが、日々どこかしら異なる。少しづつ異なる。暮しのたんぱく質や脂肪やビタミンに変りがなくとも、どうでもよいから名付けるまでもないような、いわば暮しの食物繊維の部分が異なるのだ。
人生のたんぱく質や脂肪やビタミンに注目して、それらの絡み合いを按配して人間性を描き出すのが小説にはちがいないのだが、じつは食物繊維にまで眼が透っているかどうかが、佳い書き手と並の書き手との相違である。そのことを若い書き手になんとかしてお伝えしたいのだけれども、巧い言葉が見つからない。判りやすく実演して見せるには、私の技量が足りない。いかにしたものか。

歴史小説、歴史文学ってもんが、最近ちっとも面白くないんだ」
晩年の河上徹太郎が云っていた。むろん歴史への興味を失うような人ではない。
史実そのものが面白いのであって、歴史文学なんぞ面白くなくなったと、云ったのだろう。たんぱく質や脂肪やビタミンだけをいかに按配してみたところで、食物繊維抜きの人間表現などたかが知れていると、云っていたのではなかろうか。