観て跳ねた (original) (raw)

中秋の名月、いわゆる十五夜お月さんである。

郷里在住の従兄から電話があった。午前中だが、起きてデスク脇にいたから、失礼せず即座に出られた。シマッタと、咄嗟に思った。今年もこの日に上京すると、かなり前にメールをいただいてあったのだ。失念していた。ご夫妻お揃いで駅前のロッテリアに着いたところだという。少々お待ち願うことにして、身支度を急いだ。
ご夫妻はともに青山学院大学のご出身で、学生カップルの交際が長引いて、今日に至った。毎年この時期には同窓会行事があって、お揃いで上京なさる。全学共通行事にご出席のあとご夫妻は別行動で、専攻学科別だのクラス別だの研究室別だのの分科会を回られ、それぞれ存分に旧交を温め、懐旧の情に心身を若返らせるらしい。
今朝は帰路につかれる前の最後の行事として、金剛院さま霊園のわが父母の墓前に詣ってくださったのだ。毎年、というよりご上京のたび毎度のことでありがたく、お礼の申しようもない。

夫君は保険関係の営業職を勤めあげ、夫人は子育てが一段落されたころから仕事に出られ、大学講師も務められた。交際力・識見ともに秀でたご夫妻で、まさしく地元に根付いた、地道な教養人と云える。
三十歳前後のころだったか、有給休暇を束ねて、鳥取~松江~出雲を一週間ほどほっつき歩く旅をした。とある町で、地元の祭に遭遇した。全国に知られるような観光祭ではなく、地元氏神さまに感謝を捧げる、手造り感あふれる微笑ましき祭礼だった。「綱引き早慶戦」という催しが大人気を博していた。老若男女取り混ぜての両チームの全員が、二大学のご出身者とは限るまい。そのご家族もあれば、ひいき筋なども含まれていたかもしれない。ともかく町民代表が両組に分かれて、本式の競技用かとも思われる太く立派な綱を引き合うのである。沿道両脇に黒山の観衆も応援に必死だ。歓声が湧き、叱咤激励が飛び交う。笑顔以外にどんな表情もない。
はじめは微笑ましく眺めていた私だったが、やがて涙を堪えられなくなり、ついには恥かし気もなくハンケチで顔を拭うに至った。ああ、ここに大学がある、という想いだった。卒業後は郷里へ戻り、地道な教養人として地元に貢献してきたかたがたが無数にあるのだろう。母校愛と誇りとを、長く胸中に保持し続けておられるのだろう。卒業後も東京に住んで、名目上は会社員ながら昼と夜の区別もろくにないような、埃っぽい「業界人」めいた暮しを続けていた私には、胸にこたえる光景だった。グウタラを極めた自分の学生時代は、いったいなんだったのだろうかと、時に思わぬではなかっただけに、よけいに心が洗われるようだった。

従兄ご夫妻からは、市や県の実情の一端を伺う。遠い親戚の近況なども伺う。交際下手にして、日ごろ諸方へ無沙汰がちの私にとっては、耳新しい情報ばかりだ。前回お会いした以降に他界した親戚の噂が続いた。目上の人が、もう数えるほどしかいなくなった。あの子が、もうそんな齢になったかと、いく度も驚かされた。情ないことに当方からは、なんの土産噺も提供できない。
二時間近くも話し込んだろうか。新幹線の予約時刻もあるのだろう、やがてご夫妻は眼で合図を交された。じつに要領よく四角にまとめられたリュックをそれぞれ肩に背負い、手にもバッグを提げて、改札口を通ってゆかれた。


帰宅して炊事をするつもりだった。正午を少し回っていたが、私にとっては本日の第一食だ。そうそうラッキョウを切らしてたんだったと、サミットストアに立寄った。目的地は地下だ。エスカレーターを降りたすぐには臨機の催物というか「本日の目玉」商品が並ぶ。月見団子セットが山をなしている。色変りやら串に刺さったのやら、饅頭と団子とがセットでパック詰めされたのやら、色とりどりの盛りだくさんだ。

常用のラッキョウや梅干の棚の正面が、弁当や惣菜の一画だ。ふと気持が動いた。つねであれば眼を惹かれる天丼・かつ丼や幕の内系の多彩和食には、気が向かなかった。今日ばかりは、買ったことのない、未知の商品を試してみたい気分だった。珍しいものが欲しいわけじゃない。中華丼だって牡蠣飯だって、知っちゃあいるが私には未知の商品だ。
「麻婆茄子&海老チリ丼(たっぷり盛)」を選んだ。なんとはなしに、むくつけきものに挑戦したかった。暴虐を思い出したい気分だった。
電子レンジから取出した初体験丼は、お子さんにまで広く愛される人気商品なのだろう、麻婆もチリも、すこぶる甘いものだった。