深刻さが減るってどういうこと? (original) (raw)

はじめに

はいどうもー!
皆さんご機嫌いかがでしょうか?

全ては愛であり、全ては至福であり、あなたは完璧なんですよ!
足りないものなんてないんです!
なんていうことを若干微笑みながら言ったりしてるわけですが、
こういうセリフは、聞きようによっては歯が浮くようなセリフだなぁということもちゃんと理解しているタクさんです。

僕はですねぇ。
本来の性格は何ていうかブラックジョーク大好きな側面も大いに持ち合わせておりますのでね。
アニメも「サウスパーク」大好きでしたし。
だから普段は歯が浮くようなセリフはあまり言わないんですよ。
聞いたとしても、どこでツッコミを入れてやろうか?なんて考えちゃったりしますしねー。

じゃあ、どんな気持ちでそんなセリフを言ったりしているのか?と言いますと、なんていうか感覚としては「地球は丸い!」と言ってる感覚なんですよね。
当たり前のことを当たり前に言ってるわけでして、当然のことながら、みんなもそんなこと知ってるということもわかった上で言ってる感じなんですよね。

たまに、「そんなことがわかっていて普段の生活はどんな感じなんですかー?」
ってなことを聞かれたりするわけですが、
「別に変わらないですよー。深刻さが減るくらいで他は一緒です。」
と答えたりするわけですが、皆さんだって、地球が平面だろうが球体だろうが別に普段の生活は変わらないですよね。
平面だからって変える必要ありませんもんねー。航海士だったり飛行機のパイロットだったりすると話は変わるのかもしれませんが、、、。

深刻さが減るってどういうこと?

では、深刻さが減るというのはどういう感じかというと、わかりやすいのは、朝起きると心が重たいってのはかなり減りました。
別にどんなことだって起こるので、朝の心が重いという時もまた訪れるのかもしれませんし、特別なツラいことがあればしばらくは重くなるのも当然なんですが、今のところはほぼ無くなりましたねー。

この心の重たさは、僕の場合は小学生の頃からありました。
なんせ一切宿題をやってませんでしたからね。宿題というのはどうも僕には合わなかったみたいです。だって勉強は学校でやれば良いんですからね。帰ってまで勉強ってねぇ。
無理ですよねー。
だから、悪いことだという認識はないまま、宿題をやってないので怒られるという毎日でしたので、そりゃぁ心も重くなるってなもんです。

怒られないように宿題をするって選択もあったのかもしれませんが、今になって思うと、「怒られないために何かをする」ということをしなくて良かった!とも思ってます。
「怒られないために行動する」というクセがついてしまうと、これもまた自分を縛る鎖になってしまいますからねー。

まあそんな心の重たさが減りましたね。
なんていうか、嫌な思いを蒸し返すということがかなり減りました。
いわゆる思考の反芻ですね。
終わったことって今はもうないことなんです。
無いことを、イメージしてあれこれと考えるってなことは、自分にとって楽しいことだけを夢想してニヤニヤすることだけに使えば良いんですよね。

例えば、
「もしかしたら、これからすごく若返って可愛くなるかもー!イケメンになるかも〜」
「大成功しちゃって、色々と忙しくなっちゃうかもー」
とかね。

解釈は真実にはなり得ない

僕らの思考って、頭の中でストーリーを作る機能でもあります。
ストーリーというのは、因果関係と連続性があるじゃないですか。
だから、こうなったらああなって、こうなって、こっちがあっちに、あっちがこっちにいって、、、。
と言ったように展開していきますよね。

でも、これって後付けのでっち上げみたいなものなんです。

ですが、この連続性があるという思い込みがあれこれと思考を蒸し返して不安になるという原因の一つになってるところがあるのかもしれませんね。

ですが、起こることは常に新しいんです。
そこに連続性もへったくれもないんです。

もちろん、解釈としてはつながっているようにしか解釈できない!って感じるかもしれません。
でも解釈はただの解釈であり、どこまで行っても解釈が真実にはなり得ないんです。

そんな解釈に振り回されなくても良いんですよねー。

takuteto.hatenablog.com