あらたま@メモ魔通信 (original) (raw)
※こちらは『猫の本棚』さんの一画をお借りして運営しています。
※猫の本棚さんでは売り上げの一部が保護猫活動などに寄付される仕組みです。
※完全キャッシュレス対応のお店です。現金でのお取引はできません。
※営業スケジュール・対応クレジットカード及び電子マネーをよーくご確認の上、ご来店くださいませ
2024年6月7日
文学フリマ岩手9開催目前!在庫調整が難しくなってきた(;^ω^)
2024年6月16日――**文学フリマ岩手9**が間もなく開催!
ということで、猫の本棚144番の『虎徹書林の棚』も模様替えしました。
『泡沫百怪:特装版』の現物がお求めになれるのは、店舗ではここだけ!
※通販は架空ストアさんに委託していますm(__)m
POPもあらたに、前面平積みしてきましたよ!
今回より、お友達の恐山旅行お土産の「般若心経手拭い」が、特にオマジナイ目的でも魔除けでもなく、棚内装飾として登場しました。
発泡スチロールブロック丸見えよりも見栄えは良いかも⁉
泡沫百怪【特装版】
現物を手にとってみられるのはココだけ!
<泡沫百怪POPより>
手前に四冊、平積み。4月の陳列から大きな動きはありません。
文学フリマ初売り行脚の帯も、そのまま!
POPは新たに書き起こしております。
特装版の現物販売は、こちらのみとなっております。文学フリマでの店頭在庫はありませんが、事前のお申込みで若干数の御対応はできるかと……。
また、通販をご希望の場合は、架空ストアさんにてのお求めとなります。
右奥 虎徹書林の本
「本当にあった怖い話」って(中略)アンバランスさがミリョクなのでは?……と思いながら創作したヘンテコなお話たち
<虎徹書林の本POPより抜粋>
文学フリマ岩手9でも「小説|ホラー・怪奇」のカテゴリで出店いたします。
が……ホラーっていうほど、読者の皆様を『脅かす』ことに重きを置いていないつもりで書いたお話ばかりですm(__)m
これまでに読んでくれた家族や懇意にしてくださる方々から「分類、難しいね……」と言われつつも、最大公約数的に【怖い話】というジャンルなのでは?との言葉で後押しを受けてまいりましたので、これまでもこれからも、なんだか不思議で不気味な話=怪談というジャンルに居ようと思っています。
お化けが退治されてスカッとする話、霊能者がカッコよく活躍する話、最後は絶対に「めでたし、めでたし」で親子愛とかで泣けちゃう話……みたいな感じのお話をお求めの方には、あまりオススメいたしません――というのも、虎徹書林の本の特性かと思います
- 気疎譚……虎徹書林の本を初めて読む皆様が手に取る率、ナンバーワン。
- 猫又方途……猫にもいろいろあるのです……アナタの知らない事情がね。
- 妖之鏡細工……棚内部数にも「推し」てることが表れてます(*´з`)
- 泡沫ノ怪……平積み中の『泡沫百怪』のパイセン本。
左奥 書読循環~作業場の本棚から~
夏の怪談シーズンの準備にいかがでしょ⁉
(中略)
今のテーマは『呪』
<書読循環POPより抜粋>
虎徹書林の作業場本棚から、テーマのイメージに合う!と私が独断と偏見で選んだ本をご紹介する【書読循環】のコーナー。今回は五冊(四作品)を並べてきました
今回のテーマは『呪』です!
まんじゅう怖いの例を引くまでもなく、人の「怖さ」の対象は十人十色
そして怖さの一種である「人が人を呪いにかける」方法や理由も多岐にわたります
だれが、何を、どう『呪』にかけているのか?
ご興味あればどうぞお手に取ってお確かめください……
- だれが「本」を殺すのか<上><下>……本作品が投げかけた問いは今も根深く
- 鬼の家……舞台装置としての『家』は、私も考察を続けているテーマです
- 実話怪談 犬鳴村……噂話というのは、時を越えて成長する『呪』のような気がします
- 聖者の落角……光と影は表裏一体、と言いますが果たしてどちらが『呪』なのでしょうか
2024年4月16日
文学フリマ東京38目前ですが、こざっぱりしすぎ💦
文学フリマ京都8が終わったら――
旧正月が終わったら――
ぎゃー!桜が散ってしまう前にぃぃ――
執筆にもたもたしているせいで、すっかり『棚の模様替えに今度こそ行くぞ詐欺』を働き続ける極悪棚主になっていましたが、土曜日にやっと!クリスマス~新年バージョンから通常版へと模様替えしてきました(∩´∀`)∩
泡沫百怪【特装版】
手前に四冊、平積みにしてきました。
文学フリマ初売り行脚の帯をそのままつけてますが、普及版が出たら帯のデザイン変えようか?変えまいか?まだ考え中です。
特装版の現物販売は、こちらのみとなっております。文学フリマでの店頭在庫はありませんが、事前のお申込みで若干数の御対応はできるかと……。
また、通販をご希望の場合は、架空ストアさんにてのお求めとなります。
右奥 虎徹書林の本
文学フリマ東京38の出品バランスに近くなるように少しずつ調整していきます。
実は納品直前に寄らせていただいた某イベントで一冊お迎え先が決まるという嬉しい出来事――というか、これぞ旅する本屋(しんのすがた)!てことがありました(=゚ω゚)ノヤッフゥゥゥ
その分を差し引いても、だいぶスペースがありますな!次回はもりもり補充します。
左奥 書読循環~作業場の本棚から~
虎徹書林の古本コーナー。
今回のテーマは『書を作る人々』です。
- だれが「本」を殺すのか<上><下>……出版不況っていつからだろう?
- **舟を編む**……映画版とアニメ版、存分に楽しんで小説読みました。
一棚お借りしているシェア型書店『猫の本棚』さんにてお迎えしてきた作品。
作者の中川さんの棚に本書が並んだ旨をつヰったー(現:えっくす)で知り、こそこそとお店に伺って立ち読み、もくじを眺めて「こりゃ大変な一冊だ!」と即レジへ。
サブスク盛り上がる昨今でも、名作と呼ばれるアニメが全て鑑賞できるわけではないし、鑑賞できたとしてもその時代背景や他の作品との相互関係がわからないといまいちピンと来なかったりする。こういう本を読んでおくのとおかないのでは、文字通り『見る目』が変わっちゃうと思うのだ……。
【読み始め】2024年2月6日
【読み終わり】2024年9月21日
2024年4月28日
日本のアニメを語るにあたって、良くも悪くも手塚治虫という漫画家は避けて通れないのだ……とはなんとなく聞いていたけれど。アニメがアニメと呼ばれる以前からその影が爪痕が、薄っすらとではあるけれど残っているんだなあ。
そして、アニメとは直接関係無いように見えて、実はとても重要なのが「映画からテレビへ」と国民の嗜好の大柱が移ろうとする時期について。高級品だったテレビが一般家庭に普及し、娯楽の花形になっていく様は、当時の映画業界にとっては大変な衝撃と静かにして重たい恐怖だったのかもなあ……と。
とはいえ、そんなテレビの普及のおかげで、私はライディーンやコンバトラーVの雄姿を拝めるのだけど、それはもうちょっと先で語られるのかしら?とどきどきしながら読み進めることにする。
2024年8月7日
読み進めては少し戻って同じ節を二度、三度、読み返してみる。
こちらの御名前どこかで……と引っかかっては、ググって「あああああ、これらの作品のクレジットでお見かけしていたのか!」と漫然とテレビを見ていた子供時代に思いを馳せては戦慄する。
手塚治虫先生も実践したストーリーボードというものについて、絵コンテとの違いやプロットとの関係性などを調べ、練習テーマを設定して書いてみたりする。
そういうことをやっていたら、やれやれ、もう真夏いや酷暑に突入してしまった。
暦の上では立秋とか、口に出すのも馬鹿馬鹿しくなってくるくらい、1960年代のクリエイターの皆様の(特に手塚先生の先を見据える目の凄まじさの)熱量で頭の中も沸騰しっぱなしだ。
創りたいものを創る。その環境を継続させるための、資金と人手の循環する仕組み作り。私は文字で物語を作るから、当時のアニメーション制作の現場とは規模が全然違うけれど、それでも本書で掘り起こされる国内アニメの夜明けという貴重な時間の中には学ぶべきことが山ほど詰まっている。
2024年9月21日【読了】
文学フリマ札幌9に出店するため!と大変に大きな理由を見つけたので、北海道新幹線と在来特急を乗り継ぎ、およそ半日の列車の旅に出た私は、道中本書の残りを駅弁と共に楽しみ、だだっ広い牧草地帯の向こうに陽が沈まんとする瞬間に読み終えたのだった。
その景色と、手塚アニメの衰退が絶妙に重なる気がして、その後の日本のアニメの盛り上がりを知っていても、やっぱりセンチメンタルな気分になる(頭の中では中島みゆきが歌い出していた)。
アニメ業界の悪習を作ったのは手塚治虫だ全部手塚治虫が悪い、という論調を信じる人は本書を読めばいささか考えが変わるのではないだろうか?
それでもやっぱり大元は手塚だ!との認識に揺るぎは起きずとも、天才とはいえたった一人の産み出したアイデアがその後大勢を泥沼に沈めるだけの膂力があると決めつけるのは乱暴だなと思うのではないだろうか。
あのダイナマイトも――発明者は戦争の効率化のために作り出したのではないと言っていたのではなかったか?それを手にしたその他大勢が、素晴らしい道具を悪しきことに流用した後続の者たちは一ミリも罪に問われないというのだろうか?
畑は違えど、本書に登場する物語の作り方は、私も大いに活用している。本書を読むことでもう一度、そのメソッドの基本に立ち返り、練習問題よろしくお話を一本書いてみたりもした。
本書は歴史に興味がある人、何らかの創作に携わる人、資料本マニア、そういった人々にはもちろんのこと、日本の文化について一段掘り下げて学んでみたい人にも、その好奇心を充分に満足させてくれるものと思う。
モノ作りって大変だけど、ゼロから産み出す大変さはその斜め上を行く、想像なんて軽く飛び越えるよ……と、本書を読んで打ちのめされる人がひとりでも増えますように。
文学フリマ岩手でお迎えした作品。
ほんとは東京会場でお迎えしたかったんだけど、第一会場の熱気と人の多さがすさまじく、生まれついての方向音痴である私(自ブースは第二会場だった)は入場と同時に行き先を示す矢印を見失って、出口専用扉からペッ!と吐き出されてしまった。
ナカノヒトリさんが岩手にも出店されると知り、私もたまたま岩手のブースに当選していたので、この機会を逃してはならぬ!と鼻息荒く本書を手に取った。
【読み始め】2024年7月30日
【読み終わり】2024年7月31日
2024年7月31日【読了】
コンフォートゾーン、というものがある。
心理的安全領域、とでも訳されるようだが、実はこれなかなかにクセモノらしい。
ストレスも不安もなく文字通り安全安心の「ぬるま湯」みたいな状態や環境だけど、人間というのはそこに永住することはできない……らしいのである。
また、傍から見るとストレスまみれに見える環境でも、住めば都というか、慣れ親しんでしまうとコンフォートゾーン化してしまうこともあったりして、いわゆる依存症とか?やめるにやめられないジレンマの元凶として機能する場合もあるんだとかナントカカントカ……苫米地英人先生の御著書の内容を反芻し、うろ覚えとはいえ、その意味するところに再びの戦慄を覚えているところだ。
なんでこんなことをメモしてるかってェと、本書で要らん嘘をついた主人公が、その嘘によって自ら人生のコンフォートゾーンを抜けざるを得なくなり、のっぴきならない状況に陥っていたからである。いやあの嘘は、もしかしたら、意識せぬままコンフォートゾーンを抜けたいと願っていた末の、魂のささやかな悲鳴だったのか?
いずれにせよ、である。
境界線を跨ごうか、跨ぐまいか。
いや、跨がないと、その先にしか道はないんじゃないの?――
そんな人生の『まばたきみたいな一瞬』を、ナカノヒトリさんは淡々と、それでいて鋭利に切り取っている。
私はこの物語を、主人公の『成長』の物語であると言い切ることができない。
主人公は小さな不便や不満の中を泳ぐが、今の段階ではそれらが解決に至ったかどうかはわからず、それこそ主人公の人生の行きつく先で彼女のみがその答えを知ることを許されている……のだろうと思う。こういう温度感、物語と読者との距離感を、絶妙にはかってくださるナカノヒトリさんのセンスが、私は大好きだし、信頼できるなあと思うわけです。
其の一が大変に懐かしい薫りの構成で、そうそう私もこういう実話怪談風なのを書きたくて、ちっとも書けなくて、未だ迷走しているのデスと羨ましくも楽しませていただいた。
其の二があるならば、安心して楽しめるに決まってる!
わかっているのに、いや、わかっているからこそ、読むのを勿体ながってしまうどうしようもない性分なのが積読スタイル。
【読み始め】2024年7月9日
【読み終わり】2024年7月10日
2024年7月10日【読了】
予想していたとおりである。
面白さは折り紙付き、の本は当たり前のようにすぐに読み終わってしまう。
大事に読むぞと決めて、いつ読もうかな?と絶好のタイミングを狙いすましたにも関わらず、最後のページに辿り着いてもなおランダムに話を拾って読み返すのに、やっぱり本を閉じるその瞬間はやってくる。
儚い……なんて儚いんだろう、虚だろうと実だろうと、怪談というのはやはり泡沫の如く手の中に留めておくのが困難なものなのだ。
お話には起承転結とか、序破急とか、だいたいの構成のパターンがあって、ここでちょっと「引き」なさいとか「インパクトある台詞を」とか、作家の数だけある作文理論をいかに上手に盛り込むかが肝になる。
だけど、案外見落としがちなのは、構成に気をとられて、物語のスケールにあった文量を読み間違えてしまうこと。これは私もしょっちゅうで、手癖でなんでも古典落語の怪談噺くらいのスケールにしてしまうものだから、本書に収められてる一本分くらいの『実話怪談の空気感を醸すちょうどいいスケール感』の話を書くのがド下手糞だ(それでも書きこなしたいから、下手糞なりに書き続けてるけどな)。
其の一を読んだ後、もしかして作者様、アノ元祖実話怪談集を読み込んで大人になった怪談少年では……と密かに期待していたら、本書あとがきにてその答えがバチっと明かされており、ひとり万歳三唱したのはここだけの話。
文体だけでなく、想像しうる範囲での怪異の成立の仕方や、伝聞を蒐集するというスタイルへの強いこだわり、それ故に著者による後追い取材などで知り得た情報は徹底して書かない、というスピリットまで踏襲されていて、私には何故にこの素直さと欲を律する我慢強さが備わっていないのかと、同じく(一緒にすんなって怒られるだろうけど)怪異を創作する者として大変に羨ましい。
私の『怖い話の夏・活字編』は本書から始まったわけだけど。
物凄くパワーのある本を読むと「もう書かなくていいかな!」とか簡単に思っちゃうのだが、こと怖い話を読むと、ダメだぁやっぱりもうちょっと書き残したいとみっともなくペンを握り始める。
たぶん、私も怖い話が好きな人だってことなんだと思う。
私にはザ・実話怪談のスタイルで怪異を創作することはまだまだ難しい。きっと一生かけて、書き、迷い続けるだろう。とてもつらい、苦しい道行だ。
嗚呼、でもなあ……其の一・其の二と読んでしまったのだもの、作者様の爪の垢エッセンスをいただいた気になって、この夏も書いてみよう。へこたれたら聖典とも呼べるアチラの全集と本書と、読み返しマスm(__)m