古い品川用水に沿って探す「お浜降り」の道 (original) (raw)
- はじめに
- 大國魂神社の「お浜降り」をホームページで正しく知る
- 「お浜降り」の道順を記録した日記の解説
- 日記の解説から「お浜降り」の順路がわかる言葉を抜き出す
- 作図の結果・「お浜降り」の推測順路を示す
- 作図の方法・「お浜降り」の順路を描くには
- 細かく作図する・地図に順路を描く
- 結果と考察
- 出典引用一覧
はじめに
多摩川の筏道を探っていくと、府中市から品川までの「品川道」の話が出てきます。
また、いくつかの資料によると「筏道は品川道だった」という説明もありました。
そして「品川道」について資料を探していくと、府中の大國魂神社から品川まで歩いた「お浜降り」(おはまおり)の話が出てきます。
ここまでで、「筏道」「品川道」そして「お浜降りの道」と、三つの道の名前が出て来ました。
結論から言うと、三つの道は、どれも府中から多摩川の河口近くまで行く道です。
三つの道は、なにかしらの関連がありそうです。
そこでこのページでは、大國魂神社の「お浜降り」の道について、いろいろ探ってみることにします。
大國魂神社の「お浜降り」をホームページで正しく知る
では、「お浜降り」(おはまおり)とはなんでしょうか。
「お浜降り」は別名「潮盛り」(しおもり)とも呼ばれている行事で、府中市大国魂神社の神事のひとつです。
では、大國魂神社のホームページから抜粋して引用します。
《引用文》
「潮盛り」とも呼ばれる神事であり、神職一行が品川海上に出て身を清めるとともに、清めの潮水を神社に持ち帰り、大祭期間中の朝夕潔斎時にはこの潮水を使用する。ここからくらやみ祭の一連の行事が始まる。
そして、大國魂神社から品川まで歩いた順路を記録したものがあります。
次はその話です。
「お浜降り」の道順を記録した日記の解説
江戸時代の「お浜降り」の一日を記録した日記があります。
それは、大国魂神社の神主が書いた日記「六所宮神主日記」です。
では日記の解説を、品川区ホームページ「品川歴史散歩案内江戸時代の道 第2回」から抜粋し引用します。
《引用文》
それでは府中から品川まで、どのような道筋を通っていたのか、大国魂神社の神主の日記「六所宮神主日記」から推測してみましょう。
安永8年(1779)4月25日に、府中を発って、「金子」「馬引沢」「目黒」で休息しながら品川宿に着いたと書いてあります。
「金子」は現在の調布市西つつじが丘付近、「馬引沢」は世田谷区の上馬、下馬付近、目黒は目黒不動ですから、府中から甲州街道を通って調布へ、そこから豪徳寺付近を抜け、品川用水路沿いに目黒区に入り、目黒不動門前の茶屋で休み、氷川神社、安楽寺の前を通って目黒川に沿って下り、居木橋の付近から南馬場に抜けて、荏原神社へというルートが、大國魂神社の祭礼の「品川道」の道筋ではないかと考えられます。
日記の解説から「お浜降り」の順路がわかる言葉を抜き出す
この日記の解説には、大國魂神社から品川まで歩いた場所の名前が入っています。
そこで、解説の中から、場所を示す言葉を抜き出しました。
尚、これらの地点名を使って作成する順路は、当方が推測して作成した順路で、正式なものではありません。
作図の結果・「お浜降り」の推測順路を示す
この地図の順路は、解説文のなかの場所を示す言葉を使って作成し、現在の地図に載せたものです。
作図の方法・「お浜降り」の順路を描くには
品川までの順路を作成するにあたって、古地図に描く基準を決めました。
想定すること
- 「お浜降り」は大きな行事なので、神主をはじめとして、一行は複数人だったはずです。
- 品川沖で汲んだ海水は、お祭りの始まりから終わりまでの全般で使うため、その量はかなりあったはずです。
- そのために、汲み上げた海水をいくつもの樽(たる)に入れて、馬(神馬)の背に乗せて帰ったと思われます。
想定から順路を決めるには
- 農作業に使う畑の細い徒歩道は使わない。
- 馬が同行しているので、崖道のような危険な道は使わない。
- 神主と従者、馬が同行するので広い道を選ぶ。
順路作成に使う地図
この話は江戸時代の話なので、当時の道路事情を細かく示した地図を使いたいのですが、手に入れることはできません。
また、作成した順路を現在の地図上に載せる必要があります。
そこで下記の地図を使うことにしました。
地図名:「今昔マップ on the web」
※地図についての詳細は一覧に示します。
地図に順路を描く例
細かく作図する・地図に順路を描く
府中 ~ 豪徳寺
《引用文》
順路1
順路2
順路3
豪徳寺 ~ 目黒不動
《引用文》
順路4
順路5
目黒不動 ~ 荏原神社
《引用文》
順路6
順路7
結果と考察
結果
※地図の出典は一覧に示します
上の地図は、いままでの内容から作成した「お浜降り」の道を、国土地理院の地理院地図に載せたものです。
考察
※地図の出典は一覧に示します
さて、今回作成した順路と、広報「しながわ」に掲載された「お浜降り」の順路を比較してみましょう。
上の地図を見てください。
赤色の線と青色の線は金子から目黒不動までの順路ですが、大きく違っています。
一般的に考えて、地図に順路を描いていく場合、脇道などを選択したことで順路の形は違ってきますが、これほど大きな違いにはならないはずです。
この違いは何が原因なのでしょうか。
まず、今回作成した順路は赤色線です。
赤色線のための資料は、品川区のサイト「品川歴史散歩案内江戸時代の道 第2回」の解説で、解説文の中から場所を示す言葉を選んで作成しました。
そして青色線は、品川区の広報「しながわ」の内容そのままです。
普通に考えて、どちらも品川区の同じ資料を使っていると思いますが、この違いはどうしてなのでしょうか。
たとえば、神主日記の解釈の違いなのでしょうか。
広報「しながわ」で使われた資料を知りたいものです。
出典引用一覧
引用資料について
「六社宮神主日記」の解説
引用元:品川区ホームページ
「品川歴史散歩案内 江戸時代の道 第2回」ですが、当記事掲載の段階では閉鎖されています。
大國魂神社 お浜降りの解説
大國魂神社ホームページより
くらやみ祭|大國魂神社
現用地図について
地理院タイル
国土地理院ウェブサイトの「地理院タイル」より記号等を追加して作成しました。
地理院地図 / GSI Maps|国土地理院
古地図について
今昔マップ on the web
地図は時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。
同閲覧サイト「首都圏1896-1909」の地図に記号等を追記して作成しました。
今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(2000~2022年)
古地図上に順路を作図する
地理情報システム ひなたGIS
一部の記号等の追加には「地理情報システム ひなたGIS」を使用しました。
hinata GIS