右岸の筏道で見つけた話 六郷橋 〜 平間の渡し (original) (raw)

話のいどころ

それぞれの話

1.川崎側の六郷橋親柱

これを見て、舟だとは気づきませんでした。

よく見ると、かなり細かく造ってあります。

お近くの方は、散歩のついでに観察するのも良いでしょう。

2.六郷橋近くの材木問屋

この岸辺に立つと、広々とした多摩川の風景がひろがって見えます。

古くはこのあたりで材木の荷揚げが盛んでした。

つぎは資料にある当時の模様です。

六郷橋から明治製菓寄りの上流に、石井、鈴庄、柳川などという材木問屋がずらりと並んでいた時代がありました。
多摩川を利用した “筏(いかだ)流しによるこの材木業こそ、工業が発達する以前の川崎をささえた"柱" であると言う人も多いのです。

《引用文献》(編)川崎市市民局市民相談部広報課,1977,川崎市,『閑話雑記 かわさき』,p129

上の資料によると、材木店は右に並んでいるマンションのあたりです。

3.南河原道標

大きななマンションの前の歩道にポツンとありました。

道標には次のように彫ってあります。

刻まれた縦書き文字を横書きにしました。

右 やくちみち
南河原村
左 川さきみち

ところで、南河原村という名前の由来はいくつかあります。

そのなかの一つに、六郷八幡塚の南にある村、という説があります。
《引用文献》(編)日本地名研究所,2004,川崎市,『川崎地名辞典・上』,p104

4.地名の由来「小向」

読み方・・こむかい

ここの地形は、多摩川に沿って大きく曲がっていて、対岸の大田区に向かい合っています。

そのことから、小向の「向かう」といのは、対岸に対して向かう、ということのようです。
《引用文献》(編)日本地名研究所,2004,川崎市,『川崎地名辞典・上』,p120

5.古市場村道

この道標にはつぎのようにありました。

縦書き文字を横にしています。

右 いなけ八王子道
北 古市場村
左 市場 神奈川道

道標がある場所は、車が往来する道路からいくらか離れた歩道にありました。

ここに立つと、道標が交差点を見守っているかのような雰囲気を出していましす。

そして明治時代の地図を見ると、左の道を一本道で六郷の渡し場に着きます。

6.旧明治製糖の護岸レンガ

レンガ色という言葉がありますけど、ここのレンガは少し色が薄くなっているようです。

大通りからは全く見えない場所で、多摩川に向かって、イギリス積みのレンガの壁は続いていました。

ところで、このレンガについては、いくつもの資料に説明がありますので、このページでは、普段見ることがないようなローカルな資料から引用します。

引用文のなかで「明治製菓」とありましたが、そのまま載せます。

六郷橋から明治製菓寄りの上流に、石井、鈴庄、柳川などという材木問屋がずらりと並んでいた時代がありました。多摩川を利用した " 筏(いかだ)流し " によるこの材木業こそ、工業が発達する以前の川崎をささえた " 柱 " であると言う人も多いのです。

《引用文献》(編)川崎市市民局市民相談部広報課,1977,川崎市,『閑話雑記 かわさき』,p129

7.旧東海道 川崎宿

ここからは昔の東海道川崎宿です。

この通りは、川崎宿に関係するお話や出来事を知ってもらうための、イベントストリートです。

なにしろ東京電力さんの設備に「ようこそ川崎宿へ」と、大きな案内が貼ってあるくらいですから。

8.筏乗りが持ち帰った小向の梅

上は明治14年の地図で、多摩川下流域の右岸、六郷近くの小向村(こむかいむら)の様子です。

地図の南から北西へ向かう曲がった道は、このサイトで使っている筏乗りたちが歩いた道の筏道です。

よく見ると、その道の両側の家々の間に「梅」という文字が書いてあり、薄い緑色で囲まれています。

この緑色は梅林でした。

小向村の筏道には、道に沿って梅の林があったのです。

ところで、東京都青梅市は梅が有名です。

青梅市には「梅の公園」という梅の木を集めた公園があり、そのなかに「小向」という名前の梅の木があるそうです。

この青梅の「小向」は、筏乗りが川崎の小向村から持ち帰ったものが始まりだった、と資料にはありました。

この古い地図を見ると、その説明も納得できますね。

出典:地図は「農研機構農業環境研究部門」内「歴史的農業環境閲覧システム」の関東迅速測図(1880年代)より記号等を追加して作成