引用文献から明治期の地図に右岸順路を描く (original) (raw)
稲田堤 ~ 矢野口の渡し
作成した順路図
青い線が作成した順路
順路図を描くための引用文とキーワード
そして菅の多渡様(堤防上の小祠)付近から、矢野口の渡しを利用して、調布の町へ入って行った。
キーワード
・菅の多渡様
・矢野口の渡しを利用して、調布の町へ
キーワードからの問い・解答
問い1:「菅の多渡様」(すげのたとうさま)とは
解答1:稲田堤の堤防にある水難除けの祠
「たとうさま」の名前のいわれの一つに、「災難を断つ」ということから始まったという説明がありました。
なるほど納得する話です。
そして土手の上の地点(イ)には、「たとうさま」の小さな祠(ほこら)が建っています。
このイラスト画は、多摩川に向いている「たとうさま」の祠です。
問い2:「矢野口の渡しを利用して、調布の町へ」とは
解答2:筏乗りたちは、矢野口の渡しを渡って甲州街道へ出た
次の地図を見てわかるように、甲州街道へ出るには、矢野口の渡しから、畑の中の道をまっすぐに歩くことなになります。
筏乗りたちは甲州街道に出たあと、府中の町を目指しました。