「エデンの園を歩いているのではないかと思った…(2024年8月2日『毎日新聞』-「余録」) (original) (raw)

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ポール・ゴーギャン「三人のタヒチ人」1899年(C)Trustees of the National Galleries of Scotland

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核実験開始から50年を迎え、被害回復をめぐる国民投票を求めて練り歩くデモ隊=タヒチ島パペーテで2016年7月2日、大島秀利撮影

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タヒチ島のパリ五輪サーフィン競技会場近くで波乗りを楽しむ地元サーファー=7月31日、ロイター

エデンの園を歩いているのではないかと思った」。18世紀後半に南太平洋のタヒチ島を訪れた仏航海家、ブーゲンビルの言葉という。英仏など欧州各国が植民地獲得を争った時代。南海の楽園を手中に収めたのはフランスだった

▲1842年に保護領とし、その後周辺の島々も領土に加えた。現在の仏領ポリネシアである。画家ゴーギャンら多くのフランス人をとりこにした島を不穏な雲が襲ったのは50年前だった

▲1974年7月、フランスがムルロア環礁で実施した核実験。気象予測に失敗し、放射能雲が約1200キロ離れたタヒチ上空を通過した。11万人が被ばくしたとする主張もある。マクロン仏大統領は3年前の東京五輪開会式出席後に島を訪れ、補償拡大を表明したが、謝罪はなかった

▲ビッグウエーブで知られる島ではパリ五輪のサーフィン競技が開催されている。複雑な思いで見守る島民もいるだろう。90年代には実験に抗議するデモ隊と警官隊が衝突し、独立を求める声が高まったことがある

▲フランスは66年から96年まで200回近くの核実験を行った。まもなく「原爆の日」を迎えるが、広島や長崎の被爆者はタヒチなどポリネシアの人々と核廃絶を目指して交流を続けてきた

▲五輪にも光と影がある。アスリートに声援を送る一方で楽園が汚染された歴史にも目を向けたい。「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」。ゴーギャンタヒチの人々を宗教画のように描いた代表作のタイトルである。