「就活100社落ち」議員が挑む氷河期対策 国民民主党・伊藤孝恵氏に聞く【政界Web】(2024年8月12日『時事通信』) (original) (raw)

氷河期は人災

インタビューに答える国民民主党伊藤孝恵参院議員=7月11日、国会内

「私が100社もの会社に落ちた1997年…」。3月28日の参院本会議。国民民主党伊藤孝恵参院議員が、2024年度予算の反対討論でこう切り出すと、議場から笑い声が起こった。これが契機となり、就職氷河期世代の支援策を検討する党プロジェクトチーム(PT)を立ち上げ、自ら座長に就任。独自アンケートや有識者ヒアリングを重ね、6月に政策提言をまとめた。氷河期世代に対し、政治は何ができるのかを聞いた。(時事通信政治部 大塚淳子)

【写真】就職難の解決を求め、リクルートスーツ姿でデモ行進する女子学生たち=1995年

―議場の反応をどう受け止めた。

30年前と今の日本を比較する中で、話の導入として私の就職活動に触れただけだったため、反応があるとは想定していなかった。笑い声や、「自分は全部受かったよ」という話し声が聞こえ、動揺した。私にとって当たり前の経験が、経験していない人には笑われ、大げさなものに聞こえるということに驚いた。

―それがどう党内議論につながったのか。

X(旧ツイッター)に投稿したところ、ものすごい反響があった。応援メッセージが日増しに多くなり、「共感してくれてありがとう」では終われないと思った。玉木雄一郎代表に相談し、党の政策にして返すことにした。

―自身の就活はどうだった。

田舎の中堅女子大だったので、私の周囲は厳しかった。履歴書を顔に投げつけられたこともあった。母が「皆と同じ紺のスーツを着る必要はない」と言って買ってくれたクリーム色のスーツで面接に行けば、「デートの帰りに来たのか」とさげすまれた。本当は教員になりたかったが、採用倍率は20倍。現実を思い知らされた。

―伊藤氏にとって氷河期とは。

人災だ。景気後退の段階で、若者が上の世代の雇用を守るための調整弁に使われた。自己責任と言われがちだが、そうではないと声高に言いたい。

政府対策にずれ
不況下の就職面接会。厳しい表情で企業側の説明を受ける学生たち=1995年9月4日、東京ドーム

―党独自でアンケートを実施した。

私は奇跡的に正社員として採用されたが、それに同じ氷河期世代として共感できないというメッセージも届いた。そこで、実態を把握するためにアンケートを取り、1000人弱から回答を得た。
その結果、氷河期世代の不遇を感じている人には女性や正社員も多く、「男性、非正規、引きこもり」といった勝手なイメージにとらわれていたと気付かされた。正社員になったものの、不本意な就職で体や心を壊した人もいた。「かわいそうだ」「正社員にしてあげる」という上から目線ではいけないと強く感じた。

―政府の取り組みの課題は。

雇用保険を財源に、正社員を増やすことをゴールにしているため、当事者とのアンマッチ(ずれ)が起きている。誰が何に困っているのかという実態調査と、過去5年間の政策評価をしていないことが一番の問題だ。政府は「一定の成果を挙げた」と断言しているが、政策がこの層に届いているのか疑問だ。

―政府は今年の経済財政運営の基本指針「骨太の方針」で、25年度以降は氷河期世代に絞った対策を行わず、中高年向けの政策を通じて支援するとしている。

政府が支援をやめると宣言したようなものだ。氷河期世代の人たちをまなざしに入れたまま、「やめては駄目だ」「この政策なら有効だ」とノックし続けないと、また忘れられてしまう。

少子化に直結

就職氷河期世代を対象にした国家公務員の中途採用試験会場で、受付開始を待つ受験生ら=2020年11月29日、東京都武蔵野市

―氷河期の少子化への影響は。

直結している。日本に第3次ベビーブームが起こらなかったのは、第2次ベビーブームの私たちが社会に出る時を氷河期が直撃したからだ。安定した雇用が得られず、結婚や子育てが困難になった。就職氷河期世代は子育て氷河期世代だ。
若者がイノベーションや技術を生み、企業や産業が育ち、雇用と競争力が生まれる。経済の最初の動脈を止めてしまったのが就職氷河期だ。二度と起こしてはいけない。

―党提言の特徴は。

目の前にある将来の不安に対処することに重点を置いている。最低保障年金の導入や、厚生年金の遡及(そきゅう)納付を提言している。1回限りの給付ではなく、将来受け取る確定拠出年金の運用原資を国が支給するのも一案だ。
また、非正規労働者は介護休暇が取りにくい。働きながら介護するビジネスケアラーに対する支援を強化すべきだ。

―財源はどうするのか。

財源論に陥ると、必要な政策すら主張できなくなる。今はアイデアを政府にぶつけている段階だ。日銀保有国債の一部永久国債化や富裕層への課税強化など、政府が検討すべき財源捻出の方法はまだあるはずだ。

―就職先の確保は。

公の部分では、国家公務員、地方公務員の採用を増やしていく。特に、教員や福祉職といった人材不足の分野を中心に採用を拡大するだけでも違う。民間に関しては、東京都がやっている「ソーシャルファーム」を参考に、国全体でやればいい。これは、面接や履歴書を通じた就活が苦手な人を採用した企業を公的に支援する仕組みだ。

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初めまして、伊藤たかえです。

昭和50年生まれの49才。座右の銘は「意志あれば道あり」の元報道記者です。政治経験も、ジバン・カンバン・カバンもないまま、民進党の公募候補として2016年7月の参議院議員選挙に挑戦しました。志を立てたきっかけは、産後まもない次女の耳に障がいの可能性があることを指摘され、生まれて初めて、この国の法律や未来を血眼で調べた、あの眠れない夜に抱いた想いです。

折に触れ、選挙戦の最終日を思い出します。マイクを握りしめ、あの日の私は言っていました。
「母親のくせに選挙なんてと言われるたび、言葉にならない後ろめたさがありました。次女が肺炎をこじらせて入院した時は、病気の子供をおいてまで、しなくちゃいけない仕事なんてあるの?と自分を責めました。だけど同時に思いました。みんなそうなんだ。みんな色んな想いを抱えて社会に向かっていく。そして一生懸命仕事して、駆け足で大切な人のもとへと帰っていく。だからこそ、働くことが喜びである、働く事と育児や介護を両立できる毎日が、どうしても必要なんだ。当事者の私だから出せる声がある筈だ」と。

母親のくせにと言われる日々は変わりません。子ども達に寂しい思いをさせている後ろめたさも増す一方です。しかし、何故自分が志を立てたのか、何を約束して参議院に送って頂いたのか、それを忘れる事は決してありません。

政治を志す者には、自分をそのままを見せて社会課題に立ち向かう、そんな強い想いが必要なのだと思います。悲しみとは程遠い、安全な場所にいるのが政治家ではなく、この私も当事者なんだと飛び込んでいく。その位の気迫がなければ、この国の政治不信の壁は超えていけません。その意味で、仕事をしながら2人の娘を育て、90歳を超えた祖父母の介護に直面している、この苦しい当事者の毎日を心から誇りに思います。

子どもは、障がいの有無も、親も、生まれる国も、選べません。だからこそ私たちは、この小さな命に、生まれながらの境遇によって生きる場所が制限されない国を贈らなければならない。競争社会の中で勝者と敗者が分けられ、全て自己責任と言い放つ冷たい社会ではなく、大丈夫、一生懸命勉強すれば、何にだってなれる、どこにだって行ける、世界は広い、チャンスは平等だと、大人たちが自信を持って子どもたちに伝えられる社会を遺さなければならない。唯一の立法府。法律という「世の中の当たり前」をつくる国会の責任は重大です。

公募サイトには、こう書いてありました。
政治家は「子どもたちの未来をつくることができる」
人間には、生まれた事の意味を知る瞬間が何度かあるそうです。それが私にとっては、母親になった瞬間、そして、あの夜、この言葉に出会った瞬間なのだと思います。

公約は「子どもを愛し育てること、仕事を全うすること、大切な人を介護すること。この当たり前の営みの両立が、こんなに息苦しくない社会を創る」です。

51万9,510人の「1票という一瞬の期待」を私に預けて下さった皆さま、これから出会う皆さまに誓います。子どもが生まれなくなったこの国の、今この瞬間に参議院に送って頂いた意味を胸に、早く、強く優しい働き者になります。子ども達を精一杯抱きしめながら。どうか、これからも見張って頂ければ幸いです。

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