冬近し 601 福島正則 (original) (raw)
朝、善福寺川沿いを走ってきました。お遍路の納経帳をアマゾンで購入したのですが、郵便受けを飛び出して陰の方に落ちていたので、見つけるまでに一苦労でした。
「日本史1200人」601 福島正則(マサノリ;1561〜1624)
豊臣秀吉・徳川家康の家臣、安芸国広島藩主。母が秀吉の叔母にあたるため、幼少期より秀吉に仕えていた。勇猛果敢ぶりを発揮し、特に賤ヶ岳の戦いでの武功は華々しかった。朝鮮出兵でも渡海して軍功をあげているが、これを契機に石田三成との仲が険悪になった。三成を襲撃する事件も起こし、その経緯から家康と昵懇になった。また、正則の養子・正之と家康の養女・満天姫との婚姻を実現させた。関ヶ原の戦いでは東軍につき、激戦を制して東軍を勝利に導き、広島藩50万石の大名となった。しかし内心では豊臣家の繁栄を望んでいたため、江戸幕府の豊臣家討滅の方針に身動きがとれなくなった。豊臣秀頼からの救援要請にも応えられず、幕府への従軍も許されなかった。結局、広島城の無断改築の咎めで減俸されて不遇な最期となった。
「あちゃこちゃと大暴れして冬近し 福島正則 に 端遊」
冬近しが10月の季語です。不遇な最期を冬に掛けました。大暴れは後先を考えない象徴ともしました・・・正則は乱暴者としての逸話には事欠かかず、幼い頃に大人と喧嘩をして鑿で殺害したり、大人になっても広島に入国する際に船に地嵐が吹いたため船頭を斬り捨てたりしています。
習字は、「あちゃこちゃと」は大胆に、「大暴れして」は強く、「冬近し」は弱く、というつもりで書きました。