キャリックマクロス (Carrickmacross) の町 (original) (raw)

アーディーから N2 を 15 分ほど北上してキャリックマクロス (Carrickmacross) の町に向かいます。キャリックマクロスはモナハン県の南部に位置するマーケット・タウン。人口は5000人を少し超えるくらいです。

アイルランドの小規模な街には、両サイドを駐車スペースにできるほど道幅の広いメイン・ストリートが一本通っているものと、三角や四角のスペースが真ん中にあってそこから放射状に町が広がっているものの2とおりありますが、キャリックマクロスは前者です。

メイン・ストリート

キャリックマクロスの町というと私がいつも連想していたのは自動車レースです。というのも、アイルランドに来る前か直後に読んだ本にアイルランドで最初の自動車レースがこの町で開かれたと書いてあったと記憶しているからです。しかし、いまインターネットで検索してもキャリックマクロスと自動車レースを結びつける情報は出てきませんし、昔読んだ本を引っ張り出してきて該当する情報を探したんですが見つかりません。私が何か勘違いしてずっと記憶していたのかもしれません。

この町ではレース編みの手工芸が伝統的に盛んで、その名もキャリックマクロス・レースと呼ばれています。1820年ごろに教区牧師の奥さんだった人が始めたスタイルで、大飢饉の頃には飢餓に苦しむ小作人を金銭的に助けるためにレース編みのテクニックを教える学校も設立されました。その後、レース編みの伝統はいったん衰退するのですが、この町にあるセント・ルイス女子修道院のシスターたちが1890年代に学校をつくって伝統を復活させます。20世紀にはいって手編みのレースは商業的には成り立たなくなったのですが、レース編みの伝統は受け継がれ、1984年にはキャリックマクロス・レース協同組合が設立されて現在に至ります。

町にはザ・レース・ギャラリーという名の展示・販売所があって、公式サイトからオンラインで購入することもできます。

ザ・レース・ギャラリー

キャリックマクロスで見学できる施設としてはキャリックマクロス・ワークハウスというのがあります。これは1841年に設立された、貧しい人たちを収容するための施設です。1841年から1843年までの間に、こうした施設がアイルランド全土で130棟建てられたそうです。

定員は500人だったのですが、大飢饉によって1951年には2000人近くがここで暮らしたといいます。多くの子供が孤児となったため、1848年から1850年までの間にアイルランド全土のワークハウスからあわせて4112人のティーンエージャーの女子がオーストラリアに花嫁として、または召使として移住していきました。

一時は荒れ果てていたキャリックマクロス・ワークハウスですが、今世紀に入ってリストアされ、現在はビジター・センターおよびコミュニティー・センターとして活用されています。ただしオープンしているのは平日のみ。残念ながら週末だったので私も中を見ることはできませんでした。

キャリックマクロス・ワークハウス

さて、キャリックマクロスで私が一番嬉しかったのは、珍しい壁埋め込み式郵便ポストを見つけたこと。それがこちらです。メイン・ストリートからワークハウスに向かう途中にありました。

下部に描かれた図案に注目してください。ケルト模様で飾られた円の中にケルト文字で「S E」と書かれています。これは、アイルランド自由国を意味するアイルランド語、Saorstát Éireann の頭文字を取ったものです。アイルランド自由国が存在したのは 1922 年から 1937 年までですから、この郵便ポストはその時代に設置されたものとなります。

このアイルランド自由国の紋章が入った郵便ポストは滅多に見ないんですよ。そして、上部がアーク型になったこの小型のものは初めて見ました。これはとてもかわいい。これだけでもキャリックマクロスに来た甲斐がありました。ちなみにダブリンなら「S E」の紋章が入った郵便ポストはダンレアリのフォーティ・フットのあたりにあります。

壁埋め込み式ポストをもう1つ。こちらは聖ジョゼフ教会のそばにありました。こちらは上部に「V R」の刻印がありますから、ビクトリア時代のものです。

アイルランドを代表する詩人・作家の1人、パトリック・カヴァナを描いた壁画。カヴァナはキャリックマクロスの近くのイニスキーン (Inniskeen) という村の出身です。

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