私はイタリアにいるのではなく、インドにいるのだ (original) (raw)

3ヵ月ぶりにイタリアへ渡航し、6軒ほどのアパートを内覧。やっと新居が決まった。

白を基調としたナチュラルテイストのアパートで、間取りは、リビング、寝室2部屋、台所、洗面所は2つ(うち1つはバスタブ付き!)。広すぎず狭すぎず、夫婦2人で暮らすにはちょうどいい庶民的な物件だった。

他にも、貴族が暮らすようなラグジュアリー感のあるひろ~い物件もいくつか見たが、日本の小さな海辺の街で育った平民の私には、そのような住まいは落ち着かず、小ぶりのホッとするような物件を選んだのだった。どこか、シンガポールで住んでいたコンドミニアムに雰囲気が似ていたのも決め手だったのかもしれない。

家主に契約を断られなければ(断られることもあるらしい)、我々は11月末頃からそこに住むことになる。

新居の周りは、石造りの美しい建物が並ぶ住宅街で、3軒ほどのスーパーが徒歩圏内にある。和食を作るための材料がどれくらい買えるのかチェックしていると、まずどこのスーパーでも寿司が売られていて驚いた。値段は日本のスーパーの2倍以上する。醤油もあったし、バスマティというインドの高級米も少量だが売られている。醤油さえあれば、日本食っぽいものは作れるだろう。みりんや日本酒は、チャイナタウンにあるアジア食材を扱うスーパーで買えそうだ。味噌はあるんだろうか・・・。

チンゲン菜や小松菜などは存在しないようで、葉野菜が少ないことが気になった。キャベツを使うしかない。その代わりにキノコの種類がいろいろとある。イタリア料理はおいしいが、私にとっては野菜が少なく、毎日食べられるものではない。せめて自宅では、野菜と魚の多い日本食を死守したい。

(うまくやっていけるだろうか・・・)

不安からか、旦那とミラノの街を歩いていると、いろいろとネガティブな面が目に付くようになった。雨の日に滑って転んで骨折しそうな石畳の道、お金を入れても商品の出てこない壊れた自動販売機、お金を入れてもドアの開かない壊れた有料トイレ、流れないトイレ、英語の通じないホテルの送迎スタッフ(おかげで宿泊していないホテルに送迎された)、おしゃべり好きのやかましいイタリア人、弱いWifi、コンビニの一切ない街・・・。

イタリアの食や芸術は確かに素晴らしいのだと思う。しかし、街のインフラや人の振る舞いは新興国のように私には映った。結構な公共の設備は壊れていて、ドライバーは客を乗せていようがおかまいなしに私用の電話をずっとしている。飛行機に乗れば、イタリア人はペチャクチャといつまでも喋っていて、落ち着きがなく席でずっとガサガサしている。しまいには席を立ち、通路に立ったまま誰かと長いこと話している。

「じっとしとけ!!!日本の小学生でももっと大人しいわ!!!」

と、思わず怒鳴り付けたくなるのを私はグッとこらえていた。

どうもイタリアを日本と同じ先進国だと考えると「同じ先進国なのに、なんでこんなこともできないんだ」とイライラしてくるので、

「私はイタリアにいるのではなく、インドにいるのだ。ここはイタリアに見えてインドなのだ」

と考えることで、自分の精神衛生を守ることにしたのだった。