足跡を辿る (original) (raw)
ケータイが現れる前、待ち合わせはエンターテインメントだった。
会えるかなと期待と不安を抱いて駅に向かう。人の間をぬって、まちがい探しのように人を見て回る。
うまくいかないときに始まるのは、伝言板や公衆電話を使った空気読みゲームだ。
勝利条件は、相手と同じ場所に向かうこと。
あの楽しさを今の時代に落としこめないだろうか。そう思い、一つの企画を考えた。
「歌詞で集まる」会、始まります。
ルール説明
ルールは簡単だ。一人が「曲」を選び、その「歌詞」が示す場所で待ち合わせをする。
片手一つでどんな情報も手に入る今、あえて「しばり」を設けて待ち合わせをすると何が起こるのだろう。
参加するのはこの四人だ。
筆者。謎の石碑「國威宣揚(こくいせんよう)碑」を探して東京中を回ったことがある。
謎のコンビニ「ポートストア」を探してお台場中を回ったことがある。
「スパイが取引しそうな場所」を探して山手線中を回ったことがある。
お酒が好きで東京のおいしいお店に詳しい。
それぞれが東京を知りつくしたツワモノだ。
今回は一人一題で、合計4回の待ち合わせをすることとなる。
それでは、始めていきましょう!
いきなりのパリピ(1問目 - 出題)
さあ1問目だ。とりあえずアクセスのいいところに行こうと渋谷駅の構内を歩いていると、スマホの通知が企画の始まりを告げた。
最初の出題はカロ―サムさんだ。
一問目は、Soul'd outの「イルカ」です!
耳にイヤホンを入れぽちりと再生する。
夜のプールを舞台に、男女の駆け引きが軽やかなラップで刻まれていく。一言でいうと、「陽キャの世界」ってやつですね。
まずは、曲にでてくるキーワードを整理しよう。
- イルカ
- プール
- 夜
この手がかりから想像するものはどこだろう。
壁際に移動して目を閉じる。
そのまま、5分が経過した。
そういえば、僕、教室のはしっこでライトノベルを読んでいる側の人間でした。
答えにたどりつくためには、自分が「そちら側」の人間の思考回路をなぞる必要がある。
ということで、陽キャになりきります。
投影開始(トレース オン)。
私はクラスの中心です。 ワイワイ騒ぐのが好きです。
よし、人格移植完了だ。
では、考えていこう。もしこの曲を聴いたら何を連想しますか。
今なら見える。
このキーワードから行きたい場所は「プール」だ!
「イルカ」のいる水族館もありかと思ったが、そこじゃ騒げないので除外だ。
そしてワイワイ盛り上がるプールといえば、遊園地のようなアトラクションのついたプール!
これだ。
道は見えた。さっそくウォータースライダーのあるプールを調べてみよう。
検索結果を見て「うぇい!」と声が出た。
ウォータースライダーがあるプール、23区にあるのは一か所しかないという!
これは勝ちましたわ。いやー、意外と簡単だったな。
大きい歩幅で家を出た。さあ、プールに遊びに行こうぜ。
注:実際のところ、ウォータースライダーつきのプールは東京23区に4カ所以上あります。きっと慣れない世界を想像するのに必死だったのでしょう。
気づいたまちがい(1問目 - 移動)
電車に乗ること1時間、ようやく最寄り駅に着いた。
東京の右下にやってきた。三駅先には羽田空港がある。
さて、目的地には誰がいるかな。
どんなことを話そう。
そんな期待が、乗車中の景色のように頭の中で流れていく。そうそう、これこそ待ち合わせの楽しさだよねと一人うなずいた。
駅から10分ほど歩くと公園についた。この公園の一角にプールがある。
ガラクタ公園のガラクタが「本気」すぎる。少年時代にこれが近所にあったら毎日通ってた。
ウォータースライダーが見えた! が……
うぇぃ? ずんずん進めていた歩幅が小さくなった。
プールにいる人たちの身長が、予想よりもはるかに小さい。
入口にいたのは、今回の曲に出てくるような「陽キャたち」でなく、全身を使って楽しむ「子どもの姿」だった。
待ち合わせ相手は、誰もいなかった。
プールに着いてこんな悲しく感じることってあるんだ。
思い込みって怖い(1問目 - 回答)
通話をつないだ。答えの発表だ。
プールの手続きをしている子どもの列の近くで、小さくなって通話する大人がここに一人。
正解は、23区で唯一「夜」まで営業している水族館「**アクアパーク品川**」です!
ちなみにほかの人はというと、
**アクアパーク品川**でカロ―サムさんの横にいます!
**入口にイルカのモニュメントがあるしながわ水族館**にいます
萩中公園プールです……
僕以外の三人はプールでなく「イルカがいる場所」で探していたということか。
授業で順番に発表していると、だんだん自分の内容が主題から外れていることに気づき汗が止まらなくなるやつを久々にくらった。
そのやらかしで文化人類学の単位を落としたんだっけ……。
「プールは関係ないのか……」
思わずぽろっと負け惜しみが出た。
「アクアパーク品川には『ナイトプール』もありますよ~」
とカロ―サムさん。
完敗だ。
結果を見るとひとりだけ浮いている……。プールだけに。(OpenStreetMapをもとに作成)
ただ、一つわかったことがある。
これ、思ったより楽しいぞ。
曲に対して存分に頭を働かせ、自分なりの答えを見つける。そのパズル感よ。
正解にたどり着けなかったときの「してやられた感」もそれはそれでたまらない。
よし、次のラウンドで見返してやろう。
かんぺきなロジック(2問目 - 出題)
気を取り直して、次は出題側だ。
2問目は「君をのせて」です!
「誰もが知っている曲」で落ち合えたらかっこいいよね。そう思っての選曲だ。
ここで、どう場所を当てるかのカラクリを紹介しよう。
歌詞を思い返してほしい。頭に残る言葉がないだろうか。
地球は回る
歌詞中で一番多く出てくるのがこのフレーズとなる。
つまり、作戦はこうだ。
「回る地球が見える場所」で集合しよう。
そして、東京のお台場には、ちょうどよく大きな「地球儀」があるのだ。
「日本科学未来館」にある「ジオコスモス」だ。
日本科学未来館といえば、大人も子どもも楽しめる東京都民にとって定番のスポットになっている。
僕にとっても思い出の場所だ。宇宙の広さを知ったのも、はじめて宇宙食を買ったのも、ウェンディーズなのかファーストキッチンなのか最初に混乱したのもここだった。
この完璧な理論、どうよ。
とはいったものの、通じなければ意味がない。
公園から駅に向かっていると、さっき大外ししたダメージがじわじわと襲ってきた。すり傷と同じで、時間差で痛みが気になってくるやつ。
(みんな同じ場所に来てくれるのかな)
(答え発表でなんだこいつって思われたらどうしよう)
マイナスな考えがウォータースライダーのように次々と流れてくる。
「これ涼しげだな」と思って写真を撮ったけど今見るとまったく爽やかじゃない。それだけ変なメンタルになっていた。
電車に乗りながら、だんだん視界が地面に向いていく。
まさかのたどりつけず(2問目 - 移動)
「集合場所に着きました!」
「もうすぐで到着です」
画面に続々と通知がきた。
僕は1問目の場所が東京のはしっこだったので、まだ移動中だ。
よし、あとは座っていれば着くはず。
突然、ガタンと止まった。
「ただいま、お台場海浜公園駅で傘が挟まったため、送電を切って電車を見合わせています」
ああ、これは。
2題目で時間をかけすぎると、4人分の出題が終わらなくなってしまう。
続けるためには、現地に行くのをあきらめるしかない。
仕方なく、背中を丸めながら電車を降りた。
2問目、まさかのたどりつけませんでした。
降りた場所は「竹芝駅」だった。
出口の先は、潮のにおいがした。視界が開ける。
あの先に、行きたかった場所がある。
日本科学未来館は、レインボーブリッジのさらに奥だ。
空と海が、今だけは暗い群青色に見える。
感情のジェットコースター(2問目 - 回答)
今の心情と真逆な、落ちついた波を見つめながら通話をつなげる。
今竹芝ふ頭にいます……。正解は**日本科学未来館です
レインボーブリッジにいます。おしい!
羽田空港の屋上で飲むビールウマい
日本科学未来館**にいます!
……! 同じ人いたああああああ!
海に向かって叫んでしまった。
高速道路に入るためにアクセルを全力でふんだのと同じようなテンションの上がり方だった。
人に当ててもらうのって、こんなにココロオドルものだったのか。
もし実際に会えていたらどうなったんだろう。
夏休み田舎に帰っておじいちゃんと再会した小学生みたいなリアクションをしてしまうかも。
2問目はみんな海寄り。(OpenStreetMapをもとに作成)
答えがわかるって気持ちいい(3問目 - 出題)
さて、この企画も折り返し地点だ。
次のお題は、エレファントカシマシの「It's my life」です!
新しいタイプの曲がきた。
今までの曲と違い、「東京タワー」「首都高」と具体的な地名が出てくる。
地名をもとにどこを選ぶかがキーになるってことか。
腕を組みながら、とりあえず最寄り駅に向かう。手がかりを整理しよう。
- 首都高環状線
- 東京タワーがバックミラーに映っている
- カーブ
- 海まで一直線
「首都高」の「東京タワーよりも海側」にある場所で、「カーブの先に海」があるような場所か。
そんな都合のいい場所あるわけ……
あるんかい!(OpenStreetMapをもとに作成)
目的地が決まった。「首都高環状線、東京タワー付近のカーブが終わったところ」に行こう。
これは、今度こそ勝ちましたわ。
さっそく現地へ移動だ。
勝利の散歩(3問目 - 移動)
余裕ができると視界が上向きになる。
わかります。
今度は余裕を持って目的地の「芝園橋」に着いた。カーブが終わって海に一直線となる場所だ。
見てほしい、このカーブを。
左を向くと東京タワーがチラ見え。かんぺきな位置取りだ。
みんなが目的地に着くまで、お散歩しながら待っていよう。
首都高に負けない「いいカーブの文字」を見つけた。「ニュー」がつくとレトロな雰囲気になるの、言葉的には変だけど好き。
にぎやかな声に振り向くとスイカ割り大会の真っ最中だった。このあと子どもが10センチずれた場所を叩いててほっこり。
みんな近い!(3問目 - 回答)
15分後にみんな到着した。
さあ審判の時間だ。
赤羽橋にいます。正解は「首都高環状線の下、芝公園駅〜赤羽橋駅周辺」です!
すぐ近くの芝園橋にいます。よっしゃ!
**浜松JCT**の近くにいます。カーブでなく海のほうに来てしまった……!
大門駅のバーにいます。ビールうまい
ビンゴゲームで一番に上がったときの気持ちよさを思い出した。やったぜ。
みんな2キロメートル以内にいて近い!(OpenStreetMapをもとに作成)
このゲーム、完全に理解した。
まずは「理屈」と「想像」の二輪で範囲をしぼる。その二つを元に「適度な落としどころ」を見つけるのがコツだ。
さあ、どんな謎でもかかってきたまえ。
頭の中ではハンチング帽をかぶった探偵がパイプをくゆらし始めた。
最高難易度のラスト(4問目 - 出題)
最終問題は、Suchmosの「STAY TUNE」です!
探偵のパイプが、ポトリと口から落ちた。
ぜんぜんわからん……。
とりあえず、キーワードをいつもの要領で出してみる。
- ブランドもの
- 頭だけいい
- 広くて浅い
- Mで舞ってる
そもそも「Mで舞ってる」ってなによ。
僕の想像力では、「MANDARAKE(まんだらけ)」で掘り出し物を見つけて喜びの舞いをしているオタクしか思い浮かばない。
こういうときは足を動かしながら考えるに限る。いったん駅に向かおう。あごに手をそえながら歩いていると、駅の手前に気になるものを見つけた。
「広げよう納税の輪」
納税、か。
社会人になってわかったことがある。サラリーマンというものは、いろいろ考えなくていいのがメリットなのだと。どんな働きかたでも毎月一定の賃金をもらえるので、将来への不安が少なくなるのだ。
税金は引かれるが、企業が折半してくれていると考えればまあ許せる。
頭の電球が光った。
今回の問題、「大企業のサラリーマンがいる場所」が答えなんじゃないか。
理屈はこうだ。
- 給与が高い → ブランドものを使ってそう
- 学歴が高い → 頭のいい人が多い
- 異動が多い → 知識が広く浅くなりがち
東京一のオフィス街といえば「丸の内」が浮かぶ。そして丸の内の中心にあるのは「東京駅」だ。
東京23区を舞台にした最終問題の答えが「東京駅」とは、なかなか粋なことをするじゃないか。
これは、再びもらったわ。
社会は思ったほどひねくれていない(4問目 - 移動)
ということでやってきました東京駅。
乗りかえで通ることはよくあるが、じっくりと駅舎をながめるのははじめてだ。
歴史のしみこんだレンガ造りをながめていると、時間の流れが早くなっていく。上京したての人の気持ちもこんな感じなのかな。
これが1万円札になるのもよくわかる。といいながらも実は新1万円札の実物をまだ見ていない。
ビルに囲まれて、駅だけ異世界転生してきたみたい。
カメラをかまえていると、ある場所に自然と吸いこまれていった。
さすが東京の中心、あざとい。
「逆さ東京駅」が見られる場所まで用意されているとは。
でも、オフィス街ならば観光客向けにここまでひねったことをしなくていいのでは?
JRはどんなことを考えてこれを作ったのだろう。検索っと。
水を張ることで夏場の路面温度上昇を抑制するとともに、視覚的にも安らぎと清涼感を感じていただけます。
(JR東日本ニュースより引用)
実際は、映えのためでなく涼しく感じてもらうための設備でした。
ひねったことを考えているのは、JRではなく僕だった。
明らかになる「Mで舞ってる」意味(4問目 - 回答)
さて、そんなこんなでみんな「集合場所」に到着した。解答発表だ。
歌詞から「頭のいい若者」と「若者の街 渋谷」をイメージしました。「東大駒場キャンパス近くのマクドナルド」が答えです!
「金持ちの若者」をイメージしました。歌詞に風船があったので麻布のバルーンショップにいます
「大企業のサラリーマン」をイメージしました。東京駅に今います……
東急プラザ渋谷にいます! 歌詞からしぼりました。「広くて浅い」イメージの下北沢、「頭がいい」イメージの駒場東大前、「ブランド着てる」イメージの表参道。その中間から渋谷のどこかと考えました。さらに歌詞から音楽関係の場所からクラブが上階にある建物として「東急プラザ渋谷」が出てきました。そういえば、ここで朝から「酔っている人(屍のbad girl)」を見たことがありますね
ああ、読み違い再び。
たしかに曲調は若者向けのバーで流れていそうな感じだった。サラリーマンが集う居酒屋ではないな。
あと、歌詞の中にあった「Mで舞ってるやつ」をすっかり忘れていた。
「M(マクドナルド)で待ってるやつ」が正解だったとは。
4問目は「歌詞で集まる」の深みを感じさせる問題でした。
みんな都会には集まってる。
思った以上に楽しかった
終わったあと、時間のある3人で打ち上げをすることにした。
渋谷駅のハチ公前に行き、LINEで場所を伝えあう。おかげで人混みあふれる中でもすぐに会えた。
現代の待ち合わせは、どこか味気ない。
ただ、普通の待ち合わせとの違いが現れたのはここからだった。
お店に入ってカレーをつつく。今日の感想を言い合っていると、気づいたら3時間もすぎていた。
昔の待ち合わせには、人との距離を縮める効果があったのだ。
曲で集まる会、オススメです。
ジャガイモが丸ごと出てくるカレー屋は美味しい法則。
お知らせ
今回の企画は、別視点での記事も同時に公開されています。そちらもぜひご覧ください!
また、2024年12月1日の「文学フリマ東京39」に参加します! 今回の内容を加筆修正し本にする予定です。
伊豆は珍スポットの聖地だ。
金塊を買ったら価値が上がりすぎて展示できなくなった「土肥金山」、歴史的な由緒がない「熱海城」など、変な場所がとにかく多い。
そんな伊豆を散歩していると、突然「野生の珍スポット」に出会った。
ネットで調べても情報はゼロ。
それでありながら、有名観光スポットから徒歩3分と謎にアクセスが良い。
今回は、そんな伊豆の神秘を紹介します。
伊豆の散歩
ヤツに会ったのは、伊豆の珍地名「理想郷」へ行こうとしたときのことだった。
「理想郷」は、この神社のさらに奥にある。
「面白いスポットに出会えますように」と本堂にお参りして、目的地へ出発だ。
右奥の道を進んでいく。
気持ちいい竹林を進んでいくと――
なんじゃこれは!?
神社のお願いが叶う最短ギネス記録、更新しました。
よーく見てみよう
Unity(ゲームエンジン)のファイルを開くと、PCの動きが重くなることがある。描画する物が多いほど、ファイルの容量が増えPCの負担は増えていくものだ。
今、同じように脳内がフリーズしている。
現実世界の情報量が多すぎる。
頭の上で、はてなマークが手をつないでマイムマイムを踊りだした。
これだけでお腹いっぱいだ。
普通の風景を見たくなって遠くに目をやった。
右の口角だけが上がった。ひきつった笑いがでた。
どこまでも続いてやがる。
ただ、一つだけ強く伝わってきたことがある。
これを作った人の情熱だ。
オーケーわかった。
こうなったら、その熱意にどこまでも付き合ってやろうじゃないか。全力で味わってやろう。
ちなみにこのコレクションたち、20メートルもある。
ここからは、わかりやすいように「三つのエリア」に分けて紹介していく。
「① 駐車場付近」「② プレハブ小屋付近」「③ 民家付近」の三本立てでお送りします。
メンテくんは警備員(① 駐車場付近)
さて、改めて謎めいた「メンテくん」と向き合う。
「メンテくんだよ! はじめまして」
はじめまして。おじぎをした。
気圧されないように深呼吸してジト目のメンテくんを見つめ直す。すると、彼の言いたいことが伝わってきた。
右手が指す先を見てほしい。腰の札を見てほしい。
よく見ると、「立ち入り禁止」を訴えているではないか。
メンテくんの正体は、駐車場への侵入を防ぐ警備員だったのだ。
ちなみに、注意喚起はメンテくん以外にも個性的なメンツがそろっていた。
無断立ち入り、1万円いただきますよ!
天使「無断立入 本当に1万円ダヨ」
本当だよ!
センサーらしきものにはミラーボールが。
これ踏んだらどうなるんだろう……?
立ち入り禁止を訴えているのに、個性が強すぎて伝わらなくなっているこの本末転倒なところ、僕は大好きです。
「メンテ」の意味がわかった!(② プレハブ付近)
メンテくんの正体がわかったと先ほど書いた。
ごめんなさい。それは思い上がりでした。
というのも、メンテくんは彼一人ではなかったのだ。
たてがみが舵のメンテくんだよ!
ぬりかべメンテくんもいるよ。
水道管メンテくんだよ
では、メンテくんの「メンテ」って何だろう。
コレクションをながめて足を進めていくと、おさるさんが答えを教えてくれた。
だんだん世界観になじんできた自分がいる。
「伊豆メンテ」という会社の敷地だったのか。
さらに進んだ先には、コレクションに埋もれるようにその事務所があった。あるんだ。
入口もびっちりとブツで囲われている。
ちなみに金欠だそうです。
呼び鈴はゴングだった。格闘技以外で使われることあるんだ。
今日はお盆の休日なので、残念ながら人はいなかった。いろいろ聞きたかったのでちょっと残念。
事務所の裏ではタイムリップが楽しめます。
ブルース・リーの名言「考えるな、感じろ」を、今人生で一番かみしめている。
仕掛け人がわかった!(③ 民家付近)
速報です。こちらのコレクションについて新しい情報が入りました。
このコレクションたち、実は売っているらしい。
「もし欲しい物があったら販売します」
よく見るとコレクションの一部に値札がある。今までインパクトに押されて気づかなかった。
大黒天のコスプレをしたブタ、500円。
かっこいい獣は5000円。でも地味なウシは500円。
陶器のカバン、500円。
「ほしい」と「ほしくない」を絶妙に反復横跳びするラインナップがたまらない。
さて、駐車場と伊豆メンテの事務所を通りすぎると、コレクション地帯の終わりが見えてきた。
パン食い競争のように垂れ下がっているものの正体は――
「お土産のキーホルダー」でした。
キョロちゃんだ! 異物の中に知ってるものがあってときめいた。珍スポで吊橋効果を味わうことになるとは。
事務所を通りすぎてもまだコレクションは続いていた。
それどころか、隣の民家の生垣にも浸食が広がっている。
これ、怒られないのかな。
そう思いながら家の入口をのぞくと、自分の解釈がまちがっていたことに気づいた。
敷地内にも異空間が!
花が咲いていそうな植えこみに、置物の数々が並んでいる。この風景、見覚えしかない。
間違いない、ここに住んでいるのは伊豆メンテの人だ。
さらに見ていると、誰かわかりました。
「田畑さん宅だよ」
田畑さん、先ほどの看板に出ていた名前だ。
たしかに「伊豆メンテ(田畑)」とあった。
田畑さん、ありがとう。おかげで楽しい時間がすごせました。
伊豆メンテおもしろいよ、本当だよ!
すべてを見終わった。残ったのは、マイナーなのに出来のいい映画に出あえたときのようなすがすがしさだ。
時計の針は20分も進んでいた。
そういえば、このスポットっていつからあるんだろう。
検索すると、関連情報はまさかのゼロだった。こんな濃さなのに、誰もここ知らないの……?
では別の手段だ。グーグルストリートビューで過去の景色を見てみよう。
はへって声が出た。
もっとも古い2012年の写真に、すでにコレクションが写っているではないか。
田畑さんの家、2012年時点で今の面影がありすぎる。
珍スポ密集地帯の伊豆には、10年以上も前から人知れずたたずんでいるスポットがあった。
しかも、ひっきりなしにお客さんが入る遊園地から歩いてすぐの場所に、だ。
ぜひ、興味があれば立ち寄ってみてほしい。今まで感じたことのない感情を得られること、間違いなしだ。
世界最高齢のおばあさん、ここにいました。
小さいころもらった東京の地図が見つかった。懐かしいなと開くと、住宅地に「原発」の文字があった。
どういうこと? 実際に行って確かめてきました。
駅チカの原発
中学生のとき、東京の地図帳をもらった。大人の一員に足を踏み入れたような感覚に姿勢が良くなった。
部屋の整理をしていると、久しぶりにその地図と目が合った。
大学受験もこの地図のお世話になった。方向音痴なので、本番の日に地図を見ながら駅チカ徒歩1分の道に迷ったのもいい思い出だ。
懐かしいなーと開くと、見つけた文字にフリーズした。
杉並の住宅地に、「原発」の文字がある。
三度見した。見間違えではない。
このあたりを歩いたことはあるが普通の住宅地だった、はず。
いったい何者なんだ。
一つ、仮説を思いついた。
「アパートの名前を省略したら『原発』になった説」だ。
アパートの名前とは自由なものだ。所有者の個性やセンスが爆発しているものが多く、街歩きに花をそえてくれる。
ミステリー小説に出てきそうなものから、
ファンタジーの呪文まで幅広い。
「敵役の四天王」か?
ら・ふにゅ~
そこでだ。たとえば「原 発雄」みたいな名前の人がアパートを建てて、「**原発**雄ハイツ」みたいな名前をつけたとかどうだろう。
それが地図にのるときに省略されて「原発」になった、とかありそうじゃない?
では、実際に行って確かめてみよう。
原発の場所に行く
ということで、阿佐ヶ谷駅に降り立つ。ここから10分もしない場所に「原発」がある。
東側のガード下を進んでいく。
カフェやケーキ屋が並ぶおしゃれ空間に足がすくむ。
と思いきや、「日高屋」「さぼてん」と庶民的なお店が並んでいて落ち着いた。
駅を離れるにつれ、飾らない空間になっていく。美容室vs床屋。
ここまで弱気な名前の麻雀屋、あるんだ。
(フリテンはミスしてなりがちな状態のことで、負けることが多い)
と思いきや、なぜかおしゃれ空間が戻ってきた。その理由は――
ここ、実はかつての「阿佐ヶ谷アニメストリート」だ。
そういえばあのころ、この場所を舞台としたアニメも放送していたっけ。
脳内で空想シーンが流れ始めた。
そのアニメの名は「アクエリオンロゴス」だ。
作品内では、阿佐ヶ谷駅の地下に世界の危機を救う機関があり、指揮所のある中心地がここ、アニメストリートの直下だったのだ。
普通の町並みになった今はどうなっているかなと歩くと――
ヒーロー養成機関に
「叡智の学校」エリート養成機関だった。まさか、世界の危機に今も備えている……?
「人生で一度も書いたことがない漢字」が並んでいる。未来のエリートに先を越された。
物語では、阿佐谷の機関のおかげで世界の破壊は防がれた。
あれから時がすぎ、アニメストリートは姿を変えた。しかし、その面影は残っているのだ。
そんな妄想がどこまでも広がっていく。
「現実の阿佐谷」と「アニメの世界に出てきた阿佐谷」の境界があいまいになっていく。
歩いているときにこうやって思考を広げていくのが好きだ。
と、さらに思いついた。
そういえば、地下の基地はどうやって電力をまかなっていたのだろう。地下にはロボットもあったので普通の電気だけでは足りないはず。
もしかして、地下に原発を建ててたりして……?
いよいよ到着
ガード下を歩いて6分後、右折し住宅地へ入っていく。まもなく目的地だ。
原発は今どうなっているのだろう。
右折した先にあるのは暗渠道だ。入口のカエルが目印。
さらに右折し、住宅地を歩いていく。新旧混ざった時代が折り重なる街並みを歩くのが好きだ。
地図の場所に到着した。
あった。建物だ。
おしゃれなアパートだ。
予想したとおりの光景によしっと手をにぎった。
あとは建物の名前だ。どれどれ。
アパート名は「felice」。「frliceⅠⅡⅢ」が並んで建っている。
アパート名は「原発」とつながりようのない名前だった。
地図を見直す。場所はやはりここで合ってる。
ドユコト?
あまりにありきたりな光景に、脳内に広がっていたアニメの世界がしゅん……としぼんでいった。
調べて見えた「原発」の正体
原発は一体何者なんだろう。ここからは机上調査だ。
いったん情報を整理しよう。
・ 2000年代の地図に「原発」があった。
・ (2016年に「アクエリオンロゴス」放送)
・ 現在(2024年)は「felice」というマンションがある。
となると、見るべきは「felice」ができる前に何があったのかだ。
まずはグーグルストリートビューで見てみよう。これを使うと、過去の町並みをさかのぼることができる。
一番古いのは2013年だった。どれどれ。
felice以前の建物(=原発?)が解体されていた。おしい……!
次だ。
今度は図書館で地図を見ていこう。
物件の中身まで詳しく書いてある『ゼンリン住宅地図』を手に取って、ページをめくる。
あった。
やっと「原発」の文字に会えた。
(『ゼンリン住宅地図 東京都杉並区 2006/11月版』を元に作成)
地図の「原子力」は、「**原子力の会社の寮**」を省略したものだったのだ。
現実は、原発雄ハイツよりもずっと納得のいくものだった。
「そういうことか!」と叫ぶのをこらえ(図書館なので)、思いっきり伸びをした。
これにて一件落着だ。
終わりに
そういえば、アパート名の「felice」ってどういう意味なんだろう。
画面に出てきたのは、「幸福」の二文字だった。
FELICE(フェリーチェ)は、イタリア語で幸福を表します。
その文字列に妄想スイッチがONになる。
世界を救った彼らが残したモニュメント、これがその建物なんだ。
平和で幸せな日々が始まり地下の施設は役割を終えた。カモフラージュとしてのアニメストリートもなくなった。
そのあとに彼らだけがわかるようにさりげなく残した名前がこのアパート名なのだ。
「原発」の正体を見に行くだけのはずが、アニメの世界にひたる散歩になっていた。これも「アニメのまち杉並」だからこそできることだ。
阿佐谷には、かつての原発とアニメと幸せがあった。
「ロボットアニメっぽいアパート」もあるよ。
文明が花開いた明治時代は、どのようなスポットが人気だったのだろう。
今回は、116年前のガイドブックを使って熱海の観光をしてみよう。
実際に回って見えてきたのは、熱海が今でも人気の理由だった。
熱海、人を楽しませようとする熱量がすごい。
※この散策は2023年2月に行ったものです。
116年前に書かれた観光の本
以前、伊豆について書かれている「明治時代のガイドブック」を見つけた。
誰でも読むことができる。ありがとうインターネット。
これを使って伊東の街を観光したところ、違った時代の人と一緒に歩いているような普通の観光で味わえない体験ができた。
dailyportalz.jpとなると再びやってみたくなるもの。お次は、伊東と同じように温泉町で有名な熱海に行ってみよう。
印刷していざ出発!
熱海といえば温泉
『伊豆新誌』の熱海の章は、このような文章から始まっている。
いきなり「温泉」が出てきた。今の熱海も温泉のイメージがある。同じだ。
では、明治時代から温泉地だった熱海は、現在どのぐらいにぎわっているのだろう。
さびれたとか復活したとかうわさに聞いたことはあるが、どっちなんだい。
熱海駅の改札を出る。駅前に広がる光景に、足が止まった。
ベンチの手前に靴が並んでいる。ということは――
足湯だ!
駅から徒歩10秒に温泉があった。いきなり熱い歓迎だ。
最初からクライマックスの風景に、期待が湯気のように高まっていく。
さあ、スポットめぐりを始めよう。『伊豆新誌』によると、古くからある源泉が七つあるとか。
さっそく町へ繰り出そう。
商店街がワイワイにぎわっていてびっくり。みんなどこへ向かっているのだろう。まさかみんな源泉めぐり?
中央には昔の写真が展示してあった。この写真、あとで出てくるので覚えておいてください。
にぎわう理由がわかった。「熱海プリン」「熱海ミルチーズ」「熱海ばたーあん」とご当地スイーツ店がいたるところにあり行列している。あとで買おう。
さて、最初に来たのは七源泉の一つ、「①野中湯」だ。
果たして残っているかな。足を進めると、道のはしっこに存在感を、いや湯気を放っているものが目に入った。
100年以上前から湧いているとは思えないほどの勢いだ。
七湯は今もしっかり残っていた。長らく会っていない友達と久々に再会したら元気でほっとしたときの気持ちに今なっている。
源泉の横には「熱海七湯めぐり」の看板もあった。
「古来から数ある源泉の中でも、熱海温泉の歴史に重要な位置をしめてきた『熱海七湯』。」
「源泉」という地味になりがちなスポットにここまでていねいな説明があるとは。
熱海、やるじゃん。
さて、ここからは残り六湯のうち五湯をダイジェストでお届けします。
「②風呂湯」。横の「水の湯」は1.5メートル離れたところに沸いていたとのこと。別々の温泉でぜいたくな交互浴ができる…ってコト!?
「③佐治郎湯」。通称「目の湯」の名のとおり眼病にきく言い伝えがあるが、
現在は効能がないそうです……。
「④淸左衛門湯」。「清左衛門がこの湯壺に落ちて焼け死んだのでその名が付いたといいます」怖いことがさらっと書いてあって二度見した。
「⑤法齊湯(小沢湯)」。大きな声で呼べば大きく湧き、小さい声なら小さく湧くという言い伝えがある。落ちた人(?)が湯量調節してたりしないよね……?
「⑥瓦湯」はなぜかお札だらけ。その理由をつい深読みしてしまう。心なしか寒くなってきた。
さて、ここで一つお知らせだ。実は、熱海七湯には一つ別格の存在がいる。
その名も「⑦大湯」だ。
姿を変えた「熱湯噴出」の今
『伊豆新誌』では、熱海七湯のうち大湯だけ別枠で紹介している。
その迫力、感じ取れるだろうか。
「地が震え山が裂け海が干上がる」とは、まるで災害が起きたような表現だ。これで温泉をイメージする人はいないだろう。
ただ、僕は知っている。それが大げさじゃないことを。
実は、さっきの商店街に昔の大湯の写真があった。そこに写っていたのは、文字どおり「飛龍」のように噴出する姿だった。
見てほしいこの噴出を。
見た目はもちろんのこと、「殷々轟々(いんいんごうごう)」と書かれた音もぜひ聞いてみたい。
目的地へ向かう足取りが早くなっていく。
すぐに到着した。
あれ? なんか思ったのと違う……。
姿かたちが写真と違う。噴出がない。
どういうことなんですかと看板を見る。
今は涸れているのか。
大湯は再現されたものだったのだ。脳内の飛龍が地下へもぐっていった。
「グオングオンゴー」
突然聞き覚えのある音が耳に入った。浮かんだのは、小さいころ、近所の蛇口で手を洗ったときの記憶だ。その蛇口は地下の井戸水を使っていて、蛇口をひねるとポンプがグオンと音をたてて動きだしたものだった。
今、そのポンプと同じ音を聞いている。
でも、なぜここで?
次の瞬間、疑問が解けた。
お湯(?)が「噴出」し始めた。
大湯の噴出は再現されていたのだ。
でも、正直ものたりない。モーターの震える音はしたけど、「地が震える」には程遠い。
では、なぜこんなスケールダウンしたのを再現したのだろう。
首をかしげていると、通りかかった人の会話が耳に入った。
「湯が噴き出てるやん」
「こんな温泉があったのか」
「ディズニーのアトラクションみたい」
そうか。形はともあれ残しておくことに価値があるんだ。それで興味を持ってもらえれば、歴史ある温泉地としての熱海をアピールできる。
そのためには、ただの看板だけでなく目立たせることが大事だ。
昔の姿を保存するだけでなく、必要であれば復元までしてみせる。そんな熱海に、古くからの観光地としての意地を見た。
大湯の横に江戸時代の犬のお墓があった。イギリス人外交官の愛犬が大湯の熱湯を浴びて亡くなったと書いてあってしんみり……。しかし、丁重に弔ってもらったことから日本が好きになり、イギリスが親日的になるきっかけになったという。「映像の世紀」に出てくるようなバラフライエフェクトな物語が眠っていた。
「はなはだ面白い景色」を見に行こう
さて、次は観光地の定番である「自然」だ。熱海には「錦ヶ浦」という名所があるらしい。
明治の人をして「はなはだ面白い風光」と言わしめた景色を見に行こう。
ということで、「念佛山」のふもとに来た。ずいぶん信仰が深そうな名前だ。寺社でもあったのだろうか。今はどうなっているのだろう。
ちょうど案内の看板があったので見てみると、
「熱海 秘宝館」
煩悩まみれになっていた。
さて、道路の横に階段があったのでおりてみよう。
位置的に錦ヶ浦が見える場所につながっていそう。
おりていく。
謎にエスニックな踊り場を通りすぎる。文化が混ざった空間が出現するのって観光地あるあるですよね。
ズーンザバーン。波音が近くなっていく。
5分ほど下っただろうか。ようやく視界が開けた。
海と雲と島と。
大パノラマが待っていた。
中央にある岩が、おそらく本にあった「兜岩」だ。昔の人もこうして眺めていたのだろうか。
ひたすら海が広がる光景に、時間の進みがゆるやかになっていく。
ふと、一つの場所に目が吸いよせられた。絶壁に謎の建物がある。
崖にそって建てるという発想がすごい。
これは明治時代になかった光景だ。
ところで、巨大なガラス張りの建物ってどこかで聞いたような。記憶に引っかかる。
嵐の日はとんでもない迫力が味わえそう。
そうだ、昔、台風でホテルのガラスが割れてニュースになったことがあった。
ここが、まさにその場所なんだ。
あれから5年。レストランは復活をとげていた。
険しい場所でも観光スポットを切り開き、険しい自然に負けても立ち上がる。そんなたくましい熱海の姿が目の前にあった。
展望台の真下には足場らしきものがあった。調べると昔釣り堀があったらしい。昔の人もたくましい!
古の神社で熱海の強さの理由を知る
さて、日本の観光の定番と言えば神社だ。熱海では「木宮神社」が当時有名だったとか。
木がうっそうしていて立派なクスノキが生えている神社があると。神社にご神木があるのはよくあることだ。正直、「割と平凡そう」と思ってしまった。
まあ、せっかくだし行ってみましょう。
場所は熱海の街中にあった。
この先が明治時代につながっていても違和感がないような、雰囲気のある入口だ。
お正月ではないのに人が多い。来宮神社は現代でも人気のスポットのようだ。
入ってすぐ右側に曲がる。うおっと声がでた。
語彙力がなくなる立派さ。
一体いつからここに立っているのだろう。平凡そうとか言ってごめんなさい。
説明看板を見ると、そこに書いてあったのは「第二大楠」。あれ? 第二ってことはもう一つ大木があるってこと?
参拝道を進んでいくと、その答えが立っていた。
第二よりもはるかにでかいクスノキがいた。
今度は「うおわぁー」って声が出た。「神威の尊さも思ひやらるる」は本当だったのだ。
ところで、見ていて気になるものがあった。
飛びこみ台みたいなのがある。
気になるので行ってみよう。
一本道を歩き、その場所に立ってみた。
クスノキの太さがよく見え迫力が増した。そうか、ここは「映えスポット」ってやつなんだ。
木肌のしわ模様をながめていると月日の流れがしみこんでくる。ながめていると心の波が落ち着いていく。まるで、大自然の川の中を漂っているような。
と、気づいた。どこかから水の音がする。
クスノキの右側に川が流れていた。
観光客の人ごみから距離をとり、せせらぎを聞かせて心を落ち着ける。この高台は、そんな高度な計算のもとに建てられたスポットだったのだ。映える写真が撮れるだけじゃなかった。
これだけ観光地としての力がありながらも、アイデアを練り続けてさらに魅力的な街を目指していく、そんな姿勢にすっかり熱海が好きになってしまった。
神社の境内にはカフェまでもがあった! ここのスイーツもおいしそう。熱海、まいりました。
まとめ
昔の観光地を回って見えてきたのは、過去の観光スポットを大切にしながら、たゆまぬ努力で人を呼ぼうと工夫をこらしていく熱海のたくましい姿だった。
明治のガイドブックで「現代」の熱海をここまで普通に楽しめるとは。いい意味で予想を裏切られた旅でした。
お土産に買った熱海プリン、おいしかったです。
ちなみに、熱海は明治時代の小説の「聖地巡礼」で栄えたという一面も持っている。が、そちらを書くと長くなってしまうのでまた別の機会に紹介しようと思う。お楽しみに。
私鉄沿線の街では、私鉄を運営している企業が「生活の一部」になる。たとえば京王線沿いの住人は京王のバスに乗り、京王のスーパーを利用しすごしていく。それは小田急も東急も同じだ。
「京王井の頭線」の三鷹台駅を降りたとき、予想外の看板が目に入り足が止まった。駅の横にあったのは「**Odakyu OX**」の文字だった。京王と小田急がぶつかっている。
Youは何しに京王へ?
理由を調べ見えてきたのは、実は小田急が三鷹地域と深くかかわっていたという意外な歴史だった。
京王井の頭線にあるOdakyu OX
京王井の頭線は、「住みたい街ランキング」常連の吉祥寺駅から伸びている路線だ。その吉祥寺駅から二駅のひっそりとした住宅地に、三鷹台駅がある。
まずは、三鷹台駅前の写真を見てほしい。
横断歩道をまたげば行ける、まさに「駅チカ」な立地にヤツはいる。
「小田急」が「京王線」沿いの駅前に居座っている。普通、駅チカの一等地には鉄道と同じ系列のお店が陣取っていそうなものなのに。
よく見ると「OX」にツヤがあるのがチャームポイント。
その違和感は、Odakyu OXの店舗一覧を見てさらに確信となった。三鷹台駅のOdakyu OXは、「唯一小田急線沿いから離れている店」だったのだ。
三鷹台の存在感よ。(OpenStreetMapを用いて作成)
旅先で小さいうどん屋に入ったら、地元の人が10人ぐらいで宴会をしていてはしっこで小さく食べることになったときの心情を思い出した。
Odakyu OXは、なぜこんなアウェイな場所にいるのだろう。
三鷹台店はいつできた?
なぜ三鷹台にいるのか、一つ思いついた説がある。それが、
「これからOdakyu OXが各地へ進出しようとしている説」
だ。
つまり、Odakyu OXを増やすために、まずは三鷹台駅に新しく店を開店させたと。それが正しいなら、三鷹台店は割と新しくできたはず。
ぴっちりスーツを着こなし、薄いタブレットPCを片手に新天地に切りこんでいくメガネのお兄さんが頭に浮かんだ。脳内で三鷹台店が擬人化されている。
ではさっそくOdakyu OXの歴史を調べていこう。
図書館で小田急グループの歴史の本を手に取りページをはらりとめくる。そこには、スーパー事業としてOdakyu OXが増えていった過程がしっかり書いてあった。
年表にして紹介しよう。
Odakyu OXは意外と年季を重ねていて60歳だった。
東京オリンピックを控え、高速道路が建設されたり初の衛星中継が試みられたりと日本がイケイケだった時代に、その勢いに乗ろうと始めた事業だったということか。
さて、年表を続けよう。
いや4号店なんかい……! 図書館なので小声でつっこみを入れた。
しかも開店は58年前って。新事業どころか、地域にすっかりなじんでいる。
脳内の三鷹台お兄さんのしわが一気に増えておじさんになった。手に持ったタブレットPCはバインダーに、メガネは老眼鏡に変わっていた。
「これからOdakyu OXが各地へ進出しようとしている説」は間違いだった。
それ以降、手がかりはなく行き詰ってしまった。
現地での違和感
困ったときの最終手段、それが「問い合わせ」だ。ということで、Odakyu OXの問い合わせフォームで聞いてみることにした。神様仏様OX様。
返事を待ちながら三鷹台をふらふら歩く。
これは小田……急じゃなかった。
ありふれたことがでかでかと書かれている看板。
京王線沿いに小田急、か。実はほかにも小田急がいたりしないかな。
歩いていると、気になるものが目に入った。バス停だ。
あっ、これは……!
そういえば、 三鷹地域には「小田急バス」が進出している。朝、京王バスと小田急バスが並んで通りを進んでいるのもよく見る光景だ。
ここにきて、なぜか謎がふくらんでしまった。
次の日、Odakyu OXから問い合わせの返事が帰ってきた。読んで思わず立ち上がった。
三鷹台店が小田急沿線以外の場所にあることにつきましては、店舗のある場所がかつて小田急バスの所有する土地であったことから、出店に至ったという経緯があるとのことでございます。
小田急バスの歴史を調べよう
Odakyu OXが建った場所は、以前より小田急バスが持っている土地だった。では、小田急バスはどういう経緯で三鷹台の土地を買い、なぜこの場所にOdakyu OXができることとなったのだろう。
ここからは、小田急バスの歴史をたどっていこう。
蛇足だが、資料は「東京都立図書館」に行って読んでいる。簡単に入館できるのに幅広く資料がそろっていてお気に入りの場所だ。
もう一度図書館で本棚に立つと、Odakyu OXを調べたときに手に取った「小田急グループ」の本の横に「小田急バス」の歴史が書かれた本が見つかった。こっちが正解だったのか。
「探した場所のすぐ近くに実は目的のものがあった」現象に誰か名前をつけてほしい。
席についてページをめくる。新たに見えてきたことがあった。**三鷹は「小田急バス発祥の地」**だというのだ。
さらに、本には「Odakyu OX」の文字もしっかり入っていた。
そういうことだったのか。
ここからは、小田急バスの始まりからOdakyu OXが三鷹台に上陸するまでの流れを紹介していこう。ちょっと長くなりますがおつきあいください。
1. 小田急バス、三鷹で始まる(1950年)
小田急バスの始まりは1950年にさかのぼる。Odakyu OXができるさらに13年前だ。
戦後まもなく、小田急はあせっていた。都内のバス事業に進出したい。でも、主要なバス路線はすでにおさえられている。
どうすれば。
考えたのが、「既存のバス会社を買収する」という一手だった。その対象になったのが、三鷹地域で運行している「武蔵野乗合自動車」だ。
武蔵野乗合自動車が最初に始めた路線は「吉祥寺 - 野崎 - 調布」だった。三鷹市の真ん中を突っ切るルートで、今も小田急バスが運行している。(『写真集 みたかの昔』より)
こうして無事に買収が終わり、三鷹の地に小田急バスが上陸した。
三鷹は、小田急とは縁もゆかりもない場所だと思っていた。でもそうではなかった。
この時期の三鷹の交通を調べると、「三鷹事件」という列車暴走事件がでてきた。「国鉄三大ミステリー」と言われているとか。それだけ混沌とした時代だったのだろう。(『写真集 みたかの昔』より)
2. 三鷹台に路線を作ろう(1955年)
小田急バスが事業を始めてから取り組んだことが「路線の開拓」だった。そこで目をつけた場所の一つが「三鷹台」だ。
1955年、申請していた「三鷹台 - 牟礼 - 吉祥寺」のバス運行の許可が下りた。
運行当時の写真があった。今三鷹にこういう場所があったら「映えスポット」として人気が出そう。(『写真集 みたかの昔』より)
ところで、バスを運行するために必要なものがある。それが「車両引返場(終点でバスがUターンするための場所)」だ。ここで、三鷹台の新路線のために小田急バスが駅前の土地を取得することとなった*。
Odakyu OXができる前の空撮写真を見てみると、たしかにバスが停まりそうな広場があった。(今昔マップを用いて作成)
*状況的に引き返し場のために土地を取得したと考えられるが、正式な取得の記録は見つからなかったため推測が含まれている。
3. 小田急バスの方針転換(1960年代)
町の発展とともに順調にバス路線を広げていった小田急バス。しかし、成長はどこかでいきづまるものだ。
1960年代の半ばに入ると、バス事業の利益がだんだんと減っていくことになった。ここでうまく策を練っていかないと、東京チカラめしやタピオカ屋と同じ運命をたどってしまう。
対策として行われた一つが、「路線の統廃合」だった。
当時の運行を見ると京王と小田急の両方がいた。今も続いている小田急と京王のバスが並ぶ姿は、50年以上前からあったのか(『三鷹市 社会生活の諸相』より)
それにより、三鷹台駅のバス路線も終了になったと思われる。
はっきりとした記録は残っていないが、いろいろな資料の中で最後の記述があったのは、1964年となっていた。
その結果として残ったが、三鷹台駅前の土地だ。
4. 新事業を「安全」に始めたい!(1966年)
小田急バスが経営を安定させるために、もう一つ考えたことがある。「事業の多角化」だ。
バス以外で何か始めたい。
そういえば、各地の路線を廃止した結果、ぽつんと残ったものがあった。そう、「車両引返場」の土地だ。
その土地を貸せばいいんじゃね?
こうして、小田急バスの新事業「不動産業」が幕を開けた。
本によると、小田急バスが持っている土地は意外と数多くあるらしい。吉祥寺駅前のこのビルも実は小田急バス所有だとか。
しかし、始めるにあたり問題があった。皆さんは初めて物事を始めるとき、経験や知識不足で苦労をしたことがあるだろうか。
僕は小学生のころ、始めたばかりのデジモンカードを友達と交換したら明らかに損な取引をしてしまい、泣きながら帰った悲しい思い出がある。カード名が黄色いメタルグレイモンのあのカード、今でも元気かな。
失敗しないように、最初は安心できる相手と取引してノウハウをためたい。そんなとき、まさにうってつけの存在がいた。
同じ小田急系列である_㈱_オー・エックスだ。
オー・エックス「どこかにスーパーマーケット建てる土地ないかなー」
こうして、「便利な土地が欲しいオーエックス」と「信頼できる相手に土地を貸したい」小田急バスが出会い、がっちりと手を結ぶこととなった。
三鷹台駅のOdakyuOXは、小田急バス側とOdakyu OX側の思惑がちょうどいいタイミングでかみ合って生まれた、奇跡のような店舗だったのだ。
終わりに
ようやく、三鷹台のOdakyu OXが京王線沿いに唯一建っている理由がわかった。一つのお店を調べるはずが、ここまで小田急の深みを知ることができるとは。
そんなことを考えながら問い合わせを見返していると、気になる一文に目がとまった。
小田急沿線以外の店舗としては、現状、三鷹台店のみとなっておりますが、今後につきましても条件等が合えば、沿線以外への出店も積極的に考えてまいります。
小田急がさらに広がっていく姿、見てみたい。
もし実現したら、バス事業と同じように、「Odakyu OX」と京王のスーパー「京王ストア」で勢力を競い合うことになったりして。
そういえば、京王のスーパーの分布はどうなっているんだろう。地図を見て、うぉっと声が出た。
駒井店だけ、小田急線沿線にいる……! (OpenStreetMapを用いて作成)
戦いはすでに始まっていたのだ。
それでは、次回作「『京王』のスーパーが一店舗だけ『小田急線』沿いにある」で会いましょう。
参考文献
- 小田急五十年史
- 小田急75年史
- 小田急バス40年史
- 小田急バス60年史
- 運輸審議会半年報 昭和30年7-12月
- 三鷹市 社会生活の諸相
- 写真集 みたかの昔
映画の「翔んで埼玉」が好きだ。最初に見たときは人目に隠れて「埼玉ポーズ」をするマイブームが1週間続いた。
映画を見ていて一つ気になることがあった。「都会指数」だ。本編によると、「東京とつくスポットの数」が都会指数に影響するとか。
実際に求めたらどうなるんだろう。
※映画「翔んで埼玉」のネタバレが含まれています。
※埼玉、千葉、神奈川をディスるような記述が出てきますが、現実ではなくあくまでも「翔んで埼玉」の世界観をもとにしたものになっています。ご理解をいただければと思います。
「都会指数」を求めよう
そもそも都会指数とはなんぞや。本編によると、
「その人間がどれだけ都会的な環境で生活しているのかということ」
とのこと。
ところで、都会指数を測るのってどうやればいいんだ。そう思いながら「翔んで埼玉」を見ていると、ある場面で思わず立ち上がりそうになった。
千葉県側の人が言い放ったこの言葉に注目だ。
「(前略) おかげで、千葉に東京と名のつくものを多く作ることができた。
東京ドイツ村、ららぽーと東京、伊藤ハム東京、東京ベイシティ交通。
東京を名乗ることで、千葉の都会指数は年々上昇している!」
ここからわかることがある。
つまり、「『東京』がつくスポットの多さ」を調べればいいと!
こうして、都会指数を調べる足がかりができた。
東京の数を数えよう
ということで、「東京」がつくスポットの数を数えよう。
歩いて数えると一生が終わってしまうので、インターネットの力を借りることにする。調べると、「Yahoo!ローカルサーチAPI」なるものが見つかった。
簡単に説明すると、地図情報のデータを簡単に呼びだせるwebサービスだ。しかも無料で使うことができる!(回数制限あり)
これにより、「神奈川県鎌倉市にある『東京』がつくスポットは26件」といったデータがゲットできるようになった。ありがとうインターネット。
これでスポットの数は良しと。
都会指数の計算式を作ろう
あとは都会指数の計算式を作ろう。
できたのがこちら。
「東京が含まれるスポットの数」を「面積」で割っているのは、広い自治体が有利になってしまうのを防ぐためだ。
都会指数の結果は!
今回測るのは、物語の核である「埼玉」とそのライバル「千葉」「神奈川」の三県だ。東京の下で競い合っている彼らの都会指数は、どのような姿を見せてくれるだろう。
さっそく、結果を見ていこう。
どどん。
おお! いい具合にばらけた。しかも東京23区(オレンジ部分)を中心に都会指数が小さくなっていく傾向がきれいに見える。
トップは千葉県の浦安だ。「東京ディズニーランド」がある場所、やはり強し。
では、順番に上位の自治体を見ていこう。
見えてきたのは、三県それぞれが独自に「都会指数を上げるための戦略」を練っている姿だった。
浦安から見えてくる千葉のしたたかさ
映画では、東京に取り入ろうと表と裏の両方で暗躍していた千葉。そんな千葉の浦安市が、都会指数でも堂々の1位を勝ちとった。
では、浦安市の都会指数の高さの理由はなんだろう。でもどうせディズニーランドだろうな。
そう思って調べていると、手が止まった。
ディズニーじゃなかった。
見えてきたのは、**東京ディズニーランド誘致よりも大規模な作戦の痕跡**だ。
その正体は、浦安にある東京スポットを見ればわかる。
千葉は大胆にも「東京ベイ」という地名を名乗ることで、都会指数を上げていた。
東京と名のつくスポットは埼玉や神奈川にもある(埼玉の東京国際大学や神奈川の東京料金所など)。
しかし、地名丸ごとに「東京」を入れるというしたたかさよ。意地でも東京に近づいていく、そんな千葉の意思の強さがうかがえる。
埼玉が千葉に足をすくわれていた?
そういえば、東京ベイってどういう経緯でできた名前なんだろう。
調べてみると、とんでもない戦いの舞台裏が明らかになってしまった。
ウィキペディアにある由来はこう。
現在、東京湾岸地域は一般に「東京ベイエリア」と呼ばれることがあるが、これは**THE ALFEEが1986年8月3日に東京港13号埋立地(現:港区台場・江東区青海地区・品川区東八潮地区)にある船の科学館近接の未利用地に特設ステージを設けて行った10万人(公称)コンサートのタイトルを「1986.8.3 SWEAT&TEARS TOKYO-BAY AREA」と称したことに由来**する。(THE ALFEE-Wikipediaより)
THE ALFEEは、埼玉を代表するロックバンドだ(高見沢俊彦と桜井賢が埼玉出身)。
本編で繰り広げられた「出身地対決」でも、「X JAPANのYOSHIKI」で先制攻撃をしかけた千葉に対して、埼玉は「THE ALFEEの高見沢俊彦」で対抗してみせた。
そんな埼玉の「THE ALFEE」がつけたライブ名を、千葉は全力で利用したのだ。
わずかな隙を見せれば東京にも埼玉にも全力で食らいつくその策士っぷり。千葉、やりおる。
この事実を踏まえて改めて「出身地対決」のシーンを見直してみると、「うおっ」と声が出た。
千葉の人、「嫌いじゃない」って言ってた。その真意は「東京ベイを名乗るきっかけをくれて感謝している」ということか……!
翔んで埼玉、なんて奥深い作品なんだ。
強者の戦略、神奈川
さて、都会指数の話に戻ろう。
東京という地名を取り入れる離れ業で都会度指数を上げた千葉。こうなると誰も千葉に勝てるものはいない。
――と思いきや、2位と3位は神奈川と埼玉がさらっていた。では、策士の千葉に彼らはどう対抗しているのだろうか。
お次は神奈川を見ていこう。
2位の横浜市西区といえば、「みなとみらい」「横浜ランドマークタワー」が思い浮かぶ。まさに「都会」という言葉が似合う場所だ。
さて、西区の「東京」スポット一覧を見ていこう。
大部分が東京の会社になっている。どうやら、東京の会社が横浜に支社を構えていると。
ふむふむ、見えてきたぞ。つまり、横浜市西区の戦略はこうだ。
「都会らしい」空間を作り上げることで、東京の会社を自然と吸い寄せる。さすが、東京に一番近しい存在なだけはある。
神奈川の地力の強さに思わず目を細めた。
あと、東京コンタクトの本社は神奈川だったのね。
埼玉には何もない?
対して、3位のさいたま市大宮区はどうだろう。住宅地のイメージが多いが果たして結果は。
埼玉の会社、多くね? 支社が多かった神奈川とは違う結果だ。
つまりこういうことか。
埼玉は、県民それぞれが「東京」と名のつく会社やお店を作って都会指数を上げようとしていると。
千葉の巧みな戦略と、神奈川の東京を吸い寄せる洗練度。それらを持ち合わせない埼玉がとった戦略は、「**草の根運動**」だったのだ。
そのけなげな姿に、さらに埼玉を応援したくなってきた。
別の指標で見てみよう
ところで、今回の都会指数では拾いきれない例があることに気づいた。
たとえば、軽井沢みたいな街を思い浮かべてほしい。おしゃれな軽井沢銀座を歩き別荘地に向かう姿は、都会指数が高い人そのものだ。
こういう場所では、広めの敷地に高さ控えめの施設が広がっている。となると、面積当たりのスポット数はどうしても少なくなってしまう。
つまり、スポット数を面積で割る現在の計算式では、ゆったりと土地が使える場所が不利なのだ。
よし、人が少ない場所にも対応した指標を新しく作ろう。
土地が広い場所は人も少ないので、人口で割ってみようか。
結果を出力っと。
思わずガッツポーズが出た。
今までのランキングに影も形もなかった箱根町が1位だ!
神奈川のもう一つの作戦が明らかに
そういえば、「翔んで埼玉」にはこんなシーンがあった。
神奈川は、**東京都知事にしゅうまい弁当をくり返し献上することで優位に立っていた**。しかし、「しゅうまい」だけでそこまで距離を縮めることができるだろうか。
つまり、神奈川はしゅうまい以外でも何かしらの方法で東京を接待していると考えるのが自然だ。では、どうやって。それが、今回の都会指数から見えてきた。
神奈川の人は箱根を使って東京の人を接待していたのだ。
実際にスポット一覧を見てみよう。
見事に保養所がそろっている。
神奈川は、都会エリアで東京を呼び寄せるだけでなく、箱根エリアを観光地化し、東京の人を呼びこむことでその地位を盤石なものにしていたのだ。
千葉と埼玉に対し余裕の態度をとる神奈川の理由が、今ようやくわかった。
埼玉、がんばれ
都会指数を見るだけでここまで三県の違いが見えてくるとは。翔んで埼玉、深いぞ。
そして、改めて埼玉が主人公になった理由もわかった。
千葉のような大胆さも、神奈川のような力も持たない埼玉。
そんな弱きものが成り上がっていく物語、面白くなるに決まっている。
果たして、埼玉はどこまで高みへ上っていくのか。
その姿を映画館で見られるのが楽しみだ。
ちなみに、僕はこの記事を書いてて初日に行きそびれました。
おまけ:東京都内の都会指数
東京都内でも都会指数αを求めてみた。
銀座を抱える中央区が堂々の1位! さらに日本の中枢・千代田区が2位、日本の中心・日本橋のある台東区が3位と納得の結果だ。
「ヨシッ堀田代」という場所があるらしい。頭に浮かんだのはヘルメットをかぶって指をさす生き物だ。
グーグルマップでも存在が確認できる。しかしレビュー数は0。
いったい何が「ヨシッ」なのか。謎めいた名前の場所には何がいるのだろう。
その真相にせまるため
我々はジャングルの奥地へと向かった。
いざ現地へ
ヨシッ堀田代へ行くことにしたのはいいが、たどり着くまでが意外と長かった。
ここからはヨシッ堀田代に着くまでの工程をダイジェストでお送りします。
朝の6時。無理やり頭を起動させ、駅に向かって足を運ぶ。
朝の7時、バスタ新宿で高速バスに乗り込む。
出発だ。
高速バスに揺られ
乗り合いバスに乗り換え
出発から5時間後、ようやく入口がある小屋に着いた。
ここからは徒歩となる。時間は12時。いよいよ森へ出発だ。
ということで、今回の舞台は尾瀬です。
尾瀬と聞いてどのようなイメージが浮かぶだろうか。知っている人は、池や草原が広がっているのどかな光景が浮かぶと思う。
しかし、その予想は裏切られることとなる。歩き出してすぐ異変に気づいた。
ひたすら続く森を歩いていく。
先が見えない山道か。どうやら、簡単にいい景色には出会わせてもらえないらしい。
足を進めていくと、途中で見慣れないものが目に入った。
「鐘」だ。
観光地でカップルが鳴らすやつがなぜ森に……?
説明を見るとクマよけ用に鳴らしてくださいとのこと。バチで鐘を叩くと「カーン」と力強い声が響いた。
チリンじゃないんだ。でも実用的な音だ。
この鐘、また出てくるので覚えておいてください。
開けた視界
1時間後、足が止まった。
山小屋を通りすぎたあとの景色が
これ!
思わず手を空に広げて走り出したくなるような、「人間はちっぽけだ」とかありきたりな言葉が頭に浮かぶような大パノラマが現れた。
待ってました。
沼地なので池や川が順番に出てくる。無限に歩いていられる。
ここから「ヨシッ堀田代」までは1.5時間だ。
ひたすら気持ちいい景色を進んでいく。
ここを歩いていると大体のことを許せる気持ちになってくる。
しかし、こんな場所にある「ヨシッ堀田代」って何かあるんだろうか。もし何もなかったらどうしよう。
雨が降ってきた。
雨具をかぶる。
嫌な予感がする。
ヨシッ堀田代に着いたが……
時間は14時すぎ。そろそろヨシッ堀田代に着くはずだ。
ヨッピ吊橋を超える。この地名、ヨシッと近いぞ。
そしていよいよ、地図にピンが立っていた場所に着いた。
何もない……。
そこには「草原」がひたすら広がっていた。
「けものフレンズ」のさばんなちほーと似てるような?
わーい! いいけしきー! と現実逃避中。
撮るものがなさすぎて草の写真を撮った。
いや、まだあきらめるのは早い。何かあるはずだ。空港のレーダーのように首を回して探し回ると、一つあった。
あの、クマよけの鐘が立っていた。
バチをよく見てほしい。
金槌だ!
ここにきて突然の工具。これは、あの猫がいた証拠なのでは! よくわからんけどヨシ!
叩いてみる。
「カーン」
「NHKのど自慢」でサビに入った瞬間に鐘が鳴って退場した人のやりきれない顔が浮かんだ。
今ならちょっと、気持ちわかるよ。
調べられない……!
こうなったら山小屋に着いてからインターネットの力を使って調べよう。
ヨシではなく「"ヤシ"ろう小屋」に到着だ。
しかし、一つ誤算があった。ここは、民宿でなく「山小屋」だ。スマホを開くと、出迎えてくれたのは「圏外」の二文字だった。
一応Wi-Fiはつながるが速度は3Gレベル……。画像が上からゆっくり現れる趣きを久々に味わうこととなった。
いとおそし。
夕食! 4人で一つのおひつを分け合う方式が山小屋らしくて良い。しっかりお代わりしたらほかの人の分が少なくなりちょっと申し訳なかった。
しかたない、明日急いで帰って調べることとしよう。
おやすみなさい。
快晴の朝
そして次の日。天気は良好。
霧がかっていてなかなか幻想的。深く息を吸った。
ただの草原でさえも絵になる。
急ぎ食事をすませ、出発だ。早く人里に戻って調べたい。
すたすたと足を動かす。霧が晴れた。
すっかりいい天気!
雲と水面ってなんでこんなに映えるんだろう。
天国ってこういう世界だったりするんじゃいか。ぽかぽかした中で絶景を歩いていると、現実と夢の境界線があいまいになってくる。
時間に追われる生活に帰りたくなくなってきた。
早くヨシッの謎を知りたい。でも、もっとのんびりしたい。
ほら、腹は減っては戦はできぬっていうし。
窓から見える景色がこれ。ちなみにまだ圏外です。
旅の終わり
お店でボーっとしてから、再び歩き始めて1時間。人里が見えてきた。
護岸だけでも「文明だ!」って騒ぎたくなるこの感覚、登山する人ならわかると思う。
この橋をこえればゴールだ。
こうして、ゴールの茶屋へ到着した。
スマホを見る。一日ぶりに見る「4G」の文字がそこにはあった。
さあ、調査を始めよう。
ゴールの建物にある地図にも「ヨシッ堀田代」があった。
明らかになった正体
由来を調べるときに重要なのは、「古い文献をたどること」だ。昔の本に記述があれば古い地名だとわかるし、なければ最近できた地名だと目星が付く。
ではヨシッ堀田代はどちらか。
意外なことに、古い地名だった。
デジタル図書館で調べていると、1960年の尾瀬の本を見つけた。そこに手がかりがあったのだ。
ヨシッ堀田代はこのあたり。(『尾瀬・日光 (アルパインガイド ; 第10) 』より引用)
細かく地図をなぞっていく。思わず「そういうことか」と声が出た。
地図の「地名」をよく見てほしい。
「田代」という地名がたくさん出てくるのがわかるだろうか。
このあたり一帯は「田代」と呼ばれる場所だった。
そして正しい読みかたは「ヨシッぽり・たしろ」だったのだ。
では、「ヨシッ堀」とは何だろう。それも地図にしっかりあった。
川として描かれている!
つまり、ヨシッ堀田代は「田代にある、『ヨシッ堀』という川が通っている場所」という意味だったのだ。
ヨシッって何よ!?
深呼吸してすっきり。
10分後、頭の中で猫が荒ぶり始めた。
よく考えると、地名に「ヨシッ」が入る理由の説明ができていない。なぜ「ヨシッ堀」なんて変な名前がつけられたのだろう。
こういうときはもう一度本の世界にもぐろう。先ほどの地図の横には、地名の説明が文章でもしたためられていた。
お、ヨシッ堀田代もある。どれどれ。
ヨシッ堀田代と名づけられるヨシの生えた湿原を進み、ヨシッ堀の小さな流れを渡る。
答えあった。
ヨシッ堀の由来は植物の「ヨシ」だったのだ。
では「ヨシ」ってどんな植物なんだろう。調べると、ススキみたいな穂の植物が出てきた。
これ、見覚えありますね。
ヨシッ堀田代で撮った写真にも、
ヨシッ堀田代の鐘を撮ったときにも、
なんなら朝に撮った写真にもヨシがいるではないか!
ヨシッ堀田代で「よくわからんけどヨシ!」と言った自分が恥ずかしい。
ヨシッ堀田代には「ヨシ」があった。
鮮やかな伏線の回収っぷりに、思わず「よしっ」とこぶしを握った。
すっきり
こうして謎は解けた。すっきり。
帰りのバスに揺られながら頭に浮かぶのは、尾瀬の景色だ。
地名をたどるのは楽しかったが、それ以上に尾瀬は歩いていてひたすら気持ちよかった。
真夏でも涼しくていい景色があって休憩どころもそれなりにある。
尾瀬、オススメです。
ただし、あくまでも尾瀬は山だ。装備はきちんと整えてほしい。
くれぐれもご安全に!
また行きたい!