footera1953’s diary (original) (raw)
1stシーズンでも反省会をした。この反省会は当時とても不評だったNHKの朝ドラ(ちむどんどん)を受けて視聴者が番組内容をSNS上で反省(批判?)したことが話題になったことから付けたタイトルで、特に反省をするわけではない。今回は振り返ってQ&A形式で感想を述べることにした。
1.広重の浮世絵の景色は残っていたか?
全体の10%(5か所)程度はほぼ残っていたといえる。そのままだと言うところもあった。ラストシーズンの「うばが餅」のような個別の建物(再現したもの)を含めると、さらに10%くらいは増える。個人的には満足した。
2.53次は一挙に歩けるのか?
70歳の老人には無理と結論したい。シーズン2で出会った京都から下ってきた60代の人は、もう2週間歩いていると言っていたが「すごい」の一言。疲労が蓄積してきて、ただただつらい旅になりそうである。ちなみに、ラストシーズンの1か月前にハーフマラソンを走っているので、脚力はそれなりにあるつもりなんだが。
3.楽しいのか?
楽しかったり、つまらなかったり。歩く行為そのものは楽しいので、基本的には楽しいが、疲れてくるとその楽しさがなくなってくる。
静岡県から愛知県豊橋市(白須賀宿~二川宿)のバイパス国道1号線は田んぼも施設もない、車がうるさいだけの道を1時間ほど歩く。これが一番つらかった。
4.五街道どうする?
知り合いが、残りの五街道(中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道+東海道)を勧めるが、これからゆっくり考えることにする。
SEE YOU
足掛け3年年、全5回に渡ったこの東海道53次の旅もついに大円団を迎えることになった。ラストシーズンの今回は、滋賀県湖南市の「石部宿」手前から、京都三条大橋を目指す約50㎞の旅。これまでの半分程度の距離なので気持ち身体も楽である。
この区間は松並木は全く残っていないが、昭和の香りのする街角が多く残っている。塗装したものか焼杉なのかこげ茶の板壁を張った家が、かなりの区間続いている。東海道を歩く喜びではないが、昭和を歩く喜び、なつかしさはある。
大津から京へは峠越えが待っている。この東海道を京阪電車京津線がなぜか路面電車として走っている(上栄町~琵琶湖浜津間)。めちゃくちゃ(*)乗りたかったが、我慢した。
峠を下ると、宇治、伏見、大阪へつながる分岐点があり、大阪まで行くと東海道57次となるそうである。この分岐点から1時間ちょっとで三条大橋。お付き合いありがとうございました。
*最近は老いも若きも「めっちゃ〇〇」という話ことばになって悲しい。
右の写真は、近江富士と呼ばれる三上山。広重の浮世絵に宿場の風景の中に描かれている
左;草津名物「うばがもち」の店舗。これも広重の浮世絵で描かれている。
右;伊勢名物「赤餅」の1/4位のサイズ。一口で食べられるのでとても良い。
左;53次最後の宿、大津宿。いい写真がないのでこれで勘弁。
右;大津から京都に向かい峠を越えてしばらく行くと伏見、大阪へ続く街道の分岐点にでる。大阪へ行くと東海道57次となるそうだ。いい写真がなくてこれも御免。。
三条大橋。
大津のホテルを7時半ごろ出発。直接ここへ来ると早すぎるため、道中にあった南禅寺、永観堂をリュックを背負って観光してきた。
お題「有名な絵画や画家がモデルになった小説が結構あります。何かおすすめの作品を紹介してください。」
本人の投稿です。この本を紹介したくてこのお題を出しました。
「月と六ペンス」(サマセット・モーム)はポスト印象派のポール・ゴーギャンがモデルとなったと言われる小説です。恐らく40年以上前、私が中、高校生時代に推薦図書として名前が挙がっていたと思う。
ただ、この本を読んだのは4年くらい前、少しはゴーギャンに興味を持ってから読んだことになる。しかし、中学生の頃に読まなくて良かったと思う、小説の主人公は結構破天荒なので、ちょっと投げ出したくなるからである。
というわけで、古典と言ってよい小説ですが、ゴーギャンあるいは近代西洋絵画に多少興味がある方にはお勧めの本です。
疲れがピークになってきたところで、7㎏のバッグを背負って峠を越える行程になった。この日も暑くなる予報なので6時ごろ亀山のホテルをスタート。関宿から峠を越えて坂下から土山の手前の田村神社まで、コンビニもないので亀山でおにぎりを購入して峠に向かう。JR関駅から関の宿場町を抜けて峠近くまではずーっとなだらかな登り坂が続く、峠直前から石畳の急坂になって峠へたどり着くが、急坂部分は箱根に比べると短い。
と、ここまでは東海道歩きらしいが、峠を越えると国道1号線の歩道を歩くことになって一挙に興ざめである。持参したガイドブックにも坂下宿のことは一言も触れずに、峠のあとの記載は土山宿手前の田村神社の説明となっている。この日はここからバスに乗ってJR関西線貴生川駅経由で滋賀県草津市に宿泊。
本シーズン最終日は、大雨の中バスに乗って再び土山。水口手前の今在家一里塚跡付近で、ご主人が定年後趣味で始めたというカフェで休憩。天気も悪いのでだらだら食事をしていたら、お店自慢のコーヒーゼリーをごちそうになった。これが非常においしかった。ごちそうのお礼にブログにアップすると約束したので、ここで紹介する。おいしいよ。水口の宿場は昭和の香りがする街並み。ここも城下町らしく道がくねくねする。
京都三条大橋まで残り60㎞位のところまできた。今回の旅はここで終了。
翌日京都市京セラ美術館の「キュビスム展」を見て関空から帰札。
広重の絵になった風景は確認できない。峠道は、箱根と同じく設計の石畳と思われる。こちらは、箱根の峠ほど歩いている人がいないのだろう、石畳みがコケに覆われているし、落ち葉もそのまま残っている。
こちらは土山の宿。田村神社の境内の一部が東海道になっている。これも珍しい。
右の写真の橋は、広重の絵の左下に見える橋。
橋を渡ってすぐ先の角を左に行くと東海道、右に曲がると境内へと続く。
土山宿から水口宿に向かう街道の今在家一里塚付近にあるカフェとコーヒーゼリー。カップに入っているゼリーと違ってトロっとしている、水出しコーヒーで作っているとのこと。
ランチで食べたナポリタンとサイフォンで出したコーヒーもおいしかった
昨日から亀山のホテルに2泊。関西線で四日市方向に戻るという行程である。日曜日朝6時台の電車は部活らしき若者が結構乗っている。降りた河曲駅(かわの・・・読めない)は無人駅で改札も何もなくホームを出たところにポツンとICカードリーダーが立っている。
今日の行程は、ひたすら歩くのみ。鈴鹿峠越えに備え距離を稼いでおきたいからである。
この旅で意外と苦労するのが昼食。旧街道を歩いているとレストランはもとよりコンビニもなかなか出会わないエリアがある。今回のように暑さを避けて朝早くスタートすると、おなかがすいてくる10時過ぎにはどの店も開いていない。
この日は亀山宿内の街道沿いにちょうどレストランがあったので立ち寄った。「コ・ピアン」というレストラン。日曜日の街道がそんなに混んでいるわけでもないのに、ここは11時の開店前から人が並んでいた。食事を終えて店を出るころには50人くらい入る店内は満席であった。町全体のあまり人気のない様子とかけ離れていて不思議な景色であった。
最後に訪れた関宿は、徹底して街道の景色が残されていた。電柱は埋められほぼ江戸時代さながらの街並みが約2㎞続く。箱根峠に次ぐ難所の鈴鹿峠を越えて休む人、手前で峠に備える人等の利用者が多かったのであろうか。これまで東海道を400㎞近く歩いてきたが、一番きれいな街道筋である。しかし、日曜日のこの日観光客はあまりいなかった。
石薬師の広重と現在。お寺はそのままある。
左;広重の庄野宿。この雨の描き方が西洋に衝撃を与えた。
雨を線で表現することなど考えられなかったのである。
右;亀山宿。
左;左奥に見える白い建物は広重の絵に出てくる城壁の門らしいが・・・。
右;亀山は城下町なので道が曲がっている。
東海道で一番丁寧に街を遺している関宿。写真のアングルをちょっと変えたら似てない?
左;銀行もがんばっている。右;消火栓もガンバっている
「宮」→「桑名」間当時は船で渡っていたが、現在渡し船はないので近鉄名古屋線にお世話になった。歩くルートを使うと2日くらいかかるらしい。
桑名から四日市付近には、聞いたことのない鉄道や近鉄のローカル線があるのでちょっと乗りたくなってしまう。三岐鉄道、近鉄内部線など通常の狭軌と言われるものよりさらに線路幅が狭く、したがって車両もとても小さい。
ここで暑さ対策のおさらい
①本日も6時にホテルをチェックアウト、
②日焼け止めクリームを、顔、うなじ、手、脚(半ズボンなので)にしっかり塗る。2時間程度で塗りなおす。
③つばの大きめな帽子、UVカット機能の付いた長そでのシャツ
④こまめな水分補給
当たり前であるが、12時ごろから路面も熱を持って一挙に暑さが効いてくる。
四日市から石薬師ににかけての街道は、鈴鹿川添いを走るJR関西線から離れて山側を通っている。これまでの街道歩きの経験から言うと、川のそばに街道を作ると雨期に水に浸かってしまうからであろう。鈴鹿峠付近以外ではほぼ旧東海道に沿って走るJR西日本関西線(名古屋⇔草津)がこんなに本数が少ないとは思っていなかった。
この日は、近鉄内部線追分駅付近まで歩き、JR関西線南四日市駅から亀山に向かう。
東海道とは関係ないが名古屋のお気に入り、モード学園のスパイラルビルとナナコちゃん。
この通路のアーチも最近は見ないような気がする。
左;四日市付近の強い風をイメージする絵。
名古屋でも生活をしたが、この辺りは鈴鹿おろしと言われる強い風(特に冬)が吹く。
右;左の絵の看板が立っている横の川。ここが絵の舞台となった場所と勝手に決めてここに載せる。
左;東海道の上をまたぐ三岐鉄道を走る貨車。
三重と岐阜をつなぐ鉄道のはずだが、終点は三重県内の藤原。
右;三重県内には松並木は残っていない。それらしい景色であるが、これは桜の木?
近鉄四日市近くのアーケード街になっている東海道。東海道でここだけ。
今回も旅のレポートは札幌に戻ってからになってしまった。写真を取り込む器具を家に忘れて行ったのである。
池鯉鮒を6月14日にスタート、現在は知立(ちりゅう)市となっている。ここから鳴海の手前までは、国道一号線の歩道を歩く区間が多くてつまらない。鳴海宿の手前の有松地区は、絞り染めで有名なところらしい。江戸の街並みを残していてちょうどボランティアのガイドが何組か街道を案内していた。近頃はこのボランティアに目が行ってしまう。
通り沿いにある染め物の体験館で見つけた絞り染めのアロハシャツは、なんと驚きの15,000円越えだったのでさっさとあきらめた。
有松付近から鳴海宿辺りは、なだらかに上ったり下ったり曲がったりと街道歩きを楽しめる。ただ、この後「宮」までひたすら歩くだけである。
この日の最高気温が31℃と予報されていたので、早朝6時にホテルを出発した。本日の目的地宮宿には午後1時ごろ着いたが、気温33℃に上がってちょっと熱中症が危なかった。
有松の街並み、旅人が歩いている。右の広重の浮世絵の感じが出ていると満足。
左;ちょっと見ずらいが、左にある「ありまつ」ののれんも絞り染め。
街道中の軒先にかかっている。
右;マンホールは、有松絞りをイメージしたデザインとなっている。
左;笠寺の一里塚跡。
右;宮の渡し跡。
現在の国道1号線にもいくつもの渡しがあったことが分かる地名が残っている