100日後に英語ができるようになる僕(32日目) (original) (raw)

ブログ上には本日付の記事が2つある。

実は「31日目」の投稿直前に日付が変わってしまったのだ。 まだ22時台だろうと思って油断していたら、いつの間にか2時間ほどワープしてしまっていたようである。

されはさておき、本日の英文。

A mysterious octopus-like creature whose nickname is a play on the words “koro senai,” which means “can't be killed.”

タコのような謎の生物 / 彼のニックネームは“koro senai”をもじっている / それは「殺せない」という意味を持つ

もうちょい意訳すると『“殺せない”をもじったニックネームを持つ、タコのような謎の生物』という感じで、これ一つがとんでもなく長い名詞のカタマリである。 そういう意味で、これは文ではない(構造上の主語 + 述語動詞という文の定義を満たさないため)。

おそらく敢えて、文章のつかみの部分で 「殺せんせーってどんな人なのかなー」を一言で説明するとしたら、こう! という小見出しみたいな効果を狙ったのではないかと思う。

ちなみに上記に対して構造上の主語と述語動詞を補うと「**Koro sensei is a mysterious octopus-like creature...**」というSVCの文になる。

読み進めると、関係形容詞 whose と、関係代名詞の非制限用法が用いられている。

whose は、学校では関係代名詞の所有格と習うこともある。 慣れるまで混乱しやすいが、関係詞 whose は関係詞節の内側で名詞 nickname を修飾する働きの形容詞として振る舞っているので、関係形容詞と呼ばれる。

「関係代名詞」「関係形容詞」「関係副詞」は、いずれも『形容詞節』を作る(厳密には、「関係詞のwhat」「関係詞-ever」「先行詞が省略された関係副詞」は名詞節を作る)。

そして、形容詞節そのものは名詞修飾の働きしかしない(補語にはならない)ので、一部の例外を除いて、関係代名詞だろうが関係副詞だろうが、関係詞節は形容詞節で外の働きは名詞修飾と考える(関係代名詞か関係形容詞か関係副詞かで違いが出るのは、あくまで内外断絶された内側の話である)。

本文に戻ろう。

関係詞節 whose nickname is 〜 文末 までのカタマリは、形容詞として、先行詞である creature後ろから修飾している。

一方、関係詞 whose は、関係詞節の中で名詞 nickname前から修飾している。

このとき、関係詞節の外側にある creature と、内側にある whose には、構造上何の関係もない。 これを内外断絶の原則という。

a play on the words で、不定冠詞 a が出てくるので、play は動詞ではなく名詞である(a play on the wordsで「言葉遊び」)。

この文にはもう一つ、関係代名詞が出てくる。

“koro senai,” which means “can't be killed.”

これは関係代名詞の非制限用法と呼ばれるものである。

非制限用法は、先行詞の範囲を制限しない、ただ単に説明を付け加えるだけの用法である。

ここでは、「koro senai」という言葉の意味を狭めるのではなく、ただ関係詞節で「これは日本語で『殺せない』という意味なんですよ」と説明を付け加えているだけと解釈できる。

一方、通常の制限用法の場合、「先行詞だけだといろいろあるけど、そこから絞り込むとしたら関係形容詞が説明するような先行詞だよ」 ── という感じで、先行詞の範囲を狭まるニュアンスが加わる。

制限用法と非制限用法は訳し分けることが難しい。

He is capable of flying at Mach 20 and his versatile tentacles protect him from attacks and aid him in everyday activities.

彼はマッハ20で飛ぶことができ、なんでもできる触手を使って攻撃を防いだり彼の日常の活動を助けたりする。

これは3つの文が等位接続詞で繋がっている。 後ろ2つの文は主語が tentacles に変わっている。複数形なので述語動詞 aid に三単現のsがついていない。

これはめちゃくちゃ余談だが、2000年代に「DVD」というビデオの規格が流行った。 当初、DVDはDigital Video Discの略称とされたが、のちにDigital Versatile Discの略であると定められた。

さしずめ「デジタル多用途ディスク」といったところである。

脱線ついでに話すが、わざわざ「デジタル」とついているのは、DVD以前に流通していた「レーザーディスク」というビデオディスクはアナログ方式だったからである。

閑話休題

Nobody knows why he wants to teach Class 3-E, but he has proven to be an extremely capable teacher.

彼がなぜ3年E組の担任を望むのか誰も知らないが、彼が非常に優秀な教師であることは証明されている。

これも2つの文が等位接続詞 butで結ばれている。

まず前半は、間接疑問文が使われている。 疑問詞の後ろが普通の文の語順になっていて、ひとかたまりで「なぜ彼が3年E組を教えたがっているのか(ということ)」という名詞節を作っている。

それは確かにそうで、どのみち地球を壊すならば先生にならず、子供たちに過酷な暗殺訓練も強いることなく時が満ちるのをただ待てばよいだけで、なぜそんな無駄にも思えることをするのか ── というのが、この物語の謎でもある。

後半は単なる現在完了なので解説は不要だろう。 一点だけ述べるなら、「過去に一度証明された(でも今は無能かもしれない)」ではなく、「過去に証明された(そして今も有能である)」というニュアンスのために現在完了が使われている。

この文は、「誰も知らないこと」と「誰もが分かっていること」の対比を、but でうまく繋いでいる。