気まぐれ感想文 (original) (raw)
「オードリー」における椿屋とは
2024年 08月 11日
アメリカのプロデューサー(美月いとこ)と組んで大京映画復活か?といったところまで見たけど、今回はそれより少し前のエピソード、お母ちゃまが結婚して美月が椿屋の女将になった辺りについて。
お母ちゃまの過去やパパがどういう経緯で日本に帰ってきたのかが明らかになって、ママが空襲で家族を亡くしたことも含めて、改めて「両親は戦争によって人生を歪められた若者だった」という事実がドラマで描かれました。
かつて傷ついた親が今現在傷を癒そうとすることをそんな子供がどうして止めることができるのか。
美月は多少文句を言ったって親の判断を受け入れるしか出来ないです。
平和に生活してても戦争の影がこんな形で存在してたのかあって感じです。
社会の平和と心の傷は別の流れを持っているってことのようです。
椿屋の女将になったら美月がお母ちゃまに似てきたというのがすごくて、あれだけお母ちゃまの影響を受けて育ってきてるからそうなるのはわかるとしても、印象的なのは周りの皆がその変化をものすごくイヤなものとして見てることですね。
しかもその変化は美月だけじゃない、うどん屋の主人のおかげでお母ちゃまもかつてそうだったとわかって、椿屋は格の高い旅館という触れ込みだけど、その女将になることが人間性を悪くすることだというなら、ここにきて「一体椿屋とはなんなのだ?」になるのですよ。
お母ちゃまに愛する人を捨てさせ、ママを不幸にし、美月の人生を縛る椿屋とは一体何?
戦後から高度成長期という時代を背景にしたドラマにおいて椿屋は一体何を象徴しているのだ?
ということで、色々つらつら考えていたわけですが、うーん、まあ、椿屋は変わり続ける社会とは違う価値観の象徴なんでしょう。
変わり続ける代表は隆盛と衰退の激しかった映画会社で、椿屋は過去からずっと変わらないままでいるもの。実際価値もそこにある。
でも、明治創業か江戸時代に創業かわからないけど、その価値とは当時のままであるってこと。
それを戦後になってさえ自分の感情殺して守ったのはお母ちゃまだけど、今から振り返れば価値観の揺らいだ戦後だったからこそ変わらなかった椿屋は価値を上げたのかなあ。
でもいよいよ美月の代になってそれはそぐわなくなってきた。
周囲の人間も美月自身も今の在り方が違和感だらけになってます。
個人の犠牲の上にあるというのが絶対的にダメなんですよねえ。
女将が犠牲を払って作り上げた世界を利用するのは社会的成功を収めた男性客がほとんど。
戦後価値観が変わっていく流れの中でここが象徴するものはなかなかに気持ち悪いものがあります。
一見バリバリ働く女性、自立した女性のように見える女将業、でもそれが大きな犠牲の上に成り立ってるというのが「オードリー」が描いている当時の一つの女性像。
……結局言ってることは戦後も女性は大変生きにくかった、自分らしく生きることをまだまだ望める時代ではなかった、ってことなのかな。
逆に男性陣はこういう面ではいろいろと甘やかされてるなあと見ていて思う。
ただ、パパは二つの国の間で大変だったのは間違いない。
椿屋はそんなパパとママを救って、同時になんかよくわからないものに縛り付けた。
戦争の影響は目に見えない形で平和な時代の子供にも及んで、ジュリーの「勝手にしやがれ」が流行ってる時代にさえ自由に生きれない。
変になってる筆頭は美月だけど、この子はいつか解放される時が来るのかねえ。
とりあえず椿屋から離れることは必要だと思うけど、実家に愛着を持つこと自体は仕方ないし、一体どうなるんですかねえ。
ドラマ自体はまだ全然追い付けてないし、頑張って早めに続き見よう。
本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。
by teri-kan
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