おきく's第3波フェミニズム (original) (raw)

セックス・ワーク論と結婚制度

やっとたまっていた仕事が終わった。ここ数年間は、博論前後にためた仕事の整理をしていたと思う、振り返れば。
博論というのは大きな仕事だなと改めて思う。成果の発表まで含めて、それが終わらないと新しいテーマにいけない。でも博論って自分だけのペースで進められるものではなく、指導教官や発表先と交渉しながらやるものだから、ぽっかり空いた時間ができるときもあって、そんなときに新しいやりたいことに取りかかっても途中でそれを止めて博論のほうにもどらないといけなくなったりする。
そういう中途半端な状態に一区切りついてほんとに嬉しい。がまんした感じだ。
がまんした自分にごほうび、みたいなことをしてもいいんだけどもうすぐ新学期。授業の準備できてない・・まあいいか。

というわけで昨日まではセックス・ワーク論を書いていた。これもずいぶん前にがーっと書いたものの修正。書いたのが数年前で、時間をおいて読み直したらなんだこりゃ?という感じで訳が分らない。。女性・戦争・人権学会で発表したもので、そのときは嬉しい反応ばかりでいい思い出のものなんだけど、読み返すと恥。。。で、ひたすら書き直していた。
セックス・ワークと結婚制度について書いたものだが、文章をこねていたら、やっぱり結婚制度って制度だよなという気持ちになってきた。誰しも男女で対をつくっていっしょに生きて幸せになる、それが普通で自然、というイデオロギーの制度。この考えから完全に自由な人はなかなかいないだろう。だが現実には、「不倫」って聞いてみるとあちこちでありふれていて、驚くほど。シングルも増えているし、シェアハウスも流行っているらしい。何しろ普通に夫婦をやっているひとびとでも、ほんとうにいわゆる「愛し合って」いるかどうかは難しいところだろう。
にもかかわらず結婚が当たり前、になっていたり、結婚願望はない人でもカップル幻想はあったりする。
そういう頭の中が、セックス・ワーク論を書いていたらちょっと突き放せた感じがする。
そういう思いこみから自由になったらどうなるんだろう。ひとりでいても寂しいと感じることがなくなったりするのかな?それともそれは別のことなんだろうか。

by anti-phallus | 2010-04-01 18:44 | つれづれ

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