おきく's第3波フェミニズム (original) (raw)

コメントいただきました。

前のエントリ「母の日かriot grrrlか」に対して、コメントをいただきました。
設定の条件上、長いとはじかれてしまうようなので、こちらでアップさせていただきます。(了解はいただいています。)
Makibooさん、ありがとうございました!

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私も母親ではないし今後も母親になる可能性は非常に低い立場にいる者です。原発の問題で、子ども達の安全が叫ばれる中、私もやはり同じような思いを抱いていました。

それぞれの立場から、感情や考えを表していくことは必要。けれど、「母親」で集約されることで、「非母親」は発言することに気後れしてしまう。いくら自分の周囲の子ども達を守りたいと思っても。「母親ではない」というそれだけの理由で発言することに対して抑止力がかかる状態は、よいと思えません。

もう一つ。避難の緊急性において、子どもと妊婦の命こそ優先させるべきというコメントが多く飛び交いましたが、それが当然のこととして受け止められる、あるいは、受け止められなければならない空気ができていることにも、立ち止まって考えたいと思います。

人の命の重みは余命で計られるべきでしょうか。「子どもと妊婦を優先すべき」ということを、福島の被災地で動けない状態にいる年配の人達が聞いたらどのように思うでしょうか。おそらく大半の人は、その通りだと頷くでしょう。しかしそれは、なんだかあまりにも切なく、つらい。

そして、「女」「子ども」が、未だに、こうもたやすくひとくくりにされてしまうことにも注意を向けたいと思います。なぜ、「女」と「子ども」なのか。障がい者や、高齢者ではなく。(もしも、社会的弱者、という枠組みでそれを言うのだとすれば。あるいは、じゃなかなったとすれば、何?という話)。

まるで「子ども」が「未来」のすべてを担うかのごとく、美しく、そして、少し押し付けがましく語り、その「未来」を担う労働力を産み、育てるのは「女」だという、“古きよきストーリー”を私達は今こそ解体しなければならない。よりよき「未来」のために。そして「今」を生きる、すべての人々のために。

(長くなってすみません。はじめまして。また投稿楽しみにしています)

by anti-phallus | 2011-05-10 21:53 | その他

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