おきく's第3波フェミニズム (original) (raw)

朝日新聞・女子力コメント

朝日新聞の取材を受け、コメントを載せていただきました(2月19日付)。

このブログでも何度か取り上げている「女子力」についての記事です。このシリーズ、今日(3/8)のウイメンズ・デーを目標とする「Dear Girlsシリーズ企画」にも続いています。

朝日の女性記者の方々が海外のメディアでは大きく取り上げられるウイメンズ・デーについて日本のマスコミが取り上げていないのはおかしいということで始められたそうで、その動機はとても重要なものだと思います。しかも切り口も、女子力という、若い世代にはもう日常語となっているにもかかわらず他の世代では気づいていない言葉から考えようとしていて、その意味でも貴重です。マスコミは男性社会であるというのは以前からいわれている定説で、このような企画が立ち上がるのも遅すぎたくらいです。

ただ、女子力シリーズは一つの言葉をめぐって読者参加も含め多面的に取り上げていて面白かったのに比べて、Dear Girlsシリーズはやや総花的というか、ちょっと盛り込みすぎてなんだかよくわからなくなってしまっているような気もします。まあ何度もここで取り上げているように、女性・ジェンダーをめぐる状況が混沌としていて、フェミニズム内でも議論や対立が先鋭化している背景があるので、ある意味仕方ないのかも。

しかしウイメンズ・デーというなら、twitterでもつぶやいたんですが、男女の賃金格差の報道が歪んでいるのを直して、そういった正確なデータや現象をきちんと取り上げて、「社会問題」としてのジェンダーを読者に提起するような記事がいつかできないものか・・・・「女の子、がんばって」みたいなのはポスト・フェミニズムの1ヴァージョンに過ぎないのに・・・。(女の子はもうがんばらなくていいのです・・すでにオヤジ社会の中で頑張って頑張らされてるんだから・・)

というため息はおいといて、コメントでは、「女子力」という言葉の孕む社会的背景、構造に目を向けてもらうように努力しました。新自由主義、という「ヘタレサヨク」言葉を載せてもらったのも良かったと思います。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「女子力」という一つの言葉にこだわって、その成り立ちと移り変わり、まつわる思いなどについて考えてきました。多くの女性がこの言葉に感じる「呪縛」をほどくにはどうすればいいのか。アンケートに寄せられた声と、識者の見方を紹介します。女性記者たちの呼びかけに応じて、取材に参加した男性記者2人がいま考えることを、最後に。

女子力に関する論文を書いた、名古屋市立大学人文社会学部の菊地夏野准教授(ジェンダー論)に、この言葉から見えてくる社会のありようについて聞きました。

女子力という言葉は、古さと新しさの両方をはらんでいます。

日本でも女性が社会進出し、男女平等な社会にだいぶ近づいたというイメージを多くの人が抱いている一方、この言葉の使われ方を見ると、決して平等になってはいない。社会進出と言っても、実態は家事や育児、見た目の可愛さや気遣いなど、これまで通りの負担を課されたまま、男性中心の長時間労働の場に組み込まれたに過ぎません。

女性に課される重圧に苦しめられたひとりが、電通社員の高橋まつりさんだったと思います。長時間労働の末、自死し、労災認定されましたが、亡くなる数日前、男性上司から「女子力がない」と指摘されたことなどをツイッターに書き込んでいました。エリートの男性並みに働く女性ですら、一方で女子力をも求められる。

以前から使われていた「女らしさ」は、女性であれば自然にもつとされる性質を表します。一方、女子力は昔ながらの女性の役割を内包しながら、それを能力として「高い」「低い」と計量化し、本人が自発的に努力して身につけ、ランクアップさせるべきものという、新しい価値評価を持ちこんでいます。そこには「能力」「競争」という、ここ十数年で広がった新自由主義的な価値観が反映しています。

若い世代に専業主婦願望が広がっていることなどからうかがえるように、女子力の意味するものを肯定する動きも見られます。雇用や社会保障の制度が揺らぐなかで、女子力が示す女性の役割に、さらによって立つことで、不安定化する社会を生き延びようとする若い世代の姿が見えてきます。それ以外のサバイバルの方法が見いだしにくいからです。

現在の日本社会の様々な矛盾を、女子力の頑張りという形で女性に転嫁し、覆い隠そうとしている。女子力という言葉が果たしている機能は、そこにあるように見えます。(聞き手・錦光山雅子)

by anti-phallus | 2017-03-08 13:39 | 仕事

ファン申請