#1 あだ名について (original) (raw)
「まーちん」というあだ名
数年前、前田さんと一緒に居酒屋に行った。彼馴染みの居酒屋で、彼は「まーちん」と呼ばれていた。前田の「ま」を「まー」と可愛く伸ばし、「なまえ+ちん」というあだ名のオーソドックススタイルで、「まーちん」ということのなのだろう。あだなという点ではどちらかというと「まぁちん」かもしれない。しかし、自分には違って聞こえている。
私は哲学や心理学、その延長で宗教などにも関心がある。前田さんの分析をするようになってから、参考文献として以前よりさらにそうしたジャンルの書籍を読むようになった。このバックグラウンドから、「まーちん」というより「マーチン」、「マーチン」というより「マーティン」に聞こえてくる。マーティンとはつまり、キリスト教の聖人、聖マルティノ司祭(Saint Martino)を意味している。
聖マルチノ(ツール)司教
聖マルチノ司祭
ある大雪の日に、凍えている貧者に出会い、着ていたマントを二つに裂き与えた。その夜、切れたマントをまとったイエスが夢に現れ「あなたがマントを与えた男こそ、この私である」と言われたという。
ヨーロッパでは、彼は親しまれているため、人の名前をはじめ教会、学校などにマルティン、マルタン、マルティーノというように、その名をつけたものが多い。
出典:
私が前田さんを尊敬してやまない理由の第一に、彼の人格がある。いかなるときでも心の平静を保ち、たとえ崩れそうになってもそれを保つ姿勢を持ち続ける彼の強靭な精神を深く尊敬している。彼はその人格により、自身がどれほど苦境にあってもいつも建設的な姿勢で、穏やかに振る舞ってくれる。そうした彼のもとには私をはじめ、多くの人が愚痴や相談を聞いてもらいたがっており、その姿はさながらキリスト教の聖職者のようと表現しても過言ではないだろう。はからずも、彼の精神性はあだ名にまで反映されているのである。
いつの日か、前田さんと働く日がやってきたとき、自分は接客かものづくりをやりたいと思っている。芸術に関心があり、ものづくりを目指すものとして、また「マーチン」を師匠とするものとしては、来るべき日のために「セントラル・セント・マーチンズ」を目指してみようかと考えるなどしている。