郷土史の方が古地図を見て感じる恐怖「来歴が明らかにやばいとこにたくさん建売住宅が建って街になってくの、ほんとこわい…」 (original) (raw)

りおん @Rionn_unosarara

郷土史やってると、古地図を見る機会も多く、「ここは沼地だったのか」「ここには池があったのか」「ここの川って付け替えたんだ」ということが解るんですが、そういう来歴が明らかにやばい(大概田んぼになってる)とこにたくさん建て売り住宅が建って街になってくの、ほんとこわい…

りおん @Rionn_unosarara

冗談抜きに、古墳潰して道路だの住宅地だのになったとこ、いっぱいあるし、古代は現代より海水面が高かったので、当時以上に高台になってるから、水害に対しては強いと思う。液状化の心配も少ないし。

りおん @Rionn_unosarara

昔の地名人名は、音で覚えているところに、字をあとから当てはめた場合が多く、通じれば誤字なんてそうこだわらなかった。偉い人の発給文書とか、偉い人に提出した地図とかに記載された地名が残ってく感じ。

りおん @Rionn_unosarara

人名になるけど、家忠日記に登場する本多家の皆様は、忠勝系も正信系もそうじゃないのも含めて一括して『本田』記載だけど、たぶん、書いた側も書かれた側も気にしてしてない

りおん @Rionn_unosarara

明治の大合併、大正の大合併と称される、村単位の管理から市町村単位の自治体が出来ていく過程で、地名も、元の村名から一文字ずつ取る合成地名がさらに合成されて、そもそもの地名が残らなかったという過程もあり、意図せず元の地名の意味が消えた場合も多いのです。その過程を知るのも郷土史です

地名からわかること

りおん @Rionn_unosarara

「総社」というのは、律令制の決まりで、国府に赴任してきた国司が、国内の神様に順番に挨拶に行く…という手間を省く(全部回ってたら仕事にならないので)ために、国府のすぐ近くに全てのお宮さんを合祀した管制の神社で、「総社」が地名に残るというのは、そこが吉備国の中心だったということです

りおん @Rionn_unosarara

全国に残る『国府』(国衙があった場所。現在の県庁所在地のイメージ)『一宮』(国司がお参りする一番目の神社。国府付近のことが多い)なんかも、そのエリアの古代政治的中心地を指すことが多いです。『国分寺』や、かなり後の時代の『安国寺』もそうですね。

りおん @Rionn_unosarara

郷土史学ぶと危険箇所が解るって話、「じゃあ安全な場所は解るの?」と聞かれた。安全とは限らないけど、古墳周辺なら1000年前から人が住んでた高台だからいいんじゃないかなぁ…。

地名の由来について