1970年代~1980年代に傷痍軍人の人を見かけた人は教えて欲しいというオカルト研究者・吉田悠軌さんの呼びかけに全国から声が寄せられる (original) (raw)

門賀美央子 @mongamioko

70年代半ばにもまだ街場に傷痍軍人がいたのを記憶している。 天王寺の大きな歩道橋の上でずっと平伏して物乞いをしていた。 「あの人、何してるん?」と尋ねた時の、祖母の複雑な表情は今も忘れられない。 <RT

竹熊健太郎《Aタイプ》 @kentaro666

いろいろな人から「70年代末まで普通に見かけた」というご意見をいただきました。私、70年代は神奈川県と千葉県に住んでいましたので、さすがに見かける機会がありませんでした。80年代から東京にいましたが、ホームレスは見ましたが、傷痍軍人は見た記憶がありません。

吉田悠軌 @yoshidakaityou

傷痍軍人の方たち、上野駅もしくは新宿駅には1980年代までいたと思うんだよなあ。そっちが団体活動として、フリーの個人活動(?)としては各地にもチラホラいたとかいう逸話を聞くし。 1970年代後半〜1980年代(もしくはもっと後の時代でも)に、傷痍軍人の方々を見かけた人いらっしゃいますか?

吉田悠軌 @yoshidakaityou

70年代後半〜は、街頭の傷痍軍人は確実にフリー(色んな意味で)の人しかいなくなった、て事かな?もしくは大島渚『忘れられた皇軍』みたいなケースとか? とはいえ、募金活動してない人達(ただ街中で生活している、もしくは何らかの主張で立っている)まで含めたら、また別の目撃談はありえるよね。

吉田悠軌 @yoshidakaityou

皆様の証言ありがとうございます。その前の年代については植野 真澄さんのこのあたりの論文が参考になると思うので読んでおきます(特に一つ目)。 ・白衣募金者一掃運動に見る傷痍軍人の戦後 ・「傷痍軍人」をめぐる研究状況と現在 ・「白衣募金者」とは誰か: 厚生省全国実態調査に見る傷痍軍人の戦後

吉田悠軌 @yoshidakaityou

ただ私個人としては、(おそらくこれら論文で扱われている)公的に認められた傷痍軍人さんたちとはまた別の、1970年代後半~2000年代(下手したら現在)に目撃された「いるはずがない傷痍軍人」の方に強い興味があったりもします。

吉田悠軌 @yoshidakaityou

「公的に認められた」が曖昧だった。これは「軍人恩給の認定・不認定」や「個々人の戦傷が本当かどうか」ではなく、まだ世間一般が「まあ、傷痍軍人はいるよね。本物かどうかはともかく」と認識してた時代をとっくに過ぎた後に、まだ街頭や縁日にいる人々。物理的にありえないのに、でもいる人達です。

吉田悠軌 @yoshidakaityou

「傷痍軍人がいつまでいたか」アンケートは、「兵士型カシマさん」の検証のために始めたけど、期せずして90年代後半から始まった日本社会全体の「衛生化」を浮き彫りにしている感じ。まあ戦争が遠くなったこととは別に、この「衛生化」もまた、兵士型カシマさんが90年代後半で消滅した理由なのだろう。

吉田悠軌 @yoshidakaityou

あと、傷痍軍人と縁日との相性の良さも意外だった。傷痍軍人に詳しい人からしたら常識なのだろうけど。テキ屋さんとの関係性とか、どの本や論文を見ればわかるのかなあ?

吉田悠軌 @yoshidakaityou

1970年代後半以降(〜現在まで)の傷痍軍人さんの目撃例、たった半日で約五十例も集まりました!ありがとうございます!引き続きお教えいただければ幸いです。 これだけでも各地の地域性、どのような寺社の縁日に多いかなどの傾向が見えて面白いです。 ちゃんと項目分けてExcelにまとめておかないと……

以下、様々な地域の傷痍軍人の証言

東京

エス @mehaemerald

@yoshidakaityou こんにちは 子どもの頃に新宿伊勢丹の横で、軍服を着ている両手の無い方がお金を入れる缶を置いて座っているのを何度か見たことがあります。 いつ頃かはっきりとは分からないのですが、小学生だったので80年代後半から90年代前半の間だと思います。