平安貴族が騎乗してた「シマウマ」(島馬)とは何か?古代日本の馬は島などの低湿地で飼育され、島伝いに沖縄まで「島の牧」が伝わってたことが分かった (original) (raw)

ちょっとした話題【1】
平安~江戸時代まで、京都を中心とした美の感覚では「渡来系弥生人」の顔付きが優雅で好ましいとされたが、鎌倉武士にはちょっと違った特徴があった。欧米文化が流入した近現代になると彫(ほ)りが深い「縄文顔」が「格好良い顔」として見直された話も興味深い。

ちょっとした話題【2】
世界中のすべての「馬」は、紀元前3500年の前後にユーラシア西方の草原地帯で飼育された、たった1頭のオス馬の子孫だとされ、4世紀以前の日本に伝わった馬もモンゴル高原を経由して遠い世界との交流でもたらされたものでした。

ちょっとした話題【3】
壬申の乱を起こした天武天皇は関ヶ原付近に集結し、主力は近江国を根拠地とする近江朝廷軍と対峙しつつ、伊賀を経由して騎兵一千を急行させ、大倭(やまと)国の倭京(飛鳥京)で蜂起した友軍(孤立してる)を救おうとしてました。

マンガ「へうげもの」で「縞模様の布はフィリピンの呂宋(ルソン)島から輸入したもの、という記述があった」そうです。

「シマ(島)」がストライプ柄を表すことになったので、ストライプ柄の商品で商売してくときに。「高級だったり上品質な織物を指す言葉」として「縞」(こう)という漢字が選ばれ、「縞(しま)」という言葉が定着したことになりそうです。