哲学者の千葉雅也氏、サイゼリヤのメニューが番号で管理されていることに対して、その非人間性(?)を問題視するツイートをするも、表現があいまいで主張の詳細が不明のため、ツッコミや「それの何が悪いんですか?」といったレスポンスを多数受ける (original) (raw)
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba
サイゼリヤに来たら、番号を記入した紙を渡す形式になっていた。ライス大盛りに一つの記号列が割り当てられている。ひどいと思った。世界は本当に寂しいところになった。これでいいと本気で思っているんですか、本当のところはどうなんですか、と叫びたくなった。
千葉雅也 Masaya Chiba @masayachiba
QRコードでメニューを出してスマホで注文する形になったお店、ついに折れて、それで注文するようにした。紙のメニューにないものもそちらにあるから。確かにラクである。一切コミュニケーションなしの居酒屋。どうも、と、お会計お願いします、しか言わないことにした。ざまあみろと思いながら。
これに対して好意的に読み取り、以下のようにコメントをする人たちが現れる。
千葉さん(千葉雅也)の言う現サイゼリヤへの違和感めちゃめちゃわかるなあ。紙に番号を書く注文、プラスチック製グラスのビールというシステム側のロジックでの最適化。
システムは人間のためにあるべきなのに、人間がシステムを維持することに取り込まれていることへの違和感。そりゃその「システムの維持」だって人間のためにはあるけど、その転倒を見逃すわけにはいかないだろう。
哲学者や賢者は、人間と機械の関係性の転倒を見逃さないが、システムの維持のために生きている凡人にはわからないのだろう…
千葉雅也さんの言う食事の際に番号で注文することへの違和感は分かる気がする。単に「注文=情報の伝達」と考える限りでは「番号で良いじゃん」「むしろそっちの方が良い」「効率的」っていうことになるんだろうけど、でもそれって注文という行為がプラグマティックになり過ぎてない?ということでは。
その一方で、「では○○の場合は?」と吹っかける人たちが出現した。