その時、ド・ゴールは憲法を跳び越えた~「国民の声」で憲法に対峙したフランスの例(井上武史氏の論考を中心に) (original) (raw)

α @snjiru7

@inotake77 橋本基弘氏が「憲法は、立憲主義の考え方を実現するルール」といくら言ってみても、井上武史憲法学によればしょせん「立憲主義」概念は憲法の性質を判定する概念にすぎず、為政者が憲法を無視して政治を行うのは単なる憲法違反であって、立憲主義とはなんの関係もない。

井上武史 Takeshi INOUE @inotake77

憲法改正のハードルは統治者が頑張れば乗り越えられるくらいに設定するのが合理的な仕組みだと思います。ハードルがあまりに高ければ迂回されるか、最悪の場合は権力によってハードル自体が壊されるでしょう。1962年にドゴールがやったのは後者。権力とはそういうもの、という認識も必要でしょう。

井上武史 Takeshi INOUE @inotake77

その意味で、事の良し悪しは別とすれば、政府が憲法改正でなく、内閣法制局長官人事への介入、閣議決定、法律制定というプロセスを選択した主たる原因は、2013年の96条先行改正論の頓挫に求められるでしょう。今回の手法は少なくとも統治者にとっては目的達成のための合理的な選択ではあります。

井上武史 Takeshi INOUE @inotake77

統治者としては法律を通すだけでこれだけの政治的資源を消費しなければならないのに、それよりはるかにハードルの高い憲法改正を政策実現のための手段として選択することは、最高裁の違憲判決を乗り越えるためなどの事情がない限り考えにくいでしょう。繰り返しますがこれは良し悪しの問題とは別です。

井上武史 Takeshi INOUE @inotake77

統治者の行為を批判・非難することももちろん大事ですが、われわれの憲法が良い統治システムを備えているかどうかを不断に検証することも憲法学者の役割だと思います。立憲主義はその一つの指標ですが、最近では統治の合理性や迅速性なども課題であるように思います。

「1962年のド・ゴール」

井上武史 Takeshi INOUE @inotake77

④なお改正案つき、コンセイユ・デタは事前審査にて憲法違反のおそれがあるとの意見を付しましたが、政権に無視されたことが伝えられています。対抗措置としてコンセイユ・デタが秘密のはずの意見をマスメディアにリークしたため国会で政治問題化し、ドゴールの怒りを買ったとも言われています。

井上武史 Takeshi INOUE @inotake77

⑤長い伝統をもち一定の独立性や身分保障があるコンセイユ・デタでも政権に袖にされるのですから、あとは言わなくても推し量るべきでしょう。なおコンセイユ・デタがたいていの憲法改正案に否定的な評価を下していたことについては、「憲法院とコンセイユ・デタ」法律時報をご覧ください(宣伝)。

玉井克哉(Katsuya TAMAI) @tamai1961

ただ、そうやって概念を拡げてしまうと、「既にクーデターによって憲法が改変されたのだから、憲法学の対象は、その改変後の憲法だ。『八月革命』後の憲法学が根本的に変わったのと同様、クーデター前の憲法は、単なる憲法史の対象に過ぎない」となりかねない。非常に危険な議論だと思っている。