スプレー落書きの残酷な掟 (original) (raw)
スプレー落書き。バンクシーが壁に描いてる絵ですね。もっとも大抵の野良バンクシーは「消えてくんないかなー」と思われています。
20世紀、桜木町駅から高島町駅に至るJRの高架下はスプレー落書きの聖地でした。昼間でも歩きたくないくらいの治安です。
高架下で平面なコンクリの壁が続いていること、柱が等間隔でキャンバスにちょうどいいこと、人があんまり住んでないので文句を言われにくいこと、繁華街から近いことなど。
いくつもの要因が重なって落書きまみれになってたようです。
わたしが桜木町に行くとき、横浜からバスを使います。その時落書きが窓から見えます。桜木町の落書きは地元でも上手いやつが集まってたみたいで、下手くそはいませんでした。
そしてしばらくすると絵が変わります。彼ら落書きアーティストにも暗黙の了解があるらしくて、下手くその絵から塗りつぶされて新しい絵が描かれてました。
わりと残酷なシステムです。
なんせ当時は保存手段と言ったらフィルムカメラしかありません。完成したとして、残す手段は真っ暗な夜の中、こっそりカメラで撮るしかないでしょう。そしてフィルムカメラというのは扱いがとてもめんどうでした。
家族写真でお父さんが写真を撮ると、うまく写ってなくてケンカになるとかあるあるです。なので運動会や修学旅行、学校行事にはスクールカメラマンという人たちが必要でした。
素人が頑張ってカメラで撮るより、カメラマンの写真を買ったほうがよっぽどマシだったからです。
話は戻して、完成した落書きアートを写真にとっても、そこから現像代やフィルム代を考えると千円くらいかかります。そして当時、落書きアートに使うペンキはいい値段がしたと思います。
なんせ百均とかディスカウントショップとかなかった時代です。なんでもお金がかかりました。
たぶん、写真代に使うならペンキ代に費やしてたんじゃないでしょうか。
そして21世紀ごろになるまで桜木町の落書き文化は続いていました。
なにがすごいって、96年あたりにはエヴァンゲリオンの綾波レイが描かれてました。それまでオタク文化はスプレー落書き文化圏から見下されるというか、搾取される側でしたので、見たときには目が飛び出すかと思ったくらいです。
しかもめちゃくちゃ上手い。手慣れてる感がありました。今思うと、映画の看板を描いてる人とかが手掛けたんじゃないでしょうか。まだ映画の看板を手で描いてたこともある時代です。
わたしは学園祭の看板で大きいキャラを描いたことがありますが、広い面積に絵を描くのは、普通の絵とはまた違うスキルが必要です。
ただ、せっかくの綾波でしたがすぐ消えるだろうと思ってました。なんせ当時オタク文化ときたら、叩いても文句を言われないサンドバッグよりややましくらいの扱いです。
ところが綾波は半年くらい消されませんでした。
その後、21世紀に入ると警察の手が入って、落書き自体が消えました。
あの綾波は落書き文化の最後の光だったかもしれません。