老々介護 (original) (raw)

老々介護

私の母親は89歳で亡くなっています。今から8年前のことです。晩年は上板橋の自宅に一人で生活していました。何でも一人で出来る人でしたので、悠々自適の暮らしをしていました。時々ボランティアで知恵遅れ児童の学校の送り迎えも手伝ったり、痴呆症のお婆さんの面倒も見ていました。

それがいよいよ自分自身のことが出来なくなってきたのが13年前のことでした。80歳半ばのことです。部屋の掃除が出来なくなり、食事も自分で作ること億劫になり、止むなくヘルパーさんを頼むことになりました。

ヘルパーさんのお影で生活に不自由はなくなりましたが、土曜、日曜日はヘルパーさんが休みなため、週に一度、私が出かけて行って、昼間に食事を作ることにしました。鍋いっぱいに煮物を作り、それをおかずに昼飯を一緒に食べます。残ったおかずは冷蔵庫に入れて、翌日、または翌々日の食事にします。高円寺と上板橋は、車で30分くらいですから、午前中事務所を抜けて、母親と食事をして、又事務所に戻る生活でした。

母親はそれを毎週楽しみにしていました。毎回色々な話をしました。何のことはない話ですが、一人でいる時は全く話をしないようですから、私が来ると熱心に話しかけられました。それが楽しみだったのでしょう。

食事は私が作ったものは何でも食べましたが、素直に旨いとは言わず、「あぁ、あたしが長年お前に仕込んだ味だ。巧くあたしの味を守っている」。などと、勝手なことを言っていました。

それがいよいよ足が動かなくなり、外に買い物も出られなくなりました。やむなく私は兄と相談をして、老人介護マンションに入れることにしました。費用も大きかったのですが、その分至れり尽くせりで、24時間介護の上に、食事は何でも食べられて、趣味の時間など、専門の指導家がついて、習字でも手芸でもダンスでも、何でも習える環境でした。部屋も広く一日中日が射していました。そこに移ってからの母親はとても幸せそうで、毎週一回見舞いに行くと、晴れ晴れとしていました。母親にとっては私が自慢の息子であるらしく、私が車いすを押して、食堂や、趣味の部屋に行くことが自慢のようでした。

私も見舞いに行くときは必ずスーツにネクタイをして見舞いに行きました。そう言う息子に車いすを押してもらうことが最高の幸せなようでした。

私の兄も見舞いに来ましたが、時々顔を合わせては、「今はいいけど、このまま余りに環境が良すぎて、長生きしたりすると、俺たちの方がまいってしまって、先に行ってしまうかもしれないねぇ」。と心配していました。

確かによく考えてみれば、その時私は60歳になっていました。兄も67歳、兄はもう会社を定年退職をして、年金の他には収入もありません。老人マンションは立派ですが、毎月14万円の家賃が今はなんとか支払えても、この先私らが生きて行く上で重圧になりかねません。老人マンションに入るまでは万事うまく行っていると思っていましたが、確かにこのまま母親が、90,100と長生きしたら、誰が面倒を見るのか、少し不安になります。

「ははぁ、これが老々介護の不安なんだな」。と、気付きました。働けるうちは人の面倒を見ることは大したことではなくても、この先ずっと面倒を見ることは不安になります。第一、自分自身が、70歳を過ぎて、母親のような条件の場所に住めるのかどうかもわかりません。この時初めて、年を取ることは大変なことだと気付きました。

ところが、母親は、老人マンションに引っ越して半年もたたないうちに、痴呆症が出て来て、体も全く動かなくなりました。たくさん趣味の教室があって、毎日楽しみにしていたのに、全く趣味に興味を示さなくなりました。

私が持って行った観葉植物にも全く水をやらなくなりました。毎週出かけていっては私が水をやりますが、二週間も空けたりすると、葉が茶色になっています。ただ寝たままの生活になってしまったのです。全ては人任せで、ここにいる限り、全く体を動かさなくてすみますし、食べたいものは何でも食べられるわけですから、体はどんどん衰弱して行きます。

引っ越した当初は、日当たりのよい、広い部屋に住めて喜んでいましたが、半年もするともう寝たきりになってしまい、話もほとんどしなくなりました。「あぁ、人は余りに至れり尽くせりの生活をすると、ぼけてしまうんだなぁ」。と知りました。それから程なく母親は亡くなりました。

さて、母親の死をまざまざと見つめて、この先私も自分自身がどう生きるのかを考えなければなりません。家族に迷惑をかけないように、人に迷惑をかけないように、無事に寿命を全う出来たなら幸いです。私の親父のように、大腸がんになっても少しも悩まず。癌漫談をして舞台に立てたのは羨ましく思います。周囲が心配していているにもかかわらず、当人は全く先々に心配をしていませんでした。

親父の葬式が住んで預金通帳を確認したときに、4000円が残っているのみでした。「俺が死んだなら、おれのものは全部お前にやるよ」。と言って、亡くなりましたが、全部の財産が4000円でした。余りに見事な終わり方でした。「これじゃぁ、葬儀代も出ない」。と不満を言いたいところですが、死んでしまってはどうにもなりません。

こんな終わり方のできる芸人は幸せ者です。私も亡くなる前に、ダミーのお札をしこたま金庫に入れておこうかと思います。「俺が死んだら、この金庫の金で全て済ませるといいよ」。と言い残して。金庫の鍵は死ぬまで隠し場所を教えないようにして、ニセ札の中に、遺言を挟んで、一言、「手品師を信用するからいけないんだ」。と説教の一言も書き添えてやろうかと思います。文句を言う家族がいたなら、金庫の下の方にローラー印刷機を入れておいて、「金が欲しければこれで金を作れ」。と言ってやれば、諦めもつくでしょう。

続く