万葉集の世界に飛び込もう(その2662)―書籍掲載歌を中軸に(Ⅱ)― (original) (raw)

●歌は、「春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ思ふ(柿本人麻呂歌集 11-2453)」である。

葛城山

柿本人麻呂歌集(巻十一‐二四五三)(歌は省略) 葛城(かづらき)山は、奈良県大阪府の境に屏風のように高くつらなっている葛城(かつらぎ)連山の総称であって南の金剛山(一一二五メートル)を主峯とし、水越(みずこし)峠をはさんで北に現在の葛城山(九五九メートル)、さらに北に二上山とつづいている。・・・大和平野のほとんどどこからも見える高山のつづきだけに、古来一種の神秘感をもってのぞまれ、雄略紀にあるように一言主神(ひとことぬしのかみ)の伝説や役(えん)の行者の伝説にきこえ、後代まで信仰の浄地とされていた。万葉人の朝夕に、おそれられも、また、親しまれもした山である。

この歌の『春楊(はるやなぎ)』は春の楊を輪にしてかずらにするところから葛城(かづらき)山の枕詞にしている。葛城連山に白雲があとからあとから立つ実景は大和平野の人たちがいつも目にしていたところであろう。立ってもすわっても恋人のことが思われるのは、恋する誰しもの情感である。それをかれらがいつも見ている葛城山に立つ雲にかけてうたった民謡風の歌である。こうした情感は誰にも共通のところだから、場所が龍田(たつた)山にうつれば、つぎのようにもうたわれるわけだ。(巻十‐二二九四)(歌は省略)

葛城の連山は大和にいる人からばかりでなく、大和からはなれて、内海を遠く船出してゆく人にとっては、明石海峡までは、はるかに望まれるなつかしい故郷の山でもあって、筑紫に下る船上の丹比笠麻呂(たじひのかさまろ)によっては、(巻四‐五〇九)(歌は省略)ともうたわれるのだ。」(「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 平凡社ライブラリーより)

巻十一 二四五三歌をみてみよう。

■巻十一 二四五三歌■

◆春楊 葛山 發雲 立座 妹念

柿本人麻呂歌集 巻十一 二四五三)

≪書き下し≫春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ

(訳)春柳を鬘(かずら)くというではないが、その葛城山(かつらぎやま)に立つ雲のように、立っても坐っても、ひっきりなしにあの子のことばかり思っている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)春柳(読み)ハルヤナギ:①[名]春、芽を出し始めたころの柳。②[枕]芽を出し始めた柳の枝をかずらに挿す意から、「かづら」「葛城山(かづらきやま)」にかかる。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)上三句は序、「立ち」を起こす。(伊藤脚注)

葛城市柿本 柿本神社万葉歌碑(柿本人麻呂歌集 11-2453) 20200220撮影

次に、巻十‐二二九四歌をみていこう。

■巻十 二二九四歌■

◆秋去者 雁飛越 龍田山 立而毛居而毛 君乎思曽念

(作者未詳 巻十 二二九四)

≪書き下し≫秋されば雁(かり)飛び越ゆる竜田山(たつたやま)立ちても居(ゐ)ても君をしぞ思ふ

(訳)秋になると雁が飛び越えて行く竜田山ではないが、立つにつけても坐るにつけても、あの方のことばかりが思われる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上三句は序。「立ち」を起こす。(伊藤脚注)

二四五三歌ならびに二二九四歌については、拙稿ブログ「万葉歌碑を訪ねて(その433)」で葛城市柿本 柿本神社万葉歌碑とともに紹介している。

tom101010.hatenablog.com

二四五三歌は、人麻呂歌集の「略体」の典型と言われる歌で、「春楊葛山發雲立座妹念」と各句二字ずつ、全体では十字で表記されている。助辞はすべて読み添えてはじめて歌の体をなす。この詠み添えの前例歌が二首あるので読み方が明らかになるのである。巻十 二二九四歌と巻十二の三〇八九歌がそれである。このことについても「ブログ(その433)」で触れている。

五〇九歌もみてみよう。

■巻四 五〇九歌■

題詞は、「丹比真人笠麻呂下筑紫國時作歌一首 幷短歌」<丹比真人笠麻呂(たぢひのまひとかさまろ)、筑紫(つくし)の国に下る時に作る歌一首 幷(あは)せて短歌>である。

◆臣女乃 匣尓乗有 鏡成 見津乃濱邊尓 狭丹頬相 紐解不離 吾妹兒尓 戀乍居者 明晩乃 旦霧隠 鳴多頭乃 哭耳之所哭 吾戀流 干重乃一隔母 名草漏 情毛有哉跡 家當 吾立見者 青旗乃 葛木山尓 多奈引流 白雲隠 天佐我留 夷乃國邊尓 直向 淡路乎過 粟嶋乎 背尓見管 朝名寸二 水手之音喚 暮名寸二 梶之聲為乍 浪上乎 五十行左具久美 磐間乎 射徃廻 稲日都麻 浦箕乎過而 鳥自物 魚津左比去者 家乃嶋 荒礒之宇倍尓 打靡 四時二生有 莫告我 奈騰可聞妹尓 不告来二計謀

(丹比真人笠麻呂 巻四 五〇九)

≪書き下し≫臣(おみ)の女(め)の 櫛笥(くしげ)に乗れる 鏡なす 御津(みつ)の浜辺に さ丹(に)つらふ 紐解き放(さ)けず 我妹子(わぎもこ)に 恋ひつつ居(を)れば 明け暮(ぐ)れの 朝霧(あさぎり)隠(ごも)り 鳴く鶴(たづ)の 音(ね)のみし泣かゆ 我(あ)が恋ふる 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰(なぐさ)もる 心もありやと 家のあたり 我(わ)が立ち見れば 青旗の 葛城(かづらき)山に たなびける 白雲(しらくも)隠(がく)る 天(あま)さがる 鄙(ひな)の国辺(くにへ)に 直向(ただむか)ふ 淡路(あはぢ)を過ぎ 粟島(あはしま)を そがひに見つつ 朝なぎに 水手(かこ)の声呼び 夕なぎに 楫(かぢ)の音(おと)しつつ 波の上(うへ)を い行きさぐくみ 岩の間(ま)を い行き廻(もとほ)り 稲日都麻(いなびつ) 浦みを過ぎて 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯(ありそ)の上(うへ)に うち靡(なび)き 繁(しじ)に生ひたる なのりそが などかも妹(いも)に 告(の)らず来にけむ

(訳)官女の櫛箱の載っている鏡を見るように御津(みつ)の浜辺で紅(くれない)の美しい下紐(ひも)を解くこともできずにあの子に恋い焦がれていると、折しも薄暗がりの朝霧の中で鳴く鶴のように、声をあげて泣けてくるばかりだ。せめてこの恋心の千分の一でも気の晴れることもあろうかと、我が家のある大和の方を爪立てて望むと、いつも青々とうねり続く葛城(かつらぎ)山にたなびいている白雲に隠れて見えもしない。こうして、都遠く離れた田舎の国に面と向き合う淡路(あわじ)を漕ぎ過ぎ、粟島(あわしま)さえもうしろに見ながら、朝凪(あさなぎ)には漕ぎ手が声を揃えて櫓(ろ)を押し、夕凪には櫓をきしらせては、波を押し分け押し分け進み、はるばる稲日都麻の浦のあたりも通り過ぎて、まるで水島のようにもまれながら漂い行くと、聞くさえ懐かしい家島の波荒い磯のなのりそが靡いてびっしり生えている、そのなりそというわけでもないのに、どうしてまたあの子に、わけも告げずに別れて来てしまったのだろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)臣の女:宮廷の女官。上三句は序。「御津」(難波津)を起す。(伊藤脚注)

(注)さにつらふ 【さ丹頰ふ】分類連語:(赤みを帯びて)美しく映えている。ほの赤い。⇒参考:赤い頰(ほお)をしているの意。「色」「君」「妹(いも)」「紐(ひも)」「もみぢ」などを形容する言葉として用いられており、枕詞(まくらことば)とする説もある。 ⇒なりたち:接頭語「さ」+名詞「に(丹)」+名詞「つら(頰)」+動詞をつくる接尾語「ふ」(学研)

(注)明け暮れの:夜明けの薄明り。以下三句は実景の序。「音のみ泣く」を起す。(伊藤脚注)

(注)あをはたの 【青旗の】分類枕詞:①青々と木の茂るようすが青い旗のように見えるところから地名「木幡(こはた)」にかかる。②青々と木の茂るようすから、「葛城(かづらき)山」「忍坂(おさか)山」にかかる。「あをはたの葛城山」「あをはたの忍坂の山」(学研)ここでは②の意

(注)粟島:四国の一角、阿波あたりか。(伊藤脚注)

(注)かこ 【水手・水夫】名詞:船乗り。水夫。 ※「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意。(学研)

(注)い行きさぐくみ:波を押し分けて進み。イは接頭語。「さぐくみ」は「さくみ」と同源の語であろう。(伊藤脚注)

(注の注)さぐくむ 他動詞:間をぬって進む。(学研)

(注)稲日都麻:加古川河口の三角州。(伊藤脚注)

(注)なづさふ 自動詞:①水にもまれている。水に浮かび漂っている。②なれ親しむ。慕いなつく。(学研)ここでは①の意

(注)家の島:姫路沖の家島群島。(伊藤脚注)

(注)なのりそ:「なのりそ」の名を聞くにつけ。「なのりそ」に「名告りそ」を見ている。(伊藤脚注)

(注)告らず:この「告る」は名に関しない珍しい例。(伊藤脚注)

柿本神社神社号碑と境内 20200220撮影

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の旅 上 大和」 犬養 孝 著 (平凡社ライブラリー

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉