3-1-1.物理的限界とその帰結(その3) (original) (raw)
3-1-1-2.人間が生み出す「過剰」の原因(続き)
「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
とあります。
また同じく第13条第2項に
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
とあります。
第11条で言及されている「基本的人権」の内容が第13条では分解されていて「生命」「自由」「幸福追求」に対する国民の権利が基本的人権の中身であると解釈できます。
これはもちろん日本国憲法が日本国民に限って保障している権利ではありますが近代文明の理想像とする価値観の中身としての基本的人権が表している対象もほぼ同じと考えるのが適切だと考えられます。
「生命」「自由」が表している内容は言葉の定義そのものであり疑問の余地はあまりありません。
「幸福追求」が表している対象はどのようなものでしょうか?
「幸福」には広く汎用的に誰にでも共通することと、個人により何を幸福と考えるかが異なることとが存在していますのでここでは前者を対象に考えてみましょう。
より汎用的な幸福の中身に相当するのは当然のことながら基本的な段階に属するものだと言えるでしょう。
第1段階の「生理的欲求」に属する幸福としては「快適」「便利」「健康」などが該当するのではないかと考えられます。
それらに加えて第2段階の「安全の欲求」として生命に危険がない状態としての「安全」そのものが考えられます。
もちろん他にも該当する可能性があるものはあると思われますが、ここではこの後SCMに関連するということを考慮して「基本的」人権に含まれる「幸福追求の権利」を構成する誰にでも共通で汎用的な権利として「快適、便利、健康、安全の追求」を掲げることにしましょう。
では前半部分の「快適、便利の追求」とはどのようなことを指すのでしょうか?
これは言い換えると「生活の質」の追求です。中世の時代と比較すると私たちの現在の生活はどれほど快適で便利になっているでしょうか。そして、それが日々刻々と進歩してより快適で便利な生活を送ることができるようになっています。
これを支えているものは言うまでもなく科学技術の発展だと言えます。たとえば馬車に代わる移動手段として登場した自動車は、今となっては自動変速機やカーナビや自動運転機能を備え、またその乗り心地や操作性やデザイン性、ステータスなどにおいても単なる移動手段を越えた存在となっています。
電気や電子の力で機能する何らかの装置を一度でも手にしてしまうと、そこから更に高度の快適と便利を追求したいという欲求が生まれニーズが生まれ、商品開発や技術革新が生まれるという構造になっています。
その欲求が現在の資本主義的市場経済に組み込まれることによって生活の質の向上という欲求は際限のない機能の高度化と対象範囲の拡大という形となって加速度的な勢いで世界中に普及、拡大しています。
これらはその商品の生産活動や消費者の消費活動を通じて益々莫大なエネルギーを必要とするという結果をもたらしています。
人間はこの快適と便利を追求したいという欲求を満たすために、以前には想像もできなかった規模で莫大な電力やエネルギーを消費しています。製品を製造するために莫大なエネルギーを消費し、その製品を作る場所から使う場所に移動させるために莫大な移動のためのエネルギーを消費し、各個人は自分の生活の場で明るくて適温で電気製品に囲まれた生活をするために莫大なエネルギーを消費することになっています。
一度達成された快適で便利な生活の水準を後退させることは強制力を伴わない限り不可能だと言えます。少なくとも私自身にとっては一時的であればまだしもそうでないとしたらとても受け入れることはできないというのが正直な気持ちです。
そしてこれが、地球温暖化がこのまま進行したら大変なことになるということは頭では理解していても、自分自身の行動を劇的に変えることができずその結果として温室効果ガスの排出を「減少」させることができない本質的な原因と考えられます。
次に後半部分の「健康、安全の追求」はどのようなことに影響していると言えるでしょうか?
誰しも健康な状態を維持・増進して、身の危険がないような安全な環境で暮らしたいと考えるものだと思います。
そのために人間は医療技術や医療制度を発展させて疫病を撲滅し様々な病気を治療し予防するように努力を重ねてきました。
最近ではロボット技術の発展による手術の精度向上、AIを駆使した病気の早期発見や医薬品の開発、がんや難病のメカニズム解明による治療方法の開発など医療技術の高度化は目覚ましいものがあります。
またそれと並行して学校、病院、保健衛生、保険、年金、生活保障などの社会保障や福祉の制度を充実させてきました。
それにより、地域差はあるにしても全体としては平均寿命が延伸しその結果として人口増加が続いています。日本などでは少子化により人口減少が始まりましたが、世界的には依然として人口増加が加速しているので、国別の人口ランキングは一昔前とは様変わりしています。
このような「快適、便利、健康、安全の追求」はその対象範囲を今まであまりそれによる恩恵が行き渡っていなかったような地域に対しても世界規模で拡大する傾向が続いています。
それにより快適、便利、健康、安全を求めてそれらを国家や社会に対して求める対象者の人数が桁違いに増加しているということが言えるのではないでしょうか。
ここまで見てきた「快適、便利、健康、安全の追求」という基本的人権の実現に起因する「莫大なエネルギー消費」「寿命延伸と人口増加」価値観や欲求を共有する「恩恵を受ける対象者数増加」という三つの要因により「温室効果ガスの排出量」は増加し続け「天然資源の採集量」は増加し続けています。
「快適、便利、健康、安全の追求」という基本的人権の実現が根本に存在しているということであれば、持続可能性を高めるような意思決定やその実行がいかに人間にとって難しい選択であるかということが理解できます。
また根本的な要因が存在しているがゆえにこの地球環境という規模での変化は不可避で不可逆的でよほど人間が自分たちの考え方や行動を変えることができない限りもう元に戻すことはできないのかもしれません。
もしそうなら持続可能性に何らかの貢献を行うために必須となるようなコスト上昇も不可避であり、これまで当たり前のように追求してきた経済効率性の一部を犠牲にせざるを得ないと考えられます。
よく言われるようにこのような地球規模の環境変化による物理的限界への対応として「過剰の抑制」と「再分配の強化」があげられますが、私たち人間にこのようなことが可能なのでしょうか?
人間が欲望を抑制して「足るを知る」ことができるのでしょうか。自分の身を削ってでも有り余っているところから不足しているところへ資源や資本を再配分することができるのでしょうか。
この項の終わりに人間世界における変化によるSCMへの影響を見てみましょう。
これは可能性としてのリスクの問題を越えて現実的な「コスト上昇と利益圧縮」の問題として顕在化しています。
これまでにない新しいことをしなくてはならない対象が増え、それのすべてにはお金がかかるということになります。
典型的な例を列挙してみます。
・(電化などのすり替えではない)抜本的な脱炭素を目的とする技術や製品の開発
・原材料や飼料の争奪戦による調達の不安定化
・原材料や飼料の採集コストの上昇による単価上昇
・植林、土壌改良、肉に代わる代替食糧の開発、農産物工場
・水資源の確保、再分配
・3R:リデュース(廃棄削減)、リユース(再利用)、リサイクル(再資源化)
どれも効果が期待できる程度の取り組みを行うためには相当のコスト上昇を覚悟しなければならないような重い課題であり、思わず目を背けたくなってしまいます。
なお直近で地球温暖化対策として目標設定されている「カーボンニュートラル」に関しては「3-1-3.解決策は実現できるか?間に合うか?」でその実態と意味を詳しく検討したいと思います。