トマト丸 北へ! (original) (raw)
「嘘解きレトリック」 10月7日スタート PM9時から フジテレビ
「レトリック」とは、「修辞法」=言葉をいろいろ飾って効果的に言いくるめる方法の意、らしい。
ホームページに「貧乏探偵と超能力少女の異色コンビが奇妙な事件を解決していく」ドラマだとある。私は推理物が好き、バディものも好きだ。
時代は昭和初期、レトロモダンな街の風景、建物、ファッションが楽しい。特に探偵が住んでいる建物がいい。二階の女中部屋にいる鹿乃子、階下の左右馬がそれぞれ窓を開けて月を眺めるシーン、よかったなぁ。
主人公たちもこの雰囲気にぴったりだ。
貧乏探偵祝左右馬役は鈴木央士、人の嘘が見抜けてしまう超能力少女浦部鹿乃子は松本穂香が演じる。
とある農村に住む鹿乃子の悲惨な日常からドラマは始まる。「嘘を見抜く」という能力のために村人たちからいじめられていた鹿乃子は、自分を知る者のいないところで生きて行こうと決意して、優しい母に別れを告げる。
鹿乃子は自分の「嘘を見抜く」能力を封印し、誰にも知られないようにしようと決意していた。
人間不信に陥っていた彼女が、たどり着いた街で新しい人生を始める物語だ。
鹿乃子役の松本穂香が可愛い。行方不明の少年を探すために草履を脱いで帯の後ろに挟み、着物の裾をからげて走り出すところなど、胸がキュンキュンする。
祝左右馬も吊りズボンにチョッキ姿が素敵。頭脳明晰で敏腕だが変わり者の探偵を鈴木央士はソフトに演じている。
謎解きも愉しいが、この人たちの姿を見るだけでも楽しみに見れそうだ。ドラマは倍速で見たいくらい緩いテンポで進むが、それも内容に合っていていいかもしれない。
この本について
『私のレコード・ライブラリー』(上中下)は音楽評論家である著者が1970年4月から「FMfan」誌に連載したクラシックの名曲名盤をめぐるエッセイのようなものである。
上巻が発行されたときにはまだ連載は続いていたのだが、その「あとがき」にこう記されている。
まったくわたし独自の流儀で音楽の楽しさを語り、わたしの愛聴するレコードを紹介していくことにした。
音楽の楽しさを一人でも多くの人にわかってもらいたいために書いた
音楽は「音を楽しむべき」で「音が苦」ではない、というのが著者の考えだ。
理屈はどうでもよいのである。
いままであらゆる種類の音楽を広く聴き、かつ楽しんできた。
(音楽は)聞いて楽しみ、それによって励まされるもの以外のなにものでもないのである
著者の考えの通り、音楽の楽しさが詰まっている本だ。広い教養と体験を併せ持つ著者なので、レコード案内というだけでなく読んで楽しいエッセイになっている。特に曲にまつわるエピソードはどれもとても興味深いものだ。
著者「志鳥栄八郎」について
旅が好き、文学や歴史が好き。小説を書く、油絵、日本画も描くし、「酒は浴びるほど呑んだ」「食道楽」「女も嫌いなほうではない」という著者である。だからこの本は面白いのである。
そして「所蔵する2万5千枚のレコードの中から日頃座右に置いて聴き親しみ、自信をもっておすすめできるものだけを選んである」という。
友人知人からつけられたあだなは「ブルドーザー」「ダンプの鳥さん」。いかにエネルギッシュな人物か想像できる。
しかしこの本が上梓される7年前彼は大病を患った。回復したがまもなくスモンという病気に侵される。下半身麻痺、歩行困難、視力0.02。殊に視力を失ったことは文章を書くことを生業とする著者にとって致命的なことだった。
しかし友人や業界の知人などの助けを得て彼はふたたび音楽評論の仕事に全力をあげて取り組むのだ。
『私のレコード・ライブラリー』を読んでいこう
幼いころ父が「世界の名曲」という12枚組のレコードを買ってくれた。父自身は演歌などを聞いていたのだが娘に教養をつけようとしてくれたのだ。
父は訪ねて来た友人に「買ってやったが聞きゃあしません」と言っていた。
でも実際はけっこう聞いていた。「アイーダ」の大行進曲やカルメン、ツィゴイネルワイゼンなど繰り返し聞いた。
私のクラシックとの縁は「世界の名曲」止まりだったが、それでもいくつかの旋律は私の中に大切に残っていたのである。
成人して無類の本好きとなった私は古本屋でこの『私のレコード・ライブラリー』を見つけ、手に取った。前述したように読み物としてとても面白いので、クラシック音楽の素養がないにも関わらず楽しく読んでしまった。著者の人生にも感銘を受けたのである。
感動した私はこの本で推奨されているレコードを全部聴きたい、集めたいという希望を持った。しかしすぐに頓挫。まずプレーヤーを買わなければいけないし、書かれている名盤をどうやって入手すればいいのか皆目見当がつかなかった。お金も、あまりなかった。
そういうわけで70余歳になる今日まで音楽とはあまり縁のない生活を送ってきたわけだが、先日ふと、残りの人生で「志鳥さんのクラシック音楽」を聴いてみたいと思ったわけである。
どれほど続くかわからないが、少しずつ本を読んで、取り上げられている音楽を聴いてみたい。
味方はアップルミュージックである。名演奏、名盤を入手するのはハードルが高いので、まずはアップルで聴こうと思う。たいていの曲は検索すれば出てくるのだ。
私はコンサートへ行くのが怖い。どこで曲が終わるのか知らなかったので曲が小休止したとき感動のあまり会場の中でただ一人拍手してしまったことがあるからだ。一拍ではあるが、たいへん恥ずかしかった。(今は周囲で拍手が始まるのを待ってそっと手を叩くことにしている)
イヤホンで聴いていて別の曲が始まっていても気づかないという事態も頻繁に発生する。
こんな私だが、『レコード・ライブラリー』、コンプリートを目指したい。
ホテルから二分ほど下ったところにある「きよやす邸」で今回の夕食は和食。
この店の蕎麦も食べてみたい。
デザートにグレープフルーツが使ってありますが大丈夫ですか、と。血液サラサラの薬を飲んでいる人は食べられないから聞いてくれたのだ。年配を見てとってのことだと思う。
若い女性のスタッフさんが、なんか力んだ感じで可愛かった。年を取ったせいか、このごろ若い人が気合入れて働いているのを見ると無性に応援したくなる。何もできないけど。
山口蓬春記念館は、近代日本画壇に大きな足跡を残した山口蓬春の住まいを記念館として保存、公開しているものだ。
今回は世代は違うものの親交のあった二人の画が展示されている。
連れが東山魁夷を好きなので鎌倉へ行く途中に立ち寄った。
神奈川県立美術館葉山館の駐車場(有料)に車を置く。道路を渡って反対側に道しるべがあり、折れ曲がった細い路地を辿って行く。
モダンなエントランス。
階段を上って行く。写っていないが萩の花が咲いていた。
玄関。左手に椅子があったので入館前に一休み。
別館では海を見ながら休憩できる。ここの絵は複製。
別館からの眺め。
居間、応接室など。
一階奥にあるアトリエ。
帰り道。
国道からちょっと入っただけ(4,5分)のところだけれど、モダンなエントランス、優雅な庭園、瀟洒な日本家屋と、別世界を味わうことができる。その中で観る絵は格別だ。もっとゆっくりしたかった。
海の見えるカフェ
ロケーションがいい。
開放的な空間で海が見えると気分がせいせいする。
外の席もある。
芝生の左手を下って行くと砂浜だ。
残念ながら美術館は改装中だったけれど、ゆっくりと食事が楽しめた。
9月29日~12月8日 「福田平八郎×琳派」展
1,400円
この一枚だけが撮影OKだった。「彩秋」
筍や鮎もよかったが、やはり「牡丹」は圧巻だった。その色彩とみずみずしい質感に心奪われる。
併設のカフェ「椿」で冷抹茶セット 1,450円
秋のまのあたり句会
9月29日日曜日、NHK文化センター青山の「まのあたり句会」に参加した。この句会はたぶん年四回開催され、誰でも参加を申し込める。
あこがれの俳人たちの句会を目の前で見ることができる。参加者も予め与えられた兼題で一句投句でき、句会の後半は先生方の選句、講評がある。一句一句講評していただけるのだ。なぜ世界中の人が参加しないのか、不思議。
今回は「秋の大まのあたり句会」ということで、東京の青山会場と大阪の梅田会場をオンラインでつないで行われた。
講師の先生は、青山会場が池田澄子、栄猿丸、西村麒麟、神野紗希先生。梅田会場が
山口昭男、和田華凛、岩田杢先生。
司会は神野紗希先生。シャープで軽快な話し方をされる。
池田澄子先生の目
池田先生が兼題「風」を出されていたということもあり、なんとか「池田澄子の一点」がほしかった私。しかし点が入るどころか、先生の厳しい目にしゅんとしてしまう。と言っても俳句のことではなく。
乗り継ぎの時間を読み違えた私は遅刻寸前、先生方はもう前の席に並んでおられるというタイミングで会場に入ってしまった。あたふたと一つだけ空いていた席に倒れ込んだとき、池田先生が鋭い目でこちらを見ておられるのに気づいた。
顔色をなくす、というか、しゅんとする私。
その後でも池田先生と目が合った瞬間が二回あった(と信じている)。
大勢受講生がいる中で、どうしてか、そうなったのだ。
くっと胸の中に入ってくる視線。
びりっとした言葉で批判されるより多くを語り、心に届くまなざしだった。もしかしたらハイになっていた私の挙措が不審だっただけかもしれないが、何か、それ以上のものを感じた。
ただこの会場に来たというだけの縁なのに、ぴたっと私と視線を合わせてくださることに心打たれた。なんというか、池田先生のものごと全般に対する姿勢をすごいと思った。
同時に「その場に居る」というのはかけがえのないことだと。
もうお会いする機会はないかもしれないが、「池田澄子の目」は私の中に残っている。ものを見ること、ものと相対することの真剣さの象徴としてだ。
池田澄子先生の俳句がどうしてできたのか、少しわかった気がした。
まのあたり句会
黒曜石ならべつゆけしGODIVAの箱 神野紗希
の二句を選句したのだが、もう句会が始まってしまい、かつ携帯から投票するやり方に自信がなかったので先生方の句の投票は出来なかった。
月に雲あゝ占いを信じそう 池田澄子
やっぱり池田澄子先生の句は好き。
俳人の句会っておもしろい。なごやかだけど慣れ合わない雰囲気と率直な意見の交換、お互いの表現に対する敬意など、感じるところがあった。
私は俳句も好きだけれど「俳人」も好きだ。こんな句を作ったのはどんな人なのか、俳人として生きるのはどういうことなのか、とても興味がある。だって、五七五ですよ!
この中に人生があり、生死があり、世界がある。ドラマがある。そこに賭けている人の凄みを感じたい。少し、取り入れたい。
受講生の句、講師の先生方による選句、選評
取り入れたいこと ・当たり前を掲げる ありきたりな素材を表現を変えて
・独断の楽しさ、言い切ること
・形容詞は「発見」が入れやすい
・終止形の効果
・なんでもない発見
・よく知っている景を言葉にする
これから、形容詞を使ってみようと思った。
高評価を得た句にはやはり発見がある。私は感じたことをそのまま表現してるだけだ。
西村麒麟先生の一点入った。とてもうれしい。「すなおな人柄が感じられる」と言ってくださった。神野先生も「かわいくてチャーミングな句ですね」と言ってくださる。
ビール
一点いただいたし、ライオンでひとりで打ち上げして帰った。
琥珀恵比寿中ジョッキ 1,050円
あらびきソーセージ 600円