【生活・心構え】見栄を張らずに生きるって…… (original) (raw)

バス停

仕事上のポジションが中堅どころ
だった頃

職場から出張参加した
ある研修会が終わり

研修会場近くにある
バス停では
バス待ちで長蛇(ちょうだ)の列

運よく
列の前のほうに陣取ってると

列の後方に

研修等を扱う研究所の所長が
何食わぬ顔で
周囲に溶け込んでます

その様子を目にして

思わず
ココロの声がしました

ウッソー 官用車使ってないのぉ

最寄り駅までバスを利用し 電車で帰ってるんだぁ

見た感じ フツーのおじさん風だから

ヒトごみに交じっても
ぜーんぜん
違和感なさそう……

庶民的感覚

電車の中って

性別・年代・社会的立場・所属業種等
さまざまなヒトが乗っており

混雑してくると

いろんな食材がゴチャゴチャ
混ぜ合わさったような様相を呈します

そういった雑踏の状況をいいコトに

満員電車が
サラリーマン人生の悲哀
に関する格好のネタ
に使われがちですけど

貴重な学びの場

になってます
( ^ω^ )

そればかりではありません

自身の庶民的感覚が
衰えていないかどうか

を確認する場(バロメーター)
でもあるのです(-_-)

この意識感覚の低下鈍化を許したら

何のために
生をうけて学んできたのか
根底から問われ

自身のアイデンティティが崩壊
しかねません(..)

生き方

見栄

虚栄心

てか

この気持ちがあるからこそ

頑張れるし
成長できる

ともいえます

でもでーも

うわべだけの
中身のない虚勢(きょせい)だと
長くは続きません

カラ元気と同じですネ

そればかりか

虚像を背負って生きるのは
ムリが重なって
ココロが疲弊(ひへい)し

しまいには
病んでしまいます
(^_^;)

なので

素(す)のまま 虚飾なく 生きるのが

断然ラクだし ナガーく続ける コツだったり

するかも(-_-)

そんなの分かってますって それが難しいから 苦労してるんでしょ

との声が聞こえてきます

でもネ
そんな難しくないんですよ

他人目線をやめて 自分軸にするだけなので
(・ω・)

なーお

バッジ
(所属・資格・職位等をデザインにより表す
紋章・記章のコト)

って
あるじゃないですか

もちろん
自分の所属組織にもあります

身分の確認という
本来的機能のほか

帰属意識が高まる
など

それなりに
効用があるのは確かだし

その意義を否定するつもりも
ないですけど

自分の「バッジ」君は
出動の機会がありません

身分照合が必要な場面では
専ら身分証明用カードを用いてますから

職場以外の場面では
フツー(気楽)に過ごしたいため
身につけてませーん
(´・ω・)

なおなお

過去記事で

サスペンダー
アームバンド
カフスボタン

三種の神器(さんしゅのじんぎ)
のごとく愛用する

旨アピールしてるし

現在(令和4年11月上旬)も
そのスタンスは変わってませんけど

コレって

へそ曲がりの性分 感覚的なこだわり

のためであり

バッジと同列に扱えないのは
いうまでもありません
( ˘ω˘ )

余談

さてさて

ここで

久々(?)に
愛妻に登場してもらいましょう

会話の前後の脈絡はうろ覚え
つーか
すっかり忘れてますけど

妻において

交際(結婚?)相手に求める
基準・条件として

ウソをつかないコト

とつぶやくように話していたのは
自身のOS(記憶装置)に
しっかりインストール(^・^)

妻のみぞ知る

ですけど

ほぼ 百点満点じゃなーい!

ホント
すみません

自信過剰(自分軸)で……
_(._.)_

追記

事実と評価

テキストを通じて
マネタイズ(収益化)したいなら

読み手に自分を知ってもらい

ゆくゆくは
ファン化が欠かせないらしい

注)読み手を「教育」する
とのフレーズを目にしたりしますけど
違和感を覚えます

読み手と「共有」する
とかに言い換えるのが無難かも

やってる中身は同じであっても
表現ぶりに配慮するだけで
随分違ってきます

コトバへの感性やその選び方を
軽んじてはなりません
(・_・)

そのためには

キャッチ―なタイトル名で
関心を持ってもらい

離脱されないよう
サーっと読める文章が推奨(すいしょう)され

テキストの閲読を
読み手に習慣化してもらえれば
シメたモノ

となるようです

もちろんその前提として
間を置かず配信を続ける必要がありそう

なーんか
他人(ひと)事っぽく
話してますけど

最終的にマネタイズするとしても
その過程にはあまり関心がないからかも

なぜって
そもそも読み手の共感獲得は眼中にないため
ファン化の点はどうでもよいのです

一方

同じく
テキストを食い扶持(ぶち)にする場合でも

フィクションを題材にすると
内容の独創性を問われたりするので
差別化が激ムズ!

フランクに言わせてもらえば
オススメできません(..)

運よく1本花火をブチ上げても
それを継続するのは超ムズいですから
(+o+)

途上で病むのがオチだったり……

注)ハッキリ言いますよ

テキスト猛者レベルなら
あわよくば
1~2本は見込めるので

書籍発行側としては
次々と消費し入れ替えるコトで
ニーズを充足できるのです

発行側だって
生き残るコトに必死なので

必要以上にコストをかけリスクを負ってまで
特定の個人を発掘育成しようなどと考える
はずがありません(-“-)

とどのつまり

イエーッ!
もう病んでるから 大丈夫だよ

って開き直れるくらいの
覚悟がないと
モノにならなさそう(-“-)

万が一
自分がフィクションを扱う
小説家を目指すなら

本業にしないで

抜かりなく
逃げ道を確保しておく
でしょうネ(..)

う~~ん
こんな仮定の話で終わってしまうと

なんだかんだ言っても 最後はテキストで!

を声高に訴える身として
イマイチ感が残るので

実際上自分の場合
どうしてるかを明(あ)かして
おきますネ

(オーイ!そんなコトして大丈夫?)

まーず
前出のとおり自分は
フィクションでは勝負しません

そうすると
残るのはノンフィクション(‘ω’)

注)ノンフィクションは
書き手が歴史的事実をマナ板に置いて料理するため

関心があったり利害のある読み手側は
無視しようとしても
現実的にはそれが難しかったりして

食べざるを得ないのです
(・_・)

問題は
ノンフィクションをどのようにサバくか
ですけど

(ちょーっとぉ)

ノンフィクションと銘打つ以上
注記したとおり「事実」が前提となります

なので
事実の「評価」で差別化!
コレです(‘;’)

言い直せば

(もう十分でしょ!)

評価が主戦場ですから

事実を嗅ぎ分けて選別し
見方・視点を特化させるコトが肝
となります
(。-_-。)

(面倒見切れないよぉ)

あーと

余計なお世話かもですが

小中学生でもムリなく分かる文章って
遅かれ早かれ
読み手に見切られちゃいます

やーっぱ

どうしても
読み応え(広さ深み)を問われる
からです(´-ω-`)

知らないと使えないし

使わないと
いつまで経っても
身につかないし
身になりません

テキスト猛者の方々をみてると

見慣れないコトバであっても
うまーく
取り入れたりしてますよ

(気が済んだ?)

それ相応の背伸びならむしろ必要
と心得てます(^^)

ともかく

(まだあるの?)

貪(どん)欲に 根気よく粘り強く

無事終了
(^・^)

都内マイホーム、妻子持ち、シニア層男性。法律職公務員。O型・サソリ座・トラ年。モットー「いまが一番!ここが一番!」。スローガン「時空を超えろ!」。趣味はテニス・ゴルフ・油絵等。定年退職が近づきつつあるため、社会との接点を確保して認知機能の低下を防ぎ、健康長寿を目指すべく、遅きに失した感はあるものの、思い切って「ユル・ヤワ」に「T.H.BLOG」を始めてみました。大海原を航海中ですが、よろしくお願いします。 ブログの公開表示名「toshi0227」は「トシ・オウ・トウ・トウ・セブン」と読みまーす(^^) スタエフ(音声配信)・エックス・インスタもやってます(^<^) 他の投稿を表示

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