死生学を勉強すると病む?~死生学がもたらすメリットの考察~ (original) (raw)
こんにちは。最近、気温的にも暖かいですね。
普通に暑いっす。春の近づきを感じます。
とある日の朝、春のように(?)とても暖かいこのツイートをタイムラインで見つけました。
死生学がpositive wordになったのは間違いなくとしくんのおかげだね☻
このツイートにいいねが10件ほど。
そしてこのツイートにこのようなリプライ。
私もそう思います!!
引用RTでは
これは本当!!
いや・・・・
恐れ多い!!!!!!
(一連のツイート嬉しかったのでブックマークしました。)
(スクショも撮った。)
本当ですか?嬉しい反面、少し責任も感じています。
人それぞれ合う合わないがありますからね。
ところで、嬉しいツイートに少しだけ気になる所がありました。
1番初めのツイートの
死生学がpositive wordになった
という文。
~になった。ということは、
昔は negative word
だったということでしょうか。
いや、今も
死について学ぶことはネガティブだ
と思われている方もいるでしょうし、
現代社会がそのような風潮になっていると感じます。
メンタルに不安がある方は、死生学で死について学ぶと気分が下向きになってしまうのではないかという心配もあったそうです。
今回は、先日行ったプレゼンテーションの一部スライドを抜粋し
死生学は死について学ぶ
ネガティブな学問なのか?
ということについて意見を書いていこうと思います。
個人的な意見なので、
僕の意見が絶対正しいんだもん!!
とは
1mmも思っていません。
あくまで僕はこう感じただけです。
※嬉しいツイート、いいねを押してくださった方、
ありがとうございました!!!!
目次
死生学という学問が流行り始めたきっかけの1つは、
エリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」
という書籍です。
精神科医のエリザベス・キューブラー・ロス(以下、ロス)は、死が近づくにつれ末期患者はどのような心理状態になっていくのか、インタビューを通して人間の心を研究していました。
とても内容が豊富で、読み終わるのに3ヶ月半かかりました。
今の日本もそうですが、ロスがこのインタビューを始めようとした時代は
特に死をタブー視している社会
でした。当初、病院でこのようなインタビューをさせてくれとロスが頼んだ時は、ほとんどの病院、医者が断ったそうです。
反対に、末期患者の方はインタビューをされることを歓迎していたようです。
まもなく死を迎えるわけですから、家族もどのように対応していいか分からない。
表現が悪いですが
ほぼ見捨てられている状態
になっていました。
それは看護師も同じで、ナースコールで病室に来たはいいものの、患者の要望に応えたらすぐに病室を去ってしまうなど、日常会話が少なく患者はいつも孤独でした。
つまり、末期患者の周囲にいるすべての人が
どのように接するべきなのかが分からなかったということです。
そんな中で
・インタビューをしにきてくれるロスが話し相手になってくれる
そして
・自分の体験談を話すことで誰かの役に立てる
この2つの理由からインタビューを歓迎していたということです。
ロスが行ったインタビュー総数は、200名を超えているそうです。
沢山の批判を受けながらもインタビューを続けこの書籍を書いたこと、
とても凄いことだなと尊敬しています。
1960年代に書籍が出版されたことから、死生学という学問は比較的
歴史の少ない、若い学問だといえます。*1
そしてこの書籍が世界でバズり(今風に言えばね)
日本国内にもブームがやってき死生学という学問が定着してきました。
死の受容、死の五段階モデル
インタビューの中で、ロスは
「死の受容」「死の五段階モデル」
という、
人が、避けられない死を受容していく悲しみの過程(プロセス)を、否認・怒り・取引・抑うつ・受容の5段階でモデル化したもの。 *2
を書籍で提唱しました。
これ看護師国家試験にも出てくるみたいですね。
先程のスライドにもある通り、
否認→怒り→取引→抑うつ→受容
というプロセスを辿っていきます。
詳しくは、死生学A第6回で分かりやすい説明があるのでここでは省きます。
楽しみを奪ってしまいますからね。
死生学の語源
少し語りすぎました。
突然ですが、先程のスライドを見て、
何か疑問に思うことはありませんか?
スライドの1番上を見て頂きたいです。
もちろん例外はありますが、
単語の語尾に「logy」とつくと、~学、~科学、~論
と訳されることが多いです。
例えば
psychologyは心理学。
sociologyは社会学。などなど。
死生学は英語でThanatology
語源はギリシャ語で死そのものを神格化した
神の名前である**タナトス**。
このことを踏まえ、直訳すればどうなるでしょうか?
本当に死生学ですか?
普通に直訳をすると、死学になるはずです。
なぜなら、死を神格化した
タナトスのlogy(学)なんですから、
「生」という日本語が出てくるのはおかしいと思いませんか?
アルフォンス・デーケン
アルフォンスデーケンという方をご存じでしょうか。
「死の準備教育」を提唱し、上智大学で教鞭を執りました。2020年に死去。一度お会いしてみたかったです。
デーケン先生の書籍
「よく生きよく笑いよき死と出会う」
では、デーケン先生の人生、提唱した「死の準備教育」、ユーモア、上智大学での「死の哲学」の講義について詳しく書かれています。とても面白い本でした。
デーケン先生については、死生学A第7回で紹介されます。
インタビュー
書籍の中ではないのですが、デーケン先生へのインタビュー*3で、このような質問があります。
Q 死生学とはどのような学問ですか?
先生はこのように答えます
A 死に関する学問は英語でサナトロジーと言います。
直訳すると死学ですが、死について考えれば考えるほど生について考えることになりますから、
死生学と翻訳した方が 本当の意味を表すのではないでしょうか。
だそうです。
僕が読んだデーケン先生の書籍では、
「死学」と訳すのが普通なのかもしれませんが、私はあえて「死生学」
と翻訳して使っています。
生と死は、どちらかだけで存在するものではなく、決して切り離せない表裏一体のことだからです。(111p)
さて、どういうことでしょうか。
死生学を学ぶ意味
例えばです。
3日後に地球が滅亡して人類がいなくなるとしたらどうしますか?
うーん、最初の方は友達と遊んで滅亡する前日は家族と過ごしますかね。
皆さんはどうします?
考えました?
・・・
そう、まさにこれが
デーケン先生がおっしゃっていたこと
ではないでしょうか。
死について考えれば考えるほど生について考えることに
3日後に地球が滅亡することを踏まえ、
残された時間をどのように生活するか計画を立てましたよね。
平均寿命は延びていますが、人間はいつ死ぬか分かりません。当たり前ですけどね。
しかし、どれだけ地位や名誉がある人だろうがいつか必ず死にます。
もしかしたら明日かもしれないし、数年後、数十年後の話です。
僕達に残された時間は日々確実に減ってきています。
今の生活をずっと続けて死んでいく、これでいいですか?
死ぬ前に旅行に行きたい、あれを食べたい、買いたい・・・等。
やり残したことはないですか?
地球滅亡はあまりにも極端な例でしたが、
死について学ぶことで、死を実感し生き方を改めて考えることができると思います。
教授の書籍
何度も紹介しましたが、死生学担当の教授は書籍を出されています。
右に書いてある、サブタイトルを見てください。
今をより良く生きるために
僕このサブタイトルめちゃくちゃ好きなんですよ。
生と死は逆のベクトルを持っているのではありません。生死は一体であり、同じ方向を向いているのだと考えています。
生があって死がある。死があるからこそ生がある。
(書籍から引用)
一見「生と死」は正反対なもの、最初のツイートで言えば
ポジティブとネガティブな感じですが、
実はそうではないんですね。
死生学を学んで、そしてこの本を読んで、
やっぱり人って死ぬんだなって思いました。
いや、そりゃそうだし当たり前なんですけど、無意識に目を逸らしていたような気がします。
1度限りの人生、楽しんで生きようと生き方について改めて考え直すことができると思います。
まとめ
ちょっと長くなりましたね、ごめんなさい。
簡単にまとめると
・人は死にます。
・たしかに死生学では死について学ぶが、死を意識することで時間が有限であることを認識し、今自分に残されている時間を有効活用したいと思える。
・今後の人生をこのように歩んでいこうと改めて計画でき、ポジティブな気持ちになれる(個人差アリ)
・個人の意見なのでこれが正しいとは限らない。
と感じています。
個人的な意見なので、履修した皆さんがこう思うかは分かりません。
もし、興味があったら是非。
一応お試し授業を見てみてくださいね。
投稿時期は未定ですが、いつか自分の死生観を語りまくる?紹介する?ブログを投稿しようかなと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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