【光る君へ】#35 中宮彰子の純粋な涙にもらい泣き、定子を偲ぶ一条帝もおとなになっていた(伊周変わらず) (original) (raw)
巷で話題の「平安ファイト一発」
NHK大河ドラマ「光る君へ」第35回「中宮の涙」が9/15に放送された。「我が家の一大事」=引っ越し間近なので、今回は書けるだけ。
あらすじを公式サイトから引用する。
初回放送日:2024年9月15日
道長(柄本佑)は中宮・彰子(見上愛)の懐妊祈願のため、息子の頼通(渡邊圭祐)と共に御嶽詣へ向かう。しかし険しい行程と悪天候に悩まされ、目的地である金峯山寺への到達に手こずっていると、伊周(三浦翔平)が武者を引き連れ、不穏な動きを見せる。その頃、まひろ(吉高由里子)の書く物語に興味を持った一条天皇(塩野瑛久)が、まひろに物語の真意を尋ねては、自身の境遇を重ね…。さらにまひろは彰子の本心を知り…。((35)中宮の涙 - 大河ドラマ「光る君へ」 - NHK)
さて、まずは長女中宮彰子の懐妊を願う左大臣道長が、御嶽と呼ばれた霊験あらたかな奈良の金峯山詣を決行。その間、道長は甥の伊周に命を狙われる暗殺未遂事件が裏で進行していたものの、伊周弟の隆家によって事なきを得た。
ドラマでの道長は、食欲を失うぐらい道中はきつかった模様。細いロープ1本を頼りに崖を上っていく場面では、道長の後ろを行く長男の頼通が、その後ろの源俊賢があわや足を滑らせ落下しそうなところを某有名CMの「ファイト一発」さながらの好プレーで引き上げアシスト。俊賢は烏帽子を落としつつ無事に崖を登り切った。
しかし・・・当時は烏帽子を外したらとんでもなく恥だと考えられてたんじゃなかったのか・・・「鎌倉殿の13人」以来、大河視聴者にはこの「烏帽子おパンツ説」がかなり浸透しているように思う。
それで、見ているこちらは「あ!烏帽子が!」と焦ったのに、そんなことには微塵も気を取られず、俊賢救命に努めた頼通って本当にいい子だ✨(道長は崖上で反応が薄かったが、疲れ切っていたからの脱力かな)。
当の俊賢は道長に対して、頼通本人を前に「頼通様はご聡明でお姿も良く、その上豪胆であられます」と褒めちぎっていた。それで助けてもらえたのかもね。情けは人の為ならず、人の長所は褒めておくものだ。
俊賢の利口さは、頼通が席を立った後の言葉にも表れていた。
俊賢:頼通様は見事なご嫡男になられましたな。明子のところの頼宗もなかなかのしっかり者に育っております。どうぞご安心くださいませ。
自分の妹が産んだ道長の次男について「どうぞご嫡男様のようにお引き立てを」とは言わないのに、その意が伝わる言い回しだ。こういうセリフを俊賢に言わせる設定がうまいと思う。
「ファイト一発」についてはSNSを賑わせていると思ったら、私の大好きな大河絵師というかイラストレーター・KEI-COさんもいつものごとく絵にしていた。
#光る君へ 第35回。崖あり敵ありファイト一発御嶽詣、隆家が伊周に見せた涙にハッとする。体験も見聞も物語に封じ込めていくまひろ、アドバイスも的確。たまらなく愛おしい彰子様の一条天皇への告白。まひろと道長の願いが叶った夜、新しい気持ちで一緒に月を見たのでは。なんとも幸福な回でした…! pic.twitter.com/rJbycQe7TV
— KEI-CO (@keico) 2024年9月15日
さすがの画力もそうだけど、簡潔かつ的確にここまでまとめちゃう力が凄い。ダラダラやってる自分が情けない💦書いてる方は楽しくてダラダラやってるんだけど、読んでくださる方の身にもならないと、かな。
伊周の道長暗殺未遂事件
金峯山に詣でた帰り道のヘロヘロなところ、道長は伊周に命を狙われた。やっぱりの「おんな城主直虎」で石川数正を演じた目立つイケメン(中村織央おずの)が伊周配下の暗殺チームリーダー平致頼。つがえられた矢が今まさに道長一行に向かって放たれる瞬間、いきなり隆家が現れて道長を庇い、暗殺チームは絶好の機会を失った。
(ところで、平致頼役の中村織央は、名前の由来が役小角・えんのおづのだとか。ウィキペディア先生によると、役小角は驚いたことに「吉野の金峯山金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築く。20代の頃に藤原鎌足の病気を治癒させたという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えた」というお方だそうな。金峯山がらみと知ってのキャスティング?役小角 - Wikipedia)
崖上に待ち構え、一行に道長を見つけた時のキランキランした伊周の眼が怖かった。演じる三浦翔平は目が大きいから尚更だ。今後、彼はこういう悪役が増えそう。
そこに、ひょっこり現れた隆家は「急がれよ!」と叫んで道長に抱きついた。兄らが潜む崖を見上げて「手前で大きな石が落ちて参りました。この辺りで落石が近く起きるかもしれませぬ。急ぎ通り抜けることをお勧めいたしまする」と道長一行に注意喚起の上で「どうぞご無事で!」と見送った。
一行が隆家の言葉に釣られて崖上を見たので、伊周らは姿を見られるのを恐れて作戦を中止した。
この後の、伊周・隆家兄弟の会話で、隆家がひょうひょうとしてそうは見えなかったけれど、自分の行いを悔やんでいたと知った。一族没落の原因を作ったのは自分だと考えていたんだね。
伊周:お前はなぜ、俺の邪魔ばかりするのだ。あの時も俺が止めるのを聞かず、お前は花山院の御車を射た。あれから何もかもが狂い始めたのだ。されど、お前のことを恨んだ覚えはない。だが今・・・ここまで邪魔をされると、お前に問いたくなる。隆家、お前は俺の仇か?
隆家:兄上を大切に思うゆえ、阻んだまで。左大臣を亡き者にしたところで何も変わらぬ。大人しく定めを受け入れて、穏やかに生きるのが兄上のためだ。道雅も蔵人になったばかりではないか。俺が花山院の御車を射たことで兄上の行く末を阻んだことは、昔も今も済まなかったと思っている。それゆえに、憎まれても兄上を止めねばならぬと思ったのだ。これが俺にできる、あの過ちの詫びなのだ。(ぽろぽろと涙)
伊周:フッ・・・帰ろう。道長なぞ狙ったつもりはない。ハハハハハハ・・・うつけ者め。(去る)
隆家:(兄の背中を見送り、溜息)
伊周は目を剥き、怒りで全身パンパンにして弟に問いかけたが、弟の言葉を聞き、涙を見て、体が一気に萎んでいくようだった。でも、本当に諦めたか怪しい。
伊周は、妹の皇后定子が死んでから酒を飲んでいないと言っていた。定子は長保二年(1000年)暮れに亡くなっていて、道長が金峯山詣を実行したのが寛弘四年(1007年)八月。ドラマの現在からすると、7年も恨みを抱えたままで立ち止まっていたのが伊周なのだ。
ドラマでは前回だったか、定子の産んだ敦康親王が彰子と道長に懐いて、伊周を邪険にしていた。それが今回の未遂事件のキッカケなのか?
史実では、伊周による事件の噂は確かにあって、それで朝廷から使いが来て道長はすっ飛んで帰ったらしい。
『小右記』はこの年(寛弘四年、1007年)は残っていないが、『小記目録』には八月九日のこととして、「伊周と隆家が、(平)致頼と相語って、左大臣(道長)を殺害しようと欲した間の事」とある。とんでもない情報が、都では流れていたのである。(『紫式部と藤原道長』著・倉本一宏)
こんな噂が流れたら、やりにくい。立つ瀬を失う。
ストレートど真ん中、彰子の告白
今回、良かったなあと、まひろと道長だけじゃなくて私も胸をなでおろしたのが、彰子の思いの成就だった。多くの視聴者もそうだろうね。いやあ良かったなあ。
まひろの問いかけによって、純粋な彼女の思いが掘り起こされ泉のように溢れてきたところに、まさかのご本人(帝)登場だもの。気持ちを抑えていた壁が一気に崩れ、「お慕いしております!」と涙を流しながらの直球が投じられてもおかしくなかった。彰子役の見上愛は説得力のある芝居で、もらい泣きした。
思い立ったが吉日、でもその場で彰子があんな反応をしたものだから、まひろは焦っただろう。KEI-COさんが描いたイラストのように、彰子の行動力は「すぐやる課」顔負けだ。
中宮彰子:(御前を去ろうとするまひろを引き留めるように)光る君に引き取られて、育てられる娘は私のようであった。私も幼き頃に入内して、ここで育ったゆえ。
まひろ(藤式部):そうでございますか。
彰子:この娘は、この後どうなるのだ?
まひろ:今、考えているところでございます。中宮様は、どうなれば良いとお思いでございますか?
彰子:・・・光る君の、妻になるのが良い。妻になる・・・なれぬであろうか?藤式部、なれるようにしておくれ。
まひろ:・・・中宮様。帝に、真の妻になりたいと仰せになったらよろしいのではないでしょうか?帝をお慕いしておられましょう?
彰子:そのような・・・そのようなことをするなど、私ではない。
まひろ:ならば、中宮様らしい中宮様とはどのようなお方でございましょうか。(😊にっこり微笑んで)私の存じ上げる中宮様は、青い空がお好きで冬の冷たい気配がお好きでございます。左大臣様の願われることも、ご苦労も良く知っておられます。敦康親王様にとっては、唯一無二の女人であられます。色々なことにときめくお心も、お持ちでございます。その、息づくお心の内を、帝にお伝えなされませ。
(彰子、はらはらと涙をこぼす)
宮の宣旨:お上のお渡りでございます。
(彰子、涙を拭って頭を下げる)
一条帝:(彰子の前に来て)敦康に会いに来たがおらぬゆえ・・・
彰子:お上!
一条帝:ん?
彰子:お慕いしております!(後は涙涙で泣き伏す。まひろ、思わず顔を上げて驚き、帝の様子をうかがう。帝は言葉を失う)
一条帝:・・・また来る・・・(衣擦れの音を残し、去る。彰子、ただただ泣き、まひろ慌てる)
ここで亡き直秀のセリフ「帰るのかよ!」を叫んだ視聴者は多かろう。えー、帝、帰らないでよ!彰子が勝手に自爆したみたいになってしまうじゃないの・・・実際そうか。あああ、泣かないで。彰子、よく頑張った!
まひろが抱きしめて背中トントンする訳にもいかないし、貴人は大変だ。なんと純粋に育ったことだろうか。泣き続ける彰子を見つめる、まひろの「やっちまった」と言わんばかりのオロオロした表情もいいね。
しかし、この純粋な姫の告白に、帝は心を打たれていたのだった。左大臣道長に「御嶽詣の御利益はあったのか?・・・今宵、藤壺に参る。その旨、伝えよ」と宣い、道長は喜びと驚きの表情を抑えながらもキュッと目を上げた。
藤壺の女房どもは満面の笑みでお仕度を進め、新たに寝具を出したり、伏せ籠に衣をかぶせて香を焚き染めたり。女房に囲まれた中央では、照れたような彰子がされるがままになっていた。なんと幸せな図だろうか。個人的には、あの香を嗅いでみたい。
雪に定子を思う帝
夜になり、一条帝が藤壺に向かう。廊下の外は完璧な雪の結晶(定子?)が1つ明らかに見えるほどの冷たい雪。歩みを止めた帝が庭に降る雪を眺め、空を見、さらに見上げて切なそうな顔をした。
帝は、雪に亡き定子を思っている。かつて共に楽しんだ雪遊びもそうだし、彼女の葬送の日は大雪だったらしい。若すぎて、守り切れなかった苦い思い出。定子の言葉も思い出したろうな、確か彰子と会う時は自分を忘れてと泣きながら言っていたと思うのに・・・。
でも、もう7年が過ぎた。帝も大人の分別ができる年齢だ。
一条帝:いくつになった?
彰子:二十歳にございます。
一条帝:いつの間にか、大人になっておったのだな。
彰子:ずっと大人でございました。
一条帝:・・・そうか。さみしい思いをさせてしまって、すまなかったのう・・・。
副音声:(彰子を抱き寄せる。息が止まりそうな彰子、かすかに震える指で、帝の夜着を握りしめる)
そうだ、と気づいて最後の部分は副音声をチェックしたら、やはり雄弁に解説していた。こういう場面は副音声に限る。
まひろ「不義の子を産んだ」で、道長は悟った?
帝が無事に藤壺を訪ねた夜、共に三日月を見上げていた道長とまひろ。お前の手柄なのか?と聞いた道長に、何もしていない、帝のお心をつかんだのは中宮自身だと、まひろは答えた。
何だか、まひろは母倫子様の役割を奪ってしまっているような気がしてしまった。お産後の肥立ちが悪くて不在なのは分かっているんだけど、こうやって倫子様不在の間に、着々とまひろが彰子の信頼を得て、物語の方でも実績を積み重ねているのが何だかな・・・。
仕方ないよね、最初から道長と愛し合っていたんだから。倫子様に道長が婿入りするよりもずっとずっと前から。
そうそう、道長が金峯山詣から帰り、まひろの局に来た時の様子が「それでいいのか」というくらいに2人はリラックス。少しは人目を気にした方が良いんじゃないかとハラハラするぐらい、長ーく付き合っているカップルが醸し出す空気がダダ漏れだった。これじゃ周りは気づく。
何しろ、道長が原稿を読む間、まひろは頬杖を突いちゃってたもんね。一応、左大臣様が来ているんだよ。分かってる?
道長:小鳥を追いかけていた頃のお前はこのように健気ではなかったが・・・。
まひろ(藤式部):嘘はつくし、作り話はするし。
道長:とんだ跳ね返り者であった。(まひろ、嬉しそうに頬杖)
道長が読んでいたのは、「若紫」の帖。光源氏と継母の藤壺の宮が密通した時に交わした歌の部分が出てきた。
まひろの物語:「こうしてお会いしても、またお会いできるとは限りません。夢の中に、このまま消えてしまう我が身でありたいと、むせび泣いている光る君のお姿もさすがにいじらしく。世の語り草として人は伝えるのではないでしょうか、類なく辛い、この身を覚めない夢の中のこととしてもと、藤壺の宮が思い乱れている様も、まことにもっともで恐れ多いことです」
「三月になられるとはっきりと分かるようになり、女房達がお見受けして気にしているので、宮は、嘆かわしい宿世のほどを情けなく思われました」
あれ?前半部分、何か思っていたのと少し違う訳し方だ。まあいいか(ちょっと句読点を変えてみたらOK)。この物語を読んだ道長は、まひろとスリリングなやり取りをした。
道長:この不義の話はどういう心づもりで書いたのだ?
まひろ:・・・我が身に起きたことにございます。我が身に起きたことは、全て物語の種にございますれば。
道長:ふ~ん・・・(目を逸らして)恐ろしいことを申すのだな。(まひろを見て)お前は、不義の子を産んだのか?
まひろ:一たび物語になってしまえば、我が身に起きたことなぞ霧のかなた。まことのことかどうかも分からなくなってしまうのでございます。(煙に巻く)
道長:・・・(一瞬呆然として、急にバタバタと原稿を手に取り)すぐに写させよう。預かってゆく。(立ち上がり、原稿を持って去る)
まひろ:(無言で思いを巡らせる)
道長:(廊下の途中で立ち止まり、何かを考えた後、また歩き出す)
まひろの言う「我が身に起きたことは全て物語の種」は、脚本家の大石静が実践している信条なんだろう。一度だけ、大石さんとはNHKのパーティーで言葉を交わしたが、彼女のドラマの中で、おしゃべりな朝ドラ大河好きがパーティーで主人公と話し込んだりしただろうか、なんて。
その程度ならともかく、道長レベルだとモデルにされたら怖いよな。
道長が「恐ろしいことを申すのだな」の「恐ろしい」は、そんなことを言うまひろに、思わず知らずに深く長く関わってきてしまったからだよね。物語の種に自分もなるのだと、作家に関わる人は覚悟しなければならない。
でも、兼家パパだって道綱の母の「蜻蛉日記」に散々書かれたのだ。道長だって、そういうものだと・・・イヤイヤイヤ、倫子様のことはどうするのよ、まひろに関する嘘がバレちゃうよね。まひろには、道長に関してはほどほどにしてもらわないと。
それで・・・道長は「まひろが不義の子を産んだ」と考え、歩くうちに「それは自分の子だろう」と結論が出ただろう。藤原宣孝との娘とされている女子は俺の子だ!と。
そういうの込みで、また絆が強まった感が道長にはあるのかな。
物語ラスト、月を眺めるまひろと道長を、そっと覗き見ている左衛門の内侍がいた。ここでも平安版「家政婦は見た」か、怖ーい、明子の姪だったっけ?明子にご注進するつもりかな。まひろ、呪詛されるね。次回を楽しみに、今回はこんなところで。
(ほぼ敬称略)
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