toyotac’s blog (original) (raw)

我が家の最長不倒家電とサヨナラする時がきました。洗濯機です。電機メーカーに勤めていた親戚が、会社の販売促進でポイントを上げるためにと、電子レンジとこの洗濯機を買ってあげました。我が家としては二代目である。よく頑張ってくれました。ところで新しいのと取り換え時の不満があります。同じ家電量販店で購入した冷蔵庫のときも、設置場所に長年つもりに積もったほこりや汚れを配送の方が古いのを積みこんで新しいのを持ってくるまでに、掃除しなければならないことです。冷蔵庫の方も20年近かったのでかなり汚れていたのですが、洗濯機は排水があるのでとてつもなく大変。それにくらべると、昨年新替えした食洗器のときは、メーカーの方がちゃんと掃除してきれいにしてくれました。さすがドイツのメーカーや、と感心したほどです。お安いとはいえ量販店は考え物です。ご自分で掃除してくださいねといわれたら人によってはパニクるんじゃないかと。そんなときの量販店のマニュアルはどうなってるんでしょうかね、非常に気になるところです。これ経験された方たちとぜひ駄談会したいですね。

(最近蝶が中庭にやってきてくれます。キッチンの窓にとまっているので、

思わずシャッターを切りました。)

現役のころ何度となく出張した札幌。時計台の前も幾度か通ったが、中に入ったのは初めてだった。展示を見ていると後ろから声がかかり、背中の荷物大丈夫ですかと。その意味がわかるまで少しあって、問い返すと背中の荷物重くありませんか?入口近くに置き場所がありますよと。同年配と思える方はボランティアさんでした。シルバーシートを譲られたときと同じ困惑。ああ。説明を聞いて、自分の思い込みが露見した。教会じゃなくて、学校の演武場、今でいう体育館だったのです。鐘があるのと外見で思い込んでいたのだ。いつもの癖。おそらく自分だけだ。そういえば、ゴダイバ夫人とピーピングトムの時計台は時報のためで、教会とは無縁でした。札幌駅から始まる地下道があんなに延びていたのには感心です。待ち合わせには改札口が複雑な札幌駅より地下道の方がわかりやすいのでと、たまたま出張で来ていた長男と落ち合うのに30分もかかった。地下鉄の出口の番号と地下道の番号が違ったのです。やれやれ。ショットバーのメニューにアップルマティーニがあった。ニューヨーカーのように、アップルティーニとは言わないそうです。いい一日でした。

(今年初めて庭に自生していました。棘が痛いのでピンセットを使いました。)

オリンピックイヤーに開催だった学年同窓会がコロナで二年ずれ、古希記念に。それから2年後、オリンピックイヤーに復帰した。かと思いきや、次回は後期高齢者入りの3年後に開催と決まった。初めて参加してみようかと思った学年同窓会がいみじくも古希記念。旅費をかけてもあって見たかった人がいたのだった。前回は三人とも欠席だったのに今回全員に会えた。覚えてくれていたか、変わりはないか、どのように年を重ねたか。若くして星になったつぎ子に教わった通り、モヤモヤを解消するには会うに限ると。その通りに感動することもなく平凡におわった。つぎ子の時は、彼女が同じ思いをしたに違いない。自分自身は依然として宙に浮いた気持ちは変わらなかったのに。数か月後、結婚するとのはがきが届いた。その数年後、風の便りに星になったと聞いた。これで完全に縁が途切れてしまっと、しばらくぼーっとしたのを覚えている。この先にも、もやもやを覚える人との出会いはあるのだろうか。期待を持たせながらなかなか結末が見えない韓国ドラマ。ネットでネタバレや最終話を知ってスッキリしようか、それともモヤモヤを楽しもうか。あれっ?これって宝くじに似てるのかな。ちょっと違うな。いいえ、過程をじっくり味会う点は同じではないか。

(庭に自生するユリ。猛暑なのに元気いっぱいたくさん咲いた。羨ましい。)

一年ほど前にシドニー行きの夜行便の落語を聞いた。初めてだったが面白いと思った。上手いと思った。機上でこれもいいもんだなと。で、札幌行き、これはもう一つの大手航空会社で、いつも携帯している文庫本を手にしたが、あ、落語があるじゃない。と、期待した。ところがところが、今時こんなネタする人いるのかと。乗ったタクシーではカスハラ、奥さんにはパワハラとセクハラ。聴いてられなくなった。20年前だったら普通だったのかもしれないが、時代錯誤も甚だしい。少しの笑いと拍手があったので公開録音でしょうが、その場の空気を想像するにお客さんの満足度はかなり低かったと思いたい。江戸前の活きのいいしゃべりとテンポは良いがセンスを疑いたくなる。今時はNHK,民放共にクレームをおそれて放映しないのではと。二つある演目でもう一方のは上方落語で、差しさわりのない内容。で、大いに笑えるほどでもなかったが、合格点をあげよう。落語をろくに知りもしないで生意気な論評してすみません。でもどうしても書きたくて書きました。我慢できなかったので。

(今年、我が家のサルスベリの花は豊作でした。猛暑が好きなのか。元気をくれる。

暑苦しい赤なのに。)

今や死語になっちまったかなと思えるほど聞かなくなった水商売。昭和50年度の新入社員が先輩たちから聞いた、海運業はその名の通り水商売だから浮き沈みが激しく、将来の見通しも立ちにくいと。とはいえ、その当時は頑張って勉強していい大学にいって、大会社に就職すれば、一生中流の生活ができるという時代だった。それは今は昔、いい大学を出ても面接で選別され、大企業に入れても年功序列はなく、会社そのもののサステナビリティも当てにならない。武力侵略だってあるかもしれない、この時代にあるのかよという事例が実際起きている。みんな水商売をやっているようなもの。上から目線でこの言葉を使っていた人、今はいない。多様性尊重なんてかっこいい言葉では理解できない不確実性。南海トラフ巨大地震も、起こんないから起こるかもと震え上がった。子供のころは扇風機で過ごせたのに、今やエアコンがなければ熱中症に。確実に温暖化は進んでいるのが実感できる。異常気象も日常になるなら、人の方も柔軟に生きるしかない。それには健康一番お金は二番、三時のおやつはプチハッピー、なんてね。

(この花わかりますか。上品すぎてよく見えないでしょう。肉眼でみると

とても和みますよ。)

自死という言葉を聞いたのはごく最近である。世間ではいつごろから使い始めていたのだろうか。病気の呼び名も社会の変化に合わせて変わってきた。言葉は対象物をリアルにしかも社会に受け入れられるものがその時代を生きる。世界情勢が混乱してきている昨今、テレビ番組で’内在的論理’ということばを聞いた。なるほど、とその時は刺さった。とはいえ、当たり前のことじゃないかという人もいる。で、どうなるのと追っていくと急にその名言が薄っぺらく感じてくる。同じ意味を何れもっと刺さる言葉で発する人が注目されるのだとろう。当たり前のことが当たり前にできないのが人間のサガ。そんなことを思いめぐらしながら妻の遺影に備え供える庭木の花を一枝。屋内に持ち込んでサッシを閉めたら、小さなアリさんが一匹くっついていた。外に逃がしてやろうとソフトにつかもうとしたら床に。そしてサッシの溝に。露結対策か穴が開いていて、そっから庭に戻ってくれた。殺生をしなくて安堵安堵。頭の思考が急にほのぼのに。身の回りの平和を感じました。

(去年この花は咲かなかった。一昨年までは盛んにさいていたのに、今年は

葉っぱまで小ぶりに。年によって花にも陰陽がある。人にもね。)

間違いではない。どちらかがらしくなかったのだろう。なぜ違うんだろうと考えるようになった後も変えなかった。変えられなかったのだ。たぶん自分との距離の違いだと思う。比較的会う機会が多かった叔父さんと叔母さんはチャン付けだった。二人の息子の内、長男は未だにパパと言う。次男はいつのころからか父さんになっていた。6年前に星になった妻については、息子たちにはママ、長男の嫁には久子、孫たちには久ちゃんといっている。一昨年と去年に亡くなった義理の両親には久子と。世間には、生前は家内、今は妻と。ときどきごっちゃになることもある。距離を考えながらのことだから。父は仕事で忙しく、接する時間が少なかった。会話もあまり覚えていない。その点母は、特に小さい頃はくっつき虫のようにそばにいた。自転車の後ろとか、椅子のうしろとか。ところが高一の年に父がなくなり、母が家長になりだしたころから距離が遠くなった。就職、結婚、ますます距離を置いた。それでもお母ちゃんのまま。母が息子を識別できなくなってからも、お母ちゃんと声をかけた。婚約期間に久子と呼ぶととても喜んでくれた。ところがある時からさん付けで呼んでほしいと言い出した。これは何を意味するのかと思いながらもそれに従った。お分かりかな?

胡蝶蘭の開花が終わりに近づいた。それならと、その美しさを残そうと

撮ってみた。)