裏切りのサーモン (original) (raw)

公式SNSなどで既に公開されている情報はネタバレに含まないという解釈で記事を書いています。

"キンツア"をご存じか?

関俊彦Get Wildを歌い、三木眞一郎恋しさとせつなさと心強さとを歌うことでいま話題の映画『KING OF PRISM-Your Endless Call- み~んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ』(キンツア)。

「そもそもKING OF PRISMって何?」という疑問をお持ちの方には、こちらの動画を見ていただきたい。わずか90秒でこれまでのKING OF PRISMの歩みをほとんどおさらいしているので。

おわかりいただけただろうか。こういう作品です。正直、予習はもうこれだけで充分。欲を言えばプリティーリズム・レインボーライブから観てもらいたいけど、もうそんな時間はない。公開から二週間が勝負なので(監督が言ってた)。

それでも、もう少しだけ**氷室聖(CV:関俊彦)法月仁(CV:三木眞一郎)のことが知りたい! あるいは、何も知らずにキンツアを観て、いきなり氷室聖(CV:関俊彦)法月仁(CV:三木眞一郎)**に興味を持ったけど、彼らのことを何も知らない! もっと知りたい! という人たちのために、簡単な説明をご用意しました。お時間は取らせません。90秒で済みます。

氷室 聖(HIJIRI HIMURO)

CV:関俊彦

— KING OF PRISM (キンプリ)公式 (@kinpri_PR) 2024年11月23日

プリズムスタァ養成スクール・エーデルローズの現主宰。かつてはプリズムキングの座を争うエーデルローズ所属のトップスタァだったが、仁の策謀により大怪我をし引退。以降指導者としての道を進む。

一条シンにプリズムの煌めきを感じ、エーデルローズにスカウトした。

誕生日:11月23日 星座:射手座 身長:184cm 血液型:B型 利き手:右利き

(公式サイトより)

以下、僕のまとめた情報です(主観が入ります)。

父親はエーデルローズ財団創始者法月皇母親は元プリズムスタァの氷室マリア。両者とも故人。プリズムスタァとしての類稀なる才能を持って生まれた聖は、数年前、天羽ジュネという(亡き母親の面影を想起させる)少女との出会いと交流を通じ、前人未到の四連続ジャンプを(練習で何度か)成功させ、次期プリズムキングの座を確実視されていたものの……。

その活躍を妬み、キングの座を奪われることを恐れた法月仁の策謀によって、足に大怪我を負ってしまい、二度とプリズムショーができない身体になってしまう。その後は、天羽ジュネの専属コーチとして彼女をプリズムクイーン(同時に、史上初の公式戦での四連続ジャンプ成功者)へと導き、自身はプリズムショー協会の会長として、世界に"プリズムの煌めき"を広める活動をすることに。

そこからなんやかんやあって(詳細はプリティーリズム・レインボーライブで確認してください)、現在は亡き父の創設したエーデルローズを引き継ぎ、婚約者の天羽ジュネや、前プリズムキング山田リョウと共に後進の育成に励んでいる。会社の経営状態は極めて悪く、ほとんど常に大幅な借金を負っている(だいたい法月仁の策略だけど)。肝心の後進育成も、ほとんど山田リョウやエーデルローズ卒業生のOver The Rainbow(速水ヒロ、神浜コウジ、仁科カヅキ)が直接的な指導を行っていて、氷室聖はプリズムキングカップ(PKC)の時くらいしか、練習に顔を出していないように見える。ほとんどの時間、ジュネと礼拝堂でプリズムの女神に祈りを捧げているような気がする。

正直、少なくない数の視聴者からは頼りない人として認識されている節もあり(特にジュネ様関連では、明らかによくないことをしている)おもろいお兄さん(おじさんというほどの年齢ではない)(まだ20代のはず)としての立ち位置を確立しつつあったのですが、今回のキンツアでのプリズムショーで、その前評判をひっくり返しつつあるようです……!

— KING OF PRISM (キンプリ)公式 (@kinpri_PR) 2025年6月12日

プリズムスタァとしての才能だけを持って生まれた人だと思うんですよね。スキルツリーがそこに全特化してしまっていて、指導者としても経営者としてもかなりダメダメだと思う。他者の心情を慮ることも、得意ではないように見えるし。でも、そういうところも含めて彼の可愛さというか、チャーミングなところというか。欠点も含めて愛してしまいたくなる、どこか末恐ろしい魅力を持った人物なのだと思います。その才能は、今回のキンツアで披露したプリズムショーにおいても、遺憾なく発揮されていましたね。

なんでGet Wildなのか、については諸説ありますが、**小室哲哉Get Wildの大ヒットで借金を返済したという逸話から来ている可能性も……?**

法月 仁(JIN NORIDUKI)

CV:三木眞一郎

— KING OF PRISM (キンプリ)公式 (@kinpri_PR) 2024年7月18日

エリートプリズムスタァ養成スクール・シュワルツローズの総帥。異母兄弟である氷室聖の打倒に命を燃やす。

かつてはプリズムショーのアイドル化の先駆けともなった人気プリズムスタァだが、華々しいプリズムキングの実績の裏で、黒い噂も絶えなかった。

プリズムジャンプを超える次世代のジャンプ“プリズムアクト”を確立したが、受け継ぐものがおらず技は時代と共に消えていった。

誕生日:7月18日 星座:蟹座 身長:175cm 血液型:A型 利き手:右利き

(公式サイトより)

以下、僕のまとめた情報です(主観が入ります)。

父親はエーデルローズ財団創始者法月皇母親法月愛。そう、法月仁と氷室聖は異母兄弟なのです。仁が兄で、聖が弟。愛さんが本妻で、マリアさんが不倫相手です。愛さんはご存命。なんか政略結婚だったみたいな話を聞きますけど、ハッキリしたことは僕にはわかりません。本編で描かれてないもん……。

幼い頃からプリズムショーの練習に明け暮れ、プリズムキングの栄冠にも輝いた仁。今回のキンツアで披露されたのは、その時のショーですね。聖がプリズムショーにのめり込んでいったのには、異母兄への憧れもあったように見えますが、そのことが後に、仁自身の首を絞めることに。

自身の確立したプリズムアクトが、採点対象として認められなかったこと。やがて台頭してきた聖の連続ジャンプが高く評価されるようになったこと。何より自身の母親である愛までもが、聖の放つプリズムの煌めきに心をトキめかせていたこと。それら、様々なことが重なった結果でしょうか。仁は人が変わり(聖曰く)、プリズムショーに心の煌めきなど必要ない。ただの点取りゲームに過ぎない。という偏った価値観を持つようになります。

ジュネとの出会いと交流を通じ、前人未到の四連続ジャンプを成功させ、次期プリズムキングの座を確実視されていた聖。自身の立場を脅かす異母弟の活躍に強い焦りを覚えた仁は、策謀によって聖に大怪我を負わせ、結果的に二度とプリズムショーができない身体にしてしまいます。そのまま不戦勝でプリズムキング二連覇を果たした仁ですが、全てを見通していたジュネから、強い拒絶の言葉をぶつけられた(そりゃそう)こともあってか、さらに屈折していくことに。

やがてエーデルローズの主宰となり、策略と謀略で高い地位を築くも、悪事を暴かれ失脚。その後、父親が亡くなると新組織・シュワルツローズを立ち上げ、打倒エーデルローズを掲げ、プリズムキングカップや新大会・PRISM.1(プリズムワン)などで、聖と何度も激突することに。本気でぶつかるうち、どこかで心境の変化があったらしく、以前のような策謀によってではなく、実力でエーデルローズを完膚なきまでに叩きのめすことにこだわるようになりました。

聖との複雑な関係性や、仁に憧れてプリズムスタァになった**高田馬場ジョージとの関係性など、様々な要素で高い人気を誇る法月仁。……高い人気を誇ってますよね? 僕がエコーチェンバーの中にいるだけという可能性も捨て切れないけど。でも、公式からも愛されてはいると思う。去年はCMソング歌ってたし。彼(と彼の母親)の解放と救済こそ、KING OF PRISMという物語の最終目標だと僕は信じている。**

— KING OF PRISM (キンプリ)公式 (@kinpri_PR) 2025年6月13日

今回披露された彼のプリズムショーも、彼の複雑な人間性が反映された独自の芸術作品として仕上がっていて、観るものを魅了します。決して平坦ではない彼の歩む道を、僕も共に歩んでいきたい。そんな法月仁という男の強さと弱さを、恋しさとせつなさと心強さとを、同時に感じさせてくれるプリズムショーに僕は心を奪われてしまいました。総帥 so sweet。

こんな、なんかちいさくてかわいいやつが、十数年後にはなんか地位が高くて可哀想なやつになっているのですから、驚きです。多面的な魅力を持つ法月仁の活躍に、今後もご期待ください。頼むぞ菱田(監督)。

まとめ

というわけで、無事90秒で氷室聖と法月仁について解説することに成功しましたね。もっと知りたい! という人は**TVアニメ『プリティーリズム・レインボーライブ』(全51話)をご覧になっていただくのがいいかな、と思います。もう少し楽がしたい人は、とりあえず映画『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(バイプリ)映画『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』(キンプラ)TVアニメ『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』(スッスッス)(全12話)**をご覧になれば、だいたいのことはわかるかと。バイプリ→キンプラ→スッスッスです。まぁ、わかんなければお近くのエリートに聞いてみてください。映画(60分)2本と1クールアニメ1本で済むのですから、予習としてはかなり楽な方かと。

今回は説明を省きましたが、**氷室聖、法月仁と並び"三強"と称された伝説のプリズムスタァにして、元祖ストリートのカリスマである黒川冷(CV:森久保祥太郎)や、先ほどチラッと触れた、前プリズムキングの山田リョウ(CV:浪川大輔)**なども魅力に満ちた人物ですので、よかったら深掘りしてみてください。

では、今日はここまで! 劇場でお待ちしてます!

大傑作アニメでした。

part 1(1〜14話)↓

part 2(15〜27話)↓

part 3(27〜39話)↓

"子供向けの創作物"に対する作り手の真摯な姿勢、誠実な態度が伝わってきます。全体の構成から細部の演出に至るまで、そういう真面目な大人たちが本気で作っているからこそ、本作には純粋な"強度"がある。強度があるから、変なことをしても作品が崩壊しないし、むしろ味わい深くなる。真っ当な面白さと不思議な魅力を併せ持つ、強く気高く美しい作品でした。

放送終了から10年以上が経過した現在においても、名前や形を変えながら語られ続け、愛され続け、さらなる煌めきと飛躍を世界に広め続けている本作。その理由は、変わらぬ"真っ当な面白さ"と"不思議な魅力"。そしてそれを生み出す作り手たちの変わらぬ"真摯な姿勢"と"誠実な態度"。あと何より素晴らしいのは(なんやかんや言いながらお金を落とし続けている)エリートたちの変わらぬ"尽力"。つまり、

ありがとう! みんなのおかげです!

の一言に尽きると、僕は思います。

**キンツア(『KING OF PRISM-Your Endless Call- み~んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ』)**の応援も頑張っていきたいですね。無理のない範囲で。

いきなり総まとめのようなことを書いてしまいました。あらためて、一話ずつの感想を書いていきます。

第40話 W告白?好きです先輩!

それにしても前回のpride温泉(pride風呂)は爆笑ものでしたね。prideを自らネタにしていく姿勢は、ヒロの誇り(pride)を傷付けるのでは? と危惧していましたが、むしろ自らの裸体を曝け出し、prideで笑いをとってみせることで、ステージに立つ者 = アイドルとしての誇り(pride)を示すという、ヒロなりの覚悟が込められた展開だったのだと、今となっては思います。たぶん。

新OP! TRFの楽曲じゃない! 作画が素晴らしいですね。あの、法月仁、ちょっといいですか!? ヒロは全然構わないんですけど、ついでにべるさんを脱がすのはやめてもらっていいですか!?

あっ、オバレだ! なんかりんねちゃんとジュネ様がドラゴンボールみてぇなバトルしてっぞ! みんなも宇宙飛んでる! りんねちゃんたちに追い付くぞーってことかな。Shiny Seven StarsのOPの最後のあれ(ミナトっちがウルトラマンみたいなポーズで飛んでくとこ)は、これのオマージュだったのですね。一瞬だけタイトルの文字が表示されるの、洒落てます。終盤に相応しい、ワクワクと寂しさを同時に味わえる素晴らしいOP映像です。

4年前、13歳でプリズムクイーンに輝いた天羽ジュネ……ってことは、まだ17歳!? 僕はてっきり、あの32話の回想はもっと昔のことだとばかり思っていたけど……。そしたら余計にまずいよ、氷室聖! ゆるされないよ! 母親の面影を想起させる17歳(未成年)の少女に恋愛感情を抱く成人男性は!(当時はまだ女性なら16歳から結婚できる時代ではあるけれども)(法改正が行われて、2022年から女性の婚姻開始年齢も男性と同じ18歳からになりました)(改めて考えると狂った法律だったなぁ)いや、まだ氷室聖が愛しているのはプリズムショーだけで、天羽ジュネ個人を愛しているわけではない可能性もギリ残されてはいるけど。うーん、どうかなぁ。氷室聖が見つめているのは、天羽ジュネ本人か、あるいは天羽ジュネの内側に宿る氷室聖自身のプリズムの煌めきの残滓か。二人の関係性から目が離せなくなってきました。

そんなことを言っていると、現れた! 法月仁! 「これはこれは……! 蓮城寺べるではありませんか。調子はいかがですか?」やけにうやうやしいのが不気味。初対面のなるちゃんを「なるちゃん」呼びし、「随分と可愛らしい」とコメント。ナメてますよね。同時に威圧している。やはりべるさんがエーデルローズ以外の者と組むことを快く思っていない様子。

法月仁は"自己と組織を同一化"している。そのため、組織に背を向ける人間の存在を、自己に対する直接的な"裏切り行為"と認識し、周囲の人々を強権的に束縛している。言い換えれば、ひどく恐れている。人に背を向けられることを。 振り向いてもらう(愛してもらう)ための方法を"勝者になること"しか知らない彼は、どんな汚い手を使ってでも"勝者になること"に固執している。それさえ叶えば、自分は愛され、あらゆる不安は取り除かれ、幸福を得られると信じ込んでいるから。勝者になって、権威を振り翳せば、なんでも思い通りになると思っている。そうでないと困る。他にどうすればいいかわからないから。

"有害な男らしさ"の背後には、強烈な不安がある。

「天羽ジュネに負けるようなことがあれば……今後は、あなたの好き勝手にはさせませんよ。我が花園、エーデルローズのために身を捧げてもらいます」と、いつも通りの恫喝をして去っていく。勝つことだけが全て。勝たなければ意味がない。べるさんと似たような家庭で育ったんだろうなぁ。そしてそのまま『さよなら、仁』をすることなく、ここまで来てしまった。

そんな法月仁の脅迫にも怖じることなく、自分たちらしいショーをすることを決意するべるさん。本当に強くなりました。さて、デュオ大会の開幕を飾るのは、実力者・Beef or Chicken! 後に続くはFish & Chips! この子たちの物語も気になるよ!

カヅキ先輩に彼女が……!? と思いきや、結局いつもの無自覚に思わせぶりな罪深カヅキ(つみぶかづき)でした。共に失恋を経験し、友情を深めるあんちゃんとわかなちゃん。家庭の問題を乗り越え、等身大の少女の(いい意味で)ありきたりな悩みと向き合っている二人のことが、ひどく眩しく見えます。

cherry-picking days

チェリーピッキン!

(チェリーピッキン!) ← めちゃくちゃ聞いたことあるバーニングでフリーダムな掛け声。

なんかこの二人のプリズムショーを見ていると、娘を見守る父親の気分になりますね。お互いの技を同時に披露し、四連続を飛んでみせる二人。バーニン! エキサイティン! これぞデュオの輝き!(無邪気)

氷室聖も法月仁も、心は少年のまま(大人になれぬまま)肉体だけ成人男性になってしまって……。きちんと導いてくれる大人は、いなかったのでしょうか。

Beef or ChickenとFish & Chipsも和解していて、安心しました。エンディングに実写が帰ってきた!

(少年の心を持った)大人たちの思惑が交錯し、どんどん重く苦しい展開になっていくことが予想される終盤だからこそ、こういう"普通"の女の子たちの悩みや友情が描かれることに価値を感じます。"普通"の日常を通して成長していく子供たち。そんな環境を守っていきたいものです。なぁ、聞いてるか? 氷室聖! 法月仁! 少しは黒川冷を見習ってくれ!

第41話 星がつなぐ絆

やはりデュオの中だと、この組み合わせがいちばん好きかも。いとちゃんとおとはちゃん。誰よりも繊細で純粋な愛情を内に秘める王子様と、そんな王子様を陰に日向に、強く優しく引っ張っていくお姫様。

おとはちゃんの両親もいろいろ苦労してたんですね。改めて語られる、いとちゃんとコウジの馴れ初め。そしてついに明かされるラッキースターの過去。

過去の悲劇を受け入れ、諦めずに乗り越えることを誓うコウジ。いいですね。こういう"強さ"があるところは、おとはちゃんと似ているかも。どちらも、いとちゃんには欠かせない存在ですね。人んちの問題に、嫌な顔ひとつせず真摯に向き合い、寄り添い、一緒に泣いてくれるおとはちゃん。本当にいい子だと思う。

いとちゃんとおとはちゃんのプリズムショー。そっかぁ、丈幸(ジョー)は「断ってくるよ」と言って家を出たのかぁ。それは、なっちゃんの立場から考えれば、弦のせいで愛する人が死んだ(弦に愛する人を殺された)ようなものだから、簡単に割り切ることはできませんよね。子供たちの幸せを阻むのは許されないことだけど、安易に責めることもできない。うーん、どうすればいいんだ。

ALIVE -TV mix ver.-

人は(人を)愛し生きていく

愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!! 愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!! 愛ゆえに……

ということですね。ね、菱田。

にこやかに微笑むコウジの顔に、在りし日の丈幸(ジョー)の面影を重ねる弦。このアニメ、何回面影を重ねれば気が済むのか。それだけ、神浜丈幸(ジョー)という男はメロかったのでしょうね。さすがオバレのメロ担当・コウジの父親です。生前の彼があまりにもメロかったために、ここまで話が拗れている。愛とは厄介なものです。愛などいらぬ!!

いま考えてみると、コウジ = 工事も、いと = 糸もどちらも何かを"作る"ことに関係のある名前の響きをしていて、実際ふたりとも作曲をしているわけですから、そういう意味のネーミングだったのかしら。

今回は法月仁の出番なし!

第42話 なるピンチ!消えたラブリン

りんねちゃんに別れを告げられたなるちゃんは大ショック。嫌われたと思い込み、大泣きしてしまう。心の煌めきが失われたことに呼応し、消滅してしまったラブリンを、みんなで手分けして探すことに。

「Good afternoon♪ カヅキくん♪ コウジ……」

急に声音を切り替えるの、面白いからやめてほしい。笑わせようとしてるよね。カヅキとコウジの二人を「のろまな亀さん」と煽るヒロ。今日のコーデは、なんだか法月皇っぽい。法月イズムを感じる。

「ちょ待てよ……!」

カヅキ先輩、怒りのちょ待てよ。こっちも笑わせようとしてますね。平成のイケメン仕草が過ぎる(実際平成のイケメンだから仕方ないけど)。

「一体お前は何を俺たちに求めてるんだ」

「なぜこうして絡んでくる?」

「俺たちに何か助けを求めてるんじゃないのか?」

と、ヒロの胸中を洞察するカヅキ。

パートナーなのに、自分がつらかった時には何度も助けてもらったのに、いま目の前で苦しんでいるなるちゃんのためにしてあげられることが何もない。そんな自分が不甲斐なくて、大粒の涙を溢すべるさん。偶然通りがかったヒロは、そんなふたりに

「嫌うっていうのは、りんねちゃんがなるちゃんに、何かを期待してるんだよ」

と助言する。

それはヒロも同じはず。そう信じるカヅキ先輩は、ヒロとコウジの仲を取り持ち、二人の関係を修復させようとしている。もうすぐオバレになれそう! でもあと10話もないぞ!? 間に合うのか!?

僕は法月仁も同じだと思う。彼の、周囲の人間への支配的な言動や、強権的な振る舞いは全て、彼なりのSOSなのではないか。もっとも、彼の被害を直接的に受ける少年少女たちにはどうすることもできない。大人たちがなんとかするしかない。

ヒロの助言を受けて、立ち直るなるちゃん。

「パートナーが苦しんでいるとき、ただそばにいてやればいい。人にはそれっぽっちのことしかできないんだ。でも、俺にはそれすら……」

法月仁が苦しんでいるときにも、そばにいてくれる人はいなかったのかな。いなかったのだろうな。

「人にはそれっぽっちのことしかできない」なんて言われると、『賭博黙示録カイジ』の名場面を思い出してしまう。57億の孤独(あかり)。原作だと長いので、短くまとまっているアニメ版の内容を引用する。

いつだって人は、その心は、孤立している。心は、誰にも理解されない。伝わらない。だから、誰もが理解と愛情を求めて、求めて、求め続けているが……結局、近付けない。孤独な一本道を行く、世界の66億の民。天空を行く一人一人、66億の孤独。手は届かない。遥か遠く離れている。できることは、通信。

それは、あまりにか細く、真の理解とは程遠いかもしれない。しかし、生きている者の息遣いは、僅かに、だが、確かに伝わる。

「ただそこにいるだけで、救われる。そうか、そういうことか……! 人間が……人間が、希望そのものだったんだ……!」

生きた人間が、ただそこにいるというだけのこと。その事実が、人を勇気付ける希望となる。ただ隣にいて、声を掛けて、共に泣く。いとちゃんのために、おとはちゃんがそうしたように。なるちゃんのために、べるさんがした「それっぽっちのこと」は、決して無駄じゃない。むしろ、人が生きていくことの"本質"と言ってもいい。「人の心を感動させることができるのは人の心だけ」という、『プリしんぼ』プリ原雄山の教えにも通じるものがあります。カイジ美味しんぼは、僕にとって人生哲学の教科書と言えます。だからそれらと通じる要素のある本作のことも大好き。

「ヒロさんって、いつも変なことばっかり言ってますけど、本当はとーっても優しい人ですね!」

ほんとにね! エーデルローズの外にいて、あまり因縁のないなるちゃんやカヅキ先輩だからこそ、ヒロのことを、"ひとりの人間として"フラットな視点から捉え、理解することができるのかもしれない。友達を増やすことの意義はここにあります。閉塞感や共依存は人間関係を腐らせてしまう。かつてのベルローズがそうであったように、オバレもきっと三人であることに意味があるのでしょう。

Little Wing & Beautiful Pride

Beautiful Pride……。prideという言葉の存在が、べるさんからヒロへの何らかの感情を示していたり、するのでしょうか。恋愛感情ではなさそうだけど。

ラブリン復活! ふたりのプリズムライブの共鳴が美しいですね。べるさんのピュアピュアアロー、貴重だ……。おお、五連続!! ついに人智を超えた……!! なるちゃんの想いが届き、りんねちゃんの言葉が「さよなら」から「いってきます」に変化しました。いったい、何をするつもりなのでしょう。

なるちゃんとべるさんの回でありながら、同時に、あるいはそれ以上にヒロの回でした。 密かに出し続けていた救難信号が届き始め、彼の抱える孤独に皆が気付き始めた。オバレ結成の瞬間が少しずつ近付いているのを感じます。間に合うかなぁ。

人と人が心を通わせること、その普遍的な"本質"に迫るエピソードでもありました。それはプリズムショーという芸術の"本質"に通じるものであり、また普遍的であるがゆえに、法月仁を理解するためのヒントにもなり得る。速水ヒロ、如月ルヰ、高田馬場ジョージを知ることで、少しずつ法月仁がわかってくる。

嫌うというのは、相手に何かを期待しているということ。このメッセージも、ヘイトや誹謗中傷が飛び交う現代社会、そこで生きていく人間たちを理解するための、極めて重要なヒントだと思います。法月仁も、きっと誰かに何かを期待している。

やっぱり坪田脚本でした。そして、今回も法月仁は出番なし。って、次回予告!! なんかこわいよ!! はぴなーるじゃないよ!!

第43話 天使の決意

「ジュネ……! 君は一体、荊りんねとどんなデュオショーを披露すると言うのだ……!」あんたほんと独り言デカい。昔からそう。

いよいよ、天羽ジュネと荊りんね最強のふたりによるプリズムショーが始まります。「ジュネ……!」と、苛立ちを隠せない様子の法月仁もやってきました。注目度ナンバーワンですね。

SEVENDAYS LOVE, SEVENDAYS FRIEND

やはり作曲は斉藤恒芳氏。SEVENDAYSと聞くと、神による七日間の天地創造を想起してしまう。

「この煌めき……! まるでこの世のものとは思えん!」はい、ちょっとあまりに美しくて言葉にならないので、氷室聖に代弁してもらいました。レベチです。他のデュオがダメという意味では全く無く。もうなんか、土台からして違う感じ。誰もがその煌めきに感動と戦慄を覚える中、ただひとり、法月仁だけは、まるで動じていない様子。心の傷がその目を曇らせてしまったのか。

音楽も、映像(特にカメラワークとカットの繋ぎ)も、とにかくレベルが高い。

同時ではなく、交互に個人の技を披露していく。ついに六連続ジャンプ! 「これはまるで決闘だ!」

閃光の中、ジュネ様がりんねちゃんと同じ姿に変化し、二人は宇宙空間へ。対話が始まる。

「まだ帰れない! もっと、もっとプリズムの煌めきがその強さを増すまでは!」 「この世界の煌めきは、この世界の者に委ねなければならない! プリズムワールドの者がこの世界のトップに立ち続けるなど、絶対にあってはならないこと」 「まだこの世界の者には任せられない! 私がいま帰れば、プリズムの煌めきは失われる!」

あの、これウルトラマンでしたっけ。たぶんおそらくほぼ間違いなく、ウルトラマンゾフィーの会話が元ネタだと思うんですけど。

ゾ「さぁ、私と一緒に光の国へ帰ろう。ウルトラマン」ウ「ゾフィー。私の身体は、私だけのものではない。私が帰ったら、一人の地球人が死んでしまうのだ」ゾ「ウルトラマン。お前はもう充分地球のために尽くしたのだ。地球人は、許してくれるだろう」ウ「ハヤタは立派な人間だ。犠牲にはできない。私は地球に残る」ゾ「地球の平和は、人間の手で掴み取ることに価値がある。ウルトラマン、いつまでも地球にいてはいかん」

「あなたは私に勝つことはできない!」「勝つのは私よ! だって、あなたは本当の愛を知らないから」(中略)「愛を知らない者が、本当のプリズムの煌めきを放つことができるの?」(中略)「でも、私は愛を知っている。私には好きな人がいる! 愛している人がいる!」(中略)「聖は! 彼の愛は本物よ! 彼はきっと、私のことを、愛している!」「本当にそう言えるのかしら」「私にはわかる。彼は、私のことが好きに決まっている!」

そんなに氷室聖が好きになったのか、天羽ジュネ。

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プリズムワールドの使者って、ウルトラマンなんすね! 初期の頃、僕はりんねちゃんのことをハイパーカブトだと思ってたけど、ヒーロー違いだったんだ。

なぜ天羽ジュネのプリズムショーは、観る者の心を感動させることができるのか。その答えは、彼女もまた人の心を持つ者だから。プリ原雄山は本当に大切なことを教えてくれていた。個人的で具体的な情念(特定個人への愛情など)を、舞台の上で普遍的なパフォーマンスとして昇華することで、人と人の心を繋ぎ感動を生み出す。プリズムショー、および芸術の"本質"。根源であり、基本であり、同時に"全て"でもある。この"本質"に忠実だから、天羽ジュネは強い。プリズムワールドの使者でありながら、彼女は既に、完全に、人間です。人間だから、人間を感動させることができるのです。人間が希望そのもの、だから。

僕は強い人が好きです。それは法月仁の言う「女は勝利者に惹かれる!」的な意味とは、ちょっと違っていて(ごめんね法月仁)。血の滲むような努力を積んできた、本当に強い人のこと。なぜ好きなのかというと、その"強さ"の裏には必ず"人間"がいるから。

強者ゆえの孤独。強者ゆえの責任。それら全てを背負い、更なる高みへと進んでいくその背中は、人々の憧れであり、"人間の可能性の象徴"として我々を勇気付けてくれる。

本当に強い人が見せる、人間らしい一面が好き。我々と同じ普通の人間が、本当の強さを目指して挑戦を続ける、その勇姿も好き。だから僕は**蓮城寺べる高田馬場ジョージが好きなのだと思う。彼らは極めて人間らしく、そして強い。今回、天羽ジュネもその枠に入りました。人間じゃないけど、いやむしろ、人間じゃないからこそ、極めて人間らしいと言える。**

人間じゃないものを使って"人間らしさ"を描く、という手法は、それこそウルトラマンの文脈だし、ピクサーがよくやってることでもある。虫、モンスター、魚、車、鼠、ロボット、感情、属性……。たとえば、トイストーリーのウッディなんか、オモチャなのに"人間らしさ"の塊ですし。僕はこういうのが本当に好きなんです。トイ4の感想で5万字書けるくらい。暇だったら読んでみてほしい。

ひどい脱線をしてしまいました。申し訳ない。人間じゃなくて、人間らしくて、本当に強い人。僕のストライクゾーンど真ん中に、いきなり豪速球のストレートを投げ込んできた天羽ジュネ。その衝撃が凄すぎて、熱く語ってしまいました。だって、ウルトラマンなんだもん。ウルトラマン好きだもん。

ジュネ様はプリズムワールドの使者なので、血の滲むような努力はしてないかもしれない。氷室聖との猛特訓も、彼を満足させるための演技だったのかもしれない。練習なんかしなくても、五連続でも六連続でもポンポン飛べるのかも。でも、彼女の背負う"覚悟"は本物です。だから本当に強い人。

結果、ジュネりんねペアが優勝。べるさんは法月仁との約束(脅迫ですけど)を果たせなかったことになります。その法月仁は「心の煌めきがどうとかのたまわっているのがそもそもの間違いなのですよ。プリズムショーは所詮、点取りゲーム。いかにミスなく効率やるかにかかっている……だよねぇ? ヒロ?」とコメント。いちいちヒロに同意を求めるのが鬱陶しい。同調圧力ホモソーシャル。ヒロの不満も溜まる一方。

細かい指摘をすると、「のたまわっている」ではなくて「のたまっている」だと思うぞ! 法月仁! そういうところなんじゃないか?(難癖)

プリズムショー、および芸術の"本質"を何も理解していない様子。プリ原雄山ブチギレ案件。てか、こいつの雄山(父親のこと)は何を教えてきたのか。何も教えてないのか。彼がこんな哲学を身につけてしまう背景に、幼少期の家庭環境があることは、もはや疑いようがない。かわいそうに、法月仁。

みんなの元へ帰ってきたりんねちゃん。氷室聖の元へ帰ってきたジュネ様。激闘を経て、二人とも疲れ果てている様子。氷室聖の愛を確認しようとするジュネ様でしたが、その氷室聖は、ジュネ様個人ではなく"プリズムショーの煌めき"に夢中の様子。恋してるって言ってたもんね。かわいそうに、ジュネ様。

次のオーバー・ザ・レインボーセッション(オーバー・ザ・レインボー!?)で蓮城寺べるをプリズムクイーンにするべく、法月仁は独自の超絶ブラックスパルタ練習プログラムを作成し、べるさんに実行するよう強要する。まぁひどいんですけど、単にジュネやりんねを蹴落とすだけでなく、きちんと実力も身に付けさせようとするあたり、真面目というか。

今回も坪田脚本でした。ほんとすごい。

音楽も映像も極めてレベルが高く(改めて観てみると、りんねちゃんとジュネ様が同一人物であるという事実を、ものの見事に表現している)、これまで得体の知れない存在だった天羽ジュネが、実はどこまでも"人間"であったことが明かされる展開と併せて、まさに"芸術"としか言いようのない感動のエピソードでした。本作でいちばん好きな回を挙げろと言われたら、今話かもしれない。作り手の気合いを感じました。前回のブログで触れた上手(かみて)下手(しもて)の話を掘り返すと、今回のプリズムショーでは、天羽ジュネが下手側、荊りんねが上手側に配置されています。ここから、これまでラスボスだと思われていた(実際そうなんだけど)天羽ジュネが、実は避け難い"運命"と戦い、懸命に抵抗する"反逆者"であったことがわかるのです。あまりにも上手い演出。

第44話 虹の救世主は君ジャ!

また長くなってきたので、ここから削れるところはなるべく削っていきます。

各地でプリズムショーができない、異常事態が発生していることもつゆ知らず、呑気にプリズムクイーンカップの発表記者会見を開催している氷室聖。「劇的な新クイーン誕生の瞬間が〜」なんてことを言って、またもジュネ様を不安に陥れてしまっている。ほんとに鈍感なんだから。さすが約半年間に渡って、りんねはCGだという偽情報を信じ込んでいただけのことはある。法月仁が輝きを失った理由もわかってないし。

その法月仁。「我がエーデルローズがプリズムクイーンの栄冠を勝ち取るには、やはりジュネが邪魔のようですね」と呟く。法月仁が本当に憎いのは、本当に復讐すべきなのは、氷室聖であり法月皇であるべきだと思うのですよ。それなのに、エーデルローズに背を向けた = 自分を裏切ったジュネに敵愾心を剥き出しにして、自らの権威の前に屈服させ、自らの権力で支配してやろうと画策している。そうすることで氷室聖への嫌がらせにもなるし、強者にして勝者である自身にも相応しいトロフィーが手に入るから。そして、トップになれば愛されるという、自身の幼少期の経験に基づく哲学の正当性が証明されるから。たぶん、そんなとこだと思います。だとしたら、歪んでるなぁ。

七匹のペアともの正体は、分裂したピコック先生でした。そして語られる世界の真実。プリズムワールドの使者はみんなりんねちゃん(シャインは別として)。なるほど、ルヰくんもりんねちゃんなんですね。プリズムワールドの者がトップに立ち続けることで、人類の成長は停滞し、煌めきは失われてしまう。地球のプリズムの煌めきは、人間の手で勝ち取ることに意味があるのだ。ウルトラマン

誰かがジュネ様を超えるプリズムショーをすることで、人間が天使を超えることで、ジュネ様がこの世界にいる理由がなくなる。ぼくだけの力でジャイアンに勝たないとドラえもんが帰れない状態。これ、実質べるさんに地球の運命がかかってるわけですよね。大変な重圧だ。ただでさえ、どっかのメガネのおじさんにパワハラされてるのに。

まぁ、世界の命運がかかっているから仕方ないとはいえ、いまやひとりの恋する人間であるジュネ様を、みんなで倒す流れになっているのは悲しくもある。

んで、メガネのおじさんもとい法月仁。夜遅くまでべるさんに過酷なトレーニングを課しています。「心の煌めきなど不要。大事なのは正確なダンス、正確なスパイラル、正確なジャンプ。プリズムショーは点取りゲーム! 心を消してマシーンになるのです」と、またも独自の哲学を説く。「安心なさい。ジュネはオーバー・ザ・レインボーセッションには出場できません」とゲス顔。やっぱり真面目だよなぁ。どうせズルするのに厳しいトレーニングを積ませるなんて。必死に受験勉強しておきながら、同時にカンニングの準備もしているような不思議さ。ぜったいに失敗をしたくない、強迫観念じみたものを感じる。

その様子を陰ながら眺めるヒロ。このままではべるさんも、自身と同様に主催の道具として使われてしまう。不安と焦燥に苛まれていると、そこにカヅキが。

花束を持ち、ジュネの自宅へお見舞いにやってきた氷室聖。その姿を激写する影。法月仁の回想。クイーンに輝いた直後のジュネに、法月仁が語りかける。俺と二人でエーデルローズを引っ張っていこう。キングの隣にはクイーンこそ相応しい、と。そんな"有害な男らしさ"全開の申し出に、ジュネ様は「あなたは偽りのキング。人を貶めてまで上に立とうとする最低の人間!」「私は聖に着いていくわ」と返答。そりゃそうだ。このことに大変なショックを受けた法月仁は、四年経ってもなおジュネへの復讐心を募らせ続けていた。やっぱりここでジュネ様に矛先が向かうの、歪んでるよなぁ。メガネガタガタ。

ヒロのボロアパートに招かれたカヅキ。かつての、幻のプリズムキングカップ。三強決戦についての会話で盛り上がる。前哨戦となる大会にて、**EZ DO DANCE(わざわざ収録している)をバックにプリズムショーを披露する黒川冷。分身してる! 爆発してる!** 法月仁の"ゴネ"で得点は大幅に減点され、続く氷室聖も四連続ジャンプに失敗。結果、法月仁が勝利を手にすることになりました。しかし、カヅキ先輩は真実を知っていたのです。

あの時、黒川冷の身体は浮いていたんだ。

レインボーライブを観る前から……なぜでしょう、僕はこのワードを知っていたのですが。なんでネタになってるんだろう。確かにちょっとシュールではあるけど。とにかく、黒川冷は浮いてました。

面接で法月仁から、黒川冷とストリート系の悪口を言われたことが理由で、エーデルローズの入学を辞退していたカヅキ先輩。それを「逃げた」と評するヒロは、「なぜエーデルローズに入って、自分を貫かなかった! お前ほどの力があれば、エーデルローズを変えられたかもしれないと言うのに!」「黒川冷は表舞台に上がったぞ!」と檄を飛ばす。なるほど確かに。それを実践したのが大和アレクサンダーなのですね。本当にすごいな、アレクは。レインボーライブを観ると、アレクの株がどんどん上がっていく。

氷室聖と天羽ジュネの熱愛が発覚! とうとう、やってしまいましたなぁ。いつかやると思ってました。

てか、今回まさかのプリズムショー無しじゃん! 前回頑張り過ぎたか。ゆるす。黒川冷浮いてたし。

第45話 薔薇の革命

cooさんが黒川冷を隠さなくなってきてる。そして氷室聖は役員たちに詰められてる。うわぁ、これは法月仁の策略勝ちですねぇ。熱愛を認めれば会長の職を辞することになる。熱愛を否定すれば、ジュネを失うことになる。Aの部屋もBの部屋もドボンだ。これは見事な策略だなぁ。

息子たちのわちゃわちゃを厳しい面持ちで見つめる法月皇。お前のせいだからな。

相変わらずべるさんにパワハラをする法月仁。「実力でクイーンになりたい? 馬鹿なことを言うな!」と声を荒げ、「君がクイーンになれるのは、エーデルローズの力のおかげなのです」と恩着せがましいことを言う。自分のやり方でクイーンを作り、氷室聖の作った天羽ジュネを超えて、自らの正当性と優位を証明したいのかな。めんどくせーやつ。

わかなちゃんやおとはちゃんを人質に取ることで、べるさんを従わせようとする法月仁。ゲスの極みです。そこにヒロが現れ、抗議する。「絶対アイドル☆愛・N・G……」ヒロとべるさんのハグ写真を見せ、脅す法月仁。「貴様の母に似てだらしない」……うわー、これはだめ。一線を超えてます。あんたの父親の方がだらしないよ。

このままではプリズムショーもエーデルローズもダメになってしまう、と落ち込むべるさん。対するヒロは明るく振る舞い「男の子は人生で一度くらい、牢屋に閉じ込められたプリンセスを助ける王子様になってみたいと思ってるんだ」と言ってのける。「全ての決着をつける」と、決意を固めた様子。前々から溜まっていた不満が、母親の貞操を侮辱されたことで爆発したのかな。いいぞ、やっちゃえやっちゃえ。

ジュネに電話をかけ、大事な話があるからと協会に呼び出す氷室聖。胸をときめかせ、待ち合わせ場所に向かったジュネを待ち受けていたのは、記者会見でした。えっ、なに。熱愛認めるの? 「聖さん? これは……」ジュネに何の説明もないまま、氷室聖の謝罪会見が始まる。さて、彼が選ぶのはAの部屋(職を捨てジュネを得る)か、Bの部屋(職を守りジュネを切る)か。どちらにせよ破滅ですが。「今回の騒動の一切の責任を取り、プリズムショー協会会長を、辞任致します!」衝撃を受けるジュネ。「辞めるということは、ジュネさんとの熱愛を認めるんですか?」当然、記者から質問が飛ぶ。「私とジュネさんの間に、そのような関係は一切ありません!」えっ「もちろん、彼女への特別な感情も全くありません!」あかん、書いてて泣きそうになってきた。記者からコメントを求められ、即座に笑顔を作り「氷室会長のおっしゃる通りです。私も会長のことはなんとも思っておりません」と返答。うわーん、つらすぎる。ほんま、ゆるせへん。てか、ありえへん。こいつ、Cの部屋選びやがった。

職を捨て ジュネを捨て vintageな〜……

じゃねぇんだよ。氷室聖の株が、今の米国株と同じくらい大暴落しています。プリズム恐慌です。

ほんと、こんなくだらん冗談言ってないとやってられないくらい、この展開はつらい。ジュネ様があまりにもかわいそう。何を考えてるんや。まぁ、確かに氷室聖からすれば、未成年との熱愛を認めるわけにはいかんという事情もあるけれども。

しかし、なんにしても、まず事前にジュネ様としっかり話し合っておくべきだろう。こんな騙し討ちみたいな形でやる必要は一切ない。ただ打ち合わせをすればよかっただけ。ちょっとこれは、どう考えても擁護できません。悪手すぎる。

速水ヒロのツアーファイナル。コウジとカヅキ、そしてみんなを集めて「全ての決着をつける」覚悟のヒロは、ひとりステージに立つ。氷室聖を失脚させて有頂天の法月仁は、会場を見下ろし「人を操るなど実に容易いこと。笑顔を振り撒いて綺麗事をのたまわっていればこれだけ群がってくる」と一言(のたまわるじゃなくてのたまうだよ)。「なぜプリズムショーの煌めきを奪うようなことばかりする!?」と抗議しに現れた氷室聖を、「煌めき? お前の自己満足だろう」「口を慎めこの一般人が!」と一蹴。ほんと、楽しそうだね。権力大好きだもんね。

満員の観客の前で、真実を語り始めるヒロ。prideを作ったのは自分ではなくコウジであること。法月仁に脅迫され嘘をついたこと。速水ヒロ は嘘で作られたアイドルであること。

ステージの上で、深々とコウジに頭を下げるヒロ。今日でステージを降りることを発表し、最後に母親に向かって語りかける。「いつかまた、一緒に暮らせることを、心から願っています」と。

舞台を去ろうとするヒロの背中に、ファンたちの声援が届く。いいですね。ここ、応援上映でやりたい。たしかに速水ヒロは嘘で作られたアイドルだった。しかし、観客に届けたプリズムの煌めきは、間違いなく本物だった。高田馬場ジョージと同じように。いつか法月仁を救済するためのヒントが、ここにある。僕はそう信じています。

みんな! 教えてくれ! 作詞作曲は〜?

「「「コウジ〜!!!」」」

そういうこと♡

pride

pride

二番だ!

金さえあれば、なんでも手に入れられると思ってた。でも、そうじゃないものがあるって、俺はお前から教えてもらったんだ。誇り、**"pride"**ってやつを!

「あいつ……本物の勇者になりやがったな」カヅキ先輩も認めました。ヒロも追認します。ライトニング・スプラッシュ! シャイニング・スパイラル! 情熱! 熱風! スターライト・キッス……。そして四連続ジャンプ! まだ寝かさない!(えっ)(今これ書いてるの深夜4時なんすけど) あっ、電車だ! ヒロ様ー! ヒロ様ー! スターライト・エクスプレス! 朝まで付き合ってもらうぜ……キャーッ!(もう朝よー!) うん、最高のプリズムショーでした。

楽屋にて。カヅキとコウジに頭を下げ、自分が去ったあとのエーデルローズを頼もうとするヒロ。そこへ怒鳴り込みにやってくる法月仁。「お前のプライベートを全てマスコミにぶちまけてやる!」と脅迫。べるさんとのことだけでなく、母親のことも含まれているのでしょうね。最悪だ。「それで構いません」と毅然な対応を見せるヒロに、なおも呪詛を吐く法月仁だったが、そこへ「いい加減にしろ!」と鉄拳が飛んでくる。「どれだけ多くの人の未来を台無しにすれば、気が済むんだ……!」と怒りを露わにする、その鉄拳の主は、cooさん……もとい、黒川冷! 彼は、数年前の氷室聖の怪我を仕組んだのも、プリズムクイーンカップにジュネとハッピーレインを出場させないよう目論んだのも、全て法月仁であったことを突き止め、証拠を掴んでいたのでした(くっそプリティーなピンクのスマホに映し出される、ボコボコにされた生徒たちの自白動画)。とうとう追い詰められた法月仁。このことを世間に公表すると告げられると、「やれるもんならやってみなぁ! そんなことをしたら、プリズムショーの地位は奈落の底に落ちるだろうがな!」と逆上。そして爆笑。これには駆け付けた氷室聖も、黒川冷もドン引き。「壊れてやがる……」ほんと、どうして壊れてしまったのでしょう。PCみたいに何もしてないのに壊れたのでしょうか。そんなことがあるだろうか。なぁ、法月皇。

「そこまでだ!」とそこに現れたのは宇宙の帝王、ではなく法月皇。噂をすれば。「お、親父……!」と明らかに狼狽する法月仁。「仁、お前をエーデルローズ主宰の職より解任する!」と宣言する法月皇。あらら、"一般人"になってしまいましたね。悲鳴にも近い呻き声を上げ、腰を抜かし倒れる法月仁。「何故です!? 私はエーデルローズの名誉のために……」「お前のやっていることは、最低だ! 若者たちの未来を潰すことで、自分の憂さを晴らして……もう二度と、プリズムショーに関わるな!」お父様のお説教を受け、何も言い返せなくなってしまう法月仁。このとき、観念したようにゆっくりと目を閉じる法月仁の、一瞬の"拗ねた少年"の表情がたまりません。子供なんですよ。大人になれなかったんです。誰かさんがきちんと育ててくれなかったから。もう遅いよ。

永遠の少年、永遠の"息子"。だから"父親"には勝てない。創作物に登場する男性キャラクターは、大抵の場合、"父親"か"息子"かのどちらかに振り分けられます。氷室聖と法月仁は"息子"。法月皇は当然"父親"ですし、実は黒川冷も属性としては"父親"なのです。子供たちを教育し導く立場なので。だからこの場で、"息子"属性の法月仁に勝利することができた。"父親"属性が有り余り過ぎて、続編で赤ちゃんのお世話しちゃってるし。

子供たちの前で土下座をして、息子の非礼を詫び、全ては自らの責任だと謝罪する法月皇。目の前で父親が土下座をしている。子供なんかに。自分のせいで。法月仁の"pride"はボコボコでしょう。これはもう、再起不能なんじゃないかなぁ(すっとぼけ)。

部屋でひとり啜り泣くジュネ様。ほんま、氷室聖のこと、ゆるせへん! 法月皇! こっちの件も謝って! あんたの責任でもあるよ! たぶん!

いやぁ、濃い回でした。濃すぎるよ。前回も今回も坪田脚本でしたね。法月仁関連は菱田の味だと思ってたけど、坪田のエッセンスもかなり影響を与えているのかもしれない。

ちょっと一言では形容し難いエピソードですが、無理やりまとめるなら、法月仁を中心とする(少年の心を持った)大人たちの過去の因縁、愛憎が渦巻く混沌の世界に、「牢屋に閉じ込められたプリンセスを助ける王子様」となった速水ヒロが風穴を開け、"革命"を起こす物語だった、と言えるでしょうか。子供たちが成長し、大人たちを超えていく。レインボーライブらしいお話でした。そして速水ヒロの伝説は、キンプリへと続いていきます。王子様から王様へ。

法月仁について、そして「嘘で作られたアイドル」の高田馬場ジョージについて考える時、絶対に無視できない回となりました。今後も咀嚼し続けます。

第46話 開幕!オーバー・ザ・レインボーセッション

「黒い交際」「エーデルローズは伏魔殿」「プリズムショー界は悪の巣窟」「法月仁氏更迭」……と、新聞の見出しはデカデカと不祥事を報じています。およそ女児向けアニメとは思えない文字列だ。子供たちをナメない、媚びない、その意気や良し! プリズムの煌めきが消えるというのは、こうして大人たちの道具として消費され、誰もプリズムショーを心から楽しまなくなってしまうことを指しているのかもしれない。

そっか、オバレセッション(もう略しますよ)の日ということは、今日全ての決着がつき、りんねちゃんが帰ることになる日……ということ。子供たちが背負うには、あまりにも大きな重圧と悲しみですね。

プリズムの煌めきが失われるっていうけど、たぶん大丈夫ですよ! みんなでナナイロノチカイ歌って、エンゲージすれば復活しますよ! 僕もう何回も復活させてますし! 皆さんもそうでしょう?

やはりみんな重圧に苦しみ、思うように集中できていない様子。オバレの三人がみんなを励ますも、上手くいかない。そんな中、ひとり覚悟を決めたおとはちゃんがみんなを集める。「あなたたち、全然メルヘンじゃありませーん!!」と一喝! いやぁ、いいなぁ。かっこいいなぁ。それでこそ僕の大好きなおとはちゃん。一番槍の突撃番長。ベルローズのエンジン。最高だよ! あなたを応援し続けてきてよかった!

エーデルローズに対するブーイングの嵐。圧倒的アウェイの空気感(ぜんぶ法月が悪いです)に包まれるも、まるで動じることなくパフォーマンスに臨むおとはちゃん。家族のみんなもオロオロしているようで、お母さんだけはおとはちゃんのことを信じて黙って見守っているの、アツいですね。かっこいい親子だ。

Vanity(黒ハート)colon

パパヤパヤパパーヤパパーヤパ パパヤパヤパパッパッパー

一瞬で会場の空気感を変えてしまう。本当に強い。ああ、目に焼き付けておかないとなぁ。脅威の五連続ジャンプで、見事プリズムの煌めきを極限まで高めることに成功しました。ほんと、作り手の皆さん、おとはちゃんをトップバッターにしてくれてありがとう。

続いては、おばあちゃんからのアドバイスで迷いを振り切ったあんちゃんのプリズムショー。

Sweet time Cooking magic ~胸ペコなんです私って~

いちばん健全で好き。別に不健全なプリズムショー(不健全なプリズムショーってなんだよ)は嫌いという意味ではなく。思えば、本作を観るようになって最初の驚きは、女子のプリズムショーの健全さでしたね。その純粋な煌めきの眩しさを、これでもかと教えてくれたのがあんちゃんでした。ありがとう。

これまでの展開を振り返ってみると、他のみんなに隠れているだけで、なんやかんやあんちゃんもハードモードでしたね!(半分くらいはカヅキのせいだった気がする) よく頑張ったよ! えらいよ! あんた最高だよ! 五連続ジャンプ! 昔は三連続も飛べなくて泣いてたのにね! 子供の成長はすごいなぁ。

一年間を振り返り、キャラの成長を実感させ、その魅力を極限まで高めてみせる素晴らしい回でした。

第47話 愛に輝く幸せの星(ラッキースター)

浮かない顔のジュネ様(そりゃそうだ)。ファンからのメッセージカードに目を通すことはなく、氷室聖(無職)がやってくるかどうかを気にしている。来るかなぁ。チケット代払えるかな。

楽器屋の親父こと北川さん、めっちゃ重要人物じゃねぇか……。密かに推しててよかった……。北川さんの口から、丈幸(ジョー)も再結成を望んでいたことが明かされる。

ユウくん、べるさんのファンなんだよね。さすがはゼウス、見る目があるね。

北川さん、ラッキースターを発掘した敏腕プロデューサーだったのか……。そして語られる全ての真実。「本当に楽にならなきゃいけないのは、なっちゃんの方だよ」あまりにも人格者過ぎる。この世界の大人たち、みんなどこかダメなところがあるのは、北川さんが全ての人格者ポイントを吸い取っているからではないか、と思ってしまうくらいの人格者。

ああ、コウジの料理上手はジョー譲りなんですね。そしてミナトさんへと継承されていく。

ジョーの喋り方、どことなくコウジに似ていていいですね。ほんとメロい、この親子。

ついに和解の時を迎える涼野家と神浜家。すんごく長かったなぁ。でもほんとによかった。

BT37.5

北川さんの単独カットが挟まる。涼野家神浜家問題において、おとはちゃんに並ぶMVPだと思う。ありがとう。全ての元凶は丈幸(ジョー)のメロさ。

うんうん! 赤い糸・夏の恋! すればいいよ! するがいいさ! もはや止める理由はない! あっ、胸キューンも見たことあるぞ! どうせコウジだろ! そして脅威の六連続! **グランドクロス**だ! これもどっかで見たんだけど、どこだっけ……。まぁ雑念は置いとくとして、素晴らしいプリズムショーでした。さぁ、次はわかなちゃんの番です。

第48話 私らしく、人間らしく

タイトルもそうだし、このあとに控えているものを考えると、もう観る前からわかります。坪田脚本です。深夜アニメだと思ってるのかな。

ああ、絶対に失敗できない展開。最初の悩みに立ち返ることになりますね。カヅキのバーニングとフリーダムを知って失敗してもいいと学んだけれど、今回はそれを踏まえた上で、絶対に失敗してはいけない戦いに挑むことに……。

わかなちゃんのママもタダシも変わったなぁ。子供の成長を描く作品だけど、こうして大人も変われる、成長できるということを示してくれるのは嬉しい。純粋に"希望"です。法月仁だって変われるはず。

子供の成長に呼応し、親もまた成長していく。親の成長を見て、子供はさらに成長する。両親に倣い、"素顔"の自分で舞台に立つことを決意するわかなちゃん。「風は私に吹いている!」

Blowin' in the Mind

舞台の上で娘の放つ煌めきを、ようやく理解し感じ取るタダシ。これはすごいことです。タダシが変われるなら、法月仁が変われない理由はない。法月仁も、いつかプリズムの煌めきを再び感じ取ることができるようになるはず。法月仁もシンガポール行くか!

覚悟を決めて七連続ジャンプに挑戦するも、失敗してしまうわかなちゃん。かつて三連続ジャンプに挑んだときの、あんちゃんと同じですね。失敗してはいけない戦いでも、自分の"素顔"で挑み、全力を出し切ったバーニングでフリーダムなわかなちゃん。その煌めきは大大大大大成功と言えるでしょう。ありがとう、最高のプリズムショーでした。

続くは、(ジュネを超えられるプリズムスタァとしても、僕個人的にも)大本命のべるさん。世界を救って、クイーンになっちゃってください!

まさにこれは、人間の可能性を示す戦いです。

真紅の薔薇の花束を携え、応援に駆け付けたヒロ。「見てみたいな。べるの夢ってやつを」「今の君は、例え花びらが散ったとしても、厳しい冬を乗り越え、再び春に大輪の花を咲かせることができる! 出会った頃の、10倍も100倍も強く、気高く、美しい! そんなべるが見る夢を、僕は見てみたいな」と(愛の告白を兼ねた)エールを送る。

こんな告白しといて「もちろんみんなも、べるの夢を見たがっている!」なんて付け足すから、いつまで経っても交際に至らないんだと思うよ、ヒロ……。そういうヒロのこと、僕は好きだよ……。

ジュネを超えるためではなく、その先にある、自分自身の夢を示すため、舞台の上に立つべるさん。

「薔薇の力、見せてあげる!」おお、原点回帰!

Get music!

小さい頃、私には沢山の夢があった。いつからだろう? 夢を持たなくなったのは……。子供っぽいから? 叶えられなかったら恥ずかしいから? 夢はいつしか目標に変わり、それを達成することは、喜びから当たり前のことへと変わっていった。

プリズムラーイブ!(プリズムライブができなくて泣いていたのが、遠い日のことのように思えます)

最初に見た私の夢は、ママの笑顔を見ること!

セクシー・スプラッシュ!

二連続!

だけどその先に待ってたのは、茨の道。でも、後ろに退くことなどできなかった!

情熱の、ミリオン・ローズ!

三連続!

茨の道を抜けた先に待っていたのは孤独。自分の姿を鏡に映すことで、自分を勇気付けた!

夢幻・カレイドスコープ!

四連続!(四連続を飛ぶのも大変な苦労だったなぁ)

どうして誰も私のことを愛してくれないの? 氷の中に閉じこもっていた私。仲間の愛の温もりが、復活へと導いてくれた!

夢幻・プリズムフェニックス!

五連続!

プリズムショーを楽しむ気持ちが、私を変えた! 仲間と一緒なら、どんな辛いことだって乗り越えられる!

革命の、Rosette Nebula!

六連続!

クイーンは再び孤独になる恐怖との戦い! 今の私はとても幸せ。でも、クイーンになるためには、この先に進まなくてはならない! 怖い……。もう二度と戻れなくなるかもしれない! でも知りたい! 最高最強の気分がどういうものか!

審判の、クイーンズ・ゲート!(ユニコーンに乗って、その角で門を貫くというのは、ちょっと余計なことを考えてしまうのですが、余計なことだと思うので考えないようにします)

七連続!!

私は弱い。ジュネのように完璧ではない。でも人は、夢を見ることができる! たとえ失敗しても、いつか成功することを夢見て、何度も挑み、乗り越える素晴らしさを持っている! みんな私のことを嗤うかもしれない。馬鹿にするかもしれない。情けなくてもいい。勇気付けられる人がいる限り、みんなにこの姿を見せ続けていくことが! 私の夢!

宣誓! 永遠の、ワルキューレ・ハート!

またしても坪田に全部言われてしまいました。言うことがありません。おめでとう、べるさん。最高のプリズムショーを、挑戦し続ける人間の素晴らしさを、強さを、気高さを、美しさを見せてくれてありがとう。人類の希望です。僕は勇気付けられました。がんばって就職します。

本当に、僕は、レインボーライブのプリズムスタァの中で蓮城寺べるがいちばん好きです。

「おめでとう……。ついに君は、僕の手の届かない高みへと登ってしまったよ……。さよなら、べる」

んもー、上手いこと言いたがりなんだから!

一方、楽屋でスマホに映る氷室聖とのツーショット画像を眺めていたジュネ様は、わずかに微笑み、「さよなら、聖さん」と呟く。りんねとの対話では否定したものの、彼女自身、自らの肉体が滅びつつあること、そして自らがこの世界に留まり続ければプリズムの煌めきが失われてしまう = 氷室聖が悲しむということを理解しているのだろう。おそらく最後となる、天羽ジュネの舞台。何が始まるのだろう。

確認するまでもなく坪田脚本です。いやはや、圧巻でした。**蓮城寺べるの全てのジャンプに、彼女のこれまでの歩みと重なる意味を持たせ、人類史上初の七連続ジャンプ = クイーンの高みへと到達させる。それはゴールではなく、むしろ終わりなき戦いへと挑み続けるスタートの証。ずっと大人の都合に翻弄されてきたべるさんが、ついに自らの意志で、自分の本当にやりたいこと = 夢を見つける。それはつまり、"人間になる"ということだと思います。彼女のプリズムショーは、人間の可能性を示すパフォーマンス。彼女が戦いを続ける限り、人々を勇気付ける"希望"であり続ける = 夢を叶え続けることができるはずです。現に、僕は勇気を貰っているわけですから。**

人間の可能性、それは成長できるということ。神や天使、上位存在に導かれ(支配され)るのではなく、自らの意志で戦いを挑み、自由と未来を勝ち取ることができる。その希望の象徴となるのが蓮城寺べる。誰よりも苦労し、誰よりも厳しい鍛錬を積み、何度も失敗を重ね、その度に、より強く成長して乗り越えてきた(その姿を見せ続けてきた)べるさんだからこそ、説得力のある希望だと思います。完璧なプリズムの女神ではなく、不完全で失敗もするけど、成長し続けるプリズムの女王として。これからも戦いを挑み続けることを誓う、そんなプリズムジャンプでした。

これはもう仮面ライダーアギトなんですよね。

第49話 命燃え尽きるまで・・・

不穏ですね。ペアともがいないと(フェザーが生えないから)四連続以上のジャンプは不可能なんですね。人類が独力で到達し得る"高み"は四連続。やはり氷室聖(現役)とヒロとユキ様とジョージ(インチキ)はすげぇんじゃ!

「ここで逃げたらみんな悲しむぜ」

「逃げたら!?」

この会話覚えてる。バイプリで観た!

「でっかい未来、僕たちで組み替えよう!」

言葉選びが独特ですね。ともあれ、これでオバレが結成するための準備は全て整いました……。あと3話しかないけど……。

氷室聖の手前、必死に平静を装うジュネ。ジュネの側からもっと露骨に愛を伝えてもよかったんじゃないか、と思うけど(だいぶ露骨だったと思うけど)、いずれ帰らなければならない(かもしれない)運命を背負っている以上、愛し合う人を失う悲しみを氷室聖に(母親に続き)二度も味わせたくなかったのだろうか。

「ジュネ……!」

追いかけろよ!! 足の傷が痛んだのかな!?

ジュネ様の回想。氷室聖に一目惚れ。「世の中の揉め事のほとんどが、男と女の問題なんだから〜」一理あるかも。だいたい男が悪いです。かく言うペアともさんも、愛する人に夢中の様子ですが。

「私は、聖を指導者として導くことにした」

やっぱり猛特訓は演技ですよね。導いているつもりの側が実は導かれていた。いいですね。

ジュネ様にスタンを渡すりんねちゃん。彼女の"愛"に何か思うところがあるのだろうか。感情の動きがあまり見えないりんねちゃんも、なるちゃんたちとの交流の中で少しずつ人間的な感情を理解し、身につけていったのでしょうか。

いよいよ始まる天羽ジュネの(おそらく最後の)プリズムショー。「プリズムの煌めきを、あなたに!」彼女は一貫して、氷室聖という特定個人のためだけにプリズムショーをしてきた。具体から抽象へ。芸術の"本質"。

nth color

まるで「その目に焼き付けろ」と言わんばかりの、贅沢な尺の使い方で至高のプリズムショーを堪能させてくれる作り手たちに、ありがとう。

「故郷の掟を破り、特定個人への愛情から世界滅亡の危機を呼び込んでしまう上位存在」をラスボスに据える展開、改めて考えるとすごいですね。

聖。あなたは、私のプリズムショーを、いつも優しく見つめてくれていたわね。聖。あなたはどうしてそんなに優しい笑顔になれるの? あなたが好きなのはプリズムショー、それとも、もしかして私? 知りたい。聖の気持ち……。

うん、僕も知りたい!

あなたが時々見せる寂しい表情。私があなたを微笑ませてあげたかった。ああ、どうして……。心がバラバラになってしまいそう。この気持ちが恋なの? あたたかくて心地良くて、でも、悲しく切ない……。教えて、あなたの気持ち……。あなたと共に過ごした時間。あなたと交わした言葉の数々。あなたがくれた、沢山の笑顔。ずっと、記憶の中に留めておきたい。

断崖絶壁のお墓だ!

氷室聖と天羽ジュネが、共に過ごした日々。これで特別な感情がないのは嘘です。僕にはわかるけど、ジュネ様にはわからないんだなぁ。教えてあげたい。

好きよ。聖。あなたのことが好き! ずっとあなたの側にいたい。たとえ、あなたが老いて死んでしまったとしても、私はあなたを、永遠に愛し続けるわ。だからこの記憶、絶対に消したくない! プリズムワールドに、帰るわけにはいかない!

元を辿れば法月仁の仕組んだ事故(というか事件)が悪いのです。ゆるせん。ジュネ様がんばれ。

七連続! ジュネ様は太陽の如く光り輝きます。その技を見て、亡き愛人・マリアを思い出す法月皇。結局こいつ、このあと死んでマリアの隣に墓作って眠るわけですよね。まったく……。

聖。お母さんは聖のことを、いつまでも愛しているわ。太陽が地球を、永遠に温めてくれるように。

ジャンプの最中に力尽きたジュネを、氷室聖が必死のジャンプで受け止めます。今にも息を引き取りそうなジュネ。「好きだ……」ついに氷室聖が、その言葉を口にします。「好きだ、ジュネ……。ずっと前から、いや初めて会ったあの時から……!」やっぱり氷室聖は、母親の面影を想起させる未成年の少女に恋愛感情を抱く成人男性(無職)だったのでした。遅いよー! でも、まぁ、言えんよな……。自分は母親の面影を想起させる未成年の少女に恋愛感情を抱いている成人男性だとは……。人間の世界にも"掟"があるもんね……。ギリギリ間に合っただけ、よかったのかもしれない……。女児アニメにこんなん出してええんか!

ジュネ様に同情したのか、りんねちゃんはジュネ様と同化(ウルトラマンが人間と同化する場面と似ている)し、その命を救う。しかし世界からプリズムの煌めきは失われてしまう。果たして世界の命運は……。

氷室聖と天羽ジュネ。二人の愛の行き着く先を見せてもらいました。素晴らしい回です。やっぱり氷室聖の最悪記者会見は許せないけど、ジュネ様の想いが届いたのは喜ばしい。このまま最後まで駆け抜けます。

第50話 煌めきはあなたのそばに

もう二度とプリズムショーができない。その事実に黒川冷までもが涙を流します。ショーができない以上、現在までの結果でクイーンを決めるしかない。結果的に**蓮城寺べるがクイーンの座に輝きます**が、とてもおめでとうとは言えない状況。

それでも、プリズムショーに挑戦しようとするなるちゃん。オーナーが大急ぎで用意した衣装を着て、ステージに立つ。「伝説は若者によって作り替えられるものモモ!」

メタルギアソリッド2(MGS2)を思い出す。「伝説は人が作るものだ。人が記憶し、語り伝えるものだ」俺達はエーデルローズや法月仁の道具じゃない。プリズムショーでしか自分を表現できなかったが……いつも自分の意志でプリズムジャンプを跳んできた。

ハート(黒ハート)イロ(黒ハート)トリドリ~ム

もはや蜂蜜のことなど考えまい。

プリズムの煌めきがない以上、ステージを滑るどころか、まともに歩くことすらままならない状態。何度も転びながら、それでもめげずにショーを続けるなるちゃん。本当に強くなりました。

みんなの声援に励まされ、立ち上がるなるちゃん。

プリズムの煌めきは、消えてなんかいない。だって、感じるもん! りんねちゃんが側にいてくれてるって! りんねちゃんは、きっと今もどこかで見てくれているはず!

プリズムラーイブ!

プリズムジャンプで、失われた七つの煌めきを復活させるなるちゃん。世界にプリズムの煌めきが戻りました! こんな感動の名曲をさ、ケツ蜂蜜音頭に改造したの、やはり許されることではないのでは……?

「プリズムショーの世界へようこそ!」

伊藤かな恵が蘇った!

なるちゃん、得点には恵まれないことの多い子ですが(やっぱり不運主人公だったのかも)、プリズムの煌めきの"本質"を誰よりも直感的に理解し、表現することのできる素晴らしいプリズムスタァですね。

いよいよ、りんねちゃんとの別れの儀式

gift

gift

プリズムの女神が降臨する。「ジュネ。あなたが望むなら、人間としてこの世界に残ることを許します」「ただし、その代償として、あなたは二度とプリズムショーができなくなります。そして、これまでの記憶を失います」

その条件を呑むジュネ様。**ウルトラマンタロウ**だ!

いよいよ旅立つりんねちゃん。飛び立つその背中に、なるちゃんは声を張り上げ叫ぶ。

「毎日ちゃんと早起きする! 毎日ちゃんと歯を磨く! 好き嫌いなく、なんでも食べる! 毎朝髪の毛をとかす! パジャマを毎日きちんとたたむ! 宿題は自分の力でやる! 部屋はちゃんと掃除する!」

**帰ってきたウルトラマン**じゃん!

ウルトラ5つの誓いじゃん!

これ、明らかに元ネタは帰ってきたウルトラマンの最終話です。去り行くウルトラマン = 郷さんの背中に、次郎少年は声を張り上げ叫ぶのでした。

「郷さーん! ウルトラ5つの誓い!

ひとつ! 腹ペコのまま学校へ行かぬこと!

ひとつ! 天気のいい日に布団を干すこと!

ひとつ! 道を歩く時には車に気を付けること!

ひとつ! 他人の力を頼りにしないこと!

ひとつ! 土の上を裸足で走り回って遊ぶこと!

聞こえるかい郷さーん!!」

ぱっと見よくわからない誓い、というか、当たり前のことなのですが、子供たちがただ子供たちの当たり前の日常を送り、日々少しずつ成長していくことの大切さを説くものであり、もっと言うとヒーローの存在意義に通じるものだと思うのです。

創作物のヒーローは現実の世界を救済することはできない。それは、現実に生きる人々、ヒーローの勇姿を見て成長した子供たちが、未来で成し遂げること。ヒーローと交わす約束は、強くなれだとか、世界を救えだとか、大層なものでも構わないけれど、そういう漠然とした理想を掲げるよりも、むしろ子供たちの当たり前の日常に寄り添う、現実的で、地に足のついた約束をすることで、何気ない毎日がヒーローとの約束を果たすことになって、より子供たちの日々の成長を促進することになる。僕はそう思います。

プリティーリズム・レインボーライブ』という、子供たちの成長を描く作品の最後に残すメッセージとして、ウルトラ5つの誓いをオマージュするのは文脈的にも正しいですし(プリズムの使者はウルトラマンですし)(ウルトラマンに頼るのではなく、人類自らの手で地球を守っていくことを決意するウルトラシリーズ定番の流れを、本作は**"親からの子供の独立"という形で流用していて、これもまた上手い)、それをレインボーライブらしい語彙で言い換えるならば、「煌めきはあなたのそばに」なのでしょう。子供たちが何気ない日常を送り、日々成長していくこと。それ自体が何より素晴らしい。**

こうしてりんねちゃんは旅立ちました。なるちゃんが誓いを胸に日々を生きていく限り、ウルトラマンは……じゃなくて、りんねちゃんは不滅です。

第51話 GIFT

いやぁ、いいアニメだなぁ。なんか、忘れてる気がするけど……。気のせいかな……。

エピローグですね。ちゃんと一人で起きて朝の準備をするなるちゃん。えらすぎる。自分の可能性を最初から狭めるのではなく、これからは全部を全力でやることを決意するあんちゃん。ほんと、それがいいです。体力があるならなんでもやればいいよ。いとちゃんの家は、また家族四人揃って暮らせるようになったそう。よかったねぇ、ほんとに。

Butterfly Effect

本当の最後のOP。「君がひとつ羽ばたく その度どこかで 風が吹いて 未来を動かす 力になるよ」たとえ見えなくても、いつでもりんねちゃんを側に感じることができる。そして、りんねちゃんとの約束を胸に日々を懸命に生きることで、世界は、未来は、無限に広がっていく。素晴らしい歌詞ですね。

モモが帰ってきて嬉しそうな黒川冷。

エーデルローズ主宰となった氷室聖。まぁ言うて、この数年後にはね……。四谷のボロ家に……。

偽おとはちゃんだ! 仲直りできてよかった。

あっ! オバレ公園がオバレ公園になる瞬間が! そうだよ! お前らもう最終回だぞ! どうすんだ!

北川さんさすがっす! 父の形見の**Over The Rainbow**なんですね。亡き父のギターを手に、ステージに上がるコウジ。そして仲間たち。

これは一緒に鑑賞していた人から教えてもらった話なのですがOver The Rainbowの元ネタは、映画『オズの魔法使の同名の楽曲で、これは**LGBT運動を象徴するレインボーフラッグの由来にもなっていて、つまり涼野弦と神浜丈幸(ジョー)は我々の想像以上に親密な関係性だった(だからなっちゃんラッキースターの再結成を強く拒んだ)……という説。何年か前に菱田が呟いていたらしいのですが、既にその投稿は削除されているので、なんとも言えません。なので、この話がもし間違っていたら僕の責任ということにしておいてもらいたいのですが。まぁ、Over The Rainbowという語そのものの由来が『オズの魔法使』にあることはほぼ間違いないでしょうし、それがレインボーフラッグの由来になっていることは事実。何より神浜丈幸(ジョー)はめちゃくちゃメロいですし、なっちゃんが意固地になっていた理由にも納得が行くので、僕は好きな説です。バイセクシュアルだったのかな。ヒロもバイだと思う。**

athletic core

てめーら、よくも女児アニメの最終話で暴れてくれやがって……。散々引っ張りやがって……。てか、この続編のバイプリで一時解散するわけだから、僕たちは現役バリバリのオバレをほとんど見ていないわけだ! なんやそれ! おい菱田ァ!

アーッ!! 法月仁ッ!! シュワルツ・ローズを手に、仮面を付けて、現れた! やっぱりこれ、遅く来た反抗期なんだと思う。もしくはイヤイヤ期。いま法月仁は、がんばって自我を獲得しようとしているのだ。みんな優しく見守ってあげてほしい。

「ふん、せいぜい今は束の間の勝利を楽しめばいいさ。俺は決して諦めない。何度でも蘇り、立ち上がる。待ってろエーデル・ローズ! 絶対にぶっ潰してやる! 勝利を掴み取るのはこの私、法月仁だァ!! アーッハッハッハ!!」

よっ、総帥! それでこそ! 高田馬場ジョージは総帥のそういうところが好きなんだと思うよ。

「いっけねー!」 「寝過ごしちゃった!」 「でも大丈夫!」 「「「僕たちが、送り届けてあげるよ!!」」」 「「「虹の先に待っているのは、パラダ〜イス……(パラダ~イス……)(パラダ~イス……)」」」

何を見せられているんだろう。菱田にナメられてる気がする。ちょっと褒めたらこれだよ……。作り手の真摯な姿勢とか言わなきゃよかった気がする!

人間として生まれ変わる代償に、全ての記憶を失ったジュネ様。「どうしていつも私に優しくしてくれるの?」「それは……君を愛しているからだよ」もっと早く、もっといっぱい言えばよかったね。切ない。

失恋したヒロ。ってことは、改めてちゃんと告ったってことなのかな。べるさんとヒロを付き合わせないでくれてありがとう、公式。それがいいと思うよ。

どしゃぶりHAPPY!

ハッピーレインのプリズムストーン卒業ライブ。最後はトリオのプリズムショーで締めですね。よかった、オバレが最後じゃなくて……。

ヒロ〜!! お母さん帰ってきてよかったね!! 寂しかったよなぁ、よかったなぁ……。

ChipsとBeefとFishとChickenのところにもペアともが! こういう、主役ではない女の子たちにも、それぞれの物語があって、煌めきを放っていることを示してくれるの、すごくいいです。りんねちゃんの目指したもの、プリズムの煌めきはこうして広まっていくのですね。

綺麗に整頓されたなるちゃんの部屋。りんねちゃんとの誓いを守り、日々成長しています。なるちゃんの部屋が汚い描写には、こんな意味があったのか……。

空に浮かび上がる虹。そう言えば、全ての始まりは虹でした。懐かしいなぁ。

gift

gift

りんねちゃーん!! たっくさんの贈り物(gift)、ありがとー!! これからたくさんの煌めき、広めていくからねー!!」

Rinne will come… next to you……

まとめ

いやー、子供向け番組として完璧ですね! 作り手の真摯な姿勢、誠実な態度が伝わってきます!(手のひらクルックル) ほんと、きちんと朝起きるとか、部屋を綺麗に掃除するとか、そういうことの積み重ねが子供の成長です。それは何よりも尊く、素晴らしいもの。全ての煌めきの根源にあるものだと思います。

なるちゃんやあんちゃんたちだけの、特別な物語にするのではなく、ChipsやBeefといったモブキャラたちにもドラマを用意し、輝く場所を与え、最後には「君の隣にりんねちゃんはやってくる」とメッセージを残すことで、画面のこちら側にいる私たちも自分事として、この物語を受け取ることができる。そして日々の何気ない成長 = 現実的な目標を達成し続けることを奨励し、空に浮かぶ虹を見るたびに、りんねちゃんとの約束を思い出すことができるように作られている。極めて、視聴者の子供たちに"寄り添う"作品となっています。だから、子供向け番組として完璧。

一方で、そんな子供たちとの対比で(ある時は乗り越えるべき相手として)(またある時は、成長した自分自身と重ね合わせ、和解するべき対象として)描かれる**"** 大人たち"の人間味溢れるキャラクター造形も非常に魅力的でした。この点が、本作の物語が今日まで愛され続けている理由の一つであることは、間違いないでしょう。氷室聖、法月仁、黒川冷の三強。その物語の行き着く先には、何が待っているのでしょうか。

法月仁については、後日また改めてブログを書いて考えてみようと思います。バイプリやキンプラ、スッスッスも見返した上で。投稿はキンツア後になるかもしれない。気長に待っていただけると幸いです。

そもそも、法月仁の過去を知るために、僕は本作を観ることになったわけですが。実際いろいろな発見があって極めて楽しい旅路だったのですが。振り返ってみると、思わぬ落とし穴に随分とハマりました。いとちゃんとおとはちゃん。**蓮城寺べる。** 天羽ジュネ。あらためて、好きな回をまとめてみようと思います。

第17話『気高く強くべるは咲く』

第18話『俺はヒロ!絶対アイドル☆愛・N・G』

第24話『ひとりぼっちの女王』

第25話『さよなら、べる』

第31話『目指すは勇者!フリーダム!!』

第32話『愛に羽ばたく女神(ジュネ)』

第43話『天使の決意』

第45話『薔薇の革命』

第48話『私らしく、人間らしく』

とりわけ坪田脚本回には随分と楽しませていただきました。ありがとうございます。

本作について語る中で、僕は様々な他作品(美味しんぼカイジウルトラマンなど)に触れました。そのことを鬱陶しく思われる方がいたら申し訳ない。もし気が向くようなら、これらの作品に触れてみてください。未知のプリズムの煌めきに出会えるかも。

特に**美味しんぼ! ほぼレインボーライブ**だから!

とにかく、大傑作アニメでした。最後まで駆け抜けることができたのは、素晴らしい"芸術"を作り上げ、感動を届けてくれた作り手たちと、僕の感想を読んで応援してくれた皆さん、そして最初から最後まで鑑賞に付き合ってくれた友人がいたから。ありがとう! みんなのおかげです!

キンツアはどうなることでしょうね。法月仁も怖いけど、今は正直それ以上に氷室聖のプリズムショーが怖い。ジュネ(りんね)が一目惚れするほどの煌めきを劇場で浴びたら、大変なことになってしまうのではないか……。なんとか、みんなで乗り越えましょう。

◤✨ティザービジュアル公開✨◢

―プリズムショー、その原点へ ―

かつて"三強"と呼ばれた
法月仁・氷室聖・黒川冷が現役時代の姿で登場!
キャラクターデザイン #松浦麻衣 描き下ろし✨

6.27(Fri)君とつながるROAD SHOW🎬
「KING OF PRISM-Your Endless Call-… pic.twitter.com/sFMU67Lc4Y

— KING OF PRISM (キンプリ)公式 (@kinpri_PR) 2025年2月28日

法月仁ほんとかわいいね……。

キンツア(『KING OF PRISM-Your Endless Call- み~んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ』)は2025年6月27日(金)公開! キンツアに、備えろ!

ヒプムビ観てたら遅くなりました。

part 1(1〜14話)↓

part 2(15〜27話)↓

前回、法月仁初登場の感動を抑え切れず、27話の感想を無理やりブログにねじ込んだのですが、落ち着いて考えてみると、3クール目は3クール目で一つにまとめておいた方が良かろうなので、くどいようではありますが、ここにも27話の感想を書いておきます。まぁね、法月仁のことはいくら書いてもいいので……。というか、当初の目的はまさにそれなので。法月仁のことを知るために、僕はレインボーライブを観ているのです。なんかベルローズとかいうやばいもんにドハマりしてるけど。

第27話 ピコック先生 怒る!

OP変わりましたね〜。みんなの新衣装かわいい。オバレが一つの画面に! 期待してええか……?

あ! なんかいま一瞬、お目当ての"ヤツ"が映ったような……。なんだか、りんねちゃん関連で不穏なことが起きそうなOP映像ですね。心配です。

プリズムワールドの「査定」とかいうシステムのことも気になりますが……そうこうしているうちに出てきました! 法月仁! ようやく会えましたね……。なんか雰囲気が総帥やってる頃とは全然違う。掴みどころがないというか、不思議な感じ。

「プリズムライブねぇ……。私は、その時の流行りに靡くのは嫌いです」と言い、赤い薔薇を踏み付ける。ついこないだ出た新情報として、法月仁はプリズムジャンプを超える"プリズムアクト"を確立したが、誰にも継承されずに廃れたという。そのことを踏まえると、なんとも意味深な場面。12年ぶりの伏線回収ってこと? ONE PIECEみたいなことしてるね。

氷室聖とは目指すものが根本的に異なる様子。どうやらジュネさんは、怪我でプリズムショーができなくなった男 = 氷室聖を愛してしまい、エーデルローズを辞めてプリズムショーもやらなくなってしまったとか。そして法月仁は、そのことを非常に残念がっている。なるほど〜? 少しずつ関係性が見えてきましたね……。絶対アイドル☆愛・N・Gは、そんな過去の経験から**法月仁が提唱し、速水ヒロが継承することになったマントラ(格言)**だったのか。

ジュネさんの語るかぐや姫の物語。それが指すのはりんねちゃんのことか。本筋が進み始めている感じ。

ピコック先生、手厳しい。りんねちゃんがクジャク(ピーコック)に反応してた理由はこれですね。

ペアとも、喋れるんだ……。推しがいるんだ……。

オーナー、もといモモの目的はプリズムの煌めきを集めてりんねちゃんをプリズムワールドへと帰すこと。縛り上げられ吊るされたままエンディング突入。これから毎週吊るされるのか……。

第28話 ジュネ様と一緒にプリズムトーク

ジュネ様の声、好きなんですよね。宍戸留美さん。おジャ魔女どれみに出てらしたのか。

ディアクラウンのゼネラルマネージャー、神浜さん……。そして、涼野家神浜家の間には何やら因縁が……。痴情のもつれじゃないだろうな!? 嫌だぞ! 大人のそういうことに子供を巻き込むのは!

古雑誌に掲載されている、ロックバンド・ラッキースターの写真。そのメンバーのうちの一人と、コウジママの見つめる家族写真に映るコウジパパ(故人なのかな)がちょっと似ている。ふーん、なるほど……?

乙女心に理解を示すcooさん。かわいい。

コウジの公園ライブ。後ろの物陰に制服の男子がいて、もしやヒロ……? と思ったら田中さんだった。本当に何者なんだ。そこはヒロの位置だぞ!

ハッピーレインのプリズムライブ。いきなり「夏の恋!」しちゃうもんだから二人の熱愛がお母様にバレちゃったよ! お母様すごい顔してるよ! コウジママ、ヒロの才能がありますね。

スーパースペシャトークショー(バカみてぇな名前)。そう言えばジュネ様、何歳くらいなんだろう。氷室聖と同じくらい?(20代前半から半ばくらいか) ジュネ様、プリズムライブ五連続ジャンプの披露を発表! トークショーなのに全然トークしてない! なんのためにハッピーレインを呼んだのだろう……?

今回は法月仁の出番なし(OPのみ)。

第29話 私はべる!店長にな〜る♪

べるさん回! タイトルがかわいい。タイトルコールがかわいい。かわいいだろ、全てが。

cooさん「プリズムショーは誰がやれば……」あんたがやるんだよ! できるだろ! 知ってるぞ!

今更だけど、オーナー(モモ)の声優さんの演技、素晴らしいですね。オーナーとモモの演じ分けもそうだし、なんというか、崩し方が上手い。調べたらめちゃ大御所の人だった。神代知衣さん。そりゃ上手いわ。

そうそう、思い返せばプリズムストーンの店長試験から全ては始まったんですよね、なるちゃんとべるさんの数奇な運命も……。オーナーがなるちゃんを採用したのは、りんねちゃんの記憶を取り戻すためにプリズムの煌めきを集めるのに、なるちゃんこそが最適だと判断したからなのでしょうね。今考えてみれば。

コウジに「あんたに似ている」と噴水の写真を送るいとちゃん。いいなぁ、カップルしてるなぁ。地味だけど心温まる、素敵な描写ですよね。

今回ちょっと、省エネ作画ですね……。

べるさん、無意識のうちに母親の模倣をしてしまっている。ギャグっぽい演出だけど、しんどい展開ですよね……。またしても再生産が……。

べるさんとわかなちゃんを守るため、身体を張って武力を行使するおとはちゃん。解釈一致です。好きです。ベルローズの三人を車に例えるなら(なぜ車に例えるのかは少女革命ウテナを観てください)、べるさんは車体(ボディ)。最も見栄えがよく、車のアイデンティティそのものとなる。わかなちゃんはタイヤ。みんなを転がし、遠くまで連れて行ってくれる。そしておとはちゃんはエンジン。見えないところで圧倒的なパワーを発揮して、チームの原動力として機能している。そしてガソリンは三人の愛。どれか一つが欠けても車は進めないし、人々を魅了することもできない。愛を乗せて、今日も走るよRosetta Nebula。

はい、切り替えます。

きちんと指導者をしているcooさん、素敵だ(けんた食堂)。こういう跳ねっ返りを見ると放っておけないのかな。優しく諭してくれる善良な大人の存在は、間違いなくべるさんを救うと思う。自分らしく。やりたいこと。シンプルだけど難しい問いですね。

もう一人、べるさんを放っておけない男が。そう、ヒロの登場です。「ハードルを飛び越える手助けをすればいい」。同じ高みに立つヒロだからこその的確なアドバイスですが、あんた、自分から違う世界を選んだんじゃなかったのか? 「何やってんのかな……」ほんとだよ。未練だぞ。そういうところが好き。

cooさんの指摘とヒロの助言に従い、ハードルの高い世界へと近づくための"手助け"を、万人に施していくべるさん。それが彼女らしい接客のあり方。成長してるね〜! 正しく完璧であればなんでもいいわけではない。かといって、ルールを曲げるわけでもない。正しくて完璧な、素晴らしくて価値のあるものを分け合うための、対話と相互理解を(コンセンサスを)重んじる姿勢。すごく大事なことだと思う。まさに現代に求められているものだ。見てるか、べるさんママ!

まさしくこれからの時代のエリートたちに求められているものだと思います。エリートサラリーマン鏡も似たようなことを言っていた。

(格好良さを教える時 スマートに示せ手本を 不甲斐ない部下を奮い立たせよ 否定せず 馬鹿げたようなユーモアと クレバーな交渉術で そう… This is AMERICAだね 私はプレジデント)

(明らかにトランプ政権を意識し、そのビジネスマン的価値観を称揚するような姿勢が垣間見える作風だが、実際に語られていることは社会的強者から弱者への歩み寄りや、対話と相互理解のプロセスを重んじ、分断を避けようとするメッセージであり、現代においてこれは大事なことだと、僕は思う)

また脱線しました。

ファッションプリズムショー! ヒロ……! お前そんな、薔薇の花束持って……行かないのか……? やはり違う世界を行くのか、お前は……。あるいは、愛・N・Gだからか……。

薔薇星雲ほんまに好き。開幕プリズムフェニックス! 三人でプリズムライブ! 前回の、べるさん一人を輝かせるためのトリオ大会とは違い、全員が輝いてるよ! これなら大会も優勝できたかもしれない。でもあのときのプリズムショーは、べるさんが愛を知り、自らを解放するためのものだったし、敗北することに意味のある展開だったので。これでよいのです。

僕の大好きな間奏パート! 決してべるさんを一人にしないという、わかなちゃんとおとはちゃんの強い決意と愛を感じます。最高や。

うおお、革命の、Rosetta Nebula!

なるほど、みんなを着替えさせるファッションショーなんですね! 定規と分度器のファッションはよくわからないけど! みんなのイメチェンっぷりが最高。べるさんの猫耳もいいし、わかなちゃんのお嬢様スタイルも素晴らしい。cooさんもノリノリだね! ほんといい指導者だな……。前職は何やってたんすか〜?(すっとぼけ)

観客を着替えさせるの、どういう仕組みなんでしょう。Rosetta Nebulaの効果で、一時的に周囲にプリズム空間を展開している……?

「皆さんも自信を持って、自分を愛してくださいね!」って、べるさんが言えるようになったの、ほんと素晴らしいな〜。自分を愛することと他人を愛することは密接に繋がってますからね。

いやぁ、いい回でした。「脚本 坪田文うん、だろうね! いつもありがとう。さすがです。サラッと母親の再生産を描いていたり(グロいものがあるよね)、一方で、そんな母親とは関係のないところで、子供が社会経験を通じて成長していく様を描いていたり。レインボーライブらしい、人間味に溢れた回でした。これからもよろしく。法月仁の出番なし。

第30話 誓いのクロスロード

またいい回でした。ユウくん! 高山みなみから数年で内田雄馬になったのか……! 「親子の木」を見て浮かない顔をしているユウくんに気づいて、さりげなく話題を変えて楽しい気分にしてくれるあんちゃん、とても好きです。あまりにも人間ができている。なるちゃんはまぁ、仕方がない。中2にそこまでの気遣いを求めるのは酷というもの。それにしても、こういう恵まれた立場の人間が悪気なく他人を傷つけてしまう展開を描くのが本当に上手い作品ですね、レインボーライブは。菱田の"癖(へき)"なんだろうな。

加害者の家族かぁ、しんどいな……。不慮の事故だし、本人も障害を負ったとはいえ、人命を奪ってしまった以上、加害者としての罪の意識からは逃れられないし、被害者遺族に合わせる顔はない……。でも、子供には何の罪もない……。難しい問題ですね……。

いとちゃんのお母さんにプリズムショーを生で見せるべく、トレーラーに乗ってやってきたcooさん。いい大人すぎる。東京の原宿から北海道の美瑛まで、Googleマップで調べると車で19時間かかるらしい。えっ、電話を受けたのが昨夜で、翌日の日中に到着するの、物理的に不可能では……。交通の限界も時空も超える黒川冷。さすがは元祖ストリートのカリスマ。

涼野家の心温まるドラマについては、まぁ言うことはないとして……(なんか言うべきだろ)(全てに言及する体力が無くなってきた)(法月仁に集中します)。ハロウィン衣装のプリズムショー、みんなかわいくて素敵ですね。実母の前では「夏の恋!」しないんだ。

美味しんぼ同様、親子の確執(と和解)をメインテーマとする本作(レインボーライブはプリしんぼなんすよ)。実際、メイン視聴層の子供たちの中にも、親子関係が上手く行っていなかったり、離れて暮らしていたりする家庭の子供も少なくないと思うのです。そういう子供たちへのエンパワメントとしても機能するだろうし、あるいはなるちゃんのように幸せな家庭で生まれ育っている子供たちにも、世の中にはこういう家庭があるのだということを教える意義は大きい。菱田監督による、極めて生々しい親子関係(とそれに付随する人間の情念)の作劇が、その社会的なメッセージ性を体現する上で、非常に重要な役割を果たしている。すごくいいアニメだと思います。改めて。

素晴らしい回でした。前回の作画は、今回のために犠牲となったのだ……。そして法月なし。

次回予告のヒロの「ふははははは!!」やばい。

第31話 目指すは勇者!フリーダム!!

絶対やばい回ですよね。こわい。こんなん実質キンプリやろ。次回予告で法月仁も確定してるし、何よりフリーダムって、会場を復活させる歌ですよね……。

例のボロアパート。爪を噛み、イラついた様子で自身のニュース映像の音声を聞いているヒロ。何が嫌なんだろう。何もかも? コウジを裏切り、嘘の栄光を掴んでいる自分自身の現状? 「連日、黄色い薔薇を持った熱心なファンたちが詰めかけ……」はい、のちのエリートたちですね。ありがとうございます。この頃からアホみたいなCM出て、よくわからん映画の主演してるんか……(タツノコだから許されること)(櫻○翔的な立ち位置なのかしら)。愛・N・Gも嫌なのね。べるさんのこと好きなの? コウジのことはどうなの? 両方好きなの?

ストリート系のことも気に食わないご様子。だいぶストレス溜まってるね。ストリートキッズかわいい。映り込むとかいうレベルじゃなくガッツリ出演するコウジ。急いで飛び起きてスマホにかぶりつく、ヒロの反応が面白すぎる。久しぶりに表情崩れててかわいいね。ストリートキッズよりかわいい。やっぱりヒロはこうでなきゃ! 画面の中のコウジを、指で愛おしそうに撫でるヒロ。やっぱりコウジのこと好きなのね。

やたら厳ついエーデルローズ生のお出まし。ヒロの差し金かな。cooさん「失敗は、沢山のことを教えてくれる。べるちゃんならきっと、この失敗を成功に繋げることができるよ」ほーんと、いい指導者だね! フリーダムだね! 思い返せば、べるさんのことを「べるちゃん」と、"いい意味で"子供扱いしてくれる大人はcooさんしかいないのでした。お母様のは悪い意味での子供扱いですからね。cooさんありがとう。

テレビでエーデルローズの特集。アッ! 理事長の法月皇だ!! 肖像画と回想だけで見る人!! まだ生きてるんだ。世界中にプリズムショーの学校があるんですね。ロシアのプリズムショー界にはドーピングの問題がありそう。そして出てきた、法月仁! やっぱりこの衣装、この髪型、このメガネ。すごく違和感がある。こっちの方が先なのに。

カヅキ先輩が以前「人の妬み、恨み、憎しみが蠢くところだ」と評したように、足の引っ張り合いが横行している魔窟、エーデルローズ。cooさんも浮かない顔をしている。

法月仁とヒロ。「地位も名誉も金も……」と、またそんなものに執着している様子。「もっといいところに住みなさい。"格"というのも大事ですよ」出た! 『"格"』!! なんか法被が発売されてましたね。

プリズムストーン総合 (@prismstone_hj) 2025年3月23日

絶妙に高いので手を出せなかった。

「それより……次のシングルはどれにするのかな」急に声音が変わった。ヒロと同じだ。「また……神浜コウジか……」敬語が消えた。睨みを効かせ、雑誌グチャグチャ。わかりやすい不機嫌アピール。不機嫌で人を動かそうとしている。「彼はどうも暗いというか華がありません。それに大事なのは"格"ゥ! 彼はまだ小物です」バイプリで観たところだ! 悔しさを滲ませるヒロ。

高架下の土地をめぐり、エーデルローズの生徒たちとカヅキ先輩たちが衝突することに。喧嘩が問題となり、氷室聖に呼び出されるカヅキ先輩とヒロ。「誰一人怪我してません」と自らの怪我をカウントしないカヅキ先輩、男だね。氷室聖も色々言ってるけど、本音としては「ジュネの復帰が近い、いまこのタイミングでトラブルを起こされては困る」ですよね。

みんなの居場所とコウジの曲をかけて、再びプリズムショー対決をすることに! いいですねぇ、ヒロの表情の崩れ具合。そっかぁ、法月仁に無理難題を押し付けられたストレスをこっちで吐き出そうとしているわけね。気の毒な操り人形だ……。

ヒロの回想。汚いボロアパート。ガラケーワンセグ(懐かしい)で三強決戦を見ていた、幼少期のヒロ。しかし電話がかかってきてガラケーは取り上げられてしまう。パンの耳と水(たぶん水道水だろう)で飢えを凌ぐ日々。お母さんの電話の相手は男かな。

公園で一人踊るヒロに、法月皇が声をかける。「君、プリズムショーが好きなのかい?」まるでシンくんに声をかけたときの氷室聖のような。

というか、中尾隆聖じゃん。

こうして理事長のお気に入りとして、エーデルローズで疎まれつつもトップの実力を身につけていったヒロ。2位がコウジ。3位は田中さんじゃないか。優秀なんだ……。このときの縁で、今でもコウジたちのことを気にかけてくれてるのかな……?(そこまで考えてない?) そして、ヒロとコウジの出会い! めっちゃ見たことある! めっちゃバイプリじゃん、今回! 「君のすごさは、この俺が証明してみせる!」が裏返って「お前の歌をいちばん上手く表現できるのは、俺だ!」になっちゃったのか。

寝室のいちばんいい位置に、二人のデビューポスターを飾っているヒロ。もうエーデルローズやめなよ! 辞められないのか? もう充分稼いだよ。もうええでしょう。勘弁してよ、法月仁……。

「俺が目指すのは勝者じゃない、勇者さ!」うん、見たことある! バイプリで見た!

いよいよバトル!

カヅキ先輩、何を歌うんやろなぁ(すっとぼけ)。

Wake up!

奮い立たせろFREEDOM

Tune up!

たった一つのFREEDOM

俺達が目指すのは

just now

勝者じゃなく勇者だろ

ドゴォォォン(爆発)(炎上)

はぐぁぁぁ……!!(ヒロの精神に深刻なダメージ)

そうか、FREEDOMはカヅキ先輩を通して、コウジがヒロの精神へと語りかける歌だったのか。燃え上がる舞台の上で歌い踊り続けるカヅキ先輩、ただもんじゃねぇ。いつだってあんたは仲間たちのために身体を張り続けるんだ。ぜったい熱いはずなのに。

FREEDOM

うわ! サビでさらに熱くなって炎が青色に変わった! およそ人間に耐えられる温度ではなさそうだが、カヅキ先輩の仲間を想う"アツい"気持ちが、炎の熱さを上回っているのだろう。なんか宙に浮きはじめてるし。そして過去の己の発言に苦しめられるヒロ。

あっ、勇者の剣だ! 『バーニング・ソード・ブレイカー』で、ヒロ本体ごと『PRIDE』を破壊し、完全勝利。菱田も楽しそうだね。よかったね。

膝から崩れ落ちたヒロ。なんと、その場に法月仁が現れ、爽やかにその場をおさめると、エーデルローズの厳つい生徒たち(ぜったいヒロの差し金だけどね)を退学処分にし、ヒロの肩に手を置いて「帰るよ……」と囁き、去っていきました。ヒロの代わりにカヅキ先輩とグータッチを交わすコウジ。つらいね、ヒロ。なるちゃん「ヒロさんがどうして踊らなかったのかはわかりませんが……」。言わないであげてー! トボトボ……。とほほー! もうプリズムショーは懲り懲りだよー! やっぱり脚本に青葉が関わってやがった。

いやぁ、本当に**"濃い"回でした。濃すぎる。しんどい。感想書くの疲れる。ほぼバイプリで観たし。あれ、ダイジェストだから結構色んなところ端折って短くなってるのかな(だから急展開に感じたのかな)と思ってたら、本編でもまぁまぁ急展開の異常濃度だったじゃないか。むちゃくちゃだよ……。なんでこれを映画にしようと思った??** 本当によくわからない……。なんで10年も続いてるんだ……。

また次回も"濃い"んだろうな……。

第32話 愛に羽ばたく女神(ジュネ)

前回の疲労がまだ残っていますが、がんばります。青葉脚本をゆるさない。情報量がおおすぎる。

ジュネ様のプリズムショーを披露する場として、ハートビートセッションなるものが開催されるそうです。また氷室聖の思いつきかな。そして来年には、プリズムクイーンを決める大会・オーバー・ザ・レインボーセッションが開催されるとのこと(オーバー・ザ・レインボー……?)。四年に一度らしい。

法月仁にとって、ジュネ様はエーデルローズの裏切り者だそうで。なんとしても勝たねばならないと。たぶん氷室聖への私怨も入っているのでしょうけど(もしかすると、それがほとんどかも)。天羽ジュネが五連続を飛ぶなら、自分は六連続を飛んでみせると息巻くべるさん。以前のような、母親から強制された"強さ"への固執ではなく、彼女の自主的な向上心から発せられた言葉だといいな。もしや、ヒロの不調がべるさんを焦らせているのだろうか?

そのヒロ。ボロアパートの寝室で、茫然自失の表情で寝込んでいた。アイドル感全開の留守電ボイスとのギャップがなんとも痛々しく、かなしい。

法月仁の敷いたレールは誰も幸せにしない……。

神浜家の抱える問題。ほんとに、これだけの家庭内不和を描けるのは才能だと思う。すごいよ菱田。

氷室聖とジュネ様の回想。二人の出会い。あれは雪の降る寒い日だった……。「どうしたら四連続ジャンプを飛べるんだ……! クッ……このままでは、冷どころか仁にすら勝てない……」独り言がデカすぎる。相変わらず不思議ちゃんだね。「冷どころか仁にすら」ってことは、少なくとも氷室聖の中では「法月仁よりも黒川冷の方が強い」という認識が存在していたということか。

突如差し込む陽光。虹と共に現れた少女の踊る姿は、氷室聖にとって、在りし日の母の面影を思い起こさせるものだった。お母様もプリズムスタァだったのかな。「聖、いつも心をときめかせて」。ジュネ様のジャンプを初めて目の当たりにしたとき、氷室聖は母の言葉を思い出し、初めてその意味を理解した。

プリズムショーは心の煌めき。

プリズムジャンプは心の飛躍。

ちょっと落ち着いて考えると、母親の面影を想起させる少女と恋に落ちるのって、少し不安というか心配になる。大丈夫か、氷室聖。その感情は健全と言えるか? まぁ、惚れちゃったもんは仕方ないけどさ。

三強決戦のプリズムキングカップ第二回かな。岡山の少年・のりくんが法月仁に憧れるキッカケとなった大会。今度のキンツアで描かれるのは第一回ですよね。ジュネと出会い、母の教えを思い出し、プリズムショーの本質を理解した氷室聖は四連続ジャンプを飛べるようになっていた。それを快く思わない法月仁。

すごい! 氷室聖の現役時代のジャンプだ! ライトニングスプラッシュ! シャイニングスパイラル! スターライトエクスプレス!(惜しい)(見せてくれない) そして四連続! の瞬間に氷室聖の足元のリンクが崩壊。当然、大怪我を負った氷室聖は大会の辞退を発表。それを受け、黒川冷は「聖を倒すことなくして、キングの価値無し!」と宣言。めちゃくちゃ聴いたことある声ですね〜。どこで聴いたのでしょうか〜。そのまま表舞台を去ることに。ここからPRISM.1までずっと行方不明だったの!? てか、よく見ると黒川冷の隣にモモがいるんだけど、この頃からの付き合いだったの!? だから情報量がおおすぎるんだって! こうして、法月仁は不戦勝で、第二回大会でもプリズムキングの称号を手にする。全て計画通り。「ありがとう! みんなのおかげです!」って、のりくん! こんなの見て憧れちゃったの!? そ、それでいいの!? ま、まぁ、惚れちゃったもんは仕方ないけどさ(二回目)。

のりくんの口ぶりからすると、当時すでに、法月仁が裏で色々とダーティなことをしていること……。そして氷室聖の突然の怪我による欠場と、それに呼応する形での黒川冷の辞退による、法月仁の無条件優勝もまた、彼自身の策略によるものと考え得ること……。これらの情報は、少なくとも法月仁のファンやプリズムショー界の事情に詳しいものにとっては、共通認識となっていたのだろうか。

自身がプリズムスタァとして活躍する道を奪われた氷室聖は、天羽ジュネに頼まれ、彼女を最高のプリズムスタァへと育てる指導者の道を選ぶ。このときは、立派な指導者だった(まるでこのあと指導者として色々と問題のある人物になる、とでも言いたいかのような口ぶり)。もしかすると、氷室聖を立ち直らせるためのジュネ様の計画だったのかもしれないが。

やがて彼女はプリズムクイーンとなる。若干13歳(これ何年前だろ)。そしてディアクラウンも作られる。「プリズムショーの煌めきを広めたいという、君の夢を……」と氷室聖はジュネ様に語っているが、そんなこと言ってたっけ。あんた自身の夢じゃない?

時を同じくして、氷室聖プリズムショー協会で働き始め、法月仁エーデルローズの主宰となる。

法月仁の感情に注目するなら、ジュネ様個人に対する情念のようなものは特に見受けられず、氷室聖に"エーデルローズのもの"を盗まれた、という感覚があるらしい。組織と自己の同一化。そして、自分が女に選ばれず、他の男が選ばれたことへの嫉妬と憎悪。ジュネ様そのものはどうでもいいんですよね。自分(エーデルローズ)が選ばれず、怪我をして踊ることもできないあんな男が選ばれたことが、許せない。

ジュネ様の感情に注目するなら……。先ほども触れたように、みずから氷室聖にプリズムショーのコーチングを依頼したこと。氷室聖が神浜さんにジュネを頼むと言ったときに「聖さんは?」と質問したこと。そして数年後、氷室聖が協会の会長に就任したとき、目を輝かせて喜んでいたこと。これらの事実を突き合わせると、ジュネ様は誰よりも何よりも、氷室聖という男のことだけを考えているのではないか? なんてことを考えてしまう。どうだろう、まだ全く底が見えないので、なんとも言えないが。

氷室聖は……。うーん、なんというか、素朴というか、子供というか。プリズムショーを見て、興奮してはしゃいでいるところなんか、まさに少年そのものといった感じですが。自分の純粋な喜びや楽しみ = 煌めきを夢中で追いかけているだけで、その言い訳として「プリズムショー界のため」「ジュネのため」と理由を後付けしているような感じがする。

仁は組織のこと、ジュネは聖のこと、聖は自分自身のことを見つめている。

聖がジュネのことを、ときどきひどく眩しそうに見つめるのは、そこにかつて失った自らの煌めきの残滓があるからではないか。ふたたび舞台の上で歌い踊ることの叶わない自らの、行き場のない煌めきを、みんなジュネに仮託しているのでは。もしそうなら、それはひどくグロいことのように思える。不健全だと思う。まだ勝手な予想に過ぎないけど。

五連続ジャンプによって、プリズムショーは新たなステージに進むことになると言うジュネ様。閉塞的で保守的な現状のプリズムショー界を変えたいという、聖の願いを叶えるためだろうか。

そしていよいよ、ハートビートセッション。

「あまりエーデルローズをいじめないでほしいものですね」と、氷室聖に嫌味をぶつける法月仁。「私はこの閉塞したプリズムショー界に、新しい風を吹き込みたいだけです!」と返す氷室聖。やっぱりそれはあんたの願いだよね。ジュネの願いとは違うような気が。「親父に可愛がられているからって、調子に乗るなよ」と早速本音がダダ漏れの法月仁。早くこの辺りの事情をもっと深く知りたいものです。

バチバチと火花を飛ばし合う二人の間を、バタバタと駆け抜けていくcooさんとオーナー。……もういいですよね? 黒川冷なんですよ、cooさんは。しれっと三強が揃った瞬間なんですよ、ここは。 そしてこの場面、実は演出的にものすごく美しい場面なんです。解説します。皆さん聞いたことはあると思いますが、舞台には上手(かみて)下手(しもて)というものがあります。これは映像作品においても同じことで、観客から見て右側上手で、相対的に「強いもの」「当たり前に来るもの」を意味し、左側下手「弱いもの」「流れに逆らうもの」を意味しています。

もう一つ大事なのが、**"動き"のこと。右(上手)から左(下手)へ視点や対象が移動する場合、その"動き"は右から来るもの……つまり、当然の流れなので、過去から未来へと向かっていく自然の動き。いわば"運命"のようなパワーを持つ移動として意味付けられます。逆に、左(下手)から右(上手)への移動は、不自然なもの……時間の流れに逆らい、過去に進み、定められた運命に反逆する強さ**を象徴します。様々な映像作品でこの構図は用いられていて、例えば『アベンジャーズ/エンドゲーム』の最終決戦なんかはわかりやすいですね。詳しくは「映像の原則 上手下手」などの語句で検索してみてください。

さて本題です。この三強が揃った場面。氷室聖は上手に立って、下手の法月仁を見つめています。これは強者であり未来を象徴する氷室聖が、自らの輝かしい未来を阻む敵として法月仁を捉え、運命的なパワー(ジュネ)で迎え撃とうとしていることを表しています。反対に、上手の氷室聖を睨み付ける下手の法月仁は、弱く、 虐げられ、過去に捉われた立ち位置から、圧倒的強者の氷室聖(およびジュネ)に挑戦し、真の栄光を得られなかった自らの過去と対峙し、その逆境に反旗を翻そうとしていることを象徴しています。

そして、黒川冷は法月仁と同じ方向へ。つまり、下手から上手へと駆け抜けていく。弱い立場から強敵に反逆し、定められた運命を覆そうとしている。

「過去に向かう」というとなんだか後ろ向きでよくない気がしますが、強い相手に立ち向かい、決められた流れに逆らって進む強さを意味しているわけで、負けると決まったわけじゃありません。むしろ希望を感じさせる展開です。実際、このあと氷室聖は輝かしい未来を奪われ、四谷のボロ家で借金地獄に苦しめられるわけですし、法月仁は社会的成功をおさめるわけですから……(それが彼の幸福かどうかは別問題)。

この瞬間、この構図は、彼ら三強の未来を暗示していたのでは。本当によくできたアニメです。

三強の未来は言い過ぎかもしれませんが、いま行われているのは、氷室聖の手札である天羽ジュネという圧倒的強者に、法月仁の鍛え上げたベルローズや、黒川冷の育てたハッピーレインという相対的弱者が反旗を翻している状況ですから、やはり美しい構図です。

単騎でジュネに挑むべるさん。間違いなく現役女子、いや男子を含めても最強のプリズムスタァだと思われるが、その刃はまだ、五連続という人智を超えた"高み"には届かない。あわや大事故、というところでcooさんが助けに入った。もうカリスマ性を隠さなくなってきている。

そしていよいよジュネ様のプリズムショー。プリズムの煌めきを、あなたに! ってどっかで聞いたことあるぞ……。すごい、会場を支配している。あるいはオタクがものすごく訓練されている。とにかくレベルが高い。"格"が違う。

nth color

りんねちゃんのgift同様、斉藤恒芳先生の作曲ですね。

さて、プリズムライブは……って、えええっ!? お、オーケストラ……? こ、こんなん勝てるわけが……。そのまんまジャンプへ移行! スタースプラッシュ! ってシンくんも使ってなかったっけ。あ、キッスした! 無限ハグもした! めっちゃキンプリの香りがする! ご、五連続……! え、赤子……?

ぬ、脱いだァーッ!!

あんたが脱ぐのか……。

ちょっと、強すぎるよ。みんな泣いてるよ。

こんなんラスボスやろ……。

勝てるわけないよ……。

最強のプリズムショーを追い求めていくと、キスしたりハグしたり脱いだりするキンプリ方式にたどり着くということが、これでまた証明されてしまいました。だからみんな脱いじゃうんだ。すごい回だった。

第33話 トライアングル・デートにゃ?

ちょっと二話連続であまりにもヘビーなものを扱ってしまったため、疲れ果てております。ここからは、全体的に短めで行かせていただきます。

これまたあれか。カヅキ先輩が誠実過ぎて逆に不誠実なことになってしまう、罪深いやつか。いつもの。

「カヅキ先輩いい男だなぁ」「わかなちゃんいい子だなぁ」「つらいなぁ」しか言えない。

違う! 違うのあんちゃん! カヅキ先輩は、ただ誠実なだけなの! 誤解しないでね!

しかし、こんなかわいい娘の頼みより重要な仕事ってなんなんだ。これはもうcooさんが職場までトレーラーで乗り付けて、無理やりショーを見せるしかないのでは。なんならシンガポールまで行ってくれそう。

法月仁は出番なし。

第34話 ハピなるなら手をつなごう!

いい回でした。**"** つなぐ"ことで煌めきは増していく。ここに物語の大きなヒントが隠されているように思う。なるちゃん単独のプリズムショー、だいぶ久しぶりに見た気がする。だめだ、変なことを頭によぎらせるな……。余計なことを考えずに、純粋に楽しむんだ……。はーちーはーちー……あっ、だめ! あっちいけ! もうコウジが全部悪いんです。いとちゃん、別れた方がいいよ!

ジュネ様、やっぱり氷室聖に合わせて笑ってますよね。それがあなたの幸せ? ほんとに?

りんねちゃんもスタースプラッシュだった。てか、さらっとなるちゃんも四連続飛んでてすごいね!

氷室聖「あのりんねという子も、本物のスタァだったのか!」爆笑。やめて。ずっと騙されてたのほんと面白い。「あれはCGです」でほんとに納得してたの、面白すぎるから。えっ、何ヶ月騙されてたの? 14話から34話までだから、20話、つまり4、5ヶ月、140日間の長きに渡り騙され続けてたの? 笑いが止まらない。最高や。ほんまに、おもろいね。

また新しい大会を思いついてるよ、この人。

なるちゃんの「ずっと一緒」の約束に、「約束は大事」とだけ返すりんねちゃん。約束をしたわけではないのが切ないですね。大事だからこそ、簡単に約束をしてはいけない。きちんと学んだことが活きている。脚本が上手い。と思ったら坪田でした。さすが。

改めて考えてみると、本作のテーマは「親子」であり、少年の心を持つ男・氷室聖は、天羽ジュネという少女に自身の母親の面影を見出し、愛し、そしてジュネは(彼女自身のプリズムジャンプに象徴されるような)母性的な愛情表現でそれに応えている……という、歪な親子関係を捉えることができます。どうなることやら、この二人。

法月仁はパワハラしてました。

第35話 シャッフルデュオでダメだこりゃ!

なんか今回は作画が全体的にいい感じですね。

またしても打倒天羽ジュネのため、生徒たちに檄を飛ばす法月仁。そして紆余曲折を経て、ハッピーレインとベルローズのシャッフルデュオが結成されることに。べるさんとなるちゃん。わかなちゃんとあんちゃん。おとはちゃんといとちゃん。それぞれのデュオの個性の共鳴、化学反応が楽しみです。

次、行ってみよー!(りんねちゃんの、このなんともいえないレトロなノリはどこ由来なのだろうか)

第36話 お泊まり会でふたりはめちゃウマ!?

デュオの親睦を深めるためのお泊まり会。これまで描かれてきた、多様な家庭環境、親子関係が交差していくワクワクの展開ですね。作品の持つメッセージ性を体現するような展開、とも言える。このお泊まり会を描くために、これまでの35話は存在したと言っても過言ではない。期待できます。

大人を喜ばせるのが上手いわかなちゃん。なんか、わかるなぁ。わかなちゃんほどではないが、僕も大人の顔色を伺い、波風を立てないことに尽力する子供だった。**"いい子"でいることで得をすることもあるけど、ときにはその殻を破り捨てて、本当に自分のやりたいことを貫かなきゃいけないときもある。やがて、ぜったい、"そのとき"は来る。自分の手で漕ぎ出さない限り、人生は始まらないまま、終わっていく。その事実に気づいた日が、本当の誕生日と言ってもいい。**

カヅキ先輩からそのことを教わって、せっかく勇気を出して一歩を踏み出したのに、上手くいかなかったわかなちゃんには本当に同情する。なんとか救われてほしいが……。やはりcooさんがトレーラーに乗ってシンガポールまで行くしか……。何時間かかるかな。

お互いがお互いを想い合うからこそ、何も言えなくなってしまうの、つらいね。カヅキ先輩の助言が全て的確で、本当に人間がよくできている。あまりにも人格者。みんなすごく真摯で誠実だ。

あんちゃんとわかなちゃんのデュオお披露目ショー。二人のためにコウジは曲を作り、モモは衣装をデザインする。愛されてますね。

「それまでお前の悩みは、俺が預かっておく!」

カヅキ先輩、いい男すぎる! その様子を物陰から見つめて微笑むあんちゃん、いい女すぎる!

おい、タダシ……

わかなママがタダシへの怒りを爆発させ、これにて一件落着、なのかな? これで済むんならもっと早くこうしておいてほしかったな! ま、よかったです。とりあえず。タダシはシンガポールで頑張れ。

法月なし。

第37話 哀しみのラッキースター

僕が密かに推しているおとはちゃんパパの登場。

コウジ、シチューが似合う。今度シチューのCMもやろう。さらっと、いとちゃんおとはちゃんのデュオ曲も作り上げているコウジ。暇なのかな。

ついに語られる神浜家と涼野家の因縁。まぁ、だいたい察していた通りですが……。うーん、つらいのはわかるけど、子供たちには何の罪もないんだよ……。

こんなしんどい場面に出くわしても、おとはちゃんは健気に、自分のできることをやっていて、えらい。ほんとにいい子だなぁ。めちゃくちゃ好きです。おとはちゃんのこと。人のために泣ける、人のために頑張れる、素晴らしい心の持ち主です。

ベルローズ、おとはちゃんもわかなちゃんも作詞ができてすごい。ポテンシャルの塊。

舞台の上で不安に襲われるいとちゃん(王子様)を、そっと支え、強く導くおとはちゃん(お姫様)。えーん、かっこいいよお。そうだよ、思い出したよ。僕がこうして本作にドハマりするキッカケを作ってくれたのは、間違いなくこの二人だったんだよ。今こうして、二人の絆は舞台の上で結実した。最高です。

引き裂かれる、いとちゃんとコウジ。過去は変えられなくとも、人の心は変えられるはず。いつか二人が幸せになれるといいな。

……いやまぁ、コウジは別にいいんですけど、いとちゃんが気の毒なので。そして今回も法月なし。

第38話 聖夜にハッピーベルがなる

さて、べるさん回。べるなるデュオの楽曲もコウジが作るんですね。忙しいなぁ。わかなちゃんが自然な笑顔を見せてくれているだけで幸せな気持ちになりますね。べるさんのお父さん、どんな人だろう。

べるさんママはいつも通り。べるさんが言い返せるようになった分、色々とマシにはなっているような気はしますが。べるさんのベッドの周りに置いてある大量のぬいぐるみは、パパからのクリスマスプレゼントだったのですね。幸せな家庭を目の当たりにして泣いてしまうべるさん、しんどい。

なるちゃん、未熟児(低出生体重児)だったのですね。「子供を愛していないお母さんなんていない」。そうかな。そうだといいですけど。愛しているがゆえにひどく傷つけてしまうこともありますね。互いの変化と歩み寄りが大事なのだと思う。

あっ、法月仁だ! エーデルローズ以外の人間とデュオを組んでいるべるさんのことが、気に食わない様子。遠回しだけど、ガッツリ脅迫してますよね。ヒロがべるさんに気持ちを寄せていることを、看過した上で言っているのだろうか。他人のことを、組織のため(自身の復讐と野望のため)の道具としか思ってなさそう。「エーデルローズが君のためにどれだけ金をかけたか……」と、法月仁の束縛を受けるヒロ。かわいそうに。地獄だ。べるさんの愛を求めながら、しかし彼女に縋ることはできない。どないしたらええんや。

べるさんが店長になる回を思い出す。

べるさんママの高圧的で押し付けがましい態度(『さよなら、べる』までは完全に虐待でしたね)は、決してべるさんを傷つけるためにわざとやっているわけではなく、彼女はそれを「正しい」「完璧」と信じ込んでいるし、cooさんのような指摘やヒロのような助言をしてくれる人もいないから、自身の問題点に全く気付けていない。彼女もまた、ひとりの人間。娘のべると同じ、ひどく不器用で不完全な人間なのだ。

べるさんが、店長という社会的な責任を負う立場になったとき、無意識のうちに母親と同じ行動をとっていたことから、これらの事情が推察される。

子供が成長し、周囲の人間や社会と深く関わることで、大人に近づき、大人を理解し、親子の関係性が変化する。まさに美味しんぼ。親子の確執と和解を描くのが、本当に上手い。

まぁ、御託を並べようと、べるさんママがべるさんに対して行っていた教育虐待は許されざる行為だと、僕は思いますが……。べるさん自身が和解を望むのなら、それを止める権利はない。欲を言えば、許さなくていいよ、仲直りしなくてもいいんだよ、と言ってくれるエピソードもほしい(だからこそ僕は、高田馬場ジョージの『ジョージの唄』が大好き)。

「すまない、律。仕事が忙しいことを言い訳にして、ずっとべるのことを君に任せっきりで……。どれだけ君を追い詰めてしまったことか……。 君もべるも、私の宝物だよ」

おい、タダシ……。

聞いたかタダシ……(シンガポールまで飛び火)。

べるさんママには、べるさんパパという理解者がいてくれたので、なんとかなりましたが……。

これ、法月仁はどうしたらいいんでしょうね。

ま、和解できてよかったです。考え得る限りで最も穏当な着地。ありがとう、坪田(エンドロールを確認するまでもなく)。いやぁ、いい回だったなぁ。

……ん?

(突如流れ始めるpride)

無表情なmasquerade

君は微笑み

(べるさんに抱きつくヒロ)

馬鹿げたモラルから

僕を盗んだ

ヒロ「一分だけ……こうさせてくれ……」

Session Continues…

(十万回生まれ変わっても〜)

おいおいおい!! 愛・N・Gはどうした!!

「脚本 坪田文

おいおいおい!!

第39話 湯けむり!虹色カッパ伝説

怒涛の3クール目もこれで終わりですね。なんかまたトンチキの予感が……。どうせ変なことが起こるに決まってるんですよ、このアニメは。

なるちゃん「コウジくんとカヅキさんも誘いませんか!?」当然の仕打ちなんだけど、当たり前のように誘われないヒロ。そりゃそうだよ。

虹渡温泉。ハイローくらい荒れてる。べるさんの表情が崩れまくりでかわいい。そんで、しれっと着いてきてる田中さん! 付き合いがいいなぁ(?)

女児アニメだから当たり前かもだけど、女の子たちの裸を見せないの、えらいぜ。そのぶん男どもの裸をたっぷり見せてくるのが菱田なんだけどね。ふたりで仲良く入浴するコウジとカヅキ。

「恋のアドバイスなら、俺がしてあげようか?」

(突如流れ始めるpride)

(岩陰から、ぬっと立ち上がる半裸のヒロ)

(差し込むレインボー)

ヒロ「フフフフフ……。お湯加減はいかがですか? コウジ! 仁科カヅキくん?」

コウジ「ヒロ!」

ヒロ「_Good evening〜♪_」

そのままCMへ……。

あーもう、だめです。ふざけてます。みなさん怒りましょう。馬鹿にされてますよこれ。だいたいヒロ、あんたあんだけ苦労して手に入れたprideを、こないだ破壊されたばっかりのprideを、自分から持ちネタにしてるんじゃないよ。まったく。

たまたま近くに寄っただけ? ほんと?

「与えられた才能を、より多くの人のために使わないことが罪だと言ってるんだ!」「アイドルを甘く見るなよ……!」「真の勇者でなければ、真のアイドルにはなれないんだ!」

ふざけたお出ましだったのに、話の内容はずいぶんと真面目だ。のちのオバレ結成の布石かな。

法月仁が何かを企んでいることを、べるさんに警告して立ち去るヒロ。気持ちを我慢しきれないくせに、我慢することでなんとかしようとしてるの、絶対よくないからなんとかした方がいいよ!(とにかくなんとかしよう)

旅館のゆるキャラ、カッパッピー。そうか、ふなっしーが流行っていた頃か。世界で最初にハートイロトリドリームを替え歌して遊んだの、あんただったのか! カッパッピー! べるさんの可愛いもの好きな一面が見れて嬉しい。カヅキ先輩やコウジをめぐる恋模様も進展を見せ、ますます今後の展開が楽しみになる中、とうとうジュネ様がデュオのパートナーを発表。まさかのりんねちゃん(いや、りんねちゃんしかいないとは思っていたけど)。

うーん、強すぎるなぁ。勝てるわけがない。五連続ジャンプ飛んでるし。どうなっちゃうんだ。

法月仁は出番なし!

まとめ

さすがに後半だけあって、それぞれの抱える問題が少しずつ解決されていっている……ような気がするけど、改めて考えてみると、**りんねちゃんの記憶と秘密、カヅキ先輩とあんちゃんとわかなちゃんの三角関係、神浜家と涼野家の因縁、氷室聖とジュネ様の不健全な擬似親子関係、法月仁の抱える闇、べるさんは五連続六連続を飛べるのか、ヒロは地獄から解放されるのか、などなど……。**

まだまだ問題山積じゃないか。あと1クールで本当に終わる? まぁ、菱田もとい青葉の"詰め込み力"には凄まじいものがあるので、なんとかなるのでは〜と楽観する気持ちと、なんとかなってないから、まだ2025年になっても一向に終わる気配なく、だらだら続いてんだろうが! の気持ち。

いちばん気になるのは、やはり少年の心を持つ氷室聖の倒錯した恋愛感情と、その感情に母性で応答する天羽ジュネとの、擬似親子のような不思議な関係性について。これ、ぜったいよくないと思う。だから四谷のボロ家で借金地獄になるんだよ。

さて、このまま最後まで駆け抜けます。

続きです。前回(1〜14話まで)はこちら。

おことわり

前回、**蓮城寺べるのプリズムショーを初めて観た時から薄々と予感していたことではあるのですが……。第17話『気高く強くべるは咲く』があまりに面白く、また第24話『ひとりぼっちの女王』があまりにしんどく、第25話『さよなら、べる』**があまりに素晴らしく……。文章が後半へと進むにつれ、少しずつ語彙力が失われていくことが懸念されます。お許しください(感想ブログの意味が無い)。愛してる!

では早速行きましょう。

第15話 おとはのメルヘンティーパーティ

いとちゃんの影響を受けて、少しずつ自分の世界を表現できるようになっていくおとはちゃん。素敵だ(けんた食堂)。いとちゃんが王子様でおとはちゃんがお姫様。すごく百合百合している。おとはちゃんのために頑張るいとちゃんはすごくいい人だけど、それでもおとはちゃんはべるさんが大好きなんだね……。カップル成立ならずか……。

「でも、本当に大切なのはハート……。あなたを幸せにしたいと思うハートを込めることが、紅茶を美味しくする秘訣なんです」

めちゃくちゃ**美味しんぼだ! プリ原雄山の言っていたことだ! 認識を改めなければならない。プリズムショーの"本質"を完全に理解しているおとはちゃんは、僕が想像していたよりも遥かに偉大な才能の持ち主なのかもしれない。特定個人への愛情という"プリズムの煌めき"の根源を、エーデルローズの中でもトップクラスの技術(べるさん、わかなちゃんに匹敵する)と、持ち前の素晴らしい感受性(なるちゃんに匹敵する)で、独自の世界観の表現へと昇華し、** 観客の心を感動させ、プリズムショーを芸術の域にまで高めることに成功している……。最高最強のプリズムスタァなのでは? このままプリズムライブもできそう、となると、本当に頂点を極めてしまうのではないか。べるさんを差し置いて。うわぁ、それはそれで地獄だ。

前回の感想で、なるちゃんは動機が弱い(自信がない)と指摘したけど、彼女もまたプリズムショーの本質を(無意識的かもしれないが)掴んではいるので、あと技術さえ追い付けば簡単にトップクラスまで上り詰められると思う。

なるちゃんもおとはちゃんも、100%の善意でべるさんにダメージを与えてしまうの、いいですね。**温かい家庭で育った人間の"らしさ"**がよく出ている。好きだよ、菱田のそういうところ。

プリズムライブを頑なに認めないべるさん。わかなちゃん、太鼓持ちかと思いきや意外とべるさんにも刺さることを言うの、面白いキャラ付けですね。

おとはちゃんパパかわいい。密かな人気がありそう。ほぼ一人で店を回す羽目になってるcooさんもかわいい(やはり中学生に店舗運営を任せるのはどうかしてるし、もっと人を雇うべきだよ!)。

第16話 わかな、はっぴーフリーダム!にゃ

はっぴーフリーダム!?

うわぁ〜……やっぱりそういう家庭だったかぁ……生々しさという点では最高レベルかも……。完全に"親子"がテーマですね、本作は。家庭でも学校でも失敗を許されないの、すごく息苦しいだろうな〜……。わかなちゃん、プリズムストーンの面々だけでなく、べるさんにも割と嫌なことを(自覚的に)言う人だけど、もしやこれは**"試し行動"**なのでは?

おとはちゃんにめちゃくちゃ依存してしまっているべるさん、いいね。両片思いだね。早く自覚してね。そしたら幸せになれるからね。

カヅキ先輩、いい男すぎるだろ……。みんなが「罪深い」と言っている意味がわかってきた。カヅキ先輩のフリーダム実演(空中回転)、意味がわからなくて最高だ。看板屋の息子さんなんですね。意外な一面。

「自分の気持ちは誤魔化せても、俺の目は誤魔化せない」「俺のことは何言ってもいい。でも仲間を馬鹿にするのは許せねぇ」

ほんと、いい男だなぁ。「許さない」じゃなくて「許せない」なのが、彼の責任感の強さを感じさせる言葉選びで好き。全く悪意を感じさせない自然なボディタッチ。密着。いやぁ、罪だねェ……。

失敗の許されない環境で生きてきて、失敗するくらいなら安全な方へ逃げることを選んできたわかなちゃん。でもそうやって理屈を捏ねて、自分の気持ちを誤魔化しても、大好きなプリズムショーに嘘はつけないから、その狭間で葛藤や苦悩を抱えていたわけで。カヅキ先輩が「失敗してもいい」ということを教えてくれたおかげで「フリーダム!」を会得し、心を縛る呪いを振り払い、ついには「バーニング!」まで到達。

「なにかに縛られたら アトついちゃうじゃにゃい」「ルールは流動」「ハズレも八卦よいよい」

マイソングの歌詞がぴったりですね。Blowin' In The Mindという曲名は、ボブ・ディランの楽曲Blowin' In The Windから取ったものでしょうか。

「フリーダム!」も「バーニング!」も、プリズムショーの、ひいては生きるということそのものの"本質"に迫る概念だったのですね。

父親に叱られたところを慰めてくれる、ペアとものエスニちゃん。たぶん人間のプリズムの煌めきから産まれてくる存在なんでしょうけど、その性格は元となった人間となんらかの結びつきがあるのでしょうか。

わかなちゃんとカヅキ先輩の過去の繋がり、そして恋の行方も気になりますね。いい回でした。

第17話 気高く強くべるは咲く

"親子の確執"に代表される生々しく現実的なテーマとそれに付随する人間の情念を描くことに長けた菱田監督の作劇と、**"語らずに語る"映画的な表現で物語に深みを与える坪田脚本とが完璧に調和した、奇跡のエピソード。**あまりにも面白い。

『気高く強くべるは咲く』、いいタイトルですね。"強さ"への執念が感じられて。どうやらその執念は、母親のスパルタ教育に原因があるようで……。お母様も元プリズムスタァだったりするのだろうか。なんとなくだけど、この家庭は父親が居なさそうだな……と思ってしまった。だからどうということはないが。母親が、自己と娘を同一化し、娘を私物化している感じ。うーん、生々しい地獄だ。

なるちゃんがナレーションであらすじを語ってくれるの、美味しんぼの栗田さんのそれに似ている。こじつけだと思われるかな。でもほんとに似てるから! 嘘だと思うなら美味しんぼを見てください。

プリズムストーンのみんなの練習は和気藹々としていて楽しそうですね。

ヒロ曰く、エスニちゃんとわかなちゃんは似ているらしい。やはりペアともとは、飼い主の本心(プリズムの煌めきに通じるもの)を代弁してくれる存在なのだろうか。

一方、過剰なまでにストイックに練習に打ち込み、自らを追い詰めるべるさん。ついには、おとはちゃんの幻覚を見てしまう。重症だ。母親からの過度な期待と、管理してくれるおとはちゃんの不在。べるさんもおとはちゃんも互いを必要としているのだから、素直になって愛し合えばいいのにね……。べるさん、自分の感情(プリズムの煌めき)に無自覚なタイプかぁ。というか、エーデルローズは学校で何を教えているんだ? プリズムショーの本質、フリーダムもバーニングも何も伝えていないではないか。プリ原雄山が許さんぞ。まぁ、学校で習うものでもないが……。

ちょっと、氷室聖の天羽ジュネ絶対視(信仰と言ってもいいかもしれない)が心配になる。全てを天羽ジュネ中心に、天羽ジュネを輝かせるための道具と捉えてはいないか? 氷室聖は、天羽ジュネを介してのみ、プリズムの煌めきを感知することができているのでは。

無理な練習がたたって倒れてしまうべるさん。意外とメルヘンな寝室。べるさんの趣味なら、おとはちゃんとの親和性があるね。母親の趣味なら、娘を自分のお人形として扱っている感じがする。慰めの言葉ひとつかけない母親。体調管理もあんたの責務だぞ……?

あのね、これはね、虐待です。教育虐待。わかなちゃんの家庭はまだ完全にそうと言い切るには難しいライン(だからこそすごく生々しい)だけど、べるさんの家庭は完全にダメです。児相案件です。

わかなちゃんとべるさんの過去。孤独な二人。テストで98点だから帰れないって、ほんとうにダメです。通報しなきゃ……。

わかなちゃんの機転でなんとかなりましたが。てか、今のわかなちゃんの太鼓持ちスタイルはこのとき確立されたんですね。演じるのが上手い子供になっちゃったんだなぁ、親のせいで。演じるのが上手くなってしまったがために、自分自身の感情にも嘘をつくようになっちゃったのだけど。家庭環境が悪いのは同じでも、何かと器用なわかなちゃん(頼りないけど母親という安全圏が存在している)と、実はものすごく不器用なべるさん。安全圏がない。よろこびがない〜。

アニメ的な"キャラ"が作られたものであることが描かれるの、いいね。高田馬場ジョージにも通じる。きっと、人は誰しも何かを演じて生きている。そうしなければ生きていけない。すごく**"人間らしさ"**を感じる展開だ。ありがとう菱田。そういうところだよ。

べるさんにはおとはちゃんが必要であること。そのことを理解して、べるさんのためにおとはちゃんに"お願い"することができるわかなちゃん。めちゃくちゃえらいぞ。べるさんの隣を自分の居場所としているのかな。それゆえの苦しみ(呪縛)もあるけど。同時に、不器用で孤独なべるさんには、自分しか居場所がないこともわかっているわかなちゃん。しんどいな。共依存だ。ぜんぶ親が悪いです。

わかなちゃんにとってべるさんはほぼ唯一の居場所だから、愛情確認のための"試し行動"として嫌なことを言ってみたりしつつ、一方でものすごくべるさんのことを思い遣っていて、適度な距離感を保ちながら彼女にとって必要なことを提供し続けている。

僕は依存のアンチ(呪術廻戦懐玉玉折やシュガーラッシュオンラインの影響)だけど、これは愛情と言って差し支えないと思う。恋愛かどうかはしらんけど。親愛ではあると思う。

べるさんは不器用で、他者を寄せ付けなくて、その姿勢は母親の再生産でもあるんだけど……。おとはちゃんのことは遠ざけても、わかなちゃんのことは側に置き続けますよね。器用なわかなちゃんが気を遣って、細かい気配りを提供し、適度な距離感を保ってくれているから上手くいっている。

それは、おとはちゃんの提供する"保護"や"管理"とは違う。べるさんにとって、おとはちゃんの提供するそれは"母性"に類するもの。子供なら誰もが望み、無条件に与えられるべき**(肯定的な)"母性"を、べるさんは与えられずに育ち、むしろ自らを傷つけ苦しめる(否定的な)"母性"に痛めつけられてきた。**

おとはちゃんの提供する"保護"や"管理"は、実母から与えられる"支配"や"暴力"を想起させるもの。

べるさんは"母性"を強く求めながら、同時に"母性"を強く拒絶している。その姿勢が、おとはちゃんへの冷たく攻撃的な態度にそのまま表れている。おとはちゃんの"母性"を愛しながら、同時におとはちゃんの"母性"を憎んでいるのだ。えーん、被虐待児はどうすれば幸せになれるんや……。

おとはちゃんとの交流で、べるさんの感情(プリズムの煌めき)は確かに動いているはずなんですよね。昔は今より感情豊かだったはずだし。ペアとも候補(ひどい名前になりそう)の卵も疼いているし。先日のティーパーティーの時も、べるさんの心はあたたかくなっていたはずなんだけど。

変身シークエンスで微笑むべるさん。そんな演出意図は無いかもしれないけど、母親の"かわいいお人形"として振る舞っているように見えて心苦しい。氷室聖、お前が家庭に介入してなんとかしろ。

だめだ……! 氷室聖は「ジュネ……!」のことしか見てない……!

「偶然出会ったチャンス そんなのホントつまんない」。これは**EZ DO DANCE「欲しいものは いつだって 不意に襲う偶然」という歌詞のアンチテーゼだろうか。「負けられない」「勝ってからよ 泣き言は」「悔しいなら 濡れた瞳に炎」「目覚めなさい」。これらの歌詞は、べるさんが母親から常日頃言われ続けていることの反復。あるいはその重圧を受けて、べるさんが自分自身に繰り返し言い聞かせている自己暗示か。**どちらにせよ、ひどくつらい。

えーん、しんどいよお。教育虐待を受ける中2の女子が、発熱しながらステージの上で歌い踊っているよお。こんなん、りんねちゃんじゃなくても泣きます。

母親からの呪いである"強さ"への固執確かに、この楽曲にはそういったメッセージも込められてはいるが、それだけではない。家庭では完璧な**"娘"であることを強く求められながら、セクシーでアダルトな要素を散りばめ"少女からの脱却"を歌ってもいる『Get music!』。**今後の展開の暗示なのだろうか。

とうに限界を超えながら、舞台の上では最後まで笑顔を崩さないべるさん。誰かさんの指導を思い出しますね。"格"があります。エーデルローズもよくない。

「いいショーだったんじゃない?」と、べるさんの最も欲しがる言葉をかけてあげるわかなちゃん。それも確かに優しさだが、べるさんとわかなちゃんの二人だけだと、共依存が深まるばかりで何も根本的な解決は得られないのではないか。フリーダムでもバーニングでもない。もっとも、この場でわかなちゃんにできることなど限られているが……。

おとはちゃんの優しさ(母性)を拒絶するべるさん。トキシックだよ……。

しっかりミントティーは飲み干してますね。メモを残して去るおとはちゃん。「昔はありがとうって言えてたよ」。そして散りゆく薔薇の花……。

うわぁ!! 映画かよ!! セリフが良すぎる!! 演出がうますぎる!! なにが『気高く強くべるは咲く』や!! 散っとるやないか!!

ペアともは産まれず。そう簡単に呪いは解けず。地獄からは抜け出せず。いいなぁ、このリアリティ。生々しさ。人間らしさ。情念。そしてそれらを最も効果的に伝えるための、素晴らしい演出と作劇。最高のエピソードでした。完成度が高すぎる。伝説のアニメだろこれ。菱田と坪田、永遠にコンビ組んでてくれ。

自分自身に言い聞かせてるんだね。「気高く強くべるは咲く」って。悲しくてしんどい、素晴らしい回でした。地獄を描くのがうますぎる。こういうのを観ると、本当に満ち足りた気分になる。ずば抜けた完成度の作品と出会うこと、それ自体が幸福です。たとえ中身が悲劇であっても。いや、むしろ悲劇であればこそ。現実の理不尽と向き合い、その悲しみや苦しみを作品として昇華してくれる素晴らしい悲劇にこそ、僕は心を動かされる。菱田と坪田の心が、僕の心を感動させた。まさにプリティーリズム・レインボーライブ第17話『気高く強くべるは咲く』は芸術なのだ。

ではここで、改めてOPのEZ DO DANCEを振り返ってみましょう。ひとりぼっちで涙を流すべるさん(Foo!じゃねぇんだよ)。

I can hear my voice 今始まる
Midnight time から この場所で
行くあてが 同じ仲間と 全ての嘘 脱ぎさる
何もなくて 道もなくて 踊る君はどこから
逃げて行くの? 去ってゆくの? 不思議な程まぶしい
誘う夢 語り合って 傷なめ合ってる 堕天使
Easy Go Easy Go 笑顔だけ
ひとときの輪をつなぐよ

I've got feeling 突きぬけてく
街が目、醒ますころ
朝焼けにくちづけてる 波も抱きしめてる
Ez Do Dance Ez Do Dance 踊る君を見てる…
Ez Do Dance Ez Do Dance 君だけを見ている…

歌詞が良すぎる。というか親和性が高すぎる。小室哲哉が本作のために書き下ろした楽曲だと言われても納得する。ずいぶん未来を見てやがる……!!(まぁ普通に考えて、この曲を元に菱田たちが本作のストーリーを組み上げた、あるいはストーリーにぴったり合う楽曲としてEZ DO DANCEをOPに採用した、のどちらかでしょうけど)。

それにしても素敵なOPだ。最後の方、ただ一人で 踊るべるさんのカットで「監督 菱田正和」のクレジットが挿入される。演出うますぎ。『裏切りのサーカス』みたいなことしてる。監督が最も伝えたいこと、その象徴的なものを切り取ったカットで、監督の名前を出す……という、アカデミー賞級の抜群の演出をここでお目にかかれるとは。幸せです。ありがとう。

いやぁ、本当に素晴らしい回だった。本作のテーマである**"親子の確執"。それを描く上で避けては通れない、虐待をする親と、虐待を受けて育つ子供……。**その悲しみと苦しみを見事に、子供向けアニメの範疇で、しかし極めて生々しくリアルに描写してみせた。凄まじい手腕。最高の作り手たち。圧倒的な完成度の高さで、心から満足することができた。これを超えるものが、この先待っているのだろうか……? と思ってしまうくらい。それくらい、良い回だった。

はてさて、次回は何かな……?

第18話 俺はヒロ!絶対アイドル☆愛・N・G

おばか!!

うそです。タイトルを見て以来、ずっと楽しみにしていました。そう、これです! これが僕の知っているプリズムショー! 僕の大好きなKING OF PRISMです!

駄菓子のキャラみたいな動物どもがうろついているプリズムワールド。こんな牧歌的な世界だっけ。

タイトルコールの「俺はヒロ!(暗黒)」「絶対アイドル☆愛・N・G(媚び)」の声の使い分けがいいね。そそるね。しかし、こんなガキんちょ(と言っても高校生か)が罪を背負い、二面性を抱えて生きるのは、しんどいものがあるだろう。

細かい描写だけど、べるさんのことを心配して苦悩するおとはちゃんの顔を、いとちゃんが見つめているところ、優しさを感じさせてくれる良い演出だった。

氷室聖、来店。どこで売ってるのそのスーツ。あと、さらっとcooさんと顔合わせてるけど無反応か。氷室聖、人と話すときに腕組むのやめな。

プリズムショーが"本来"持っている素晴らしさとかなんとか、また美味しんぼのようなことを言い始めた。農薬も除草剤も、化学調味料も使っていないプリズムショーとか、我々日本人がいつの間にか忘れていた日本の心を思い出させてくれるプリズムショーとか、そのうち出てきそう。

プリ原雄山「あの作品の中のプリズムスタァは、全部オスだ!」

エスニちゃんが気になるなー。他のペアともよりも意味ありげな描写が多い気がする。わかなちゃんの本心を探るヒントになりそう。

コウジが公園でライブやってる……あ! この公園知ってる! オバレ結成の地、オバレ公園だ! シンくんが遠慮のない後輩やってたところだ。こっそり(がっつり)聴きに来てるヒロ、いいね。かわいいね。当たり前のようにそこにいるなよ。いとちゃんがコウジに抱く、淡い想いを悟った様子のヒロ。声音が変わるのこわいよー! 男同士のイザコザに女の子を巻き込まないでくれー!(何回目?) もう二人で河原で殴り合って、そのあとハグすればいいじゃん……。

なんやかんや人前で音楽がやれる程度には回復してきてるの、改めて考えるとすごいね、コウジ。「僕にはちょうどいい」と言いつつ、どうせあんた、もうちょっとしたら大観衆の前で全裸になったり、ケツから蜂蜜出したりするんだぜ……。

ヒロのデビューライブ、ということはつまり……prideだー! ついにきた!

人格がコロッコロ入れ替わるヒロ、こわいね……。なんか強くなった? 前みたいに(勝手に)尊厳破壊したり顔面崩壊したりしてくれそうにない……。

こいつ、よくもペラペラと大嘘を……。

「僕がライブで歌う歌、作ってよお♡」の言い方、ちゅき♡ うへーん! 少女の純粋な心が金で買い叩かれるの、つらいよー! 資本主義が憎いー!

何やらクジャク(ピーコック)が気になる様子のりんねちゃん。

エーデルローズに凸るコウジ。ヒロはさ、そんなに、そんなにコウジの歌を独占したいの? どういう情熱なの? コウジの歌を上手く表現することがヒロの自己実現なの? なんで? コウジが好きなの?(それはそうだろうけど)

あー、いとちゃんからの好意にコウジが無自覚であるがゆえのディスコミュですね……。恋愛してんなぁ……。いとちゃんを守るため、prideを差し出すコウジ。うーん、説明が足りない。でも話を聞かなかったのはいとちゃんだし。ヒロ以外、誰も悪くない。ヒロが悪い。そして、まだ出てきていない法月仁が悪い。早く出てこい!

タダ働きさせやがって! クソ! 作ったものが無駄になるって、クリエイターからするとめちゃくちゃつらいことですよね。怒って飛び出すのも当然だ。僕だって、せっかく書いてたブログが消えたりしたら、その日は泣いて過ごすと思う。いとちゃん、気の毒に……。あ、楽器屋のおっちゃん……。あんただけが世界の良心だよ……。

ヒロのデビューライブ! 黄色い薔薇を持ったお姉様方、つまり、のちのエリートとなる皆さんが大勢いらっしゃる。現実にも、この時からずっとヒロを推していて、今も推し続けている人が何人もいるんだろうなぁ。すごいなぁ。キンプラのとき、めちゃくちゃ嬉しかっただろうなぁ。羨ましい、と同時に尊敬。この人たちのおかげで今がある。マジで。あまりにも観客に支えられ過ぎているコンテンツだと思う。

いよいよ始まる! ヒロのライブ衣装、現役時代(キンツアのビジュ)の聖っぽくもあり、仁っぽくもあるような感じがする。「今日はありがとう! みんなの熱い声援のおかげで……」と法月仁みたいなことを言っている(感謝する人間を、みんな法月仁の後継者だと思っている節がある)。

「作詞作曲は……」「「「ヒロ〜!!!」」」

言わせるのひどーい!

pride

pride

きたー! prideきた! かっこいい……。邪悪なかっこよさがある……。なんか今日のヒロ、強いよ……! 本物の色気があるよ……! 歌い方、甘ったるくていいな……うわ! 三人に増えた!

「見たかコウジ……! お前の歌をいちばん上手く表現できるのは……俺だ!」じゃないんだよ。一人称もコロコロ変わるね。いいね。女の子に甘い言葉を囁きながら、しかし本当は一人の男のことだけを考えている男、大好きです。

以前にも、こういう男がいましてね……。ガングレイヴという作品に、ハリー・マクドゥエルという男がいて。女を抱きながら、しかし胸中では一人の男のことだけを考え、愛憎を募らせていたとんでもない男なのですが。それからウルトラマンオーブに出てくる**ジャグラーという男も、女の子にアプローチしているようで、実はそれは一人の男への愛憎から来ている行動だった……という。そういう男がね、僕は大好きです。男が男に向ける情念は、本当に美味しい!** これもまた、ある意味でプリズムショーの"本質"に迫ったパフォーマンスと言えるだろう。芸術です。男を愛し男を憎む男、速水ヒロ。好きです。

少女革命ウテナ桐生冬芽もいい。目的のためなら好きでもない女を平気で抱けるクズ男が好きだ。自分でもひどい趣味だと思う。

もう何億回と言われてることでしょうし、僕も以前からそうなんじゃないかと思っていたのですが、やはりこのprideの「君」と「僕」はヒロとコウジのことですよね? どちらが君で僕なのかは、文章ごとに変わってくると思いますが。prideだけが僕ら、合わせ引き裂くララバイ。

プリズムジャンプだ! 喘いだ! 腹を見せた! キスした! ドリームワークスのロゴみたいなことした! そうそう、これですよ。ダンスバトル回でも見たけど、やっぱり僕の知っているプリズムショーはこれなんです。いやぁ、落ち着くなぁ。安心するなぁ。

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三連続! アッ、花畑だ! ベッドだ! なんか見たことあるぞこれ! 添い寝ポジについた! さっきグンナイしたばっかりなのに、グッモーニンされた! なんすかこれ! あっ、あっ、ヒロ様ー! ヒロ様ー! 💛💛💛

絶対アイドル☆愛・N・G!💔

……アイドルなので恋愛は禁止であること。そしてING、つまり現在進行形でアイドルであり続けるということ……。

とか言ってたらキスされた! KING OF PRISMの"息吹"を感じるなぁ。キンプリ臭が漂ってきた! prideの興奮そのままにエンディングを迎える今回。またしても、すごい回だった……。前回とは全く意味が違うが……。しかし前回も今回も、それぞれ違う"菱田の良さ"が引き出されていて、素晴らしい回だった。現実の理不尽さも、虚構の美しさも、どちらも見事に描いてみせるのが菱田のいいところなのだ。

あと地獄男の地獄っぷりを描くのが上手いのもいいところ。好きだよ、菱田。

今回はヒロがずっと強くて、ずっと人格がコロコロ入れ替わっていて、なんとも恐ろしい。そんな彼のプリズムショーも、彼自身と同じ**"邪悪な魅力"に満ちていた。pride、まじでかっこいいんだよな……。でもね、わかってるんです。この強さもかっこよさも、どうせあとでボコボコにやられて顔面を崩壊させるための壮大な前振りなのだろう**と。そういう意味では安心しています。コウジが、そしてプリズムストーンのみんながより強く成長して、ヒロを打ち負かすチャンスが訪れたのですから。

ここからKING OF PRISMの伝説が始まった、一つの原点と言える回ですよね。よくここを広げてみようと思ったな!? よくこれを映画にして、全裸にしてみようと思ったな!? 勝算はあったのか!? まぁ、応援してくれる人たちはいたんだよね。それはわかるけども……。**来る6月27日(金)公開のキンツア(『KING OF PRISM-Your Endless Call- み~んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ』)**でも、この回やろうよ! 原点を描くんなら避けては通れないでしょ! ほんと、考えれば考えるほど奇跡的なシリーズですね……。なんで僕こんなにハマってるんだろう……。いや、だめだ。正気に戻るな……。

こんな断崖絶壁に墓があるの、仮面ライダーキバでしか見たことがない。そういえばキバも親子と芸術の物語だった。

第19話 心を結ぶいと

OP映像がちょっとだけ変わりました! ひとりぼっちで踊っていたべるさんの周りにみんながいる! ペアとももいる! これは期待してもええか……?

思えば、1クール目のBOY MEETS GIRLでも、今のEZ DO DANCEでも、ヒロとコウジとカヅキの三人は画面を三分割する形で映像に登場しているのですが、これは後に三つの画面が一つに合体してオバレになることの伏線ですよね(結末"だけ"知ってしまっている状態)。演出がうまいぜ。菱田か? 菱田の仕事か?

いとちゃんとコウジの恋愛模様ですね。いとちゃんとおとはちゃんの関係性に百合百合しいものを感じ取って勝手に喜んでいた側の人間としては、少し寂しいものがありますが、まぁ別に、このことで二人の関係性が薄まることもないと思うので……おとはちゃんとべるさんがくっついてくれればそれで……。

いとちゃんに質問されて、ペラペラと悪事の計画を話してしまうヒロ、かわいいね。コウジが自分のことを考えてくれて、自分のことを理解していてくれて、嬉しかったんだね。その喜びが、イメージ戦略を上回ってしまったんだね。やはりかわいい。こうしてすぐボロが出るところがヒロのかわいさだと思う。

カヅキ先輩「エーデルローズは人の妬み、恨み、憎しみが蠢くところだ」

名言ですね。すごい語彙力だ。あのカヅキ先輩にここまで言わしめるとは。

ユウくん出てきた! 写真写りがめちゃくちゃ"男児"で笑ってる。男児の笑い方してる。漢字は「結」なのね。お姉ちゃんが「いと」だからなんとなくそんな気はしていた。いとちゃんがパパとママを結びつけた、という言い方をされるとデキ婚だったのかな〜なんて余計なことを考えてしまう(なんでもいいんだよ、幸せなら!)(でも別居してるじゃん!)

楽器屋のおっちゃん、ほんとにいい人ですね……。あんたがいちばん煌めいてるよ……。

RL隠れ推しランキング
3位:おとはちゃんのパパ
2位:いとちゃんのパパ
1位:楽器屋の親父

そして、いとちゃんのプリズムショー。

赤い糸! 夏の恋!

あれ、なんか見たことあるぞ……。

どこで見たんだっけ……。

(バイプリを確認)

コウジじゃねーか!! コウジお前、自分に好意を寄せる女の子のプリズムジャンプを、お前……!! ほんとさ、自分が曲盗まれて嫌だったのに、なんなの!? 権利に関する意識が希薄過ぎない!? ゆるせねぇよ!! いとちゃん、やっぱりおとはちゃんにしとこうよ!! アッ、だめだ!! おとはちゃんはべるさんに夢中だ!!

……まぁ、コウジはメロいので、いとちゃんが好きになってしまうのも無理はないことです。

第20話 心重ねてときめきセッション!

ジュネ……が喋った! りんねちゃんとの繋がりを感じさせる動きをしていますね。なんか氷室聖もジュネ……も会話がふわふわしてんな。そういうふわふわした態度が仁との間に確執を生んだんじゃなかろうか。それにしても、あと数年でこの高層ビルを追い出されて四谷のボロ家にぶち込まれて多額の借金を背負う羽目になると思うと、なんかおもろい。こんなにふわふわしてるのに……。

会場のみんなでハートイロトリドリームを合唱! これ、のちの**応援上映(およびナナイロノチカイでのエンゲージの儀式)の"祖"**と言えますよね。

いとちゃんの決め技はそれ(赤い糸夏の恋)でいいんだね!? すげぇキンプリの臭いするよ!?(いとちゃんは悪くないんです!)(コウジのせいなんです!)

氷室聖、お前その場の思いつきでトリオ大会の発表しただろ。プリズムライブの採点対象化についても、特に根回ししてないだろ!(言いがかり) 発表したもん勝ちだと思ってんじゃねぇかなぁ。あんたの社会性について、僕はあんまり信用してないぞ……。おもろいお兄さんだね。上司には居てほしくないよ。

ハートイロトリドリームの字幕やトリオ大会のロゴを急遽用意する羽目になった大会運営スタッフの苦労を思うと涙が出る。

オバレの三人は大して出番ないはずなのに、すごくプリズムの息吹を感じる回でした。

第21話 2度目のオーディション

おとはちゃん回ですね。僕もなかなか言いたいことをそのまんま言えるタイプの人間ではないので、おとはちゃんの苦しみはよくわかる。それでも一歩を踏み出して、言葉を、自分の気持ちを届けたおとはちゃんは本当に強い。唯一足りなかった"勇気"を身につけて、プリズムライブもできるようになって、名実ともに最強のプリズムスタとなりました。

ペアともはプリズムの煌めきを栄養にしている生物なのかな? オーナーがずっと腹減ってるのもそれと何か関係があるかも。そう言えば、べるさんのショーを初めて観た時もオーナーは空腹になってた気が。

おとはちゃんっぽい子を捕まえてきて、おとはちゃんみたいなファッションに改造して連れ回すべるさん……。歪んでるね……。不器用だね……。

プリズムストーン、薄給だったのか。心はでっかい太平洋!(電話は3710)(よろしくな)

おとはちゃんのコーデ、たぶんもっとメルヘンにしようと思えばいくらでもできると思うんですよ。でも、べるさんに貰った靴に合わせるために、わざわざ全体的にシックな印象でまとめてるんじゃないかな。

べるさんへの愛情がトリガーとなって、プリズムライブが実現! サックスかっこいい! 背中に羽(フェザー)も生えて……立派になったね……。べるさんに頭下げなくてもいいんだよ!(頑固親父の回でも思ったけど、虐げられてる側に頭を下げさせる傾向がちょっとある気がする、このアニメ) でも、他ならぬおとはちゃんがそこに幸福を見出しているのなら、僕から言えることは無いな……。お幸せにね……。

第22話 約束とスペシャルサンド

第23話 思い出運ぶプリズムの風

2話まとめて! あんちゃんとわかなちゃん(とカヅキ先輩)の過去にまつわるお話でしたね。

カヅキ先輩が「誠実すぎて逆に不誠実」と言われる理由がよくわかった……。ほんと罪深い……。オバレゆるせねぇ……。ヒロの仲間としてはお似合いだね。

わかなちゃん、一度振り切ってしまえばすごくサッパリとした性格で気持ちがいい(そういうところも器用と言えるかも)。エデロ三人組それぞれの過去が繋がっていく構成も見事でした。22話、なんとなく全体的に演出のキレがいい。坪田とはまた違う趣がある。感覚で「坪田か、それ以外か」がわかるようになってきた。坪田はもっと遠回しに苦しめてくる。

いとちゃんのお父さんとコウジの間にもなんらかの繋がりがあるようで……。

22話、幼稚園でのあんちゃんのプリズムショーがあまりにも健全で泣いてしまう。なるちゃんのは**ケツ蜂蜜がよぎる(事故)し、いとちゃんも夏の恋でプリズムの息吹を感じさせてくれる(事故)**から、今はあんちゃんしかいない。ちゃんと三連続飛べてよかったね! 着地もバッチリ! cooさんは幼児に弄ばれてる! ひどく善良なものを見てると涙が出てくるんだよな……。闇に蠢くオタクだから……。

23話、カヅキ先輩の「ちょ待てよ」好き。人類ってイケメンを極めると「ちょ待てよ」って言うようになるんですね。数年前に一月半しか一緒にいなかった子のことを記憶しているカヅキ先輩、あまりにもバーニング。さすがカヅキ先輩。さすカヅ。

べるさんとわかなちゃんの過去の描写もよかった。べるさん、あの頃は(というか一年前までは)素直に感情を表現できてたんだよな。どうしてこんなことに。

わかなちゃん、人のために動くことができるいい子ですね。善の行動力がある人だ。べるさんもおとはちゃんもそこが弱いから、頼んだ(いろいろと)。

ハートフルスプラッシュ! そしてプリズムライブは思い出の木琴! やはり個人への情念が心の飛躍を導くのですね。

第24話 ひとりぼっちの女王

しんどすぎる……。

第25話 さよなら、べる

素晴らしすぎる……!!

第26話 虹を呼ぶハッピーレイン

いやちょっと待て。ちょ待てよ。感想が弱すぎる。さすがにもう少し考えます。がんばります。

第24話 ひとりぼっちの女王

17話で示された地獄が、完全に顕現した回ですね。ほんとうにつらい。しんどい。母親による教育虐待。過度な期待に応えきれず、とうとう"人形"は壊れてしまう……。ヒロは、彼女の孤独にシンパシーを感じているようですね。というか、めっちゃ泣いてるよね。ヒロ……。お前……。

楽屋で半狂乱になって泣いて暴れるべるさん、つらすぎる。まだ中2ですよ!? こんなん、許されていいはずがない。「愛は、あなたの側にある」と説くりんねちゃんに対し「トップにならなければ、私は誰からも愛されない」と返すべるさん。この思想、どっかで見たことありますね。法月仁、お前も……? お前の親も……? お前の生まれ育った家庭も……?

べるさんの感情を直視するのがあまりにもしんどいから、ヒロ法月仁のことを考えて、なんとか思考を脱線させている。男子が酷い目に遭うのはいくらでも見てられるし、手を叩いて喜ぶのだが、女子が酷い目に遭うのは耐えられない。

「私からプリズムショーを取り上げないで」。プリズムショーでトップに立つことだけが、生きる理由。

わかなちゃんとおとはちゃんからの助言に、小さく「ありがとう」と返すべるさん。言えたじゃねえか。聞けてよかった。しかし、重く深くかけられた呪いはそう簡単には解けず、プリズムの煌めきも心の飛躍もないプリズムショーでは、プリズムライブなどできるはずもなく。べるさんは、母親からプリズムショーを取り上げられてしまう……。

Session Continues…

ほんま坪田、ほんま……。女児向けアニメでこんなんやっててええんか!? 菱田ァ!!

第25話 さよなら、べる

夜の街をふらふらと彷徨い歩くべるさん。

なるちゃんからの愛、そして感謝。なるちゃんとべるさんは、あんちゃんわかなちゃんや、いとちゃんおとはちゃんに比べるとかなり交流が少ないけど、その最小限の交流でお互いにものすごく影響を与え合っていて、不思議な関係性だなぁと思う。ほんと、一刻も早く自分が愛されてることに気づいてくれ……。

でもね、わかなちゃんとおとはちゃんには頑固な態度を取り続けてしまうんだよね。トップじゃないのに愛されるなんて不気味で、怖いのかもしれない。距離が近すぎると見えないものもある。全て親が悪い。

わかなちゃんとおとはちゃんが、べるを空港まで追いかけていくことを決意する場面は、もう、良すぎるので何も言うことはないとして……。

ヒロが「"俺に"着いてこい!」って言うということは、これは完全なる本心での行動ってことですよね。トップの孤独を共感しつつ、それでもべるさんには、仲間たちと共にあってほしいと願い、ヒロは行動した。それが意味するところとは。

ジュネ……と氷室聖の会話も気になる。愛は目に見えない。だから信じるしかない。それを乗り越えて、誰かを大切に思うことが愛。

(ンハアアと髪をかき上げつつ)僕にはまだ愛のことがわからないと言う氷室聖。プリズムショーに恋してしまっているらしい。爆笑するジュネ……。「そんなにおかしいかい?」。ええ、とーってもおかしいです。

なんか、コウジがいとちゃんの曲をパクったとかでまた揉めているプリズムストーン。お前さぁ。カヅキ先輩もなんとか言ってやってよ!

カヅキ先輩「そりゃあ勝手に自分の曲を直されたら、誰もが怒ると思うけどな。コウジ、どうしてこんなことをしたんだ。涼野にちゃんと説明したのか」

100点の説教です。ありがとう。さすカヅ。なにも答えないコウジ。お前さぁ。

「私には、あなたたちと一緒にいる資格がない」と言うべるさん。そっかぁ、トップじゃないと愛されない。トップでない自分が愛されて良いわけがない。そういう思考回路だね。しんどいね。

わかなちゃんとおとはちゃん。二人の愛を受けて、りんねちゃんやなるちゃんの言葉の意味を理解し、ついにべるさんは、本当の気持ちを叫ぶ。

「私だって、プリズムショーを辞めたくない!」

わァ……ぁ……

(オタクが)泣いちゃった!!!

「私はママの操り人形じゃない!」

言った……! その一言が聞きたかった……!

「パパになんて説明すればいいの」「あなたがいないと、ママにはなんにも無くなっちゃうのよ」と泣き縋る母親。ここの声優さんのお芝居めっちゃうまい。

ここ、ほんといい場面というか。ザマァ的な意味でもいい場面ではあるんですけど、それ以上に、物語のテーマとしてこれまで以上に深いところへと、ぐんと踏み込んだ感じがする。要は、親もまた人間である、ということ。子供を虐待する親に同情するところはあんまり無いんですけど、この口ぶりを見るに、たぶん父親もロクなもんじゃねぇんだろうなと。少なくとも配偶者をこういうメンタリティにして、家庭を放置し娘への虐待を許してしまっている以上は。

明らかに異常ですもん、この母親の精神状態。この一瞬の場面で、素晴らしい演技による見事な表現によって、彼女に人間性が付与された。物語に深みが増した。一気に面白くなった。すごいことです、これ。

この物語はきっと、最終的には彼女のことも何らかの形で救うのだと思う。その先には、法月仁の救済も待っている、はず。

子供たちの物語で、乗り越えるべき敵として設定されがちな親(大人)。もちろんその側面は本作でも確かにあるし、むしろその確執と対決こそが本作の主軸なのだけど。子供の成長は、大人になるということ。憎むべき敵と同質の存在になる。同じ"人間"になる。そこには、相互理解の道が開ける。必ずしも、その道を歩まなければならないというわけではない。

しかし、虐待をする父親であった海原雄山と、虐待を受ける息子であった山岡士郎も、長い確執と対決の時を経て、士郎が結婚し父親となり、やがて和解を迎えた。結婚することや親になることだけが成長とは言わないが、とにかく、子供が成長することで親子の関係性に変化が生じることは、いくらでもあり得るということだ。レインボーライブの、そしてKING OF PRISM(子供たちの物語)の果てに、心に傷を負った大人たちの救済があることを祈りたい。

ユニット名はベルローズ。おとはちゃんが衣装を作り、わかなちゃんが詞を直し。べるさんへの愛が込められた、べるさんのための、べるさんを輝かせるステージが始まる。決め台詞は「薔薇の"美しさ"、見せてあげる!」。"強さ"じゃない! もう、強くなくてもいい! 曲名は『Rosette Nebula』(薔薇星雲)!

べるさんの笑顔が眩しい。

いつも誰かに愛されたいと思っていた。でも、こんなすぐ側に愛があったのね……。おととわかなの愛の香りが、優しい風に乗って、私の心に、心地良くそよいでいる……! 二人のおかげで、私は愛を感じられるようになった。愛に飢えた子供のべるに、さようなら……。ありがとう。おと! わかな! 私もあなたたちを、愛してる!

うわーん!! もう全部言われた!! 感想で言うことが何もない!! 坪田に全部言われた!! 坪田は台詞がうますぎる!!

『気高く強くべるは咲く』も『さよなら、べる』も、みんなべるさんが自分自身に言い聞かせていることだったのね。ほんま、坪田は……。

プリズムラーイブ!! ……で終わりっすか!? 菱田ァ!! エンドロール「脚本 坪田文」うん知ってた!! はいもう、次回行きますよ!!

第26話 虹を呼ぶハッピーレイン

べるさんのプリズムライブ、美しすぎる😭

"少女"からの脱却を示すセクシースプラッシュ。本当の"愛"が込められたミリオンローズ。無限カレイドスコープのあと、ついにべるは咲き誇る。一輪の孤独な薔薇ではなく、大輪の姿で。四連続! 無限プリズムフェニックス! 観客に本物の感動を届けた。そう、これこそが**プリズムショーの"本質"**なのだ。

プリ原雄山もご満悦。氷室聖も少年のようにはしゃいでいる。こうしてベルローズは爆誕。もう、これで終わりでは……? これ以上、何を……?

改めて薔薇星雲を最後まで聴いて泣いたのですが、ラスサビ前の楽器演奏(プリズムライブ)パート、おとはちゃんのサックスやわかなちゃんの木琴はそれぞれソロの瞬間があるのに、べるさんのバイオリンの時は、常にサックスと木琴が隣に付きっきりで、決してバイオリンを一人にはしない強い決意と"愛"を感じられて、あまりにも尊く、涙……。愛してる……。

……ああ、そういえばいとちゃんとコウジの恋愛模様でしたね……。そうだよ、主役はこっちだよ。菱田あんた、ライバルキャラのこと好きすぎるだろ! 2クール目に突入してから、ほとんどエーデルローズの話しかしてないぞ!

べるさんのペアともはセシニさんというお名前に。よかった、セクシーさんとかじゃなくて。ずっとそこが心配だった。無邪気に笑うべるさんが本当に素敵。

いとちゃんの背中を押し、コウジとの恋愛を手助けしてあげるなるちゃん。しかし、その目からはポロポロと涙が……。そっかぁ、好きだったんだよな。めっちゃ恋愛してるなぁ、このアニメ。

コウジ、告った! わー! わー! キスしちゃった! なんかこの噴水も見たことあるような、って、ヒロ!! お前!! 「フッ、これでますますコウジの歌にも、磨きがかかるか」って……ヒューッ!! 僕はやっぱりお前がいちばん好きだよ!!

僕「ヒロ、好きだ!」

もう一人の僕「フッ、これでますます菱田の作劇にも、磨きがかかるか」

すげぇなぁ、女とキスしてても関係ないんだ。むしろ喜ばしいことなんだ。自分が最も上手く表現できるコウジの歌が、さらに素晴らしいものへと進化を遂げることが。男と男の情念、ここに極まれりって感じ。いやぁその根性、地獄男だね!(男塾の次回予告)

べるさんの素晴らしい回をやった直後には、必ずヒロのエゲツない回をやらなければならないルールでもあるのだろうか。

オーナーがいいオーナーしてる。

そしてハッピーレイン始動! べるさんを中心とした"愛"でまとまり、べるさんだけを際立たせることに特化したベルローズとは違い、三人全員でのプリズムライブを披露する。そして三人同時のプリズムジャンプ。いやぁ、なるちゃん、あんたかっこいいよ……。尊敬するよ……。優勝おめでとう!

ほんと、この結末が最高です。ベルローズは負ける必要があった。負けることに意味がある。

あ! キスした! うれしい!

わ! ヒロが花を踏んだ! うれしい! なんかポエム言ってる! 泣いてる! うわぁ、そうか……。べるさんが解放されたことで、ヒロは逆に後戻りができなくなっていくのか……。さらなる地獄が待っているというのか……? ヒロ、お前は自分自身の手で、自らを地獄の底へと突き落としたのか。全ては、さらなる高みへと登るために……。

第27話 ピコック先生 怒る!

もうええでしょう! と思ったんですけど、何やら風の噂で第27話には"ヤツ"が出ると聞きまして……。とりあえず、そこだけ見ておこうかと……。

OP変わりましたね〜。みんなの新衣装かわいい。オバレが一つの画面に! 期待してええか……?

あ! なんかいま一瞬、お目当ての"ヤツ"が映ったような……。なんだか、りんねちゃん関連で不穏なことが起きそうなOP映像ですね。心配です。

プリズムワールドの「査定」とかいうシステムのことも気になりますが……そうこうしているうちに出てきました! 法月仁! ようやく会えましたね……。なんか雰囲気が総帥やってる頃とは全然違う。掴みどころがないというか、不思議な感じ。「プリズムライブねぇ……。私は、その時の流行りに靡くのは嫌いです」と言い、赤い薔薇を踏み付ける。ついこないだ出た新情報として、法月仁はプリズムジャンプを超える"プリズムアクト"を確立したが、誰にも継承されずに廃れたという……。そのことを踏まえると、なんとも意味深な場面。12年ぶりの伏線回収ってこと? ONE PIECEみたいなことしてるね……。

氷室聖とは目指すものが根本的に異なる様子。どうやらジュネさんは、怪我でプリズムショーができなくなった男 = 氷室聖を愛してしまい、エーデルローズを辞めてプリズムショーもやらなくなってしまったとか。そして法月仁は、そのことを非常に残念がっている。なるほど〜? 少しずつ関係性が見えてきましたね……。絶対アイドル☆愛・N・Gは、そんな過去の経験から**法月仁が提唱し、速水ヒロが継承することになったマントラ**だったのか。

ジュネさんの語るかぐや姫の物語。それが指すのはりんねちゃんのことか。本筋が進み始めている感じ。

ピコック先生、手厳しい。りんねちゃんがクジャク(ピーコック)に反応してた理由はこれですね。

ペアとも、喋れるんだ……。推しがいるんだ……。

オーナー、もといモモの目的はプリズムの煌めきを集めてりんねちゃんをプリズムワールドへと帰すこと。縛り上げられ吊るされたままエンディング突入。これから毎週吊るされるのか……。

まとめ

ふぅ、なんとか書き終えた……。これでようやく半分ですね。やっと、やっと法月仁が出てきた……。この時をどれだけ待ったことか。仁と聖の対立は表面化し、ヒロの地獄具合も増していく。地獄男を愛好する者としてはますます楽しい展開が待っていそうだ。でも、女子に関してはもうやることないんじゃないですか?? りんねちゃん以外。べるさんたちはもう、行くところまで行ったじゃないですか。本当に最高だった。ベルローズ……。Rosette Nebula……。これを超えるものはないですよ。ないです。

しかし、本当に面白いアニメですね。『プリティーリズム・レインボーライブ』は。僕は本作に恋してしまっているのかもしれないね(ンハアア)(髪の毛ファサッ)。

菱田坪田コンビのことは本格的に好き。現実の理不尽と、それに付随する人間の生々しい情念(親子の確執や"有害な男らしさ"など)を描くことで、観客の感情移入を誘い、その上で、情念をエンターテイメントとして昇華する見事なショーを披露し、観客の心を感動させる……。まさにエンタメの王道、芸術の本質。

尊敬に値する素晴らしい作り手たち。この人たちの作品なら、いくらでも観たい。

と、プリ原雄山が言っています。

続きはこちら。

見始めました。キンツアに、備えるために。

『キンツア』って?

『KING OF PRISM-Your Endless Call- み~んなきらめけ!プリズム☆ツアーズ』2025年6月27日(金)より全国の映画館にて公開決定!

投稿者のスペック

過去のブログはこちら↓

キンツアまで時間が無いので、早速行きましょう。

第1話 私はなる!店長にな〜る!

まず、女子のプリズムショーってめちゃくちゃ上品ですね!? 誰も脱がない! 喘がない! キスしない! ハグしない! ケツから蜂蜜出さない!🍯

アイドル気取りでヘラヘラ女に媚び売りやがって……ストリート系の地位をどこまで落とせば気が済むんだ!?

あとなんか、元祖ストリートのカリスマ・黒川冷によく似た声の男性がいますね……。他人の空似ですかね……。黒川冷がこんなところにいるはずありませんし……(うそです、かつての伝説がめちゃくちゃかわいい女児向けのおじさんになってて感動してます)。

— KING OF PRISM (キンプリ)公式 (@kinpri_PR) 2024年8月8日

それはそうと、この世界の大人たち、頼りなさ過ぎるぞ! まず中学生に労働をさせるな!

あとなんか、冒頭いきなりプリズムの女神によく似た女の子が出てきましたね。僕たち、この人の前で誓いを立ててエンゲージしたんですよね。

コウジもいた! 歌ってた! あと氷室聖(フルネーム)によく「ジュネ……!」って言われてる印象のあるジュネさんもいた。一人だけ四連続を飛んだすごい人らしい。

僕は登場人物の名前を覚えるのが苦手なので、作中で誰かがその人の名前を呼んだ時の印象的な"音"で、なんとか記憶しています。カヅキ先輩は、タイガくんがよく「カヅキ先輩!」って呼んでる印象が強いので**"カヅキ先輩"で覚えてますし、ジュネさんは「ジュネ……!」で、カケルくんは「カ〜ケ〜ル! 俺っちの名前はカ〜ケ〜ル!」で、池袋エィスは「毎日行っても全然飽きない! アニメ界の4番でエース! 池袋のエィス!」**で記憶しています。

第2話 あんにお任せ!ポップンスイーツ

第3話 クロスがいと?COOL & HOT

二話まとめて。相変わらず大人がひどい。楽器店のおじさんだけが世界の良心。いとちゃんことクロスさん(ユウくんこと全知全能のゼウスのお姉さんですよね)のお父さん、目に光が無くてよかった。わかりやすく酒に溺れていた(隠れファン多そう)。

OPにオバレ(まだオバレではない)が映るたびに「オバレだ……!」と言ってしまう。

ほんとに、この上品でかっこいいプリズムショーから、あの、僕たちのよく知る、ケツから蜂蜜をひり出すプリズムショーへと至るのですか……? どうやって……?(聞くところによると、オーロラドリームという作品に起源があるらしい。今度観てみよう)

タイガやアレクの怒りはもっともだよ! アレク、お前だったのか……。プリズムショーの品位と伝統を守っていたのは……。僕はてっきり、君のことを破壊者だとばかり……(青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました)。

キンプリとの繋がりを確認するための視聴ではありますが、目的以上に、単純に一つの作品として面白い。楽しんでいる自分がいます。女の子たちがそれぞれの夢や目標に向かって努力しているのが素敵だし、まだまだ謎の多い世界観も魅力的だし……。これから50話かけて、彼女ら彼らがどのような物語を紡いでいくのか。そしていつ、脱いだり喘いだりキスしたりハグしたり、ケツから蜂蜜をひり出すようになるのか。見届けていきたいと思います。

この世界の大人たちを基準にして考えると、聖も仁もまだマシな方だよな……。ごめんな、悪く言って……。あんたら頑張ってるよ、まだ若いのに……。

第4話 プリズムストーンイースターにようこそ!

謎の多いりんねちゃん! 生命の誕生を祝福するイースター(ゴリゴリのキリスト教イベントですね)が何かのヒントになるのでしょうか。単なる季節イベントをやるには序盤過ぎるし。月も気になる。

今のところ、何か困ったら毎回コウジの歌にヒントもらってるよね!! 引き出しが少なくないかな!?

衣装めちゃくちゃかわいい🐰

第5話 私の歌は色トリドリーム

ハート イロ トリドリ〜ム

🎶🎶(イントロが流れ始める)

僕「エッ……!?」

なるちゃん「ハーピーハーピーハピーなるー🎶」

僕「こ……この歌は……ッ!!」

我々はこの歌を知っている! このイントロとこのリズムを知っている!

— KING OF PRISM (キンプリ)公式 (@kinpri_PR) 2024年8月31日

はーちーはーちー🎶 王の気分!(パァンッ!) 君は何色? の歌じゃん! これが元ネタだったのか! 作曲者なら何をしても許されるのか!? こんな少女の純粋な煌めきを、ケツ蜂蜜音頭に作り替えてもええんか!? たとえなるちゃんが許しても(許すだろうけど)、僕はそう簡単には許さないぞ!

それはそうと……「プリズムの煌めき」とは何か、という本質的なメッセージの込められた重要回でしたね。突き詰めると、何が好きか、何を伝えたいのかってことだと思う。そしてプリズムの煌めきは、時に他者と通じ合い、見る者の世界を輝かせることができる。プリズムショーは、その輝きを広く伝えるための儀式なのだ。

コウジが思ったより荒んでて、なんか新鮮でした。ほら、僕の知ってるコウジは優しくて、ときに情熱的で、才能豊かで、みんなを温かく見守ってくれて、服を脱いだりケツから蜂蜜を出したりする人なので。もうprideの一件は起きた後なんですね。ほんと、よくオバレになれたよな……。

みにくいアヒルの子の紙芝居、めっちゃよかった。これが好き! という心の煌めきはもちろん大事だけど、何よりもそれを誰かに伝えること、そして相手の心を動かすことこそがプリズムの煌めきの真価なのだと思う。法月仁の、高田馬場ジョージの煌めきの根源にあるものとはいったい……(ジョージはだいたい想像つくけども)。

第6話 クールなハートがビートでヒート!

ジョジョみてえなタイトルだ。

やたらゴツいトラックだなぁと思ったら、トランスフォームしたところで全ての意図を理解し、あぁ、僕はまたしてもこの番組に踊らされていたのだ、全ては菱田の掌の上だったのだ……と気付かされました。コンボイ司令官だったのか。してやられた。ムカつく。

仲間たちからの「いとちゃん」呼びを自然と受け入れつつあるいとちゃん、かわいいです。かわいいんだけど、プリズムショーは最高にかっこよくて、クール&ホットでした。確かに今のコウジはぬるいね!

BT37.5

そしてヒロが出てきました……! ついにヒロとコウジの対面! コウジが人に曲を作ったと聞いて「ハッ……!」と(ガラスの仮面みたく)なるヒロ、かわいいね。地獄を抱え込んでいるんだね。無視されたね。ほんとはめちゃくちゃ悲しかったよね。あとで一人で泣いたのかな。かわいいね。地獄男だね。

ヒロが自らの抱えた地獄を垣間見せてくれる時、そして自らの尊厳(pride)を自らの手で破壊してしまう時、僕の見る世界は煌めきます。ほんと、よくオバレになれたよな……(2回目)。

第7話 ガンコ親父にスイートマジック

学校は! 児童労働の! 許可を出すな! なるの両親もどうかしてるぞ……? 相対的にあんちゃんの両親がマシに見えるというか、まぁお父さんの態度はひどいと思うんですけど、お母さんのおかげで、なんやかんや双方の愛情は伝わってはいるので……。作中世界における児童労働のハードルが低すぎて、見てるこっちの価値観の方がおかしいんじゃないかと思えてきた……。ガンコ親父に関しては、作中で母親から批判されてるじゃないすか。児童労働は批判されてないんすよ(なんなら美談みたいな語り口をしている)。

円満な家庭ばかりではない、という現実の生々しさを味わわせてくれるのが菱田作劇の美点ですね。好きですよ、そういうところは(あんまり露悪的な表現をされても困るが)。思えば『ジョージの唄』もそうだし、『Fairy蘭丸』もそういうお話だったような。現実のままならなさを直視した上で、その困難を乗り越えていくためのエンパワメントとして機能するエンターテイメントの煌めきと、その輝きを通じて繋がり合う人と人の心。いいですね、ステージの本質だ。

Sweet time Cooking magic 〜胸ペコなんです私って〜

明確に「親子」が一つのテーマとして設定されている本作。そう考えると、TRFの楽曲が多用されているのも親世代へのフックとして機能することを期待してのことなのかもしれない。

第8話 男の勝負はダンスバトル

ずっとこの回を楽しみにしていました。これがオバレの出会い! 三人が初めて集まった瞬間!

カヅキ先輩、みんなの先輩なんだなぁ。ヒーローすぎるだろ……。最初からずっと「勝者じゃなく勇者」だったんだ……。バーニングスケボーに乗ってるの、かっこいいね。ぜったい裁縫箱はドラゴンでしたよね。さすがっす、カヅキ先輩。

そんでヒロ! お前のプリズムショー、なんか見たことあるぞ! これだよ、これ! 僕のよく知るプリズムショーはこれなんですよ! そうか、ヒロ……! お前が元凶だったのか……? お前がキングになんかになっちゃうから、こんな媚びた"邪道"のプリズムジャンプが、"王道"ということになってしまって、それでみんな脱いだりキスしたりケツから蜂蜜出したりするようになっちゃったんじゃないか……?

ヒロのコウジに対する拗らせ具合、ほんまに楽しい。元気出るわ。歌うとは思わんかったんやね。あれか? コウジの歌をコウジ自身からも奪ってしまって、自分一人で独占したいのか? でも本当に欲しいのはコウジの歌じゃなくて、コウジ自身なんじゃないのか? 知ってるんだよ、あんたが無理してることは……。早く本音を聞かせてくれ……。しんどいのはお前だろ……。ほんと、よくオバレになれたよな……(3回目)。

この頃のヒロ、めっちゃ当て馬というか、悪役令嬢というか……。思えば高田馬場ジョージも、法月仁も似たような立ち位置だし、菱田監督の"当て馬"美学はなんなんだろう。単純に善とも悪とも言い切れない存在の放つ"人間らしさ"が好きなのかな。僕と一緒だね、監督。

コウジの歌がぬるい理由がわかるところ、よかったです。『美味しんぼ』みたいで。士郎の欠点を指摘する雄山みたいだった。

プリ原雄山「士郎! お前はまたしてもプリズムショーの本質を見落としたのだ! そんなぬるい音楽でプリズムスタァを名乗ろうなどとは、片腹痛いわ!」

プリ岡士郎「クッ……!」ドタドタドタ

プリ田ゆう子「プリ岡さん!」

第9話 プリズムライブは晴れのち嵐

りんねちゃんの謎に迫る回でしたけど、僕はやはり、いとちゃんとおとはちゃんの交流がとても印象に残りましたね。前回のコウジのぬるさを指摘したところ(プリしんぼ)と同様に、いとちゃんってああ見えてすごく他人を見ているというか、思いやりのある人ですよね。人間ができている。まぁ、親が親なので達観せざるを得ないのかもしれませんが。つらいね。

おとはちゃんのうっかりミスで計画を知ったのに、そのことを言わないいとちゃん、まじで好き。推したわ。オドオドしてるおとはちゃんの煌めきを引き出すところも素敵だった。最高のガールミーツガール。いつか二人でステージに立ってほしいな。

りんねちゃんはなんなんでしょうね。僕の見立てでは、たぶんハイパーカブトなんですけど。未来から来た天道総司だと思う。背中から羽が生えてるし。

gift

gift

あとで気付いたんですけど、このgiftは斉藤恒芳さんの作曲なんですね。ガチのクラシックの人じゃないですか。蒼穹のファフナー仮面ライダーキバ、かげきしょうじょ!!のサントラを担当してらっしゃいます。豪華な人選だ。

現在までのハイライトは、第5話でハートイロトリドリ〜ムのイントロが流れた瞬間の衝撃と、出てくるたびに尊厳(pride)を自壊させていくヒロ様ですかね……。彼もまた、法月仁の理想の体現者だったのでしょうか。ほんま地獄男製造機やで、仁は……!(有害な男らしさは連鎖する)

単純な好みというか、メロいなと思うのは間違いなくコウジなんですけど、地獄男映画愛好家として魂が震えるのは圧倒的にヒロですね……。

コウジは「自分の歌は人を不幸にする」と考え、塞ぎ込んでいる様子。実際、コウジの歌の権利をめぐって揉めてばかりのRLなのですが。自分が立ち直るためのキッカケを与えてくれた、中2の少女のプリズムの煌めきを元にして作った楽曲を、自分たちのCMソング・ケツ蜂蜜音頭に改造しているところを見るに、あまり反省していない。

第10話 謎の生物 プリズムストーンに現る!

まぁピンクのカッパのことは置いておくとして……。大会に挑むか悩むプリズムストーンの三人の背中を、オバレ(まだオバレではない)の三人がそれぞれのやり方で押してくれました。ヒロは押したというか、甘い言葉で誘って突き落としたというか。

ヒロの悪い癖、それはコウジの持っているものをなんでも奪いたくなること……。でも、本当に欲しいものは奪えないと思うよ。かわいそうに。いったい誰からそんなやり方を学んだのやら。

コウジのお母さんのこと、気になりますね。なんやかんやプリズムショーへの情熱を失っていないコウジ。彼の再起こそが、物語の主軸となりつつある。そしてそれはヒロとの衝突を意味している。

豊かで何不自由ない暮らしを送る**なるちゃんの"動機の弱さ"が、ここに来て効いてくる予感。やはりプリズムショーは個人の強い"情念"**を全身で表現することで、観客に感動を届け、自己実現を果たすものなので。家庭環境の良さ、葛藤や苦悩の無さは却って弱点となり得る。そういう意味では、なるちゃんは実は、ものすごく大きなハンデを背負わされた主人公と言えるかもしれない。

プリ原雄山も言っていました。「プリズムショーを芸術の域にまで高める条件はただ一つ、人の心を感動させることだ! 人の心を感動させることができるのは、人の心だけなのだ! それがわからぬ人間が、プリズムスタァなどと抜かしおって! 士郎! お前にプリズムショーを語る資格はない!」

権利関係でこのページでは再生できませんが、よろしければYouTubeの方に飛んでいただいて、ご覧になってください。

プリティーリズム・レインボーライブ』は、実質『美味しんぼ』です。ぜったい、菱田監督は美味しんぼを愛好していると思う。本作の**"親子の確執"というテーマ。そして人の心を動かすのは人の心だけ、それこそが真の芸術というメッセージ性。これらは完全に美味しんぼと一致している。登場人物のイカれ具合も完全に美味しんぼと一致している。生々しい人間の情念と、その心を動かす芸術の素晴らしさを描く**……という、基本的な構造を共有しているのが、RLと美味しんぼなのだ。菱田監督の作品がお好きな方は、美味しんぼも好きだと思うので、ぜひご覧になってください。作品のテンションが似ています。

とりあえず有名な鮎の回から見てみませんか? プリ岡さんのプリズムショーはカスや!

第11話 Go for ドリーミングセッション!

いよいよ、プリズムストーンの三人にとって初の大会となる、ドリーミングセッションが始まりました。いとちゃんとおとはちゃんの関係性を見ているとハピなる〜な気持ちになります。あの娘の父親だけあってか、なんやかんやで人の心の機微を感じ取るのが上手い涼野パパ、好きです(やっぱりファン多いですよね?)。

べるさんへの個人的な愛情を表現するための、おとはちゃんのプリズムショー。さすがエーデルローズのエリートだけあって、プリズムストーンの三人とは明らかにレベルの違う凄まじいパフォーマンスでした(プリズムショーのレベルの違いがわかるようになってきた)。個人的で具体的な情念を、舞台の上で普遍的なパフォーマンスとして昇華することで、人と人の心を繋ぎ感動を生み出す。やはり、それこそがプリズムショーの真髄なのでしょう。私から公へ。具体から抽象へ。個人の感情と観客の感情とを接続する儀式。のちのPRISM.1において、この**"本質"を最も体現していたのが、高田馬場ジョージのプリズムショーだったのでしょう。シャインのショーには肝心の"情念"が無かったのでは。**

Vanity colon

彼女らエーデルローズのレベルの高さを目の当たりにすると同時に、改めて四連続をぽんぽん飛ぶ(のちの)ヒロ、ユキ様、ジョージ(ズルだけど)の凄まじさを認識。めっちゃすごいじゃん。

そしてついに、我らが氷室聖の登場! 杜王町の殺人鬼みたいな格好してるね。

— KING OF PRISM (キンプリ)公式 (@kinpri_PR) 2024年11月23日

第12話 はばたけ!勇気の羽

めっちゃいい回だった! さすがは坪田脚本(SSSのユキ様回とジョージ回を担当されています)。応援団長のカヅキ先輩、おもろいね。クソデカ横断幕もいいし、差し入れのお煎餅を先に食べちゃうのもいいし、最後の応援「バーニング!」は最高だった。

味方の言葉に励まされて全力で挑戦し、失敗して悔し涙を流すあんちゃんと、味方の言葉が心に刺さって、肝心なところで安全な方へと逃げてしまったわかなちゃん。見事な対比でした。歌詞の端々から、やたらと真面目さが伝わってくるわかなちゃん。真摯な努力に裏打ちされた、レベルの高い王道のパフォーマンスで、独自の世界観を表現してみせるそのプリズムショーは、確かにすごく魅力的なのだけれど……。やはり、限界を超えて挑戦したあんちゃんのショーの方が、見る者の心を打ちます(得点には反映されませんでしたが)し、何より勝負の場面で退くことを選んでしまったわかなちゃんの方が、予後は悪いと思う。どっかできちんとバーニングしないと……。

Blow'in in the mind

プリズムショーの本質に迫っているのも、あんちゃんの方なんでしょうね。それを示す背中の羽(フェザー)。あんちゃんの悔しさを受け止めてあげる役割を、りんねちゃんが担ったのは意外でした。

他者に対して攻撃的な姿勢をとるのは、本人の心の中に弱みや不安があることの反動だと考えることも可能なので……わかなちゃんの内面にあるものが気になります。

次回予告で会場に向かって走ってくるコウジ、おもろいね。やたら会場をウロウロしてる氷室聖も、おもろいね(おもろいねの汎用性が高すぎる)。

氷室聖の喋り方、ブレス多くないすか?

氷室ォ……(呼吸)聖ですゥ……(呼吸)

第13話 心をつなぐ虹のかけ橋

いよいよドリーミングセッションも大詰め!(まぁ初戦敗退は免れないですよね)。現役女子最強のべるさん(ベルサイユの薔薇が名前の元ネタですね)(エーデルローズの三人はみんな名前に植物関連のワードが含まれていますね)が披露した、圧巻のプリズムショー! いま「無限カレイドスコープ」って言った? ジョージのカレイドスコープはここから来てたのかな……。

Get music!

めちゃくちゃかっこいいべるさんのプリズムショー。頂点に立つ者の強さの"誇示"と、それでも届かない何か遠い目標(ジュネさんのことかな?)へのハングリー精神。相反する二つの要素が渾然一体となっていて、不思議な雰囲気です。気高く"飢え"ている感じ。ただ、完璧な技巧を誇りながらも、そのパフォーマンスはりんねちゃんが落涙するほど「寂しい」ものだった。氷室聖も「悲しく息苦しい」って言ってる。三連続を飛んでいても、背中に羽は出現していないし。プリ原雄山ならキレてると思う。

べるさんの内面にあるものも気になりますね。りんねちゃんは未来を見ているというより、人間の内面(プリズムの煌めき)を感知しているのだろうか。わかなちゃんもそうだけど、わずか中2の少女がここまで"強さ"に固執しなければならない環境を想像すると、つらいものがあります。べるさんの発言は、全て彼女の親や養育者から言われ続けてきたことの再生産なのではないか。

「べるが出なくてもいいくらい差をつけた」と言った数秒後には「べるの見せ場を残しておいてやった」と言うわかなちゃん。無理してるね。しんどいね。

審査員の保守的な態度を批判する氷室聖会長(この時は会長なのね)。美味しんぼみたいだ。みんなプリズムショーの本質を見失っている。でも実際、エンタメと競技の境目って難しいよね。

ステージに上がるなり、圧倒的アウェイの空気感(魔物)に呑まれ、固まって泣いてしまうなるちゃん。リアルですね。現実の舞台や演劇、ショーや競技の世界でも、こうやって固まっちゃう子、いるんだろうなぁ。なるちゃんの動機の弱さが出てしまった形(まぁ悪いのはべるさんとヒロの嫌がらせだが)。

そのヒロは、わざわざ会場の入口付近でコウジを待ち構える徹底ぶり。おもろいね。コウジのこと大好きなんだね。コウジの作った歌で輝けるのは自分だけだ!! ということを証明するために、ここまでの嫌がらせを仕組んでいたのね!?(なんかアムロ・レイみたいなこと言い始めたぞ)男同士の諍いで犠牲になるのは、いつも女性です。かなしいね。

りんねちゃんの声に導かれ、ついに歌うコウジ……! やっぱり、コウジが再起するための物語じゃん、これ! コウジverのハピなる、めっちゃいいね……。許さざるを得ない、ケツ蜂蜜音頭。コウジの音楽は人を幸せにすることができるし、蜂蜜を宣伝することもできる。

そんでまた、ヒロの表情が……! 尊厳が、プライドが、破壊されていく……! 笑いが止まらへん、最高や。

なるちゃんは新フォームを獲得し、まさかの三連続ジャンプ。べるさんも茫然自失。爪を噛み、頭を抱え悶絶するヒロ。いやぁ、美味しいですね……。ほんと楽しい……。

どうして彩瀬なるが0カラットなんだ!(氷室聖)

なるちゃん、実は不運主人公なのかもしれない。そもそも初戦で優勝候補と当たってるし、いちばん肝心な**"情念"が薄い**し。今後も苦労するだろうけど、がんばってほしい。応援し続けるので。

第14話 りんねの秘密

2クール目! 新章突入! その前に総集編でおさらいだ! 新OPが! EZ DO DANCE! アップテンポで超COOL😎 「踊る君を見てる」「君だけを見ている」が指すものは、それぞれなんなんでしょうね(タイガの場合はカヅキ先輩、アレクは黒川冷なんでしょうけど)。今更気付いたんですが、プリズムストーン(りんねちゃん含め)とエーデルローズの七人で、それぞれレインボーの七色を一人一色ずつ担当してるんですね。

新OPでいちばん気になるのは、涙を流すべるさん。やはり家庭環境に問題があるのでは?

氷室聖が出てくるたびに笑顔になってしまう。おもしろおじさんだと思っているので(まだお兄さんだよ)。「あれはCGです」で「そうですか……」と納得するの、マジ? あんたそんなんだから仁の気持ちもわからないんだよ。そんな氷室聖が言うには、ジュネさんは、ライバルの不在に嫌気が差して引退したとのこと。

氷室聖「プリズムショーは心の煌めき……それを教えてくれたのは、(髪をかき上げ)ンハッァ……君だよ……(ブレス過多)天羽ジュネ……(ブレス過多)」

おもろいね。

りんねちゃんはプリズムワールドからやってきた人だそうで……。なんか僕の知ってるプリズムワールドはもっと殺伐としたところなんすけどね……。ルヰくんがりんねちゃんのgiftを歌ってるのは、そういう繋がりがあったからなんですね。

オーナーはアンドロイドだった! 腰を抜かすいとちゃんかわいい。黒川れ……じゃなくてcooさんが、あのコンボイ司令官……じゃなくて、でっかいトレーラーも、このアンドロイドも作ったらしい。どういう技術力してんだ。

まとめ

ここまでの展開を振り返って、やはり最もおもろいのはコウジとヒロの確執ですね……。まぁヒロが勝手に突っかかって、勝手に尊厳(pride)を自壊させているだけなんですけど……。なんて面白い男なんだろう。イケメンが表情崩すの美味しいね。ごちそうさま! もう十分! 嘘……やっぱおかわり! しかし、いったい誰のせいでこんな自動尊厳破壊マシーンと化してしまったのでしょうねぇ、ヒロは……。

カヅキ先輩は相変わらずバーニングだし、おもろいお兄さんの氷室聖も出てきて、RLはますます面白くなりますね。

キンプリとの接続、三強の過去を目当てに視聴を始めたのですが、女の子たちのドラマが非常に胸を打つ仕上がりで、夢中になって楽しんでいる自分がいます。プリズムストーンのメンバーの中では、いとちゃんが気になる。親子関係も、おとはちゃんとの関係も。エーデルローズのメンバー、べるさんわかなちゃんが内に抱えるものも興味深い。明かされるのが楽しみです。

あと! 法月仁! 大人しく出てこい! あとはお前だけだぞ! いるのはわかってるんだ!

— KING OF PRISM (キンプリ)公式 (@kinpri_PR) 2024年7月18日

続きはこちら。

【注意】本記事には、以下の作品のネタバレが含まれています。

作品の面白さの根幹に関わるような、致命的なネタバレではないと思うのですが、安心できないという方は帰って寝ましょう。

f:id:traitor_salmon:20250128113739j:imageセンチネル・プライムも「そうだそうだ」と言っています。

はじめに:悪役表象を読解する意義

あなたにとって、「悪」とは何であろうか。**空条承太郎は、てめー自身のためだけに弱者を利用し、ふみつけるやつのこと「悪」**と定義した。

f:id:traitor_salmon:20250128120025j:imageましてや女をーっ!

この発言を受けて、**DIO支配下にある花京院典明「悪」とは敗者のこと、敗けたやつが「悪」なのだ**と説く。のちにDIO本人も同じようなことを言っているので、これはDIOの哲学なのだろう。

f:id:traitor_salmon:20250128120736j:image過程は問題じゃあない

結局、この時の花京院ものちのDIOも、承太郎の(スタープラチナの)怒りの拳を受け敗者となるので、どのみち「悪」なのだが。ジョジョ作中には、このように登場人物が「悪」とは何かを語る場面が複数存在する。たとえば第五部では**ブチャラティ吐き気をもよおす『邪悪』とはッ! なにも知らぬ無知なる者を利用する事だ……!! 自分の利益だけのために利用する事だ…」**と語った。承太郎の定義に近い。

f:id:traitor_salmon:20250128122447j:image父親がなにも知らぬ『娘』を!! てめーだけの都合でッ!

なぜいきなりジョジョの話をしたかというと、本作には「悪」にまつわる(極めて示唆に富んだ)問いかけやメッセージが、大量に含まれているからだ。「悪」に関する哲学的な問答をずっと繰り返しているシリーズと言ってもいい。一見すると、主人公やその仲間たち(黄金の精神を持つ者たち)の発言こそが「正義」、と受け取ることも可能だが(それも別に間違ってはいないと思うが)、事はそう単純ではない。

そもそも、さっき「悪」について論じた二人。空条承太郎は不良で、料金以下のマズイめしを食わせるレストランには代金を払わねーなんてのはしょっちゅうだし、ブチャラティとその仲間たちはギャングだ。違法行為に手を染め、殺人を犯すこともある。見方によっては彼らも「悪」だ。そのことは彼ら自身が最も深く理解していて、「そんな自分でもこれは許せない」という「悪」に対し、怒りを爆発させているのだ。ジョジョ』の「悪」表象には"深み"がある。

第一部では、高貴な生まれの主人公・ジョナサン貧しい生まれの悪役・ディオとの対決(と奇妙な友情)が描かれ、その過程でジョナサンの友人となった**スピードワゴン「環境で悪人になっただと? ちがうねッ!! こいつは生まれついての悪だッ!」とディオを糾弾する場面がある。暗黒街で生きてきたスピードワゴン独自の哲学であり、僕がその妥当性を判断するのは難しい。正直なところ、社会的な構造を無視した暴言**なんじゃないかと思ってしまう節はある。

f:id:traitor_salmon:20250128131724j:imageもっとも作者自身がスピードワゴンの発言をどう思っているのかはわからない。

やがてシリーズが進むにつれ、主人公の社会的地位は貴族から不良(それでも承太郎は金持ちだが)、ギャング囚人といった具合に変化していく。そして最新第九部では、主人公のジョディオカニズム = 社会的な構造について言及している。世界には目に見えないパワーがあって、生まれや環境によって、戦う前から勝敗が決まってしまうと。まさに**構造主義の考え方だ。ここにジョジョ』哲学変化**を見て取れる。

f:id:traitor_salmon:20250128131736j:image絵柄と共に哲学も変化してきた。超長期連載の醍醐味。

また、第一部のツェペリさんに代表されるように、比較的初期の『ジョジョ』では「避けられぬ運命(自らの死)を知り、覚悟することで人間は幸福に生きていける」という**ハイデガーの哲学のようなメッセージが、肯定的な意味合いで度々発されていた(映画『スタンド・バイ・ミーのテーマでもある。第三部以降の"スタンド"の名前の由来にもなっている)が、第六部では、まさにこの思想を強要してくる悪役・プッチ神父が最大の敵として立ちはだかる。「運命を覚悟することが幸福」という価値観を全人類に押し付ける彼の所業は、作中で「もっともドス黒い『悪』」として明確に非難されている。これもまたジョジョ』哲学の変化**と言えよう。

このように、時代の変化作り手(荒木飛呂彦)自身の思想・哲学の変化によって、ジョジョ』における「悪」もまた変化してきた。多様な「悪」の在り方と、それらにまつわる哲学的な問答。これらの要素が、時代を超えて愛され続ける『ジョジョ』の醍醐味と言えるのではないか。

そして、これはなにも『ジョジョ』に限った話ではない。あらゆる作品において、時代、そして作り手の思想・哲学を象徴するのが「悪」の描き方(描かれ方)である。何を「悪」とするか、その「悪」をどのように描くのか。そこに作り手の思想・哲学(無意識の偏見なども含む)、そして時代の空気感・潮流が宿る。

悪役表象こそが作品の肝であり、作品読解における最重要事項と言ってもいい。

正直、物語における主人公の役割は「悪」を倒すだけ受動的なものでも構わない。あるいは能動的に行動し、夢や目標を実現させようという場合も、物語には必ずその道を阻むものが現れる。対峙するのは他者だけでなく、自分自身の内面であることも。克服すべきものが「悪」だ。何を、どう克服していくのか。そこを読み解くことで、作品のテーマやメッセージがわかる。「悪」にこそ、作品の魂が宿る。

悪役表象を読解する意義がわかったところで、ここから「現代における魅力的な悪役」について、具体的な作品やキャラクターを挙げながら考えていく。そこから今という時代を読み解いてみたい。難しいことをやろうとしている自覚はあるので、温かく見守っていただけると幸いである。

魅力的な悪役の"三要素"

現代のことを考える前に、まず 魅力的な悪役」について。古今東西、様々な悪役が人々の寵愛を受けてきた。「悪」とは本来、嫌われ憎まれるべき存在であるにも関わらず。なぜだろう。その理由を考える中で、僕は以下の**"三要素"に思い至った。この三要素バランス・配分によって悪役表象を分類・分析できる**のではないかと。

①カス

f:id:traitor_salmon:20250129083255j:image犬を殺したり、少女の初めてのキスを奪ったり……少年期の、というか、吸血鬼になる前のディオはだいぶカス悪役だと思う。非常に人間的だ。これだからいいんですよ、これが!

基本的に悪役は、物語の中で主人公によって倒される宿命を背負っている。どうせ倒すならブッ飛ばしてスッキリする悪役がいい。現実では中々そう上手くはいかないからこそ、物語を通して、品性下劣な悪事を働く悪役が見事に退治される様を見ることで、観客は擬似的に溜飲を下げることができるのだ。ありふれていて卑劣。職場の横柄な上司や、意地悪な級友など。我々が日々の暮らしで遭遇する「悪」の戯画(カリカチュア)。それがカス悪役だ。

カスと言っても、必ずしも悪事のスケールが小さいわけではない。他者の肉体や精神を傷つけ、尊厳を踏み躙ることを何とも思わない(むしろそれで快感を得たりする)、その人間性がカスだと言っているのだ。具体的には、露悪的な差別だとか、婦女暴行だとか、動物虐待だとか。弱者を踏みつけ、強者におもねる。自分さえ良ければいい。そういう姿勢がカス。

後述するが、ディオはカスの一言で表現できる悪役ではない。より極端な例を同じ『ジョジョ』から挙げるならば、第三部の**スティーリー・ダンアレッシー**だろうか。

ブッ飛ばしてスッキリする卑劣さ。いざブッ飛ばされるという時に、コロッと態度を豹変させて命乞いをするプライドの無さ。 または 最後まで無駄な悪あがきをする意地汚さ。つまり人間らしい「悪」だ。あんまりにも悪事が酷くて逆に笑えるだとか、あんまりにも堂々と悪事を働く姿勢が逆にカッコいい(そこに痺れる憧れる)だとか、多様な受容の在り方があると思うが、基本的には**"人間らしさ"(ありふれていて卑劣)がカス悪役の魅力**だろう。

ただ、日常にありふれる「悪」を"他者"として自己から切り離し、一方的に断罪することを娯楽として消費するような姿勢は、それはそれで危険ではある。

②共感

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「おれは『恐怖』を克服することが『生きる』ことだと思う」

「人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」

「名声を手に入れたり人を支配したり、金もうけをするのも安心するためだ。結婚をしたり、友人をつくったりするのも安心するためだ。人のために役立つだとか、愛と平和のためにだとか、すべて自分を安心させるためだ。安心を求める事こそ人間の目的だ」

悪役の吐く台詞にも一理ある」という感想や反応を抱く人は少なくない。先ほど「悪」は、ある意味で**"人間らしい"ものであり、我々の世界にもありふれているものだと書いた。それはすなわち、観客や読者である僕たち一人一人の胸中にも「悪」の欠片は眠っていて、一般的な社会常識や道徳、倫理だけでは包括しきれないものが少なからず存在することを意味している。時として魅力的な悪役たちは、自らの「悪」の哲学に裏打ちされた発言によって、僕たちの心の「悪」の欠片を肯定してくれる。僕たちはその「悪」に共感し、魅了される。共感できる悪役とは、人心を掌握し民衆を心酔させるような、カリスマ的な悪役**のことでもあるのだ。多くの場合、魅力的な悪役と聞いて人々が想起するのはこういうカリスマ悪役のことではなかろうか。

神や救世主のような、象徴的存在を目指すカリスマ悪役(DIO配下のンドゥールは**"悪の救世主"として彼に忠誠を誓っていた)もいれば、より僕たちの実生活に根差した哲学・発言で観客読者の心を掴む共感悪役もいる。第四部の吉良吉影**なんかがいい例だろう。

f:id:traitor_salmon:20250129133353j:image僕たちの実生活に根差した哲学・発言で読者の心を掴む共感悪役。絆されてはいけない……! やっていることはクズ……!

共感悪役は、いろいろな意味で極めて危険な存在である。創作物の世界を探すまでもなく、現実の世界で人心掌握によって成り上がり、破滅的な被害をもたらした指導者は枚挙にいとまがない。現在進行形で跋扈しつつもある。やはり人間は共感に弱いのだろう。息苦しい常識や道徳、倫理を否定し、ありのままの自分を肯定してくれる(ような気がする)「悪」の哲学に身を委ねてしまうのは、人間のある種の普遍的な性質なのかもしれない。だからと言って肯定はできないが。

そういう危険な存在だからこそ、創作物においても共感悪役ラスボスや主人公の宿敵といった、いわゆるおいしい立ち位置に収まることが多い。当然、戦闘能力や知能も高めに設定されがちで、観客読者からの人気も集めやすい。

ただ人気なだけならまだいいのだが、大抵の場合、作中で彼らの「悪」の哲学は主人公たちによって明確に否定されるにも関わらず、少なくない観客読者は「悪」の哲学を額面通り受け取ってしまう。「悪」の哲学は、確かに表面的に読めばそれなりの理屈が通っていて、一理あるようにも見える。しかし、あったとしても"一理"だ。それが世界の普遍の真理ではない。多様なものの見方を提供してくれることはあっても、その哲学を絶対視してしまうのは危険だ。そもそもライバルやダークヒーローではなく、悪役と設定されている以上、彼らの論理は自己弁護・自己正当化のための詭弁でしかないことの方がずっと多い。言っていることより、やっていることを見て判断しよう。

悪役とされるキャラクターに共感すること、愛すること、そして彼らの発言が欺瞞だったとしても、その中にある"一理"を尊ぶこと。これら全て、別に悪いこととは言わない。分別を付けておきたいね、というだけのこと。自戒でもある。

③同情

f:id:traitor_salmon:20250129133837j:imageおれの父親はゴミのような男だった! 母に苦労をかけ、そのために母は死んだ!

いわゆる**"可哀想な悪役"のこと。意外と嫌われがち**(同情悪役本人というより、悪役に同情させようとする作劇が嫌われがち)で、そういう人はカス悪役がお好きなのかもしれないが、実は両者には近いところがある。どちらも**"人間らしい"のだ。現実にも、生まれ育った環境に恵まれず、周囲の支援が行き届かなかった結果、やむにやまれず反社会的な行為に走ってしまう人というのは少なからず存在する。構造の悲劇**だ。

一方で、ブッ飛ばしてスッキリする身近な"他者"であるカス悪役とは対象的に、同情悪役には感情移入の余地がある。つまり**"自己"となり得るのだ。その点は共感悪役と似ている。象徴である共感悪役は、観客読者にとっては自己であり他者。** 勝手に共感して勝手なイメージを押し付けていいし、共感悪役はそうやって人々と一体化することで肥大化していく。

同情悪役の存在は、主人公(と主人公に感情移入している観客読者)の心に罪悪感や正義への疑念を抱かせ、物語のテーマに深みを持たせる効果がある。同情悪役の魅力はまさにこの点だろう。彼らが**"人間らしく"(感情移入できる対象で)あればあるほど、物語に与える影響は大きい。**

ただ、あくまでも同情"悪役"であるからには、無関係の他者に危害を加えるような「悪」でなければならない。悪役の範囲を逸脱してしまうと、それはもうただの可哀想な人だ。この辺の線引きは曖昧で難しい。 見る 人によって変わる。そもそも「悪」の基準は十人十色なのだが、とりわけ同情悪役の場合はその傾向が顕著だ。同情によって判断の目も曇りやすい。

一般的な正義や善に疑問を投げかけ、現実の複雑さを認識させること自体はいいのだが、行き過ぎた相対主義(善にも悪にも等しく価値はないだとか)に陥るのは危険だ。可哀想だからといって、同情して無罪放免するのはおかしいし、逆に相手のバックボーンを無視して、悪は悪だと無慈悲に葬るのもまたそれはそれでおかしい。悪事は悪事として毅然とした態度で接しつつ、当人の抱える問題と、その背後にある"構造"にも思考を巡らせ、対症療法ではなく原因療法を志す……といった具合に、同情悪役の存在が示す現実の複雑さを直視した、根気強い対処が求められる。

ウルトラマントレギア。過去の挫折から、ウルトラマンたちの掲げる善や正義を一方的な価値観として否定し「光にも闇にも等しく価値はない」とする虚無主義に陥ってしまった悪役。たぶんニーチェを参考にしてる。

余談:現実と接続する悪役

こうして、つらつらと悪役の危険性について述べてきたわけだが、しかし悪役とはそもそも危険なものである。危険だから悪なのだ。危険であればあるほど魅力的、魅力的な悪役であればあるほど危険、と言ってもいい。多くの人間が持つ不道徳な行為への憧れ。押すなと言われれば言われるほど押したくなる心理。魅力的な悪役の放つ危険で甘い香りは、我々を非日常の世界へと優しく誘う。そのような現実逃避こそ創作物を嗜む醍醐味である、という意見は尊重するが、しかし僕は、現実と接続している創作物が好きだし、同様に現実と接続している悪役が好きだ。

実は両者(現実逃避と現実接続)はそんなに遠いものではない。どちらも"現実のままならなさ"を認識しているからこそ、創作物によって、ままならない現実を(一時的にでも)忘れようとしたり、あるいは創作物の中に現実のままならなさを解消するためのヒントを求めたりしている、のだと思う。カスのような悪事を働いたり、人々の共感を集めてしまったり、同情すべき背景があったり。現実世界には多様で複雑な「悪」がある。我々自身の内面にもそれはある。創作物を通して「悪」について考えることで、現実の「悪」を、ひいては現実そのものを認識する際の解像度が増す。それはとても意義深いことだと思う。

KKDPシステム

いま挙げたカス、共感、同情三要素が、僕の考える「魅力的な悪役」を構成するものである。一人の悪役が一つの要素だけを持っている、ということは少ない。たまにカスでしかない悪役や、同情する要素しかない悪役(それはもう悪役ではないのでは?)、またはカスも共感も同情もない、災害のような悪役も存在するが、大抵の悪役は二つか三つを併せ持っていて、それぞれの要素の強弱によって個性が表現されている。

先ほどから例として画像を載せていることからわかるように、ジョジョ』のディオ・ブランドー(DIO)はカス共感同情(KKD)の全てを併せ持つ悪役だ。ちょっとカスが強めかな。その強さと賢さ、独自の哲学に基づく発言など、共感(カリスマ)も充分。同情するかどうかは人によるか。

悪役について、その悪事をどの程度**"カス"と判断するか。どの程度"共感"し、またどの程度"同情"するか。いずれも観客読者ひとりひとりの価値観による。その判断は、その悪役をどの程度魅力的なものとして受容するか**という判断でもある。世界中の誰が見ても魅力的だと思うような悪役など、いないだろう。そもそも悪役なんぞに魅力など感じない、という人も少なくないかも。それでもなんとなくの傾向は掴めるのではないか、という悪あがきのブログである。

僕の価値基準に基づいて判断すると、カス共感同情(KKD)を最もバランスよく兼ね備えている悪役は、『ジョジョ』第四部のラスボス・吉良吉影である。全ての悪役の中で最も魅力的だと思っている。悪役について考える時の、僕の基準となる存在が吉良吉影だ。

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わたしは常に『心の平穏』を願って生きてる人間ということを説明しているのだよ……『勝ち負け』にこだわったり 頭をかかえるような『トラブル』とか 夜もねむれないといった『敵』をつくらない……というのが わたしの社会に対する姿勢であり それが自分の幸福だということを知っている……

激しい「喜び」はいらない…その代わり深い「絶望」もない………「植物の心」のような人生を…そんな「平穏な生活」こそ わたしの目標だったのに………

多くの人の**"共感"を集める「平穏」の哲学**(古代ギリシアエピクロスの思想に近いだろうか)。しかしそれもまた、彼の自己弁護・自己正当化のための詭弁でしかないと見ることもできる。それだけ彼の悪事はおそろしく卑劣で、**"カス"と言って差し支えない。されど彼自身、自らの抱える抗し難い殺人欲求(性的で加害的な欲求と衝動)に翻弄されていて、それでもなんとか幸せを掴もうと四苦八苦する一人の人間であることが、漫画でもアニメでも詳細に描写されている。僕は"同情"してしまう。魅力的な悪役**だと思う。

そんな僕の考える、吉良吉影の**KKD(カス共感同情)をパラメーターで表したもの、KKDP(カス共感同情パラメーター)**は以下のようになる。

f:id:traitor_salmon:20250201043342p:imageここに「吉良吉影は幼少期に母親から虐待されていた」という本編では描かれていない裏設定を加味するならば、同情ポイントは4となる。それが無くても充分、魅力的な悪役だ。

ぜひあなたも、お気に入りの悪役でKKDPを作ってみてね。僕ももう少し試してみよう。魅力的な悪役と言えばこの人、ジョーカーだ。

一部の映画オタクに持ち上げられ過ぎて、今や逆にちょっと冷ややかな目で見られつつもある映画ダークナイト版のジョーカー(演:ヒース・レジャー)、通称ヒスジョ。とはいえ魅力的な悪役には違いない。暴力や殺人を厭わず、他者を傷つけたり騙したり利用したりすることになんの躊躇いもない、快楽犯罪者。そのずば抜けて高い知能バットマンすら出し抜くこともあり、一般市民の正義感や善悪の判断基準の脆さを試すような行動など、カリスマ性もある。過去や素性は全てが謎に包まれていて、一切の感情移入を排する存在。他者としての悪役。「悪」の象徴そのものと言える。そんなヒスジョのKKDPがこちら。

f:id:traitor_salmon:20250201091127p:image徹底的な「他者」である。

今度はこっち。映画『ジョーカー』とその続編『フォリ・ア・ドゥ』の主人公であるアーサー・フレックことジョーカー(演:ホアキン・フェニックス)、通称ホアジョである。

本記事の主題である「悪」とは何か、悪役表象を読解する意義とは、現代的な(現実と接続している)悪役とは……といった問いを考える上で、この二部作は極めて重要なメッセージを我々に与えてくれる。評判の悪い後編も含めて、僕はかなり好きなシリーズだ(むしろ後編のおかげで前編も好きになった)。

ヒスジョが徹底的な他者、悪の"象徴"として描かれていたのに対し、ホアジョは感情移入の余地がある"個人"として描かれている。本名も家庭の様子も描写され、発作的に笑ってしまう障害を抱えていることや、ピエロとして社会から蔑まれながら働いていること、それでもコメディアンになるという夢を叶えるため、彼なりの努力をしていることなど……とにかく、一人の人間であることを強調する作劇がなされていた。しかし彼は、一度の衝動的な殺人をキッカケに、**"何か"に取り憑かれた**かのように豹変していく。

何に取り憑かれたかというと、これはもう**"ジョーカー"としか言いようがない。ジョーカーのイデアに触れるという神秘的体験をしてしまったのだ。**ブルース・ウェインが"バットマン"のイデアに触れて、夜と復讐の象徴たるダークナイトへと変貌してしまうのと同じように。

ただの**"個人"であったアーサーは、富裕層や政治家といった社会の上流階級への不満を持つ人々にとっての破壊と混沌の"象徴" = ジョーカーとして持ち上げられ、彼の行動は彼の意志を遥かに超越し、やがて「悪」のカリスマ、ジョーカーそのものへと変わっていく。** 妄想と現実、個人と社会、人間と象徴との境界は崩れ去った。ここまでが前編の内容。

結局後編で、なんやかんやあってアーサーという人間は、ジョーカーという象徴と、それを求める社会の前に敗北する。本人が妄想の世界から抜け出し、ジョーカーを辞めると宣言してもなお、世界は彼に"ジョーカー"を求め続ける。構造が個人を押し潰す。そして**"ジョーカー"のイデアは新たなる者へと継承される。一切の感情移入を拒絶するようなその男は、自らの口の両端をナイフで切り裂いた……。とまぁ、よくできた冗談でした。個人と社会の軋轢。そして気の毒なおじさん**の物語だった。KKDPはこちら。

f:id:traitor_salmon:20250201091110p:image最終的な共感ポイントは個人差が大きいだろう。勝手に共感し、勝手に象徴化し、感化されて法を犯す人間は我々の現実世界にも存在した。創作物の悪役と現実の「悪」とは密接にリンクしている。

同じジョーカーという悪役の表象でありながら、『ジョーカー』二部作はダークナイト』で確立された「悪」のカリスマとしてのジョーカー像を逆手に取り、全く違う悪役を生み出してみせた。見事な作劇だと思う。同一悪役の表象の変遷を追うことが、作り手の変化、時代の変化について考えるキッカケとなる。悪役表象の読解の面白さを実感していただけただろうか。ではいよいよ、ここから核心へと迫っていく。

現代的な悪役とは?

この問いに答えるためには、まず現代という時代について考えなければならないが、これは至難の業と言えるだろう。この無茶苦茶な世界を一言でまとめることなど、僕にはできない。無理やり一言を捻り出すならば、**"多極化"だろうか。この数十年で人類社会は、まこと複雑怪奇な様相を呈するようになった。これまで以上に、過去の常識が通用しない未知の海へと我々は漕ぎ出している。技術の進歩による文化の変容は、これまで出会うことのなかった人と人、情報と情報を繋ぎ合わせ、世界に多様な生き方を知らしめるに至った。僕がいま、バイセクシュアルを自認し、サブスクで映画を観て、その感想をSNSやブログに投稿し、そこでお友達と交流しているのも、全ては現代情報社会の為せる技だ。しかし、いいことばかりではないのは、今を生きる誰もが知っている通り。異なる文化との遭遇の頻度が飛躍的に増したことで、差別やヘイトの問題は多くの人にとって、より身近で深刻なものとなった(差別自体は大昔からずっとあった)し、陰謀論やデマの飛び交う"ポスト・トゥルース"の旋風は吹き荒れている。近年はパンデミックや戦争、虐殺なども続き、暴力と分断の渦は治まるどころか、その勢力を増し続けている(分断も怖いが、誤った統合も怖い)。多くの人が潜在的に、破局的な事態の発生を自分事として捉え、不安に苛まれている**のではないか……。

と、嫌なことをいっぱい書いた。この"嫌なこと"をしてくるのが、物語における悪役の役割である。観客である僕たちは物語を通して「悪」に触れ、物語と共に「悪」との対峙と対処の方法を学ぶ。その意味で行くと『フォリ・ア・ドゥ』における「悪」はアーサー個人ではなく、"社会"そのものなのだろう。社会が悪を生み出す。悪役表象を通して社会との向き合い方を考え、現代を生きていく方法を探そう。これは生存に関わる問題だ。脅すようなことを言って悪いが。

トランプ ≒ マグニフィコ?

2017年の**トランプ大統領誕生は、世界中の人々に衝撃を与えた。とりわけ欧米圏のマイノリティや、リベラルな価値観を持つ人々にとっては死活問題であり、多くのクリエイターたちがポスト・トゥルースの状況を反映した作品を生み出すことで警鐘を鳴らし、権力(と権力に従属する人々)を風刺した。**

中には「まんまトランプ」な悪役を登場させる作品も。例えば、2020年公開の映画ワンダーウーマン 1984に登場するヴィランマックスウェル・ロードは、まぁ見た目を確認していただければ一発でわかるように、トランプを意識して描写されている。ビジネスマンで、メディアを通して人々の"願い"を集め、超能力でそれを叶えると同時に"何か"を奪っていくという手法で、大統領をも意のままに動かす権力を得た。もっともマックス自身は移民の子で、そのために差別を受けていて、なんとしても社会的成功をおさめたいという野心から危険なパワーに手を出してしまった……という、トランプとは違うルーツを設定されているので、イコールトランプというわけではない。

f:id:traitor_salmon:20250201121514j:imageマックスウェル・ロード(演:ペドロ・パスカル)

現代アメリにおいて、社会的なメッセージと共に悪役を表象するとき、トランプのことを無視するのは難しい。デマ、陰謀論、差別、ヘイト、排外主義、資本主義による搾取、暴力、戦争、虐殺、エトセトラ、エトセトラ……。現代の様々な問題が渦巻く中心にいるのがトランプ、という見方をする人は少なくない。まぁ、一つの"象徴"なのは間違いないと思う。

クリエイターの自由な創作活動を抑圧していることでお馴染みのディズニー帝国。イスラエルによる虐殺にも加担している彼らの、100周年記念作品『ウィッシュ』。その悪役・マグニフィコ王も、たぶんおそらくほぼ間違いなく**トランプ大統領を意識して作られたキャラクターだ。マグニフィコについて語ることは難しい。観客の間でも、彼の評価に関しては意見が大きく別れるのだ。とりあえず事実を列挙していく。**

幼少期に賊の襲撃を受け故郷を奪われた青年・マグニフィコは、誰も"願い"を奪われる苦しみを味わわなくて済む理想郷の建設を目標としていた。やがて魔法を極めた彼は、人々の精神から"願い"を取り出し、誰にも奪われないよう自らが厳重に管理することで、理想郷の実現を目論んだ。こうしてロサス王国は誕生する。**"願い"を取り出されると、その人は"願い"に関する記憶を失う。人々は自ら王に"願い"を差し出し、普段は心を煩わせる願いのことなど忘れ、ロサスの平穏で豊かな暮らしを享受しながら、ときどき開催される"願いの儀式"で、王の魔法によって自らの願いを叶えてもらう**ことを期待する人生を送っていた。

そんなある日、17歳の(まだ願いを差し出していない)少女・アーシャは、王の集めた"願い"たちの輝きを目の当たりにし、**"願い"が、人の心に生きる希望や喜びを与える極めて尊いものであることを知る。しかし王は、王自身の決めた「王国の役に立つ願いしか叶えない」というルール(それもかなり王の独断と偏見によって決められている)のために、多くの尊い願いを叶えることなく、また人々に返すこともなく、封印し続けていた。危険な願いが実現されることで王国や世界に害がもたらされるのを避け、また人々が叶わない願いに苦しめられなくて済むように……という言い分だが、アーシャは納得しない。叶えない願いを返すよう求める彼女の進言を、王は高圧的に拒否する。その夜、自分だけが知ってしまった"真実"のために苦しむアーシャは、亡き父(哲学者)の言葉に従い、夜空の星に"願い"を歌う。王に私たちの幸せを決める権利はない、こんなルールは間違っていると。その"願い"に呼応するように、空から"スター"が降りてくる。**

強大な魔法のパワーを持つスターの降臨によって、物語は風雲急を告げる。自分以外の(正体不明の)魔法の存在を察知した王は、これを侵略または反乱と捉え、不安と猜疑心に駆られる(幼少期のトラウマに原因があるのだろう)。バットマンVSスーパーマンみたいな展開になってきた。一方のアーシャは、スターの魔法の力と仲間たちの協力を得て、王の支配下から"願い"を奪取するための行動を開始する。このあと色々あってストレスを爆発させた王は、危険な魔法について記されている禁じられた書物に手を出し、完全にダークサイドへと堕ちる(詳しくは先述の『無礼者たちへ』をチェック)。アーシャの母親や、自分に意見した国民たちの"願い"を破壊し自らのパワーへと変えていく禁書マグ。その姿を見て対話不可能と判断したアーシャたちは、いよいよ革命を起こす覚悟を決める。王の変貌を目の当たりにした王妃も協力し、封印されている"願い"たちを完全に解放する作戦がスタートする(いちおう、王の闇堕ちを解除する方法も探してはいた。上手くいかなかったが)。

仲間たちの尽力によって解放された"願い"たち。追い詰められ、ついに直接的な暴力を用いて国民の支配を試みる王。アーシャは国民たちの前で"願い"の尊さを歌い、人々は(王に叶えてもらうのではなく)自分の力で願いを叶えることの大切さに気づく。王の支配に反発する"願い"たちに呼応するように、禁書由来の闇の魔法パワーは暴走を始め、王は鏡の中に閉じ込められた。こうして王国に平和が訪れる。

鏡の中のマグニフィコは地下牢へと幽閉され、王妃が新女王となる。人々は他者と協力し合うことで、自らの願いを叶えるための努力を始めた。アーシャはスターに力の一部を与えられ、フェアリーゴッドマザー(人々の願いを叶える手伝いをする魔法使い)として旅に出る。こうしてロサスの人々はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし……と言って、作品は終わる。これが『ウィッシュ』の物語。

……どう思われるだろうか。まぁ実際に本編を観てみないことにはわからないと思うが。人によって本作の評価が大きく変わる原因は、マグニフィコ王という悪役の捉え方にあると思う。彼を悪辣な支配者と見るか、つらい過去を背負い、今もそのトラウマに苦しめられ、ストレスを溜め込んで感情を爆発させてしまった結果、哀れにも道を踏み外してしまった同情すべき悪役と見るか……。一部には、マグニフィコは何も悪くなくて、むしろアーシャたちの方が悪役なのだという意見を持つ人たちもいる。それはどうかと思うのだけど、ただそういう感想を抱く人が少なからず存在している事実自体は、無視できないと思う。

そこに行けば夢が叶うとされる移民の国・ロサス。そして、そこの支配者であるポピュリストで**ナルシシスト白人中年男性・マグニフィコ。これらが、アメリカ合衆国トランプ大統領隠喩であることは間違いないだろう。『ウィッシュ』の企画がスタートしたのも、第一次トランプ政権下でのことだった。トランプを模した悪役であるマグニフィコ個人を悪魔化し、排除することによって『ウィッシュ』の物語は"ハッピーエンド"を迎える。めでたしめでたし。**

この書き方からわかる通り、僕は『ウィッシュ』のこの展開、結末には全く納得が行っていない。トップの首を挿げ替えただけで結局王制が続くのなら、女王がマグニフィコのようにならない保証はない。別に彼は悪くない、なんて言うつもりは毛頭ない。ただただ作劇の下手さに憤りを覚えるだけだ。構造を無視し、個人や集団を悪魔化した先にあるのは、差別と暴力、すなわち虐殺だ。この現代に、虐殺後援企業のディズニーが自らの100周年記念に、こんなメッセージを含んだ作品を世に出してきたことに、僕は強い怒りを感じる。潰れてくれねぇかなと思う程度には。

とはいえ僕も、ピクサー作品やマーベル作品を観るためにディズニープラス会員をやっている時点で、罪を背負っている。いずれ地獄に堕ちるが、それまでにディズニーの悪口をいっぱい言っておこうと思う。

マグニフィコ王という悪役の捉え方、そして作品の評価をめぐって、観客間でも小さくない分断が起きているのを僕は観測している。現状の社会を反映していて、狙ってやっているのならすごいことだが、故意に分断を煽っているのならそれはそれでやはりクソだと思う。極めてポリティカルなテーマと、リベラルなメッセージ(個人を悪魔化することを僕はリベラルだと思いたくないが)を含んだ本作。あなたはどう評価するだろうか。無理に観る必要は全く無いが。

f:id:traitor_salmon:20250203184326p:imageマグニフィコのKKDP(僕基準)。人によって数値が大きく異なるだろう。最終的に悪魔として封印追放するのに、魅力的過ぎるのがよくないと思う。ハンサムだし歌上手いし(だからこそ危険ではあるのだが)。それを差し引いても、作中において彼だけが"人間"として描かれている感じがする。他のキャラは皆、作り手の思想を表現するためだけに動かされている人形、記号でしかないように見える。作り手の思想を表現するための作品、それ自体は結構。そういうの大好きだ。ただ『ウィッシュ』は呆れるほど作劇が下手。

ではどうすればよかったのか?

マグニフィコ王は魅力的だし、現代的な悪役だと思うが、しかしこの作劇では「悪」を描く意味がない。観客に「悪」の恐ろしさや現実の複雑さが伝わらなければ、悪役表象の意義がない。マグニフィコ王に関する作劇上の問題を解決する方法は大きく分けて二つ。彼をもっと単純なカスにする(誰がどう見ても「倒されるべき悪である」と判断するように描く)か、彼の同情すべき要素を受け止めて、悪魔化と排除の対症療法ではなく、より構造的な背景を意識した原因療法に着手するか。僕は後者が好みだが、悪役表象としては前者も良い。やはり「ダメなもんはダメだ」と世間に示すことは、悪役を表象する重要な意義である。

フェイクと搾取の王:センチネル・プライム

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僕にとって映画『トランスフォーマー/ONE』は**"見たかったウィッシュ"であり、その悪役を務めるセンチネル・プライムこそ"見たかったマグニフィコ"だ。現代的で政治的で、なにより魅力的な悪役。**

TFの設定には明るくないので、簡単な説明に留める。サイバトロンという星に住む超ロボット生命体である彼ら**トランスフォーマーは、オプティマス・プライム率いるオートボット陣営とメガトロン率いるディセプティコン陣営とに分かれ、数万年の長きに渡り戦争を繰り広げてきた。この映画は、そんな二人の伝説的なヒーロー(オプティマス)とヴィラン(メガトロン)の、誕生と決別を描いた壮大な前日譚**である。

とにかく映画を観てください。

魅力的な前日譚には魅力的な悪役が欠かせない(『呪術廻戦』「懐玉・玉折」の伏黒甚爾然り)。センチネル・プライムさんの大活躍は、ぜひ映画本編を確認していただきたいが、まぁ見事なカスである。些細な動機(本人は至って真剣なのだろうが)で英雄たちを裏切り、嘘で民衆を騙し、嘘の英雄として君臨。嘘の階級社会を作り出し、嘘で社会を支配していた。しかし実際には、英雄たちを始末したことで、対外的には危機的な状況を招いてしまっており、それを誤魔化すため民衆に重税を課して搾取していた。搾取されるための搾取。そんな嘘だらけの世界の真実を知ったことで、若き日のオプティマスとメガトロンの人生は大きく変化することになる。フェイクと搾取の王、それがセンチネル・プライムだ。ね? 現代的政治的でしょう? ものすごくカスなのに、カスとしての所業が振り切れているため、とても魅力的に見える。思わず顔面を殴りたくなる、 最高にムカツク最低の悪党だ。

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彼が象徴するものは、デマ、フェイク、階級差別、資本主義による搾取などなど。極めて現代的で政治的な悪役。マグニフィコもこうあるべきだった。

その自己顕示欲・自己愛を象徴するギンギラギンのボディもいい。間違いなく、トランプ政権を経験した今のアメリカの悪役だ。まぁ、アメリカと世界は今まさに、再度それを経験しているわけだが……。

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センチネルは最高のカス悪役であるため、当然**"やられ姿"も魅力に満ちている。素晴らしい最期を見せてくれた。そんなわけで、確かにカスなんだけど、だからと言って軽んじていいわけではない。センチネルの悪事が巡りめぐって、メガトロンという新たな** 「悪」の誕生へと繋がっていく。 「悪」は連鎖するのだ。現代の「悪」の先にある未来の「悪」を思うと、気が重くなる。将来世代に負の遺産を残したくはないが、そのために今の私たちは何をすればいいのか。

f:id:traitor_salmon:20250204092752p:image振り切れていて良い。気持ちのいいカス悪役だ。トランプ政権、ポスト・トゥルースの現代における悪役表象の一つの完成形だと思う。いけないことはいけない、と伝えることの尊さがここにある。マグニフィコみたいに無駄な魅力があると、作り手のメッセージとマーケティングが食い違って、**#** センチネルを称えようなんてことを公式SNSが言い始めるかもしれない。

— ディズニー・スタジオ (@disneystudiojp) 2024年1月24日

トランプは悪魔か?

先に言っておくが、**ドナルド・トランプによる数々の差別的な言動や非人道的な行為(現在進行形で行われている)を擁護するつもりは全くない。全くないが、その問題はトランプ個人を"悪魔化"し、排除することで解決するのだろうか?** という疑問は提起しておきたい。**トランプ大統領という"現象"は、彼個人の力のみによって成立しているわけではない。多くのアメリカ国民が彼を(一度ならず二度も)選んだ結果だ。トランプが好きで好きで仕方なくて投票した人も、少なからず存在するだろうが、多くの人はクリントンよりも(バイデンよりも)ハリスよりも、トランプの方がまだマシだ」と判断して投票したのだと思われる。このことは、全ての"リベラルを自認する人間"が考慮すべき事実だと思う。なぜリベラルはここまで嫌われてしまっているのか**(民主党をリベラルとするかは、またそれはそれで議論の余地がありそうだが)。

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トランプという"現象"、または"象徴"としてのトランプ。そのことを考える上で、映画『アプレンティス』は極めて有益な視座を我々に与えてくれる。今を生きる全ての人類が観るべき映画だと言ってもいい。

成功への野心を抱きながらも、まだまだ未熟でナイーブな青年・トランプは、悪名高き大物弁護士のロイ・コーンと出会い、見習い(アプレンティス)として、その成功の流儀を叩き込まれる。

ルール①攻撃、攻撃、攻撃。

ルール②非を絶対に認めるな。

ルール③勝利を主張し続けろ。

それは、**赤狩りの急先鋒であったロイのマッカーシズム、もっと言うとナチズムファシズムから脈々と継承されてきた、この世界をハックしてしまう手法。資本主義社会の頂点に立ち、民衆を煽動するためのメカニズム**(我々の身近なところにも謝ったら死ぬおじさんいるよね)。そんな魔技を伝授され、ビジネスマンとして巨大化(肥大化)していくトランプは、やがて師匠であるロイをも喰らう怪物へと変化していく……という、フランケンシュタインの怪物みたいなお話。

"有害な男らしさ"を批判する物語でもあるし、そのパワーを信奉してしまう**アメリカ批判でもある。「トランプの伝記なんて……」と思う人にこそ、観てほしい傑作である(トランプを称賛する内容でないことは、もうお分かりだろう。トランプ陣営が公開中止を求める声明を出したり、そもそも本作でトランプを演じているのがルーマニアにルーツを持つ俳優のセバスチャン・スタンだったりと、政治的な旗色は割とわかりやすい。ただ、それだけの映画でもない)。**

トランプは最初からこうだったのではなく、アメリカという特殊な環境(資本主義や差別など)と師匠から授けられた"有害な男らしさ"に適応し過ぎてしまった結果、こうなってしまったのだという**構造主義のお話をしている。極めて真っ当なことを言っていると思うのだが、現状の社会においては、真っ当なことを言うと右からも左からも叩かれてしまう現象が起きている**(と僕は思う)。本作も例外ではない。もはや右か左かというイデオロギーが、かつてほどの意味を持たない時代へと突入しつつある昨今。しかし、さらに人々は分断され、互いに憎しみ合う構造の中へと取り込まれてしまっている。これがリベラルの「正義」の目指すべき社会の在り方だろうか? 僕はそうは思わない。

「うっちゃれ正義の超人たちを」という歌詞の楽曲が大ヒットしていることからも、世間の人々が「正義」(あえてカッコ付きで記述する)を社会のストレス源として毛嫌いしていることが伝わってくる。では「正義」を捨てればいいのかというと、そういうわけではない。もう少しやり方を考えよう、ということを言いたい。現に今苦しんでいるマイノリティに、そこまで求めるのは酷かもしれないが、まだ割と余裕のあるリベラルもいるはずだ。僕と同じように。

まとめ:現代における魅力的な悪役

あらかた意見も出尽くしたので、改めて記事の題名にもなっている 現代における魅力的な悪役とは?」という問いへの回答を試みよう。具体的な例を挙げるならば、それはセンチネル・プライムに他ならない。彼こそ理想だ。最高最低のカス悪役。おめでとう。

f:id:traitor_salmon:20250204124832j:image栄えある最優秀悪役賞に輝いたセンチネル・プライムさん。

f:id:traitor_salmon:20250205015400j:imageあと紹介し忘れてたけど、映画『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』ミステリオも、かなりセンチネルに近くて素晴らしい(最低の)悪役だった。後世に与えた悪影響の大きさも凄まじい。

現代における「悪」の典型。それはトランプ政権がある種**"象徴"するものであるところの、デマやフェイク、陰謀論、資本主義による搾取や階級差別など。それらの(残念ながら)身近で恐ろしい悪事をわかりやすく描写し、我々ひとりひとりが立ち向かい乗り越えていくためのヒントを与える。そこに今日の悪役表象の価値**を見出すことができるだろう。

一方で『フォリ・ア・ドゥ』『アプレンティス』が示すように、あるいは『ウィッシュ』の失敗が教えてくれるように、悪役を"象徴"として悪魔化するのではなく、構造主義的な見地から「悪」を生み出してしまう社会の問題点を精査し、その改善に努めることで「悪」を克服するという方法もある。マグニフィコは無から突然生えてきたのではない。彼を支持する国民が大勢いたことを忘れてはならない。

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作り手と観客との間で、マグニフィコに関する認識の大きな差異が存在していることがよくわかる。

どちらにせよ、大事なのは**"** 身近"であること。"人間的"であることだ。自分も、画面の向こうの加害者も被害者も、皆ひとりの人間であることを理解することだ。大統領も不法移民もトランスジェンダーも、あなたもわたしも、みんな人間である。当たり前のことだが、人間はよくこのことを忘れる。そして他者を"象徴"として崇拝したり悪魔化したりして、人間を人間でないものとして扱ってしまう。格差や差別、分断の果て。人間を人間として扱わない価値観の蔓延の先に、"虐殺"という最悪の現実が待っていることを、僕たちは知っている。

アニメ『X-MEN '97』では、まさにその「差別の延長線上にある虐殺」の恐怖が描かれている。極めて現代的で政治的な作品なので、一見の価値あり。

まとめよう。現代における魅力的な悪役の条件とは身近であること。人間的であること。僕たちの生きる社会には、神も悪魔も存在しない。存在するのは無数の個人。ひとりひとりの等身大の人間たちである。

悪事を働く者も、その「悪」を生み出してしまう社会も、全てわたしやあなたと同じ、生きた人間たちによって構成されている。狂気の殺戮によって、目を覆いたくなるような惨状を作り出してしまうのも、同じ人間。人間を人間として扱うことを忘却したとき、僕たちは人間の道を外れてしまう。そのことを思い出させてくれるのが、現代的で政治的な悪役たちだ。

僕たちは社会の影響を強く受けながら、しかし同時に、僕たち自身の行動によって社会を変革することもできる。抵抗を続けよう。『アプレンティス』の結末を決めるのは、今を生きる僕たち自身なのだから。

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さてここからは、さらに踏み込んだ話をする。僕の持ち得る限りの"思想"を総動員して、政治と社会と善悪と正義の話をしていくので、苦手な人は去るべき。でも、ここまで読めたなら、たぶん大丈夫だと思う。

おわりに:今日の"正義"の在り方

ここまで散々、「悪」を糾弾するような姿勢で悪役表象について語ってきたわけだが、しかしこれだけの熱量を持って文章を書いてしまっている時点で、僕も悪役が好きなのはお察しの通り。幼い頃から闇堕ちするキャラが好きだった。僕の場合は**ウルトラマンヒカリ(ハンターナイトツルギ)だが、ロールパンナちゃん**が人生最初の推しである、というオタクも多いだろう。そのことに文句を言うつもりは一切ない。

それいけ!アンパンマン【公式】 (@anime_anpanman) 2023年1月3日

むしろ褒めたい。よくぞロールパンナを愛してくれたと。

善と悪の狭間に揺蕩う彼らの存在は、幼い僕たちに現実の"複雑さ"と個人の生き方の"多様さ"を教えてくれる。権力者から教えられる、一方的な道徳や倫理(正義や善)だけでは回収し切れないもの。それこそが"人間らしさ"だ。僕たちは「悪」への親しみから「悪」との向き合い方を学ぶこともある。憎むのではなく、愛することによって知るのだ。

一般に**"SSU"と呼ばれるアメコミ映画ユニバースが存在する(した)。そのシリーズでは、スパイダーマン悪役として有名なヴェノムを始めとする、様々なヴィランダークヒーローたちの活躍が描かれ、単純な善悪の対立構造ではない複雑なドラマが展開されていた。"有害な男らしさ"に捉われ苦しむ男性のセルフケアや、迫害されてきたマイノリティの怒りの爆発。女性を抑圧する男性の愚かさや、"有害な男らしさ"が親から子へと継承されてしまう虚しさ**など。

悪役表象だからこそ描けること。悪役表象でなければ救えない心。それらの価値を軽んじてはならない。悪役表象を通して、現実の社会で「悪」と見做されてしまうマイノリティの苦悩が描かれることも珍しくない。だいたい「悪いやつらは 天使の顔して 心で爪を といでるものさ」串田アキラが歌ったように、現実においても、悪事を働く者が 善や正義を標榜していることなんていくらでもある。というか、多くの悪事は無自覚のうちに行われている。正義も善も、万能ではない(だからこそ尊いのだけど)。

素晴らしき悪党共に捧げる唄

脱線したので話を戻す。

僕はなにも、現実の権力者や差別主義者とも仲良くしろと言っているわけではない。彼らの悪事は悪事として非難する必要がある。ただ、彼らを悪魔化することで本当に問題が解決するのだろうか? むしろ悪化してないか? 彼らや、彼らに追従してしまう人たちの心理の背景にあるもの、社会的で構造的なものにまで思考を巡らせ、根本的な解決法を模索しない限り、本当に救うべき弱者や少数者を救うことはできないのではないか? ということを言っている。救いたいだろう。救われるべきだろう。ならば考えよう。

これまでのリベラル的な「正義」は、結果として社会に分断と対立を生み、現状の殺伐とした社会を作り出す原因の一つとなってしまった。もちろん差別するやつが悪い。それはそう。でも責任の一端がこちら側にもあることは、認めようじゃないか、そろそろ。

これが望んでいた社会か?

これまでの「正義」を改善して、新しい「正義」を創出する必要がある。それは、これまで以上に多くのものを"包括する"正義でなければならない。加害者もまた、問題を抱えている"個人"であり、再発防止のためのケアや支援を必要としている(本人はそのことに無自覚だったり、差し伸べられた手を跳ね除けたりするだろうが)。そこに手を伸ばさない限り、今のままでは何も救えないのではないか。

もっとも、今まさに虐げられて苦しんでいるマイノリティたちに、そこまで考慮しろだなんて酷なことを言うつもりはない。男性であったり、裕福であったり、教養があって社会的地位にも比較的恵まれているような、そういう余裕のある、いわゆるエリートたちに向けて言っている。もっとやり方を工夫できるはずだろ、と。道徳や倫理や、社会正義が一部のエリートたちだけのものである世の中なんて、クソだ。

ここまで来ていきなり、悪の味方をして正義の敵に回るようなことを言い始めたが、これも全て、現状を変えるためである。いいわけがない、このままで。

具体的には、やはり先程までの繰り返しになるが、権力者も差別主義者も、彼らの論理に追従してしまう人たちも、きちんと一人の人間として認識すること。個人を尊重すること。その上で、対話を重ねていくこと。この世には悪魔も死神もいない。いるのは、ただ善意と悪意を併せ持ち、良いことも悪いこともしてしまう、一人一人の人間たちだ。僕たちはみんなロールパンナちゃんなのだ。より多くのものを包括しよう。誰一人見捨てない社会を実現しよう。それが僕たちの「正義」であるべきだ。

なんでもかんでも許せ、と言っているわけではない。やること自体はこれまでと変わらない。人権を踏み躙る行為に対し、堂々とNOを突き付けていけばいい。僕が言いたいのは**"姿勢"の問題だ。"態度"の問題。もっと言うと"言い方"だ。無駄に対立や分断を煽る、暴力的な"言い方"を改めるべきじゃないかと言っている。敵を増やすことが弱者を救うことなのか?**

こういうことを言うと**"** トーン・ポリシング"だと言われる。しかしこの言葉は、弱者の意見を強者がねじ伏せるときに使う詭弁のことを指すものだ。エリートは弱者か? 教育の機会に恵まれず、差別的な言動を繰り返してしまう労働者階級の人間と、裕福な家庭で何不自由なく生まれ育ち、リベラルな人権意識を大学で身に付けたエリートの人間がいる時、どちらが強者でどちらが弱者か。よく考えてみてほしい。

強い感情と共に放たれる言葉でなければ、届かないメッセージは確かに存在する。弱者や少数者の声はいとも容易くかき消されてしまう。その"訴え"には、最大限の敬意をもって向き合わなければならない。しかし、全員が全員"弱者"か? そんなことはないだろう。なぜ、権威としての地位を確固たるものとするエリート中年男性が、一般市民に向かって暴言を吐くのか。なぜそれが、リベラルのコミュニティ内で許されるどころか、持て囃されてしまうのか。

改めて冒頭の問いに立ち返ろう。「悪」とは何か。「人間を人間として扱わないこと」。それこそが、僕にとっての「悪」だ。とにかく、目の前の一人一人の個人を、そして対話相互理解のプロセスを尊重してほしい。対話と相互理解を重視しない社会運動って、なんだろう。暴力革命? うーん……。

安易な**相対主義に陥ることなく、明確な「悪」にはハッキリと否定の意思表示をしよう。ただ、"目的"を見失わないでほしい。僕たちの目指すべきものは、「悪」の打倒でも、「正義」の証明でもない。誰一人見捨てない、より多くのものを"包括"する、より善い社会の実現のはずだ。人間を、人間として扱おう。**

僕がリベラルの悪口を言うのは、期待しているからである。というか、希望なのだ。人権が無視され、弱者が蹂躙されていくのが当たり前の世界で、そんなのおかしいと声を上げることの尊さを信じているからこそ、リベラルを標榜する人たちの愚行を見ていると、許せなくなる。わかりやすい権力者や差別主義者より、そういう下手なリベラルの方がムカつくというのは、僕の**"歪み"**として自覚しているところだが。

言いたかったことはだいたい言えたので、そろそろ終わる。とにかく、今のままで良いわけはないので、なんとかしていこう。あなたも、好きな悪役について考えてみてほしい。そこから世界がよく見えるはず。KKDPは以下のサイトで作成できるよ!

※映画『トイ・ストーリー4』(2019年)と『トイ・ストーリー』シリーズ作品のネタバレを含みます。

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続きです。前編 → 僕はなぜ『トイ4』が好きなのか?【前編】 #随筆 #自己探求 - 裏切りのサーモン

死の受容、対象喪失、"有害なオモチャらしさ"。いまウッディを苦しめるこれらの要素と、その根本原因である「オモチャと子供」という非対称的な**"構造"の問題。トイ4で描かれるテーマが明らかになったところで、いよいよ物語は大きく動き始め、問題の解決……というより、新たな答え(変えられない構造、抗えない悲劇とどのように向き合い、受容し、自分なりの幸福を発見していくのか)の提示**へと進んでいく。

「オモチャと子供」の構造自体を変えることは今後もないと思う。残酷で理不尽で、無茶苦茶な構造だとは思うが。もし変えるのなら、その時はオモチャが人類に声明を出して、自由を勝ち取るための戦争を始めるしかないだろう。ゲーム『Detroit: Become Human』の世界だ。興味深いテーマだが、トイストーリーでやる話ではないだろう。

中盤:特定個人への依存

もう問題提起は済んだので、ここからはテンポ良くサクサク行く。偶然通りがかったアンティー ショップ『セカンドチャンス』(キリスト教の一派が主張する思想で「死後の救済の機会」を意味する)の店頭でボーのランプを見つけたウッディは、(ボニーの元へ帰るのを一時中断して)フォーキーと共に店内へと侵入する。「中に友達がいるかも」「友達?」「あぁ、友達ってのは……つまりあれだ、そう、君と俺みたいなもの」「ゴミ?」「ゴミ? あぁ(半笑い)そうだな、彼女"迷子"なのかもしれない」。お前さぁ、自分がゴミ呼ばわりされた時はめっちゃ否定してたよな。**ナチュラルに"迷子"のオモチャのこと見下してる**よな。

店内でギャビー・ギャビーと遭遇。彼女は生まれつきボイスボックスが壊れているため、オモチャとして子供に愛された経験がない。つまり、オモチャとして生きることが叶わない、産まれてくることが叶わなかった命と言える。オモチャ価値観においては、死んでいるのと同じだ。

(公式でショート動画が投稿されていたので、リンクを貼っておく)(便利だね!)(サムネはベンソン)

ここでの会話でウッディが50年代後半に作られたらしいことがわかる。作中の設定年代は不明だが、たぶん2000年代後半くらい(1が95年で、そこから十数年経っているはず)なので、50歳くらいか。オモチャにしては凄まじく長生きだ。そりゃ中年の危機にも瀕する。

ギャビーにボイスボックスを狙われ、逃げ出すウッディ。ここで古いタイプライターに足を取られる描写は、彼が自身の**"古さ"(古く凝り固まった価値観)に捉われている**ことを暗示しているのか。

(またしてもサムネはベンソン)

店主の孫娘・ハーモニーに拾われ、かろうじて店からの脱出を果たすが、フォーキーはギャビーに囚われてしまう。一方、帰りの遅いウッディたちを探すため、バズは自らの「内なる声」に従って捜索を始める。前編で述べた通り、この要素にはあまり触れないでおく。

前編で「バズにとって、オモチャとしてのロールモデルであり精神的支柱でもあるウッディがあんなことになっているため、混乱しているのでは」という理由を考えたが、さっきもう一つの説を思いついたので、いちおう書いておく。いまウッディが**(現実にはそのような役割はもう担えないにも関わらず)「強くて、勇気があって、優しくて賢くて、友達を絶対に見捨てないカウボーイ」として振る舞おうとして苦しんでいるのは、アンディが"そうある"よう望み、ウッディが"それ"に応えようとしてきた過去の残滓ではないか。相手が望む存在になろうとするのは、美しい愛のあり方だと思うが。しかし今のウッディはもうアンディのオモチャではないし、ボニーからは何も求められていない。何も求められない者は、何者にもなれないのだろうか。**

このように、オモチャは子供を愛する = 子供が望む存在になろうとする。それがオモチャ個人の性格や人間性を形作っているのだとしたら。アンディの家にいた頃のボーが「お淑やかな女性」だったのも、ポテトヘッドやハムが「意地悪な皮肉屋」なのも、いずれもアンディが遊びの中でそのような役割をオモチャたちに求めてきて、オモチャたちがそれに応えてきたからなのでは。アンディの家では、バズは「スペースレンジャー」として扱われ、本人も(自分がオモチャだと自覚した後も)スペースレンジャーらしく勇敢で知的で愛情深い性格を持っていた。

ただ、ボニーは違う。非常に豊かな想像力を持つ彼女は、バズに「郵便屋さん」の役割を与えて遊んでいる。このことが、バズに新たなアイデンティティの揺らぎをもたらしているのではなかろうか。ただこの説は、「地球上でいちばん恐ろしい恐竜」という役割を求められていたレックスが、実際には臆病で優しい性格であることから破綻してしまうかもしれない(しかしレックスが「恐ろしい恐竜」になるべく努力していたのも事実で、それもまた愛の形だと思う)。

ハーモニーに可愛がられるウッディだったが、すぐにその場から逃走し、アンティークショップへの帰還を目指す。別にハーモニーのところにずっと居てもいいんじゃないかなぁ、と思ったりもするのだが。しっかり愛されてますし、きっと一生残る幸せな思い出を一緒に作っていくこともできたんじゃないか。でも彼は(自分を愛してくれない)ボニーのオモチャであり続けることを選ぶ。まぁフォーキーが拉致されている**(仲間を置き去りにはできない)から、というのが大きいのだろうが。アンディの時から変わらず、ウッディは何があろうと「持ち主(特定個人)のオモチャ」であり続けてきた。博物館や保育園といった、異なる幸せを拒み続けてきたのだ。博物館はともかく、サニーサイド保育園は必ずしも悪いものとして描かれてはいなかったはず。ロッツォの支配体制が悪いのであって、ケン&バービー政権のサニーサイドはまさに地上の楽園。それでもウッディは、アンディとボニー、特定個人の持ち物であり続けたい。それが唯一絶対の幸福だと信じ続けてきたから。その価値観が今、彼の足を絡め取るタイプライター(古きものの呪縛)となっている。彼の抱える苦しみ、その具体像**が少しずつ見えてきた。

店へと向かう道中、公園で子供たちと遊ぶ**"野良オモチャ"たち**(彼に言わせれば**"迷子"のオモチャたち)と出会うウッディ。ここでさりげなく、女の子っぽいかわいいオモチャで遊ぶ男の子が描かれていて良いですね。そしてついに、その"迷子"の中の一体、麗しのボー・ピープとの再会を果たす。ウッディとボーのロマンス(これロマンスですよね?)(ロマンスに見えちゃうとかいうレベルではなく、確実に)(それでいて終盤バズにあんな表情させるんだから、これはジョシュの趣味としか思えない)(趣味が悪いぞ!)(僕は好きだけど!)が始まると途端に映像表現のレベル、というかアクの強さがグンと高まる。見てくれ、この被写界深度**を! ウッディの目にはボーしか映っていない!

近くの草むらに身を隠した二人は、9年ぶりの再会を喜び合う。咄嗟にハグしようとしてぎこちない挙動をしてしまうウッディがかわいい。ボーはウッディの帽子の角度を直し、腕についた葉っぱを落とし、胸のバッジの向きを修正する。世話焼きだ。ボーも別にハグを拒んでいるわけではなく、その後何気なく頭のリボンの角度を調整するなど、照れている様子。ツンデレなんだと思う。そして相思相愛。悔しい(バズ目線のオタク)。

今は**"迷子"のオモチャ**をしているボー。ウッディはそのことを嘆くが、本人は迷子の日々を満喫している様子。迷子仲間たちと共に、公園やパーティー会場で子供たちと遊ぶ生活を送っているようだ(警官のギグル・マクディンプルズが保安官 = シェリフのウッディに丁寧な挨拶をする描写が細かい。現代アメリカにおける「シェリフ」の称号は、主に地方の警察署長くらいの地位を意味しているらしい)。

ギャビーの手からフォーキーを奪還するべく、かつて『セカンドチャンス』に居たことがあるというボーに協力を要請するウッディ。「君もモリーに必要とされてただろ?」と、昔話をして説得を試みる。ギグルに「ボーは特別な子のオモチャだったんだ」と語るが、はたして**"** **特別な子"**とはなんだろうか。オモチャを大切にする子供? モリーはボーを躊躇なく他人に譲ったし、その数年後には、またしても軽々とバービーを保育園への寄付用の箱に放り投げたが。

とはいえ、幼少期のモリーとボーの間には素敵な思い出があったようで(それを残すことがオモチャの存在意義だとウッディは考えているのだろう)、そんなウッディの説得の甲斐もあり、みんなで『セカンドチャンス』へと潜入することに。

一方、その『セカンドチャンス』では、ギャビーがフォーキーと共にウッディの帰りを待っていた。するとそこに店主の孫娘・ハーモニーが帰ってくる。連れて行ったはずのウッディはそこにいない。「無くしたのかな?」と心配するフォーキーに、「まさか。私のハーモニーは完璧な子なの」と返すギャビー。フォーキーの心配は当たっていて、なんならハーモニーはウッディを無くしたことにすら気付いてなさそうだが。ティータイムのおままごとをして遊び始めるハーモニー。それを見て歓喜の声をあげたギャビーは、自身もオモチャのカップを持ち、ハーモニーの動作に合わせてティータイムごっこをする。傍らに「ギャビー・ギャビーの遊び方ガイド」を置いて。その表紙に描かれている少女は、ハーモニーにそっくりだ。

もうこの時点でわかるが、ギャビーはハーモニーという特定個人を完全に理想化している。自らの運命の相手だと信じ込んでいる。生まれながらにオモチャとして生きる幸せ剥奪されたまま数十年の時を過ごしてきて、もうそれに縋るしかないのだろう。遊んでもらうため(オモチャとして生きるため)、ずっと自らのコンディションを完璧な状態で維持し続け、遊びの練習も重ねてきた。それでも自分はずっと戸棚の中。ボイスボックスさえ正常に機能すれば、ハーモニーに遊んでもらえるかもしれない。「遊び方ガイド」(オモチャらしさの教科書)に記載された通りの、オモチャとしての幸福を享受できるかもしれない。そんな不確定要素の強い、微かな希望に期待を寄せることだけが彼女の生きる道、その先を照らす光なのだ。

そのためならなんでもする覚悟のギャビーは、当然ボイスボックスを入手するための策略も周到。仲良くなったフォーキーから、ウッディの情報を全て聞き出している。「まだアンディのことを引きずっている」ことも。

そしてウッディとフォーキーの救援に向かったバズは、遊園地の人間に捕まり射的ゲームの商品とされてしまっていた。そこでぬいぐるみのダッキー&バニーと出会う。どうしても「消費されるモノ」としての側面を持つオモチャという存在は、人間の都合次第で、商品として何年も壁に吊るされたり、不良品として何十年も戸棚に飾られたりする。珍しいことではない。

(毎回なぜか拘束されることがお約束となっているバズ)

ボー、そしてギグルと共に店へと向かうウッディ。腕が取れても動じないボー(2でウッディが同じ目に遭った時はプロスペクターに「イカれてんのか!?」とブチギレていた)は、自立した"強い女性"として描かれている。以前の淑女っぷりとは大違いだ。「子供部屋にこだわる必要はない。だってこんなに広い世界があるのよ」と、賑やかな遊園地を見せながらウッディに語る。言ってしまえば、これが今作のメッセージそのものみたいなもんなんだけど。でも広い世界へ飛び出していく(自由になる)理由付けに、ウッディのボー個人に対する恋愛(のような)感情を持ってくるのは、あんまり上手くないような気もする。結局アンディやボニーから、ボーという別の個人へと執着の対象が入れ替わっただけに見えてしまって。そういうわけではないとは思うんだけど。うーん。案の定、この場面のウッディはボーしか見てないし。

このあと昔の仲間たちの話題が出たとき、ボーが「レックスはいる?」と訊くのが、細かいけど好きな場面。3ではレックスがボーの名前を出していたし、我々の知らないところで二人はそれなりに仲良しだったのだろう。昔からアンディの部屋にいたオモチャたちの中で、恋仲のウッディを除けば、いちばん**"たおやか"**なのはレックスだろう(というか他の連中がオッサン過ぎるというか)。当時のお淑やかなボーにとっても関わりやすい相手だったのでは。

そしてウッディを追ってきたバズ(と付いてきたダッキー&バニー)と店の屋上で合流。1で「引っ越しのパートナー」だったバズとボーは自然な流れでハグをする。バズもどちらかというと**"たおやか"な男性だ。何が言いたいかというと、前編で触れた"有害な男らしさ"について。今作でボーが自立した"強い女性"として描かれているのは、有害な男らしさを抱え、アンディへの依存を拗らせているウッディとの対比の意味合いがある(3でロッツォのホモソに反論したのがジェシーとバービーだったのと同じ文脈)。あまり男らしさに捉われていないバズやレックスが、そうした女性とも友人として仲良くやっていけてるのも示唆的だ。ただ、そんなボーが恋人として**意識しているのがウッディという男らしさに捉われた男なのが、なんというか、生々しいというか……。

(ウッディ! ボー・ピープだ! がかわいい)(ウッディはここまでずっとボーと一緒に歩いてきたんだから、わざわざ言わなくてもわかるじゃん)(赤ちゃんなのかな?)

かくして、ボーを中心にギグル、羊ちゃんたち、ウッディ、バズ、ダッキー&バニーがチームを組んで店へと侵入。フォーキー奪還作戦を開始した。ボーの指示に「ああバッチリ。着いていく」と宣言するウッディ。言ったからな?

店内の棚と棚の隙間を通っていく一向。ホコリの表現が凄まじい。空気中に漂うチリさえも美しい。今後これを超えるCGのホコリ、チリの表現が現れることはあり得るだろうか。

ジェシーの活躍で足止めを食らったボニー一向。母親に連れられ『セカンドチャンス』へと訪れたボニーを見るなり、ウッディは先ほどのフォロー宣言を無視し、慌ててフォーキーの元へと駆け出してしまう。勝手な行動だ。周りが見えていない。大切な人の言葉さえも彼の耳には届かない。やはり見張りのベンソンたちに気付かれ、ボーの応戦も虚しく羊たちを連れ去られてしまう。やってしまいましたなぁ。ウッディの大ポカ、とんでもないやらかしである。

「ほんとごめん。悪かった。俺、なにすればいい?」「役に立ちたい? だったら邪魔しないで!」と叱られてしまい、あからさまに落ち込むウッディ。己の無力さを痛感する展開だ。かわいそうだが、しかし今のウッディには必要な過程だと思う。もうみんなのリーダーではない(求められていないことを義務感や使命感で無理にこなす必要はない)という現状を、しっかりと認識してもらう必要がある。ウッディは今までずっと、その"らしさ"の毒に自ら苦しみ続けてきた。今回の失敗は、ついにその毒が他者にまで及んでしまったことを意味する。その**"らしさ"に捉われたままでいることがいかに有害なのか。自分より他人を優先するウッディにそれを理解させるためには、こうする(自分の失敗で他人に迷惑をかけたことで、己の無力さを痛感してもらう)のが最も効果的であり、不可欠だと思う。気の毒だが、一旦ボコボコにしなければ地獄男の運命は変えられない。**

地獄男または地獄女とは、トキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)を始めとする社会の規範・構造に捉われ、自らの言動で他者と自分自身を傷つけ苦しめてしまう、救い難い人間のこと。大抵の場合、彼らが死ぬことで物語が終わる。

アンティーク店内に隠れ住むオモチャたちのコミュニティがある。ウッディには想像もできなかった世界で、たくましく生きるボー。オモチャたちのうちの一人、バイクに乗ったスタントマンのデューク・カブーン。祖国カナダへの愛国心に満ち溢れる彼に、ボーは、フォーキーと羊たちの奪還作戦への助力を請う。

(ウッディの表情が良い)

黙ってろと言われたのにうっかり口を滑らしたウッディの「持ち主」というワードに、カブーンが反応する。かつての持ち主・リジャーン少年に捨てられたことで心に消えない傷を抱えている彼もまた、特定個人への依存を拗らせてしまったオモチャと言えるだろう。ウッディにとってのアンディ、ギャビー・ギャビーにとってのハーモニー。

過去に捉われず、今の自分の真の姿を見せて。というボーの説得を受け、なんとか立ち直ったカブーン。フォーキーが囚われているキャビネットの鍵を(ものすごく苦労して)入手したバズたちと合流し、いよいよ奪還作戦が始動する。

作戦の準備中、ウッディとボーが語り合う。今作において、メッセージが最も端的に表現されているのが二人の会話シーンだ。冒頭から一貫して。

「それで、ここにはどのくらい居たの?」「二、三年くらいかしら。棚に飾られてずっと待ってるだけの人生が嫌になって、出てったの」「すごいよ。君は一人になっても立派にやってる」。ここでボーにだけ光が当たってるのもわかりやすくていい演出。今作の映像、演出を読み解く際には、何よりも**"光"に注目すること。**太陽光、月光、建物の明かり、遊園地の電飾。あるいはそれらの光源を反射して煌めく、ありとあらゆる物体。ホコリやチリさえも光に照らされ輝く。

「あなたにだってできるわ。迷子のオモチャになっても大丈夫!」「なぁ、本当にもう子供部屋に戻るつもりはないのかい?」「ない! 今ちょうど移動遊園地が来てるし、この街を出るいいチャンスよ」「え? 街を出る?」「そうよ! 子供部屋を出て、世界を見たいと思わない?」「子供抜きで? ははは……無理だよ。俺は古いタイプのオモチャだからな」「ふふん、試してみたら?」

中年ロマンスですよね、この映画。**トップガン マーヴェリックでありマトリックス レザレクションズでもある。僕はそういうの好きです。というのも、若者のロマンスにありがちな、衝動(性的なものも含む)に身を委ねる破滅的な恋愛ではなく、お互いの積み上げてきた人生観を照らし合わせ、これから待ち受ける"人生を終えるための旅路"を共に歩んでいきたいという、切実な願い**が込められているように思うから(無論、若者の衝動もそれはそれで切実なんだけど)。

f:id:traitor_salmon:20241210020306p:image(トップガン マーヴェリック)(過去の喪失を引きずる、古い時代の男の物語)(中年ロマンスも相棒との絆も、擬似親子もあるぞ!)

f:id:traitor_salmon:20241210020602p:image(マトリックス レザレクションズ)(メンタルヘルスと中年ロマンスのお話)(支配的な構造からの脱出を描く)

死を受け入れられず、喪失に苦しみ、"有害なオモチャらしさ"に捉われてしまった「古いタイプのオモチャ」であるウッディ。それは彼がこれまで積み上げてきた人生観によるものだが、そんな彼にとってあり得ない選択肢であった「迷子のオモチャ」という道が、その道を強く美しく生きるボーとの出会いによって、**"あり"になりつつある(同時に自分には無理だという諦観もある)。まさに中年ロマンス。**

このあとの、店の天井から吊り下げられた無数の照明やランプ、古いシャンデリアなどの煌びやかな輝きを二人で見つめる場面がなんともロマンチックだが、やがてウッディは照明ではなくボーを見つめ、恍惚とした表情を浮かべ始める。自分の知らない世界で強く美しく自由に生きてみせるボーが、輝いて見えるんですよね。ここで大事なのは、相手への単純な(ロマンティック・ラブ・イデオロギーに基づいた)恋愛対象としての"惹かれ"があるだけではなくて(むしろそれは主題ではなくて)、ここでの主題「相手の人生観への"惹かれ"」だということ。ウッディは、ボーの歩む"人生"を美しいと思い、見惚れていたのだ。これが中年ロマンスの文脈。

先ほど、自由を選択する理由付けが恋愛(執着)なのは上手くないのでは、という話をしたが、まぁ概ね今述べたような理由による演出なのだろう。トイ4は、地獄男映画と中年ロマンス映画の文脈の上に成り立っている映画なのだ(んなもんわかるか)。地獄男を救う方法として、選ばれたのが中年ロマンスだった。こうでもしないと地獄男は救われない。

終盤①:忠誠心 - オモチャとしての"死"

いよいよ作戦が開始するも、様々な問題が重なり、フォーキーの奪還は失敗。仲間たちも傷を負ってしまう。仲間たちが口々に撤退を勧める(そもそもウッディとバズ以外にとってはフォーキーなど縁もゆかりもないオモチャだし、なんならプラスチックの先割れスプーンでしかない)中、それでも断固として奪還作戦の続行を主張するウッディ。抗議するボー。「誰も一緒に行かない!」「俺は行く」「どうして!?」「どうしても!」「なんで!?」「だからなんででも!」「どうして……」

「もう俺にはこれしかないんだよ!!」

うわぁ、言ったぁ……! とうとう訪れた感情の爆発。抑圧の末路。これが全てだ。まさに本作の白眉。トイ4という地獄男映画の、地獄たる所以がまさにここ。この瞬間この台詞に全て凝縮されている。やっとここまで来た。この話をしたかったんだ、僕は。そのためにここまで三万字近くを費やしてきた。

「他にできることはない」んですって。ああ、そうだろうとも。オモチャとして子供に愛され、子供と遊び、子どもの心に一生残る幸せな思い出を一緒に作っていくこと。それだけが生きる目的、生きる幸せ。何のために生まれて、何をして喜ぶ。**"生きること"を果たせなくなって、死んだように時を過ごすウッディ。これまで彼が積み上げてきた価値観と、アンディの喪失。多くの苦しみが彼を雁字搦めに……地獄のような状況に追いやっている。これは避けられない構造の悲劇。いずれ訪れることは判り切っていた、オモチャの宿命**である(繰り返しになるが)。

そんな構造の中で、彼が唯一見出した希望……というか、もはやそれに縋ることでしか自分を保てない、精神の最終防衛ラインであり依存先。それがフォーキーだ。フォーキーが"特別なオモチャ"としてボニーに尽くす。ボニーと共に、ボニーのために"生きる"。自分はその手助けをする。報われない献身は辛く、彼の心身を擦り減らし続けるが、自分の生きていく道は「もうこれしかない」のだ。ウッディはそう思っている。だからバズが手伝おうとしても拒むし、周りが反対してもフォーキーのために危険を犯し続ける。「他にできることはない」から。地獄男だ……。

「私たちはどうでもいいの?」と訊くボー。「ボニーのためなんだ」と返すウッディに、ボーは「違う。自分のためでしょ」と反論する。さすがよく見抜いている(そうさ全部君のためさ〜とはなんだったんだ、ユカイ)(皮肉たっぷりの一曲だった)。「目を覚ましてウッディ。子供は他にも大勢いるのよ? なのにボニーにだけこだわるなんて、間違ってるわ」。うーん、これはまぁボーがそういう意見なのはわかるけど、ウッディにはわからない(どころか逆効果だ)よね……。

「忠誠心だよ。迷子のオモチャにはわからないだろうな」。この映画裏切りのサーカスでしたっけ。忠誠心(loyalty)の話をしている。

f:id:traitor_salmon:20241209232735j:image(僕のいちばん好きな映画)(冷戦、そして男性社会。自己も他者も傷つける有害な構造の中で疲弊し、孤独な愛や報われない忠誠心に翻弄され、泣いたり死んだりする男たちの物語)(実質トイ4)

2では博物館という「永遠の命」を拒み、3では「捨てられることも飽きられることも、忘れられることもない」「奇跡」の保育園を拒んだ。アンディのオモチャだから。 持ち主(特定個人)への依存は、極めて不安定(不健全と言ってもいい)な構造だが、その構造の理不尽を受け入れる、どころか積極的に肯定し、命を危険に晒してまでも尽くすこと美徳としてきた。その哲学のもと、プロスペクターやロッツォの生き方を否定してきたのがウッディのこれまで(思い返してほしい。3でウッディは、ロッツォの支配体制自体には、特に何も反対意見を述べていなかった。文句を言ったのは**ジェシーだし、具体的な改善を行ったのはバービーケンだ。ウッディは「お前も持ち主に愛されていたんだろう?」**という方向性で攻めていた)

その美徳が、哲学が、忠誠心が、今はウッディ自身を苦しめている。愛する人たちの言葉さえも届かぬほど、彼を追い詰めている。そしてこの価値観と、それに付随する苦しみは、ウッディだけが抱えているものではない。思い返せば1作目、しかも冒頭。ウッディは仲間たちに向けてこう演説している。「アンディが俺たちを必要とする時に役に立てばいいんだ。みんなそのために作られたんだろう?」と。この場面は、ウッディが部屋のみんなに自らの思想を押し付けている、という意図のものではないだろう。みんなそれぞれ個人差はあれど、同じ思想を共有している。持ち主という特定個人に対する"忠誠心"を。だからギャビーもハーモニーに、カブーンもリジャーンに執着し続けている。そして苦しんでいる。トイシリーズは常に、持ち主に捨てられるんじゃないかという構造的恐怖との戦いを描いてきた。その構造的恐怖に適応した結果の忠誠心(オモチャらしさ)であり、忠誠心があるからこそ喪失に苦しむ。そして人間がいずれオモチャで遊ばなくなる以上、持ち主( 特定個人)に依存したオモチャの"生き方"にはいずれ終わりが来る。命の終わり、すなわち**"死"**が。

「迷子はあなたの方じゃないの?」と言い残し、ボーと仲間たちはウッディから離れていく。唯一残ったバズの静止も聞かず、ウッディは「オモチャ仲間を置き去りにはしない。今回も、この先も……」と言って、店内へと戻って行った。「私を置き去りにした……」と悲嘆に暮れるバズに背を向けて。

ウッディが戻ると、待ち構えていたギャビーが語り始める。彼の心に訴えかけるように。

「私たち、想いは同じじゃない?」「子供のそばにいることこそ、オモチャのいちばん大切な役目だと思ってる」「私は、最初から故障していたの。あなたは私が夢見る人生を送ってきた。アンディと共に過ごした日々。初めて自転車に乗った時も一緒。膝を擦りむいたとき慰めたり……成長をずっと見守ったのよね。二度目のチャンスも訪れた。ボニーよ。幼稚園を怖がるボニーを安心させたり、つらい時、支えになってあげてるわ。いい時も、悪い時も、あなたは子供のそばに」「……どうか、正直に答えて?」 それって本当に素晴らしいこと?」。

2での問いの繰り返しだ。子供に尽くすこと = オモチャとして生きることは、そんなに価値のあることなのか。無論、ウッディにとって答えはイエスだ。ギャビーの問いにも「……そうだよ」と優しく答える。

「……一度でいいから味わいたいの。そのチャンスを頂戴?」「なんだって、するわ。あなたのように愛されるなら……」。ギャビーの懇願を受け、逡巡し、やがて頷くウッディ。2では、同じ問いを受け、永遠の命を捨てて限りある生(いずれ訪れる死)を受容したが、今回もまた、同じ問いに同じ答えを返すことになる。持ち主のために。そしてオモチャ仲間(今回はギャビーも含む)を置き去りにしないために。「……フォーキーが戻ればいい。ボニーに必要だ」。そう言うと、暗闇に包まれていくウッディ。今回受容するのは、いずれ訪れる死などではなく、今まさに、この瞬間の死。ウッディは今、オモチャとして生きることをやめた。子供のそばにいること = 生きることとする価値観を持つオモチャとしては、死んだことになる。ウッディはもう、オモチャではない。

明らかにこの暗闇は、死として描かれていると思う。この一連の流れは死のシークエンスだ。ただ、オモチャとしての正常な機能を失ったり、持ち主に飽きられたりすることが、必ずしも生命の終わりを意味するのかというと、それは違う。あくまでウッディの掲げる、子供のそばにいることこそオモチャの仕事(その仕事を果たすために生きている)(果たせなくなったら死んでいるのと同じ)という価値観上の、オモチャの死だ。現に、ボイスボックスを交換したあとのウッディにもまだ意識はある。まだ人生は続いていく。

終盤②:子供は大勢いる - 特定個人への依存を克服するために

「俺のブーツにはガラガr……」。ギャビーにボイスボックスを差し出したウッディは、約束通りフォーキーを取り戻し、ボニーの元への帰還を目指す。子供に尽くすこと、そしてオモチャ仲間を見捨てないこと。ボニーとフォーキーのために、そしてハーモニーとギャビーのために、**"オモチャとしての"最後の使命を果たそうとする。最後の忠誠心**だ。

そしてハーモニーの目の前でボイスボックスの声を鳴らし、ついに夢を叶えようとするギャビー。しかし「いらない」の一言でポイされてしまう。彼女に遊んでもらうため、全てを捧げてきたギャビーの忠誠心を、ハーモニーは知る由もない。オモチャの忠誠心を、子供(人間)は知らない。そういうルールだから。なのでどう足掻いても、消費されるモノとしての側面は消えない。ボニーだってウッディに飽きるし、なんならアンディだってRCを雨の中に置き去りにしたり、一部のオモチャ以外は他人に譲ったりしていた。特別でないオモチャの人生など、こんなものだ。

なんとかボニーのリュックの中に飛び込み、フォーキーを送り届けたウッディ。アンディの、そしてボニーの = 特定個人の持ち物としての"オモチャの仕事"は、これでやり遂げたことになる。木箱の中に捨てられたギャビーのことが気になってる仕方ないウッディは、フォーキーに合流地点を伝えてリュックから飛び出す。オモチャ仲間を置き去りにできないから。

悲嘆に暮れるギャビーに、ウッディは優しく語りかける。「友達に言われた。子供は大勢いるってね。その中に、ボニーもいる」「棚に飾られて待ってるだけじゃ変わらないだろ? 何も」。そこへボーが現れる。「その通り」「最高の友達の教えさ」。こうして、ギャビーの**"セカンドチャンス"**を手にするための冒険が始まる。

特定個人への忠誠心を掲げていたウッディが、子供は大勢いるという異なる価値観を受け入れ、その考え方によって他のオモチャ(なんなら敵対していた相手)を救おうとしている。まだ**"** **ボニー"**にこだわってはいるが、これは大きな変化と言えるだろう。

合流地点のメリーゴーラウンドを目指す一向。カブーンのジャンプで上空を飛ぶルートを選択する。不安に怯えるカブーンをウッディとボーが励まし、いよいよジャンプ。「君に捧げる、リジャーン……」。美しい花火と月光が照らす、見事な跳躍(クラッシュ)を見せ、特定個人への依存を断ち切り、トラウマを克服してみせた。

ボニーの元へと急ぐ道中、ギャビーが立ち止まる。物陰で泣く迷子の女の子を見つけたからだ。「計画変更だ」。少女を放っておけないと思いつつ、嫌われる恐怖に震えるギャビーを、ウッディが励ます。「君が言ったように、これがオモチャのいちばん大切な役目なんだ」。仲間たちの協力もあって、少女の手に渡るギャビー。「あなたも迷子?」「助けてあげる」と言うと、少女は勇気を出して近くを通りかかった警官に助けを求めた。無事に両親と合流する少女、そして持ち主を得たギャビー。特定個人(ハーモニー)への依存を克服し、幸せそうな表情を浮かべるギャビーの様子を見て、安堵と満足感を覚えるウッディ。一人の子供の"特別なオモチャ"として直接愛されるとか、オモチャたちのリーダーとして慕われるとか、そういうのとは違う喜び。新しい幸せ。

カブーン、ギャビーときて、いよいよ順番が回ってきた。メリーゴーラウンドの上でバズと合流し、ボーに別れを告げるウッディ。しかしその足取りは重い。冒頭で描かれた構造の悲劇を繰り返してしまうのか。「バズ……俺……」。お前そんな顔すんなよな! バズにだけそんな顔してさぁ、相棒だからって甘えやがって……。ここまで来るのにバズと仲間たちがどんだけ苦労したと思ってんだ……?(かなりオモチャのルールすれすれというか、アウトですよね?)

そんな顔されたら、バズもこうするしかない。「彼女は大丈夫」「ボニーは、大丈夫だ」。必死に笑ってみせるバズ。「内なる声を聴け」と言って背中を押す。笑顔で振り返り、ボーを見つめるウッディ。そのままこの世の春のような表情を浮かべて、ボーの元へと駆け出していった。ここ! この瞬間のバズの「あっ……」っていう表情を! 見てくれ! 好きな男が女を選んだ瞬間の男の顔を! 一瞬で表情を戻してみせるのもつらすぎるよ! やっぱりこれ裏切りのサーカスだったんじゃないか??(裏サーにも同じようなシチュエーションで同じような表情を浮かべる男が出てくる)

バズは本当にえらい。今作では終始ポンコツな印象が拭えないが、最後のこの選択。大好きな男を自分から手離すなんて、耐えられるはずがないのに、でもそうすることが愛する男の幸せだとわかってしまったから……そうするしかないよね……。ウッディにとってアンディが特別であるように、バズにとってはウッディこそが生きる意味、目的、幸せを与えてくれた存在だった。

抱き締め合うウッディとボー。かつての仲間たちとも再会を喜び合う。ウッディはジェシーを見つめると姿勢を正し、自らの胸についた保安官バッジを外してジェシーの胸につけた。ボニーが必要とする保安官はジェシーだから。この選択をもって、本当の意味でウッディはボニーのオモチャであることをやめた。

仲間たちと別れの抱擁を交わし、最後はバズと。ここのバズの表情もまたつらそうで……でもそれをウッディには見せまいとしていて……健気すぎるぞ……これが愛じゃなければなんと呼ぶのか僕は知らなかった(米津)。

車が走り出し、オモチャたちはそれぞれの道を往く。ボーと共に新たな人生を歩み出したウッディの表情は、どこからどう見ても幸せそのものだ。確かにボイスボックスも保安官バッジも、安住の家も失った。周りから見れば不幸な「迷子のオモチャ」に見えるだろう。しかし「迷子じゃない。今はもう」とバズは言う。古いオモチャらしさとアンディの喪失、その根本にある特定個人への忠誠心というトキシックな信念、その信念を作り上げてしまう「オモチャと子供」の非対称的な構造……。それらから解き放たれ、死んだように生きていくウッディの苦しみは終わったのだ。子供に愛されるオモチャとしての人生を終わらせ、新しい生き方を選び取った。構造からの脱出、有害な"らしさ"の克服が描かれている。「無限の彼方へ……」「さぁ行くぞ」。二人の冒険はこれからも続く。あるいはこれから始まるのかもしれない。無限の彼方、構造のその先へ……。その終わりのない旅路こそ、我々の歩む人生なのだ。変化を受け入れ、ウッディは幸福を掴み取った(バズは本当に気の毒だが……)。

彼らの新たな旅立ちを、月光が祝福している。青空に輝く、明るい太陽の光ではなく。厳しい現実の暗闇の中を、優しく照らし見守ってくれる月の光。今作の最後を飾るに相応しい演出だ。

終盤③:新しい生き方

これにて本編は終了。ここからはエンドロールとなる。ウッディの選択した新しい生き方、その具体的な様相が描写される。移動遊園地と共に新しい街へとやってきた一向は、例の射的ゲームで壁に括り付けられたオモチャたちの所へ現れ、彼らに助け舟を出す。射的に失敗した子供にも、こっそりとオモチャを与えていく一同。ギャビーに対して行った、いわば子供とオモチャのマッチングを手助けしているようだ。

この活動は「子供にはオモチャが必要」であり、「子供に奉仕することがオモチャの幸福」とするこれまでの価値観に沿ったもの。トイ4という作品そのもののテーマ、メッセージも同様で、これまでの価値観を全否定するものではないのだ。ただ、ウッディはそれだけではなくて、違う幸せ新しい生き方を見つけた、というだけのことで。これまで積み上げてきたものを毀損しているわけではない。

自身は"オモチャとして"生きることはないものの、他の子供たちとオモチャたちが幸福を享受する手伝いはできる。むしろ、今はそのことに生きる意味と喜びを見出している。「子供に尽くす」「オモチャ仲間を置き去りにしない」、この二つの価値観を持ったまま、生き方を変えることでウッディは幸福を掴んだ。トイ4の結末は、ウッディにとってはめちゃくちゃハッピーエンドなのだ(バズは気の毒だが)。

こうして物語は幕を下ろす。エンドロールの余韻を引き立てる、しっとりとした楽曲の名称は『The Ballad of the Lonesome Cowboy(孤独なカウボーイのバラード)』。本作は徹頭徹尾、ウッディという時代遅れのカウボーイを救済するための映画だった。

俺は孤独なカウボーイだった。でも今は違う……という歌詞。たぶん、子供とオモチャの関係性のことを歌っている。結局のところ、子供とオモチャが愛し合い共にあることこそが至上の幸福である、とする価値観は何も変わっていない。ただ、ウッディがその幸福を享受するターンは終了して**(死の果てにセカンドチャンスを掴み取り)、今度はその幸福を多くの子供たちと仲間たちが享受するための手伝いをするようになった。こうしてウッディは救済されたのだ。忠誠心**と言うなら、あのままボニーの家のクローゼットで埃をかぶっていくのが正しい生き方だろう。しかし、ウッディはそれに耐えられない。物語の冒頭と結末を見比べて、どちらのウッディがより幸福に見えるだろうか? 断然、後者だろう。

いわばウッディは、親としての役目を終えて、他の親たちと子供たちのために奉仕する余生を送り始めたのだ。その役割を現実の職業に当てはめるなら、幼稚園の先生になるだろうか。今作の序盤に存在する幼稚園の先生単独のカットは、ウッディの結末を暗示していたのだ。ウッディは幼稚園の先生になった。

まとめ - 人生の教科書

で、結局トイ・ストーリー4』とはなんだったのか。何のために、何を伝えようとしていたのか。その問いを突き詰めると、以下の一言に収斂されるだろう。「3の奇跡的な結末を否定する意義があったのか?」。その答えは観客のひとりひとりが、作品との対話を通して導き出すことになる。僕は導き出した。その意義は確実にあった。

1の冒頭から一貫して「子供とオモチャ」の関係性、その構造の話を繰り返してきたシリーズである。彼らオモチャの、オモチャとして生きる = 子供に奉仕することの喜びや尊さと同時に、いずれ飽きられ捨てられ死んでしまう構造的恐怖も常に描かれて続けてきた。しかし、1でも2でも3でも、結局ウッディはその運命から逃れ続けてきたのだ。アンディという守護天使がいたから。

ずっと死の恐怖と向き合い続けてきたシリーズの責任として、明確な"死"と、その"受容"を描く。これが僕の思う、4の意義だ。ウッディをオモチャとして死なせることに意味があった。そして死の先 = 構造の果て = 無限の彼方に、新たな生き方を見つける。そうしてカウボーイは救われる。慈悲と救済。

現実の我々が学べることは、お前も死んでみろということではなくて、あなたも変われるよ! という前向きなメッセージだ。社会でも家庭でも、なんでもいいが、あなたを恐怖で苦しめる構造があるなら、そこから抜け出していい。その世界で積み上げてきた価値観があなたを苦しめるなら、考え方を変えればいい。生き方は一つじゃない。誰でも、何歳からでも変われるし、どこへでも行ける。無限の彼方へも。ずっと"人生"を描き続けてきたトイシリーズだからこそ、描く重みのあるテーマだ。自由と解放。

死について考えることと、それを前向きに受け入れることも、別に暗いテーマではない。生きている限り、死は不可避なのだから。むしろトイ4の描き方はかなり優しい。こういう地獄男映画に出てくる地獄男は、惨たらしく死ぬのが普通だ。最終的に彼が新しい生き方、違う幸せを掴み、救済されたのは本当に素晴らしいこと。僕を含む、現実に生きる男性たちも、ウッディのように**"有害な男らしさ"を克服することができるだろうか。ボー・ピープの大胆なイメチェンに代表される、自由で開放的な女性キャラの活躍は、もちろんフェミニズムポリティカル・コレクトネスの文脈を踏まえたものだが、それ以上に、"有害な男らしさ"を想起させるオモチャらしさ = 価値観 = 構造に捉われて苦しんでいるウッディとの"** **対比"**の意味合いが強い(男性のテーマを引き立たせるための女性表象って、なんだか逆行してるような気もするが)。

違う生き方があるよ! と示すことは古い生き方を否定するものではない。夫婦別姓が同姓を否定するわけでも、同性婚が異性婚を否定するわけでもないのと同様に。トイ4も、オモチャが子供に奉仕することそのものを否定などしていない。ただ、ウッディが新しい道を選んだだけのこと。構造を否定したり破壊したりするのではなく、共存しながら、自分は異なる幸福を追い求める……という、ちょうどいい距離感。僕はそういうのが好きだ。それは構造に多様性をもたらす。いずれオモチャは捨てられる(その運命は避けられない)が、その先でウッディのような幸せを掴むこともできる。構造の否定ではない。改革だ。

考えれば考えるほど、真摯だ。現実的でありながら、暗くなり過ぎない。むしろ明るくて優しいメッセージを届けてくれている。改めて僕は、3のその先に4を作ったことは、意義深いことであったと思う。

避けられぬ死。大切な存在の喪失。有害な構造と、その中で自ら内面化してしまう有害な価値観。いずれも我々の極めて身近にある、切実なテーマだ。人生の課題だ。それらと向き合い、乗り越え、あるいは受け入れていくためのヒントを与えてくれる『トイ・ストーリー4』は、まさに今を生きる我々にとっての**"人生の教科書"**と言える。我々は多くのことを、トイ4から学べるはずだ。

"僕"のこと

さて、長い長いトイ4のお話が終わって、ここからようやく随筆パート。僕の個人的なお話をする。というか、今まで書いてきたことも、僕の個人的な解釈に過ぎないのだが。まぁでも、誤読の指摘とかは、気の向く限り受け入れます。一応、世に出す以上は責任がある。あとほんの少しだけお付き合いを。

"有害な男らしさ"との対峙

前編の、冒頭の問いに立ち帰る。なぜ僕はトイ4が好きなのか。人生の教科書などと大層なことを書いた(し、実際に素晴らしいテーマやメッセージは充分に含まれていると思う)が、完璧な映画かと言われると、まぁ……首を縦に振ることは難しい。完璧と言える映画なんてほとんど無いんだけどね。むしろ欠点のある映画の方が愛おしかったりして。なんせ**SSU(ソニーズスパイダーマンユニバース)**の映画群を愛好して、ブログを書いたりしているくらいなのだから。

SSU(ソニーズスパイダーマンユニバース)の描く"有害な男らしさ"。 - 裏切りのサーモン

SSUを愛好するのは、それらが**"有害な男らしさ"を批判的に描くシリーズであるから。この概念の説明は前編で行った(はず)ので省く。そういう作品に出てくる男を、僕は地獄男と呼び、地獄男映画を愛好している**ことも伝えたと思う。伝えてなければ、今知ったね。地獄男映画のブログも前に書いた。トイ4の話もしているので、暇な時に読んでみてほしい。

"地獄男映画"愛好家の地獄めぐり備忘録【前編】 - 裏切りのサーモン

「なぜトイ4が好きなのか」の根源的な理由は、「トイ4が地獄男映画だから」になる。「もう俺にはこれしかないんだよ!!」「忠誠心だよ」って、こんなんさぁ、地獄男映画でしか聴けない台詞だよ。有害な構造を内面化し、自分で自分を苦しめている囚人になってしまった、哀れな男の吐く言葉だ。悪いのは構造です。でも、その構造の中で生まれ育ち、価値観を内面化した男は、やがて自らもその構造を強化する一部となってしまうので……厄介ですね……。被害者であり加害者。それが"有害な男らしさ"について考え、議論するときの難しいポイント。彼らは「ケアが必要な加害者」なのだ。でも加害者をケアしていられるほど、今の社会に余裕はない。被害者へのケアすらままならないのに。なんとかしたいね。

この「なんとかしたい」が僕の原動力だ。被害者の救済がもちろん最優先だが、それと同時に、加害者あるいはこれから加害者になってしまうかもしれない人たちをケアして、加害者を減らすことで被害者を減らす。社会をよりよく変えていくためのコストは、マジョリティが支払うべきだ。そういう使命感。僕が社会(とそこで生きる個人たち)のためにできる、最も重要なことが、有害な男らしさについて語っていくことだと思っている。

僕自身も男性の端くれとして、自らの"有害な男らしさ"を自覚するところはあるし、そう簡単には変えられないとも理解している。向き合っていきたい。そして同時に、自分はいわゆる"男らしさ"から外れた存在であるという自認もある。ようは、ホモソに馴染めないのだ。子供の時からずっとそう。運動も勉強も微妙なので、体育会系にもエリートにもなれない。あと、いちばん大きいのは僕の**性的指向つまりバイセクシュアルである、という点かも。ヘテロではない。自分は純度100%の男性ではない**、という意識は物心ついた頃からあった(発達の問題もあって、物心がついたのは割と最近だが)。

男には馴染めないが、自分は男だし、男が好きな気持ちもある。そんな**アンビバレントな心境が、"有害な男らしさ"という概念への興味を僕に抱かせたのか。断言はできないが、たぶんそんな感じだろう。"男らしさ"について、男性について知ることが、自分を知ることになっていく。"男らしさ"に馴染めない自分が、より生きやすい世の中に変えていくことにも繋がる。**そんな期待。

なんたって、今の世の中でまだまだしぶとく力を持っているのは男性たちなのだ。望むと望まざるとに関わらず、彼らの流儀を知らなければ、この世の中を上手く渡っていくことなどできない。上手く渡っていかなければ、僕のようなマイノリティは簡単に沈んでしまうだろう。そういう恐怖もある。悔しいことだが。

そんな訳で、**"有害な男らしさ"を想起させる構造と価値観の悲劇を描いた"地獄男映画"であるトイ4を、僕が愛好するのは自然なことである。ただ、それだけではない。**ここから先のことは、このブログを書いている途中に気づいたことなのだが。

喪失、そして新しい生き方

ウッディの経験する「死の受容」対象喪失」。これらもまた、僕にとっては重要なトピックである。僕が人生で経験した最も大きな出来事は、母親との死別だ。前編でも触れたが。僕が18歳の時なので、だいたい5年前(2024年時点)か。全然まだ引きずっている。ウッディのことなんも言えん。さすがに少しずつダメージはマシになりつつあるが、一生消えることはないだろう。抱えたまま生きていくしかない。それでいい。

というのも、母親がガンになって、少しずつ弱っていって、それと同時に僕も学校をサボりがちになり、それでもなんだかんだ18歳になって大学へと進学し、それを見届けるようにして母親が亡くなり……。それから僕は(せっかく進学したのに)本格的に学校へ行けなくなり、カイジしか観れなくなって、やがて辞めた。心療内科で鬱(不安症と睡眠障害)を診断された。これは一生ものだ。今でも時々、布団から起き上がれなくなって一日を寝て過ごすこともある。

病床で、母はときどき映画を観ていた。幼い頃の僕や姉と、一緒に観ていたような作品たち。その中にはトイ・ストーリーシリーズもあった。当時はまだ3までしかなかった。入院生活の全てを僕は知らないので、実際はわからないが、母の最後に観た映画が『トイ・ストーリー』シリーズだった可能性はある。僕の中ではそういう位置付けだ。そして結局、4を見届けることなく母はこの世を去った。

やがて4は公開されたが、当時の僕はカイジしか観れない状態だったので、スルーした。なんか評判も悪かったし。母親の最後の映画かもしれないトイストーリー。その続きが、クソつまらない映画だったら……と思うと、どうしても観ることができなかった。

結局、4を観たのは去年だ。めちゃくちゃ面白かった。地獄男映画だったから。もっと早く観ればよかったかもしれないが、でも映画をいっぱい観るようになって、地獄男映画愛好家になった今の僕だからこそ、4を楽しめたのかもしれない。

元々通っていた大学を辞めたあと、しばらくフリーターをして過ごしながら、色々な出会い(人であったり、映画であったり)を経験して少しずつマシになっていった僕は、**通信制の大学(放送大学)へと進学した。布団の中で寝転びながらでも、眠れない真夜中でも、自分なりのペースで学べるところだ。今でも続いている。多くのことを学んだ。構造主義も、対象喪失**も、みんなここで学んだものだ。

同世代が就職し、それぞれ社会で活躍しているであろう中、僕はまだ学び続けている。叶うことなら、ずっとこうして学び続けながら生きていきたい。元々あった社会のレールからは、多少外れてしまっているのかもしれない(ありがたいことに包括してもらっている感覚もある)が、それでもなんだかんだ、生きている。正直、今がいちばん楽しい。今後の人生も、自分なりのやり方で生きていこうと思う。

喪失の傷を負いながら(今もそれを抱えながら)、新しい生き方を選び、僕は幸福を享受している。ウッディのように。…… そりゃトイ4好きなわけだよ! 考えてみれば当たり前のことだが、このブログを書くまでは気づかなかった。そのことに気づけただけでも、書いた価値はある。そしてトイ4は素晴らしい映画だ。僕にとっては。

皆さんももう既に、あるいは遅かれ早かれ、喪失を経験する。生きている限り、人を愛する限り、それは避けられない。それでも人生は続いていく。痛みを受け入れて、新しい生き方で再び歩き始めるとき、トイ4は、ウッディは、あなたの背中を押しながら共に歩いてくれることだろう。彼らの旅路に、僕たちも着いていこう。トイ5、いやその先、もっと向こうへ。

無限の彼方へ、共に行こう。