スピリチュアル・自己啓発・アメブロ起業を辞め会社員に戻ったアスペルガー受動型の人の脳内 (original) (raw)
「付き合う人が自分のレベルを決める」なんて言葉、聞いたことありませんか?
自己啓発の本とか、ビジネス系のセミナーでよく出てくるフレーズですよね。「成功したいなら成功者と付き合え」とか「周りの人のレベルがあなたの成長を決める」とか。なんとなく説得力がありそうに聞こえるけど、ちょっと待って、それ本当にそうなの?
実は、個人的にはこの考え方にはかなり違和感を覚えます。だって、自分の人生を決めるのは自分の行動や選択であって、周りの人がどうこうっていうのは、あんまり関係ないんじゃないかなって思うんです。
自分のレベルは、他人じゃなくて自分が決める
「周りの人に引っ張られるから、付き合う人を選んだ方がいい」なんてよく言われますけど、これってつまり「自分は他人に左右されやすい」ってことを認めてるようなものですよね。でも、本当に大事なのは、自分がどういう人間でありたいかじゃないですか?
確かに、周りの影響はゼロじゃないけど、それがあなた自身の本質を決めるかと言ったら、そうとは限りません。どんな環境にいようと、最終的にどう生きるか、どう成長していくかは自分次第です。レベルの高い人と付き合おうが、低い人と付き合おうが、あなたが何もしなければ結果は変わりません。
ステータスで人間関係を選ぶのは危険
それに「付き合う人が自分のレベルを決める」って発想、何だかちょっと物質的じゃないですか?「レベルの高い人と一緒にいる=自分の価値も上がる」みたいな考え方って、見栄やステータスに振り回されている感じがしますよね。そんな基準で人を選んでいたら、本当に大事なものを見失いそう。
そもそも「レベルの高い人」って誰が決めるんでしょう?収入が多い人?それとも社会的な地位がある人?そんなもので人を判断するのは短絡的だし、表面的すぎます。もっと大切なのは、その人がどんな価値観を持っているか、どう生きているかでしょう。
多様な人間関係が自分を成長させる
それに、「この人はレベルが低いから避けよう」とか思って付き合いを限定してしまうと、逆に自分の視野が狭まる可能性もあります。色んな価値観や背景を持つ人と交流することで、気づくことや学べることも多いはず。人をレベルで判断してしまうと、そのチャンスを逃してしまいます。
例えば、自分とは全然違う生活をしている人と話すことで、新しい視点を得られることもありますよね。そういう多様な人間関係が、自分をより豊かにしてくれるんです。だから「この人はレベルが低い」と決めつけて遠ざけるのはもったいないことだと思います。
付き合う人を気にするより、自分を磨こう
結局のところ、大事なのは他人じゃなくて、自分自身がどう在るかです。どんな人と付き合っていても、あなた自身がどう考え、どう行動するかが本当に大事なこと。他人に流されるのではなく、自分の価値観や生き方に自信を持っていれば、誰と付き合っていようと影響されることはありません。
「レベルの高い人と付き合わなきゃ」なんて考えるより、自分自身を磨くことに時間を使う方が、よっぽど有意義です。周りの環境がどうであれ、自分次第で未来は変わるんですから。
違和感を大切に
私が違和感を感じたように、あなたもどこかで「これって何かおかしいんじゃないか?」って思ったことがあるかもしれません。その違和感、大切にしてほしいです。結局のところ、自分の人生や成長は、自分がどう選択するかにかかっているのであって、誰と付き合っているかで決まるものではありません。
他人に左右されない、自分らしい道を歩んでいくためには、まず自分の価値観や感覚にしっかりと耳を傾けることが大事です。「付き合う人が自分のレベルを決める」なんて話に振り回されず、自分の信念や感覚を信じて、自分らしく生きていくことが何よりも大切なんだと思います。
振り返ってみると、私の人生の指針は一貫して「ラクしたい」「苦労したくない」ということでした。どんな選択をする時も、この基準が根底にあったように思います。
例えば、仕事を選ぶ時も、「楽しそうか?」ではなく「ラクそうか?」という視点で選んできました。婚活だって、苦労なんてしたくないから、20代のうちに結婚しました。私は女子校出身でしたし、あまり男性から気に入られることも少なく、30代に突入したらまず結婚できないということを自分でもわかっていたからです。また、出産も迷わず無痛分娩を選びましたよ。とにかくラクしたい、苦労したくないの一心でしたね。
人付き合いも、極力減らしてきました。なるべく人と深く関わらないようにしていたので、人間関係のストレスはゼロに近いです。何かトラブルがあったり傷つくくらいなら、誰とも付き合わない方がマシだという回避型の性格をしているものでね。
(まあその性質により、寂しい思いをすることもありましたけどね)
でも、これが私の生き方だし、自分では最高の選択だったと思っています。きっと、私のような人間は、「人間味のないつまらないやつ」だと感じる人がほとんどでしょう。まあ、でも自分的にはそれで満足だからよしとしてます。
話を戻しますと、世の中には「苦労=美徳」という考え方が根強くありますよね。だから、私みたいな「ラクして生きたい」「苦労なんてごめんだ」という価値観に眉をひそめる人も少なくありません。でも、本当に「ラクをしたい」っていう欲求は悪いことなんでしょうか?
苦労は買ってでもしろ、なんて絶対にイヤだ
よく言われますよね。「苦労は買ってでもしろ」「苦労の先に成功がある」なんて。でも、私にとっては「ラクできるならラクしたい」の方が正解。誰が何と言おうと、この姿勢はブレません(笑)ラクするための努力だけは惜しみませんよ。
たとえば、出産でも仕事でも、ストレスが少なくて自分に合う方法を見つけて、ラクできるツールはありがたく使わせてもらう。それが私にとっての「ラク」です。わざわざ困難な道を選んで苦労を背負い込むのは、私にとっては無意味なことです。
「ラクしたい」を隠してた時期もあった
実際、「ラクして生きたい」なんて公言するのは気が引けるところがあります。これを人に話すと、たいていは否定されるのが目に見えているから。「甘い」「もっと頑張れ」なんて言われるのがオチですよね。だから、今まではあまり話さないようにしてました。
その代わり、頑張ってる「風」を装ってみたり、資格スクールに通ってみたり、なんとなく「苦労してます」感を出していました。でも、ある時、そうやって演じている自分に気づいてしまったんです。自分を隠しながら生きていくことに、行き詰まりを感じてしまったんですね。
もちろん、資格は活かされませんでしたし、がんばってる「風」だったことは、ことごとくすべて失敗しています。
自分の本心に気づいた今、恐れるものは何もない
「ラクして生きたい」「苦労なんてしたくない」という気持ちが私の中で最優先だと気づいた時、ふと肩の力が抜けたんです。今まで「人からどう思われるか」「ラクしてるってバレたら嫌われるかも」なんて恐怖心があったから、無意識に頑張るフリをしていたんですよね。
でも、もうそんな演技は不要です。自分の本心に気づけた今、人にどう思われようと、恐れるものは何もありません。いや……いまだにちょっとは恐れてるかも?でも、それも丸ごと受け止めていれば、それでOKだと思っています。
大事なのは、自分が心地よく、快適に生きられるかどうか。それに集中して、自分のペースでやっていこうと決めました。
罪悪感を感じている人へ
もし、あなたが「ラクをしたい」と思うことに罪悪感を感じているなら、そんな感情は手放してもいいですよ。だって、苦労を避けたいと思うのは自然な感情ですし、誰しも心のどこかで「できればラクに生きたい」と思っているはず。それを無理に隠す必要なんてなくないですか?
世の中では「頑張ってる姿が美しい」とか「苦労してこそ成功がある」なんて言われがちですが、自分の心地よさやラクさを大事にしても、全然問題ナッシング。むしろ、ラクして生きることを求めるのは、賢い選択だとも言えます。だから、「ラクしたい」という気持ちに罪悪感を持たず、自分らしいペースで生きていけばいいと思いますよ。
「ラクして生きる」って、素直で正直な生き方です。恐れずに、その道を追求していきましょうよ。
最近、「自分探し」とか「自分らしく生きる」といった言葉を耳にする機会が増えていますよね。自己啓発系の本やSNSでも頻繁に見かけます。でも、気づいたらそういう言葉に対して冷めている自分がいました。
「自分らしく」だの「本当の自分を見つける」だの、確かに響きはいい。何か特別な答えが見つかるんじゃないかって、一時は思ったこともありました。でも、ある時から、そういう言葉に興味がなくなったんです。無理に「自分」を探そうとしても、何も変わらないし、現実は今ここにある。そのことに気づいてから、少しずつだけど、もっとシンプルに「今を真剣に生きる」ことができるようになりました。
自分を探すというのは、つまり今の自分に満足していないということとイコールなんです。探している間は、「今の自分はこれじゃダメだ」という否定が常にあるわけです。でも、考えてみてください。今の自分を否定し続けて、その先に本当の自分なんて見つかるんでしょうか?
今の自分を否定して、何か「特別な自分」を探し続けても、それはどこにも見つからないんです。自分を探すことに夢中になっていると、今この瞬間を生きることがどんどんおろそかになってしまいます。理想の自分を追いかけるのは簡単だけど、それは実際の自分から目をそらしているだけに過ぎないんですよね。
自分探しをしている時って、常に「足りないもの」を探している状態です。もっと理想的な自分、もっと輝いている自分。けれど、そんなものを追いかけている間は、今の自分を見つめる余裕がない。現実の自分を見つめることができないままだと、いくら理想を追いかけても手に入れることはできません。
むしろ、今の自分をしっかりと受け入れることができた時、初めて本当の変化が生まれるんじゃないかと思います。欠けている部分ばかりに目を向けるのではなく、今ある自分の力を認めて、それをどう活かしていくかを考えること。それこそが、実は自分らしく生きるということなんじゃないかと思うんです。
自分探しをしなくなってから起こった、自分自身の変化を記録しておきます。
1. 探さなくなって心が軽くなった
以前は、何かを見つけなきゃって常に焦ってたんです。周りがどうとか、自分はこれでいいのかって。でも、「自分探し」をやめてみたら、そんな不安が自然と薄れて、心に余裕ができたんですよね。
毎日の中で「今」の自分に満足できるようになると、無理して何かを探し続ける必要がなくなるんです。結果的に、日常にもっと楽しみを見出すことができました。
2. 未来じゃなくて「今」を大切にするようになった
未来に対してあれこれ理想を抱いて、そのために何かを変えようとすることは、よくあることだと思います。でも、私が気づいたのは、そんなことを考えすぎていると、今をおろそかにしてしまうということです。
「今の自分」をしっかりと受け入れて、そこに集中するようになってからは、未来のことを心配する必要がほとんどなくなりました。未来のために今を犠牲にするんじゃなくて、今を充実させることこそが、結局は未来につながっていくんじゃないかって思うんです。
3. 他人との比較が無意味に思えてきた
SNSやメディアを見ていると、他人の成功や「理想の生き方」とかをつい気にしてしまいますよね。でも、自分探しをやめた頃から、そういう比較がほとんど意味を持たなくなりました。
誰かと比べることに時間を費やすよりも、自分の人生に集中する方がずっと価値があることだと気づきました。他人の人生に影響されるんじゃなく、自分の人生をどう生きるかが重要なんです。
4. 答えは探すものじゃなく、もともと自分の中にあった
最終的に、「自分探しをやめた」結果、はっきりとわかったのは、結局、探していたものは最初から自分の中にあったってことです。無理に「自分とは何か?」を探さなくても、自然に日々の中で自分が形作られていくんですよね。
探さなくても、今の自分が答えなんだと気づいた時、なんだかホッとしました。もう無理に探し続ける必要なんてなかったんだなって。
最後
もし、今あなたが「自分探し」に疲れているなら、一度その探求をやめてみてもいいかもしれません。無理に探さなくても、今の自分を大切にすることで、自然と答えは見えてくるはずです。そしてその時、あなたも今を生きることの大切さに気づけるかもしれません。
と言う風に言われたとしても……!
結局のところ、自分探しって「無意識にしてしまうもの」なんですよね。だから、「やめたほうがいいよ」と言われたからって、そう簡単にやめられるものじゃない。むしろ、「やめなきゃ!」と意識しすぎると、逆にまた自分を探し始めてしまう。皮肉な話ですが、無理にやめようとすること自体が、また自分探しの一環になってしまうんです。
結局、大切なのは「やめよう」と意識することではなくて、「気づいたらもう探さなくなっていた」という自然な感覚に身を任せることなんだと思います。自分探しをしている時って、いつも何かを追いかけている状態だけど、ある時ふと、目の前にあるものに集中できるようになったら、探す必要がなくなっていることに気づくはずです。
だから、「やめなきゃ!」と無理に思わなくていいんです。むしろ、今の自分を否定することなく、少しずつ今を大切にすることを心がけていく。その積み重ねが、自分探しから解放される自然な道筋なんじゃないかな、と思っています。
昨今、インスタなどでよく見かける
「自分らしく働く」
「会社に頼らない」
「副業が当たり前」
「自宅にいながら月収100万円」
「新しい働き方」
「好きなことを仕事に」
「自由を叶える」
「旅するフリーランス」
などという聞こえのよい言葉たち。
あなたも、一度は耳にしたことがありませんか?
自分は、そういうワードを見るたびに「またかー……」とげんなりしてしまうのです。なぜなら、自分自身が過去に、そういうワードに踊らされて夢を見た結果、借金をかかえることになってしまったからです。
今でこそ借金は返し切りましたが、そんな選択をした過去を思い出すたびに、自分の愚かさがイヤになりますし、自分と同じような人が今後も増え続けていくのを見届けるもイヤだし、警告せずにはいられなくなってしまったのです。
というわけで、誰も読んでいないかもしれないけれど、藁をも掴む思いでこのブログに書いてみよう、という思いに至ったわけです。
フリーランス、ノマドワーカー、パラレルワーク、リモートワーク……まあ、確かに憧れますよね。おしゃれなカフェかなんかで、ノートPCを取り出して、のんびりとマイペースに仕事しているイメージがありましたから。
「なんかラクそう」「楽しそう」と思っちゃう人がいても、おかしくありません。数年前の自分も、そういった働き方にとても憧れていました。
ですが、「自宅にいたまま月収100万円」とか「旅しながら働こう」とか「自分らしい」とか、そういうキャッチーな言葉やイメージに踊らされて、安易にフリーランスになったりノマドになったりしてはダメだと、身をもって実感しています。
だって、現実を考えてごらん?
「何を、何人くらいに売ったら月収100万になるのか」をリアルに考えてみれば、なかなか厳しいものがありそうだ……と想像に難くはないでしょう?
一万円の商品を100人に売れる?
十万円の商品を10人に売れる?
百万円の商品を1人に売れる?
もっと言えば、売って終わりではないですよね?価格に見合ったサービスを提供しつづけなければいけません。それも、毎月です。
……と、まあ、「そういうこと」です。
ちなみにこのブログは、ビジネスで書いてるわけではありません。何かを売ろうとしているわけではなく、完全なる個人的主観を書いています。そのため、ポジショントークがありません。何かを否定した後に、「こちらの商品がおすすめですよー!」という話にもっていくわけではありませんので安心して聞いてください。
話を戻しますと、「自分らしく働く」などの聞こえのよい言葉たちに踊らされ、思い切って集客スクールや自己啓発プログラムにお金をつぎこんでしまう人が後を経たないようです。そうしたところで現実、「理想の結果」が生み出せているのかというと……残念ながらノーですね。
時代や人々の心の闇につけこんでくる広告ビジネスの巧妙さは、本当に恐ろしいものがあります。
「新しい自分になる」とか「好きなことで稼げる自分」とか「自由な働き方」とか……そういうキャッチーな言葉やイメージに踊らされ、安易に高額集客スクールに飛びついたところで、月収100万だなんて夢のような話でしかありません。それを実現できるのは、よっぽど集客力、営業力のある人だけです。
なので、安易に高額集客スクールに飛びつくのは危険です。
というのも、私自身が過去に、そういうワードに踊らされて夢をみてしまった結果、借金をかかえることになってしまったからです。
今でこそ借金は返し切りましたが、そういう選択をした結果、本当にバカを見たので。
だからこそです。失敗した自分だからこそ、声を大にして言います。
「今よりももっと向上したい」というやる気も大切なのですが、それ以上に大切なのは、「憧れだけにつっ走らず、冷静に思いとどまれる自分であれ!」です。
かっこよさげなインスタ投稿や広告に憧れてしまうのも、無理はありません。だって、彼ら彼女らは商売ですから、ものすごく巧みなマーケティング戦略を駆使して、これでもかとばかりに「憧れ」を煽ってくるのですから。私たちは、それに引っ掛からない「冷静に思いとどまれる心」を持つ必要があるのです。
広告やSNS投稿などの外部刺激に、ただ受身的に反応するのではなく、自分の判断基準を持ち、芯をもった考えをして「情報に踊らされてるだけじゃないか?と我に返り、しっかりと現実を見ること」が大切です。
自分の頭でしっかりと判断したうえでなら、いかようにでも自由を選べるということ。
会社員だとか、フリーランスだとか、関係ない!
「自分らしい働き方」「なりたい自分像」なんてものはただのまやかしであって、本来であれば、あなたの真の望みに耳をすますべきなのです。
そもそも論。どうして、キラキラしたインスタ投稿や広告などにフラフラ反応してしまう人が多いのか?
それは、現代人特有の「自己確立の弱さ」に起因すると思っています。
要は、自分自身をなかなか確立できず、他者からの承認がないと、自身を保てない人が増えているから。今この瞬間の自分を肯定できていないから、憧れの自分象を作り上げ、あたかも「頑張っている自分」を演出するかのごとく「自己実現」なんて方向に走ってしまうのです。
「自分らしく」とか「自分探し」という言葉に、踊らされてしまうのは、まさにこの「自己確立の弱さ」が影響しているのです。
では、そんな自己確立の弱さから脱却するためにはどうしたらいいか。
それは、「理想を追い求めるのをやめ、今の現状を肯定すること」にあります。
精神論的なものでも何でもありません。完全に「戦略的撤退」です。自己を確立するためには、現実的思考が必要。現状に不満がでてきたら、夢を見るのではなくて、トコトン現実的に生きてみるとよいです。
「今よりもよくなりたい!よくなれる気がする」という幻想に踊らされて、現状の不満を解決しようと躍起になるのではなく、「今のままでよくね?」と肯定してしまえばよいのです。
そもそも、「自分らしく生きる」とか「自分探し」というのは、幻想だと思っています。それは、自分の人生が思いどおりにいかなくて、不満や不安を抱えている人から、お金を奪い取るためのマーケティング用語のひとつです。
マジで、そんなもんに踊らされてちゃーいけない!
うまくいかない現状を改善したいのであれば、夢をみるのではなく、現実を直視しなければなりません。その現実を直視した人のみが、本来の意味での「自分らしく生きる」ことができるのですよ。
と、あつく語ってしまいましたが。ほんっとに、重要な話。現代人よ、気を付けて!
ヘンな(……と言ったらなんですが)広告やインスタなどのインフルエンサーに心動かされてしまわないようにするための防衛策として、自分の経験からいくつかポイントをまとめてみます。
・ブログやインスタなどのSNSに、悩みを書き込まない
→悩んでいることを知られると、その悩み解決ができる業者が近づいてきてカモにされます。ご注意を。
・ キャッチーな「フリーランス」「ノマド」という言葉に目が止まってもスルー
→ポジショントークのため、よいことしか言わないアカウントには注意。マーケティング戦略なので、真に受けないこと。これらの言葉に反応する自分がいたら、「なぜ私は、このワードに反応してしまうんだろう?」と、自分自身を冷静にみつめるとよいでしょう。
・ 聞こえのよい言葉は、ただの「幻想」だと気づけ
→今のままのあなたでは、なぜダメなんですか?外側からの刺激(インスタ投稿や広告)に反応してはお金を出し……を繰り返していても、変わることはありません。私自身が身をもって体験しました。外側の刺激にいちいち反応して、受身的になってしまわないように気を付けよう。
・無料個別相談には、行かない。 無料LINEにも、登録しない
→これも、かなり重要ですね。タダより高いものはないですから。
上記ポイント4点です。
昔の自分は、自分に自信がなくて、とにかく変わりたかったんです。そんな時に忍び寄ってきたのが、「自分らしく生きる」「自分探しをする」という幻想。そして、その幻想を助長するキラキラした広告でした。
でも、そんなキラキラしたものに心動かされて、自分の人生を棒に振ってしまったのです。
今でこそ、その失敗から立ち直り、地道にコツコツと歩んでいますが、当時は本当にしんどかったです。もう、本当にしんどかった……。
過去に借金を背負うまでになってしまった経験から、「自分らしく」とか「自由」という言葉に踊らされて夢を見てしまう人を減らしたいと思っています。
そして、「もっと向上していきたい!」と幻想を追いかけて集客スクールなどにお金をつぎ込んだ結果、借金を背負ってしまった自分のような人を少しでも減らしたいと思っています。
だからこそ思うんですけれど、「自分らしく生きる」とか「自分探しをする」なんてものに踊らされるのは、本当に危険です。そんなものを追い求めるより、もっと地道に、確実な未来を手に入れたほうが絶対にいい。
多くの人が、いまこの時がまさに人生の正念場なはず。人間関係や仕事でのトラブルだったり、将来への不安だったり……そんな悩みに心乱されることなく、地道に歩んでいきたいですね。
というわけで、長くなりましたが、今回は以上です。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
脱スピ、脱自己啓発するとどうなるのか?
あくまで自分の場合は、次のような変化がありました。
・自己啓発本、スピリチュアル本、ノウハウ本がいらなくなった。
・占い結果や運気などが、まったく気にならなくなった。
・自分のダメな部分も「ま、いっか」と思えるようになった。
・「こんな自分、別に悪くないんじゃね?」と、今の自分(ポンコツであっても)を受け入れられるようになった。
・望む生き方を、自信を持って選べるようになった。
・他人の期待に応えることや、認められることをまったく望まなくなった。
・言行不一致がなくなり、言動に一貫性が生まれた。
・自分の心に素直に従って生きられるようになり、他人に振り回されることがなくなった。
・誰になんと言われようが「ま、いっか。そういう人もいるよねー」と思えるようになった。
・スピリチュアルにハマっていた頃の「口だけ自分軸」はニセモノ(自分軸と見せかけておいて、実は他人軸だったというオチ)だと気づいた。
まだまだ書ききれませんが、自分探し的なことを一切しなくなった、というのが大きいかな。
愚痴も言います。
「ツイてる!」「運がいい!」なんて、間違っても言わない。
むしろ、「ツイてねーなー」って正直に言ってます。
「都合のよいことだけ引き寄せよう」なんて考えなくなります。
ネガティブなこと、言いまくりです。
感謝は、心から湧いてきた時にしかしません。
「このご縁に感謝!」だとか、無駄なことは言いません。
「波動が~」というジャッジもしません。
波動とか、マジどうでもいいです。
まあ、こんな感じよ。
スピどっぷりの人には、「波動低っ!」って言われるだろうね。
でも、正直に生きてます。
ネガティブなこと言っちゃいけないなんて誰が決めた?
自分に嘘つく方がよっぽど不健全さ。
なんてことを思います。
自分の場合は、「脱スピするぞ!」と強く意図して脱したというわけではありませんでした。決して脱スピしようと思ってしたわけではなく、気が付いたら、地に足をつけて自分軸で生きられるようになっていたんですよね。
よくよく思い返してみたら、そこに行きつくきっかけとしては、「大きな失敗」があり、どん底を見たことだったと思います。
どん底を経験し、ふと自分を客観視した時に、「あれ? 私なにやってるんだろう」と急にバカバカしくなって目覚める……ような感じですかね? うまく表現できませんけれども。
「脱スピ」は、スピリチュアルにハマっていた頃の「口だけ自分軸」に気づき、「うわ!めっちゃ愚かだったじゃん!」と気づき、手放すというルートを辿ります。
「口だけ自分軸」は、スピ本や自己啓発本、スピ系YouTubeなどに洗脳され、あたかも自分の考えであるかのように勘違いしている状態。どんなに情報をいれたって、結局のところ、人の意見に流されて「いいカモ」にされて終わるだけなんですよ。
「他人軸」で生きていると、人をジャッジしたり、世間体を気にするので、本当に自分にとって必要なものを見落とすんですよね。「自分の人生を生きたい」と言いながらも、実は自分で決めてなかったりするわけです。
スピリチュアルにハマっていた頃の「口だけ自分軸」はニセモノだった!と気づくことができたなら、あとは手放すだけです。自分の心に素直になると、おのずと「口だけ自分軸」は消えていくので、気づくまでそんなに時間はかからないと思います。
まずは、「脱スピするぞ!」という強い意志を持つのではなく、気づいたら自然にそうなっていた……という流れが理想ですね。
「脱スピした」というと、なんだかちょっとカッコいい感じもしますが、実際はただの「自分に嘘をつかずに、思った通りに生きる人になっただけ」です。
「発達障害ママにはママ友がいない!その理由①」の続きです。
その理由の2つ目をお話します。
ママ友いない理由2
自分の世界がある
ママ友がいない人って、どうしていないのか。
それは、自分の世界をもっているからだと思います。
自分の場合は、「子供が学校に行っている時間に、自分のことに没頭してたい」という気持ちが人一倍強いです。
子供が学校に行っている時間って、子育て中の我々であれば、唯一のゴールデンタイムですよね。そんな時にわざわざ一緒に「集まりたい」と思うようなタイプの人って、煩わしくありませんか。自分の世界を大切にしているからこそ、人と一緒にいる時間が息苦しく感じます。
わざわざ人と会い、気を使って話さなければいけない時間があったら、働いていたいし、稼いでいたいし、空き時間にはひたすら漫画・小説読んでいたい(笑)自分にとって、興味のない人と会っている時間は、ハッキリ言って死んでるも同然の時間です。
(……あ、でも誤解のないよう言っておきますが、興味のある人、男女問わず好きな人、気の合う人、話が通じ合える人であれば、会話も楽しめます。)
よって、私は本当に気の合う人以外、会うことはありません。間違ってもママ友にpixivやアニメ漫画、算命学の話などできませんし、本当の自分の姿(冴えない脳内)を知られるわけにはいかないのですから(笑)
まあ……つまりですよ。
私自身、あいにく「人様に堂々と出せるような、立派な趣味を持ち合わせていない」ため、一般の人(ママ友など)と会うとなれば、サランラップを10枚くらい巻き付けたくらいの「鎧」を必然的にまとわなければならなくなるのです。
ヘンな人だと思われないように、常識から外れないように、「擬態」しまくることになる……その演技が、ものすごくエネルギー使うんですね。
さらに、子供が学校に行っている時間は、なんだかんだ予定がぎっしりつまっていて、日々の生活のルーチンもあったりします。アスペ特有のこだわりもあります。そんなルーチンを崩されるのがとっても苦痛です。
特に、噂話のLINE!
グループLINEとか、マジで無理!
返信を考えるのとか、超絶苦痛!
グループLINEなら既読スルーでよいけれども、1対1で来られた時が最悪です。筆不精な自分は、LINE1通の返信考えるのに、正味1時間はかかります。頭も時間もとんでもなく消耗します。
普段、フルタイムで会社勤めしていますし、休憩時間には、pixivやら漫画やら……ですから。「ママ友とLINE」なんて、やってる暇はないんです。
それに、一生懸命ママ友への返信を正味1時間考えたとて……万が一、トラブルになっても最悪ですよね。努力が水の泡です。
発達障害の自分は、おそらく気づかない間に、空気を読めていないかもしれません。それによって、場の空気がおかしくなる危険性もはらんでいますから。トラブルの種には、始めっから近寄らないのが賢明です。
だから私には、ママ友がいません。でも、それで良いと思っています。だって、人付き合いって、マジで面倒くさいから(笑)ダメダメなポンコツ人間の脳内つぶやきでした。
私には、ママ友がいません。
9年間育児をしていますが、顔見知りは数人いても「ママ友」と呼べるような人は皆無です。
学校の保護者会でも、たいてい1人でいますし、まあいわゆる「ぼっち」って呼ばれている状態だと思います。側からみたら「浮いている人」という認識で間違いないと思います。
とはいえ、こんな私でもママ友ではなく、知り合いレベルの人ならいます。
会えば「こんにちは」と挨拶してくれる人に、にこやかに会釈をするとか、そういった表面上の付き合いであれば、普通にできていると思います。
ただ、そういった知り合いの中には変な人もいて、いわゆる「モンスターペアレンツ」のような人もいますから、深入りすると面倒なので避けています。
なので、私はママ友をつくっていません。
理由は、何点かあると思います。
長くなると思われるので、今日はそのうちの一点目について話していきます。
ママ友いない理由①
噂話に興味がない
私は、ママ友と噂話がしたい!というタイプではありません。
もっと言えば、ママ同士の情報交換なんていらないと思っています。
何か困ったら、学校に聞けばいいと思っているし、「ママ同士でわざわざ情報交換なんてする必要ってありますかね?」というのが本音です。
だって、子供の義務教育のために小学校行ってるわけでしょう?
それ以上でもそれ以下でもないから、マジで学校になんの期待もないし、生徒たちにも興味がないんです。
そりゃあ、学校って社会の縮図みたいなものですから、それはそれは色々なタイプの子がいるでしょう。それについて、あーだこーだお母様同士で話していたって仕方ないと思ってしまうのです。
「○組の◯◯くんは低学年から問題児で有名なのよー」
だとか
「あの子はすっごくいい子。お母さんが外資系金融なんですってぇー」
とか、そういう噂話をして何になるんでしょう?
健常の方であれば、「感情の共有をしたい」ということなんでしょうが、私はアスペルガー。人との感情共有などいらないのです。人とのやりとりといえば、連絡事項のみで十分。
なんて言ったら、冷たい人って言われるかな。
けど、それが本音だから仕方ない。
と、まあ……自分はこういう脳内をしているもんでね……。
誰がどうしたこうしたという噂話を聞いても「で?だから?」って思ってしまって、話をする気にもなれないのです。
かといって、無視するわけにもいかないので「へぇー…ほぉー…」とか、無関心な発言しかできません。話が広がっていかないので、向こうからすれば、私と話しててもつまらないと思います。だから、ママ友なるものができないんだと思います。
しょうもない噂話をしてるくらいなら、推しの漫画を1ページでも多く読みたいし、趣味で書いている小説の続きを妄想していたいし、好きな曲を耳コピーしてピアノ弾いていたい……あと、pixiv巡回、推しアニメのXつぶやきを捜索していたい!1分1秒でも多く、自分の好きなことに時間を使いたいのです。