Tsukemenpapaのブログ (original) (raw)

ハマヨコに移り住んで丁度20年。学部3年生の時に初めて出場した区民大会。会場であるスポーツセンターの掲示板(すごく懐かしい響き)にバドミントンクラブ紹介が何件か。評判の強いチームに、ユをベビーカーに乗せて、どきどきしながらお邪魔しました。一人の初心者のお兄さん以外、全員猛者ばかりで9割ミスする私は、全然強いグループに混ぜてもらえませんでした。

年にほんの数回、長く休んだ研修医の頃も、仕事が忙しくなって下宿時代も細々と。コロナ禍の前に、県シニア35歳に出ようと頑張って毎週。その後の1年半は海の公園で修業期間。2022年の秋ごろから、ビジターなんだけど、仲間に入れてもらえるようになりました。ニッサンのスタープレイヤーの選手がいて、最近ようやく技術的な話を教えてもらえるようになりました。つい1年前には、ヘラヘラしながらバドミントンをするなと怒鳴られたことも。

22歳も年の差があるのに、負けます。「全然良いショットが来ないから、楽だ」と言われていました。同い年のコーチにも、「クリアもロブも全然良くない、クソだ」と怒られたのが、今年の夏です。最近クリアーと、ロブをアウトしないように強く送ることを意識し始めたのが良かったのでしょうか。昨日の練習の帰り道、信号待ちをしているスター選手に「ツケメン、最近いい感じだな。ダメショットも多いけど、良いショットが多くなった。」と言われました。初めて褒められたので、驚きました。

仕事もバドミントンも褒められる事が全くないので、日記に書きたくなるほど嬉しいです。努力を忘れずまた頑張ります。体重が70kgをオーバーしてバドミントンしているので、左のアキレス腱痛が再発。ふくらはぎの張に左右差があります、ケアも大事にします。740字くらい

最近は、科学者なんですかと怒られるくらい本業をサボっていますが、自分なりに一生懸命がんばっています。疲れてきているので、言葉と記憶の能力が本調子ではないのを自覚しています。記憶自体は、睡眠をとれば定着できる可能性がありますし、むかしむかしの哲学者は、メモを取るという人間の行為によって、崇高な脳の機能が低下することを嘆いたり、忘却曲線という数理的な実証をした近代の学者もいます。

そんな、仕事がうまくいかないときは、バドミントンも音楽活動もうまくいっていないときです。西医体の伝説的チャンプから一セット先行してから負けてから1か月。GibsonのJ-45を買ってから半年くらい。中々我が家の空気に馴染めず。家族からの連絡も途絶えています。そして9月1日から本格的に取り組んでいる禁煙生活も、何度も挫けそうになりながら、ユニークな後輩や職場の方々の説得で12日間続いています。今日も、タバコを2~3本一気に吸いたい気分になりましたが、ハンターハンターの最新刊をネットで買って読んでいます。私の視力では、単行本は難しいのと、近所のコンビニにはおいてありませんでした。控えめに言って、木曜日の夜が楽しいです。よかった。明日も頑張ろうかな。そんな風に思ってよく寝ます。 ツケメン 540字

おてんば電脳系のユが家族キャンプにも来れないほど体力が落っこちてしまって、「普通に働く」というのは計画をたてないと難しいと思っています。ツケメソは今、月に2~3回就労支援の会議に参加しているので、「やる気、元気」が合言葉。綿密なスケジュールをこなして、何度打ち合わせても、最初の予定通りに就労支援を卒業できる方は半分もいないようです。ただ、支援者と本人たちが粘り強く支援期間を延長すると、卒業できる方が多数派です。仕事につくためのピラミッド。就労準備5段階のフェーズ毎に必要な課題を、総合的に仕上げていくのが職業リハです。障害のある、なしに関わらずエッセンスがいっぱい詰まっています。

友人のSNSで、後輩のモチベーションを高めるために必要なこと、組織全体通してコミットできそうなこと、を主体的に考えているという最近の記事を見ました。特に、部活よりも打ち込んだことがない、という価値観の後輩に困惑するそうです。人それぞれの能力によって大きく違うと思いますが、仕事の達成感と、東京都団体ベスト16、東医体シングルスベスト16、科研費若手採択、その類とは異なります。日本の科学力を向上するために競争することはあるのかもしれません。結果として偉くなる、何位になるとか、何億助成される、ほにゃらら賞を受賞するとか、そういうことは、不純な動機。私はイグノーベル賞をとるとほらを吹きますが、大事なことは別にあります。

自分語りを始めてしまうと、宇宙1の運動会で、棒倒し優勝、バハチ優勝、総合優勝をすることに振り切って、自分なりにできることを考えました。選挙では選ばれませんでしたが、ビデオ監督になって、各組の競技を撮影して、話し合って、頭を使って、沢山運動をして目標通りに棒倒しもバハチも総合優勝もしました。自分のおかげとはこれっぽっちも思っていませんが、自分のできる仕事をしたと思いました。

スウェーデンリレーのアンカーなのに、バハチのウィニングランで疲れ果てて7位に順位を下げてしまうという失態はありました。4位のままだったら、リレーも優勝だったそうですが、狙っていなかったのと、リレーの優勝も目指したら体がもたなかったと思います。競技者や参加者としてだけでなく、高2の時から続けていたフィールドジャッジ団、応援団ももちろんありました。5月なのに稀にみる快晴・高温で、7位でも熱中症寸前で、フィールドジャッジをする直前まで本部で寝ていました。

競技者だけではないかかわりもあったようです。思い返すと、高1の時は倫理審議イインカイに参加していました。上級生の議論が激しくて、感心しました。議論の内容は全く覚えていませんが、何にも発言できなかったことは覚えています。中3の時は、準備イインカイに入って、高校生の膝サポーターのカウントをしたのを覚えています。確か委員長の仲が良かった先輩と、当日の昼に喧嘩をしたような気がします。苗字は忘れてしまいましたが、マサキ先輩というドラマーだった覚えがあります。

運動会シーズン、バンドとバドミントンをがんばるシーズン、マラソン大会を頑張る秋シーズン、ピアノの課題が辛かった高1の冬シーズン、センター試験で恥ずかしくない点数を取って東京大学合格を目指して英語と化学をお茶の水で頑張った受験シーズン、アルバイトも勉強もロクにしない学生生活でしたが、目標に向かって頑張る、過程が大事、をシンプルに感じとっていたようです。受験は非常に険しい道でしたが、過程が大事です。そのためには信念が必要です。

大学生活は、結婚生活とほとんどイコールでした。娘たちが毎日元気に成長するかどうかは夜が鍵を握ると思っていたので、毎日浅い眠りでした。大変だった思い出が2晩。

1歳半のユが苦しそうに激しく、時に力なく泣き続けたので近所の大きな共済病院の小児科の先生に電話をしたら、あなた親なんだから夜泣き位当然でしょ、って言われました。翌日は元気でしたが、とびひになったり、中耳炎を繰り返したり、あちこち病院にかかりました。

ユが3歳5か月、マが6か月の時。マが乳糖不耐症になってオムツ使用量が激増した1か月。ガリガリにはならなかったですが、かなり大変でした。平日はオムツ交換おじさん、土日はバドミントン、と本妻によく怒られました。しばらくして、落ち着いたある夏の夜。マがヒューヒュー言っている、と本妻が起きて、私はなんだか苦しそう。としか分かりませんでした。本妻は喘息と見抜いたようで、近隣で有名な小児救急病院に夜更けに駆け込みました。眠たそうな怖そうな先生がやってきて、本妻に気づき診療態度が変わりました。吸入薬が処方され、入院とはならずにみんなで大学まで移動しました。本妻を送り出し、保育園には休みの電話を入れて、私とユとマでおうちに帰りました。マック食べたい、いいねー。ドライブスルーして、帰ったらみんな37℃後半の熱で、しばらく休みました。

過程は大事と先ほど申しましたが、家庭が大事でした。激しく働きながら、子育ては無理だなあ、でもがんばらないといけないなあ。と考えていたら、フレッシュマン4月に、もうがんばれなくなって長く長く休みました。退職代行を頼む気持ちがわかります、仕事の連絡を取るのが辛かったです。当時、ずーっとゴロゴロしていても何も言われませんでしたが、義母に言わせると、私は嘘つき。大丈夫か?って聞いて、いつも大丈夫ではないのに大丈夫と言っていたからと4年前に激怒されました。嘘というか、助けてほしいとなかなか言えなかったのかもしれないなあ。今は、少し人間らしくなったと思います。

私は、子育てをしないで働いています。自分の体調が一番大事で、その次に大事なことは信念をもって仕事をすることです。目先のことで頭いっぱいにならず、よく勉強して、運動。その結果、家族と華族を大事にするために、タバコは1日3本までにします。

医師バド敗北者が語る 2370字

あっという間に3か月が経ちました。大学から離れて市役所のような、不思議な立場で仕事をすることに大分慣れてきました。初めの1か月は、カルチャーショック。週間スケジュールと、月間スケジュールが決まっていて、週に1-2回は会議。緊張感のある臨床は全くなくて、逆に気持ちが保てなくてどっと疲れました。時間が空いていたので、研究の所属を変える手続きなど大学とやり取りが出来ましたが、大学からのレスポンスにラグがあって、非常勤になったら冷たいのかな、とさらに拗ねます。

拗ねていても仕方がないので、昔得意としていた高次脳機能障害リハビリテーション。二重課題を盛り込んだ、紙芝居の話をしたところ、実際の利用者に「うまく高次脳機能障害という言い回しを避けて」レクチャーをして欲しいと依頼が。20分くらいのレクチャー、ウケたのか定期的な仕事になりました。

そうこうすると、毎日ばったんばったん倒れてしまう人が担当になって初期研修の如く、毎朝7時半に血糖板を見て、注射の量を決めるなんていうナイカ的仕事が増えました。また別の、急激に足がむくみだして、お腹が「1、2、ばーん」と教えてくれる人が、ある時真っ青になって血圧も高いし脂汗だし、で隣にある神病院に搬送することを即断しました。入院でした。ソウゴウナイカ、なんて言われて悪い気はしませんでしたが、急激に忙しい偽公務員は免疫が整わなくて5月末にコロナでお休みしました。

2022年末に罹った時は、本妻と言われる人が傍に住んでいて、鳥山明イラストで見るようなガスマスクを着けて食料と飲料を届けてくれて助かりました。今は傍に居ないので、イオンネットスーパーと宅麺ドットコムが届くまでの一日が、無限に長く感じました。炭酸水と、カレーとパスタと米。備蓄を怠りました。

偽公務員生活も悪くはないな、と思っていますが研究ができなくてストレスがありました。神経解剖の先生は、スタートダッシュが大事なのと、広報活動が大事、と教えてくれましたが、研究日がないので活動できません。尊敬する海賊科学者の先生は、「研究しなければならない、と凝り固まっている」と諭してくださいました。ラケットの面が下向きになると途端に力が入って、返球が安定しなくなる、とアドバイスもありました。

今週になって、早朝から日差しが強くて朝ランして、朝ごはんとお弁当を作って出勤。すごく充実しています。が、さらに電子カルテ移行の仕事があって忙しくなりました。木曜日も走ろうと思って、「気合」を入れて起きたら右のふくらはぎが攣ってしまいました。いままで私の弱点は、左のハムストリングスを肉離れして、左のアキレス腱がずーっと痛くて、最近は練習のたびにピキピキ音がする、左。庇ってるつもりはないですが、ついに良い方の右足も痛めてしまいました。

今年は久しぶりに全日本シニア予選に挑戦します。昨日は横浜武道館で、ダブルスの予選。定期的に打つ相方は、試合には興味がないので、予選に出ません。なので私はシングルスのみエントリー、他の強い仲間が万一ダブルスに負けると困るので、朝練をしてから応援に行きました。横浜武道館は涼しいアリーナでしたが、風が舞って力んだスマッシュはみんなネットに見えました。低い返球の強打はみんな速かったです。一番仲良しの、大学先輩同級生とペアの彼。途中から試合を見て、一目でわかりました、何か怪我しているなと。私は部活時代のように必死に声を張り上げて2試合応援しました。勝てて本当に良かった。一週間前の練習で、右膝を肉離れ。大腿四頭筋の方でした。感覚的には膝の前が痛んだら何もできなくなるので、膝裏よりも重傷です。肉離れは怪我じゃない理論で彼は試合に出ていたけれど、本当はドクターストップだったかもしれないなあ。これまた、感覚的に1か月はバドしちゃだめって言っておいたけれど、科学的じゃなくてウケる。直感が大事。

雑多な内容になってしまったけれど、この3か月の間に学会総会が渋谷にあって実家に帰ったついでに、最後の晩餐ラーメンに食べたいお店3軒・渋谷のやすべえと、永福町大勝軒と、農大前にある勢得。と学会の次いでに渋谷のはやしに行った。実家では地図帳クイズが盛り上がった。

中性脂肪がいよいよ4桁に突入しそうな勢いなので、毎朝昼特茶生活を始めた。どっかの若社長の真似。あと、ブライン液で柔らか鶏むね肉生活を始めたこと。

次女がガールズバンドを始めるそうで、昔内緒でinpulse-buyしたベースに弦を張ってプレゼントしたこと、などまあ色々あったな。

長くなったから、膝裏の方が肉離れしやすい考察、最後の晩餐ラーメンを10軒版を次書く時のネタにしよう。

1900文字オーバー ツケメソ

急性期病院とは全く違う施設で、利用者さんの今後一生、どう過ごすかの分かれ道、筋道を示す仕事をし始めています。

その中でも、事前の面談と実際のパフォーマンスが随分と差があることがあります。

それは脳の機能が非常に複雑なこと、時間と空間の話もあります。

ただ、病歴、歴史が大事だと思います。一般的に言えば、全ての現病歴を「診療情報提供書」に記載してバトンタッチを受けます。

ただ、色々な病院を経て辿り着くうちに、歴史が捻じ曲がることもあります。

溢れる情報の中から、絶対に揺らがない真実「画像所見」「理学所見・机上の検査所見」を元に、歴史を再構築することが、大事だと思います。

現代医療の限界の、脳脊髄障害の完治を目指すためには私の研究を花咲かせないといけません。諦めません。

まだ研究仕事が始まらないので、考える時間が少し増えました。短文

全てのことに意味がある。。。

初めて、外に出た。大学からは、よく見えなかったことが沢山ある、と思う。

すごく沢山の職種が1ケースに関わるので、色々な人が居て、意見があります。当たり前のことです。医学的に正しいとか、なんとなく勘だけど、は全く通用しないです。

色々な人たちが居て人間関係が様々です。そして、利用者は私のようなアル中だったりやんちゃモノです。その昔、ポコ〇大好き星というところで修行していた時とは立場が変わりました。

横浜駅から45分くらい電車に揺られて帰る。平日は見かけなかった、地魚のお造りとビールをスーパーで買う。部屋に帰って、一服をして、19時くらいから食事を作る生活は、すごくゆとりがあります。改めて、脳のことや感情のこと、今後の研究のこと、今後の仕事のこと、バドミントンのこと、考えすぎて両側難聴が再発です。

研究の原点は炎症だけど、大学生の時からの関心領域はやっぱり脳みそ。脳みそを筋肉にする、ツケメン回路を発見するための、大事な社会科見学です。無駄にはならない時間だと思います。

こんなに考えているのに、バドミントンは派手なプレイと大ポカの連続。時間を大切に生きているキャプテンに、もう許さんと怒られたり、サーブ練習はしても良いけど隅っこでやれ、とか縄跳びを貸してもらいます。

考える時間は増えたのだけれど、家のパソコンが壊れて修理中。思いついたことを調べたり、表現できないので、もどかしいです。当直の時しか、パソコン使わない月間。来月からのハードスケジュール、その前に自分の過去から未来までを見つめる良い時間があります。とりあえず書き始めてからもう1年になりそうな英作文をやっつける。

700字くらい

つい最近思ったこと。友人の近況チェックや興味のあるコンテンツ、ギター・バドミントン・自然科学研究の情報収集のために、SNSを利用しています。いわゆるロム専です。友人、数少ない友人。さらに筆まめな人は少なくなっていて、最近「こんなことがありました」の投稿は一日数ポスト。ただ、コンテンツの情報が溢れかえり過ぎています。パソコン起動時に、投稿画面が表示されると、読み終わりました。いわゆる既読状態となって、二度とその投稿は表示されません。

ささっと見て画面を一旦消したあと。ものの数秒後に、今のおいしそうな画像、いつ、だれが、なんで投稿したんだっけ、と情報の大事な3要素を全く把握していないことに気づきました。先ほどの便利機能のおかげで、そのおいしそうな画像にはたどりつけませんでした。

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3月に、めちゃ辛いことがありました
噂・嘘だと信じたいんだけど。。。ラブリーな実習班のインド人の話。

一緒に精神科医になろうって言ってた。国試後に家でママに「変になった」とお薬を飲まされて風呂で溺れて、本当に頭がおかしくなったおれ。
卒業式、隣の席のインド人に「おれ、頑張れなくなっちゃったかも、宜しくね」って伝えて2年弱研修医を休みました。
時が経って、ラブリーな実習班のチョイ悪君の結婚式で葉っぱ隊をやった時。シャバに戻って2ヶ月の、15kg太ったおれを気遣ってくれてありがとう。お家まで送ってくれたよね、確か。
2013年に札幌の学会一緒で、日本最強の彩未で味噌ラーメン。美味しかったなあ。
その後もシーサイドラインや大学で会うと、「おーツケメン!」声をかけてくれてありがとう。
去年は同じ職場、フロアが同じ階。だから良く会ったし、年明けも地下鉄で帰り一緒になったね。「リハ科、こんな遅いの?」って聞かれて、人員減で人少なくて毎日こんな感じなんだーって愚痴った。自分のことばっかり喋ってたかもしれないなあ。

6年の中夜祭で卒試を犠牲にして大成功やった、レッツモテたいでござる、のミュージカル。おれんちにHDDで残ってる。いつかみんなで見たかったなあ。

。。。関係があったと思っていた中で、一番最後の方に知りました。みんなが「辛いけど生きてた1ヶ月」と、おれの「知らずに生きてた1ヶ月」。
全てに意味があるんだけど、これからの時間が辛いものだけど、星に願いが叶うなら、もう一回ニッポンのミカタ踊ろうね。

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全ての事象に意味がある。新職場、しかも一年限定だけど一生懸命生活期のリハビリテーションを頑張る。研究のエフォートは、30%。いっぱい頭を使う。新生活、緊張しすぎてタバコ吸っちゃった。

1130文字くらい