丁寧な暮らしへのあこがれ (original) (raw)

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丁寧な暮らし。 それはきっと、多くの人があこがれを持つ暮らし方であり、昨今様々な人が様々な「丁寧な暮らし」を公開している。

例にもれず、私もそんな「丁寧な暮らし」にあこがれる内の一人である。

同じ系統でそろえた家具。おしゃれな木製の棚に入った本。日の当たる窓際のカーテン。見晴らしがいい窓からの景色。

毎朝少し早めに起きる。淹れたてのコーヒーとおいしいパンを用意する。きれいなジャズ音楽をかける。お気に入りの服に着替える。観葉植物に水をやる。

日常の風景のどこを切り取っても、整然として落ち着いていて、自分の好きなものであふれているような、そんな暮らし。

いいなあ……

ただ、現実はそうもいかないものである。

見よ、シンクにたまっている洗い物を。

見よ、一週間ポストに入っていた郵便物の山を。

見よ、片づけるのを後回しにしていたネットショッピングの段ボールを。

見渡せば、丁寧な暮らしとは遠い日常。

必死に片づけて、やっときれいになったと思ったら次の日には再び同じ光景。

きっと、丁寧な暮らしとして自身の生活の一部をVlogとして公開しているひとたちも、こういった日常の部分があるのだろう。

それでも、そういった部分を見せないようにうまく編集し、あたかもすべての時間を丁寧に暮らしているかのように動画内では見せているのである。

編集とは恐ろしいものである。丁寧な暮らしとは、あくまで編集によって繋がれた一部の「丁寧に過ごしている時間」の総称である。

しかしながら、編集と分かっていてもなお、丁寧な暮らしに憧れることはやめられないのであった。

あのゆったりとした時間を再現したい。

そう思いながら、今日も洗濯物を放ったままで、ジャズ風音楽をYouTubeで流すのであった。