20240930 - 20241006 (original) (raw)
- 3連休の週が2回続いたせいで、仕事の忙しさが尋常じゃなく、ブログに何書こうかなんて考える余裕があーりましぇーん。でした。ぐだぐだとゴミみたいな考えを捏ねくり回して鬱々とする余裕もない分、逆に幸せだったんじゃないの、おれは。なんて思ったりしたけど。そんなわけねー。終わりなき生産、生産、生産。達成感なんてものとは無縁の生産の嵐。心を殺して作りまくれ。どこにそんなに需要があるのか、小さな世界で生きるわたくしには全く理解できねー。来週も3連休なんよなぁ全然嬉しくねー。
- 今月末にある程度まとまったお金が必要なのにも関わらず、忙しさに対する反動もあってか買物欲求がどえらいことになっている。自己破滅願望があるのかもしれない。ときおり物欲が抑えられなくなる時があって、それが決まって、近い内に大きな出費が確定している時だったりする。たとえば車検の時とか。十万単位でお金が必要になってくるのがわかっているのにも関わらず、抗えないほどの消費欲求に取り憑かれてしまう。苦しむことをよく知っているのに、わざわざ同じ苦しみを自分で引き寄せてしまう。苦しむことを深層心理ではむしろ喜んでいるのではないかとさえ思う。ギリギリの綱渡り状態からの解放によって生のカタルシスを得ているのかもしれない。ただ、自分を苦しめると言っても借金をしなきゃいけないレベルまで堕ちたりしないあたりは、偉いぞ、わたし。とか思ったりする。いや、偉いか?ぬるい自己破滅願望。
- むしろ借金でもした方が、もしかしたら仕事に張りが出たりするんだろうか。以前テレビで、ある中堅芸人が仕事に張り合いがなくなってきたというトークに対して大御所女優がなんでもいいから借金しなさいと言っていた。もしかしたらわたしは、ローンを組んで何かデカい買い物でもすれば返済の義務によって生かされるタイプの人間かもしれない。なにかしら負債を負えば、返すまではとりあえず社会の一員として自分を認めて生きられるのかもしれない。少なくとも日々の思考はシンプルで楽になるかもなーと思う。金を稼ぎ、借金を返す。そのために1円でも多く稼げる手段をただただ考える。そのこと以外でぐだぐだと抽象的なことで思い悩む暇なんてなくなる。あ、もしかしてそれが資本主義社会で正しく生きるということだろうか。
- ただそこまでして欲しいもの、やりたいことって全然思いつかない。たとえば月に行きたいと思ったとしても、大志を抱く少年少女でもない限り、真面目に宇宙飛行士試験を受けるまでの道のりを考えたりする人なんていないわけじゃないですか。わたしにとってはほぼ全てのことがその程度のレベルのことで。あってもなくても、やってもやらなくてもどっちでもいい。ただ楽な方に傾いていくだけ。自分自身の人生ですら他人事のように見える。なにごとにも振り切れない、好きになれない、夢中になれない、自分の人生を生きる覚悟がない。いつ突発的に生きることを辞めたくなるかわからない自分がいると思うと、なにもかもがどうでもよくなってしまう。いつでもバケツを蹴っ飛ばせる状態でいたい。
- 結局なにが言いたかったのか、自分でも全然わからない。うまくまとめらんない。書いてることが一貫しているのかどうかさえよくわからない。頭が回らない。やらない言い訳をただ長々と書き殴っただけのような気がする。狂うわけでもなく、クズに堕ちることさえできず、死ねもしない。ぬるい生をただ享受してしまっていることに対する自己欺瞞。逃げ。
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