2024/11/10 フジファブリック 20th anniversary 3マンSPECIAL LIVE at OSAKA-JO HALL 2024「ノンフィクション」感想と記録 (original) (raw)
2024年11月10日、フジファブリック、くるり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのスリーマンライブ「ノンフィクション」@大阪城ホール に参加した。
4月、8月と続いたフジファブリックのデビュー20周年記念ライブの最終公演。私はフジファブリックとアジカンが特別に好きなバンドなのだが、過去のツーマンやコラボを観る機会をことごとく逃してきた人生だったので、対バン相手が公表された2月から、ずっと心待ちにしていた日だった。
その期間にフジファブリックの活動休止が発表となり、この公演の含む意味合いも、自分の心持ちも大きく変わることとなってしまったけれど。
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この公演は3組にとってはもちろんだが、自分自身にとっても特別な意味合いを持つスリーマンだった。私が初めてフジファブリックの名前を知ったのは2010年で、きっかけが当時の後藤正文のブログ「ゴッチの日記」だったからだ。
当時の私はアジカンの音楽に出会ったばかりでゴッチの日記を読み漁っており、その時リアルタイムで更新されていたのが2010年の「マジックディスク」リリースツアー『VIBRATION OF THE MUSIC』の真っ最中の時期だった。その日記の中で私は「フジファブリック」というバンドに「ダイちゃん」という人物がいることを知った。
そして同時期くらいに、たまたまテレビで流れていた「夜明けのBEAT」、兄のiPodに入っていた「銀河」を聴き、「ダイちゃん」が居る「フジファブリック」はこんな変わった音楽をやっているのか、と思い興味が湧いた。ギターやキーボードの音はカッコよくてどこかヘンテコで、そして何よりボーカルの声がヘロヘロだ、と思った。
初めてフジファブリックのライブ映像を観たのは当時BSで再放送していた「ロックの学園 2009」だったように記憶している。この放送は「Surfer King」1曲のみの放送だったが強く印象に残っており、とにかく変な曲で、今まで聴いたことない音楽だと思った。ギターボーカルの男性はハットを被りアーガイル柄のベストを着て、やっぱりヘロヘロの声で歌っていた。
これが私のフジファブリックについての最初期の記憶だ。この時はそこまで深堀りはせず、ただヘンテコなバンドがいるんだなあ程度の認識だった。ボーカルの志村正彦がすでに亡くなっていたことも、3人で活動を再開することも、何も知らなかった。
再びフジファブリックと出会ったのは2012年だった。相変わらずアジカンが好きで、その他にも色々なバンドの音楽を聴いていた頃、たまたまラジオ初OAということで流れた「徒然モノクローム」で再会した。3人体制で初めてのシングルとして紹介されたこの曲を初めて聴いた時のことはずっと覚えている。冒頭のギターで何かが始まる予感、そしてイントロのキーボードのリフで一発で虜になった。耳にのこる愉快な歌詞のフレーズも印象的だった。当時フジファブリックの現状について自分がどこまで把握していたのか記憶が定かではないが、そんなことは関係なくただただ胸が躍る曲で大好きだと思った。
そこからはYoTubeで過去の音源やMVを観たり、CD、DVD、書籍を買い揃え、ネットラジオを聴いたりして深くのめり込んでいった。ここまで1アーティストを熱心に追うという体験はフジファブリックが初めてで、人生で初めて予約したCDも初めて行ったライブも、フジファブリックだった。Light Flightのリリースツアー、移転前のZepp Fukuokaが私の初めてのライブハウスとなったが、この2012年12月8日がなければ、おそらく自分の人生は全く違うものになっていた。それくらい一生残り続けるいちばんの体験となった。
くるりについてはこの時期、フジフジ富士Qのライブ映像で知った。Sunny Mornigと銀河のキレのある演奏と、岸田氏について癖の強そうなおっちゃんなのにめちゃくちゃかっこいい!と子供ながらに思った。
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前置きが長くなったが、そんなわけで、アジカンから始まりフジファブリック、そしてくるり、と、この3組は自分の音楽人生の中でも繋がっており「ノンフィクション」は自分自身にとっても大事な公演で、楽しみにしていた日だった。
2024年11月10日、大阪城ホール。訪れたのはフジファブリック15周年記念ワンマン公演ぶりだった。もう5年も経ったのかと感慨に浸りながら会場に入ると、5年前よりもステージに近いアリーナ席で一気に緊張が押し寄せた。楽しみだったはずなのに、開演が近づくにつれて怖くてたまらなくなり、始まらないでほしいと思った。終わった後に自分は一体どんな感情になるのか想像もつかなかった。
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17:00、会場で流れていたOasisの「Slide Away」がフェードアウトし、暗転。無音の中ASIAN KUNG-FU GENERATIONの4人とサポートのGeorge氏、Achico氏が入場する。
しばらくの無音ののち、1曲目が聞き覚えのあるハイハットの刻みからのキーボードのフレーズで「茜色の夕日」だと気付いた時に声が出た。会場に居た誰1人予想出来なかったと思う。
茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
ゴッチが歌い始めてもにわかに信じられなくて、奥歯を噛み締めた。フジファブリックの楽曲で、志村が作った曲で、明らかにゴッチが歌っているのにフジファブリックでもアジカンでもなくてただ「茜色の夕日」そのものだった。起こっていることを噛み砕こうとするとキャパオーバーで俯いて嗚咽しそうだったけれど、この景色を絶対に目に焼きけたくてただステージを凝視した。
サビでゴッチが少し苦しそうに声を張り上げており、この曲はキーが高くて難しいのか、と初めて気付いた。そういえば映像の中の志村も、こんな風に顔を歪めて声を張り上げていたな、と思った。
8月の東京ガーデンシアターでこの曲を聴いた時、フロントマイクには誰も立っておらず、そこに居ない人の歌声とステージを、ただ自分は3階で座ってぼんやりと眺めて聴いていた。この日は後藤正文が歌っていた。わたしは初めて茜色の夕日を歌唱する人をこの目で観たのだな、と思った。
君に伝えた情熱は 呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
ゴッチがこのフレーズを歌っているときに、フジファブリックに出会った頃、塞いでいた10代の終わりの時期など「あの頃」がフラッシュバックして、自分の今までの人生はこの瞬間に立ち会うためにあったのかも知れないと本気で思った。
間奏では何度も聴いてきた山内さんのギターソロを喜多さんが弾いていて、やっぱり目の前で起こっていることが信じられなかった。と同時に、喜多さんのギターからはちゃんとアジカンの風味があって、アジカンの音を担ってるのはこの人のギターなんだなと改めて思った。ソロを弾き終えた喜多さんはいつもの笑顔をフロアに見せてくれて、そこですごく安心した。
一曲目を呆然と立ち尽くして聴いていたが「君という花」のドラムの音が聴こえると自然と体が動くので訓練されているなあと思った。「リライト」ではゴッチが間奏で「日本で3番目くらいの有名なサビがくるので」と合唱を促していて笑顔になった。もちろんラッセーの掛け声もリライトも大きな声で叫ばせてもらいました。
「ソラニン」と続いて、「君の街まで」はこの日一緒に観ていた友人が聴きたいと言っていた曲なので2人で顔を見合わせてハイタッチした(余談だがこの友人はアジカンを最近聴き始めており、毎回曲のイントロで嬉しそうに声を上げていたので自分にとってそんな人と一緒にアジカンを観るのがとても新鮮で嬉しかった)。君の街まででペンライトを振るのが一番楽しかった。「荒野を歩け」では感情が溢れ出して、ゴッチの「Yes! Alright!」の掛け声に合わせてペンライトをもった右の拳で宙を殴った。
金澤さんを呼び込んで一緒に演奏した「迷子犬と雨のビート」はああ、やっと聴けたという思いが強かった。サポートで回っていた2010年のツアーの時に知って、そこから2013年のファン感謝祭も、25周年のパシフィコ横浜でコラボした際にも自分は会場に居合わせることができなかったので、やっとここで目撃することができたのだ、と嬉しくなった。
何度も観て聴いてきた迷子犬と雨のビートだが、金澤さんが弾くとフジファブリックの音がして、彼を観ながら何度も「こんな風にキーボードを弾く人は金澤さん以外にいない」と思った。この曲の持つ多幸感も相まって、色々な感情が押し寄せて涙が溢れた。
最後の曲は「今を生きて」で「数十年で消える弱い愛の魔法」という大好きなフレーズが大阪城ホールに響いてたまらなくなった。ASIAN KUNG-FU GENERATIONらしい逞しくてあたたかく、素晴らしいステージだった。
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2番手はくるり。くるりは今年のフジロックの配信でライブは観ていたが、実際に生で観るのは2022年の福岡のフェス「CIRCLE」以来だったのですごく楽しみだった。無音の中登場し、岸田さんの挨拶から会場の雰囲気が和む。が、「東京」のギターが鳴らされるとブワッと雰囲気が変わり、震えた。
東京の街に出てきました あい変わらずわけの解らない事言ってます
この歌い出しで胸がギュッとなる。自分の話になるが、私はちょうど今年の3月に九州から東京に出てきたばかりなので、否が応でもこの「東京」の歌詞に自分自身の状況が重なり、苦しくなってなかなか音源を聴けなかったのだ。重厚感のあるバンドの音が全身を巡り、立ち尽くしてじっとステージを観ていた。
「Morning Paper」はフジロックの配信で観て凄まじかったことを覚えており、聴けて嬉しかった。アウトロのギターソロは圧巻で、最後の岸田さんが指揮者のように音を止めるところは周りからも感嘆の声が漏れていた。この曲でペンライトを振ることなんて二度とないだろうな…と思いながら楽しく振らせてもらった。
私はフジとアジカンと比べてくるりはワンマンを観たことがなく、アルバムも数枚ほど聴いている程度なのだが、ここまで全ての曲を耳にしたことがあったので私の人生の中にもくるりの音楽は確実に鳴っているんだよな、と嬉しくなった。
「琥珀色の街、上海蟹の朝」は一時期ずっと聴いていたので岸田さんがハンドマイクになった時に察して、やった!と思った。この曲はAメロの歌詞のメッセージの強さで聴くたびに絶対に泣いてしまうのだが、サビになった途端に笑顔で「上海蟹食べたい〜」と歌えてしまうのだからすごい曲だなと思う。「小籠包じゃ足りない 思い出ひとつじゃ やり切れないだろう」というところで岸田さんが人差し指を立てて力強く歌っていたのが印象に残っている。
「ばらの花」は何度聴いても良い。改めて「ジンジャーエール買って飲んだ こんな味だったっけな」の歌詞とメロディの乗せ方は天才的だと聴きながら思った。
山内総一郎を呼び込んで「『リライト』以上の盛り上がりを」と言って始まった「ロックンロール」は多幸感でいっぱいだった(「奇跡」を演奏するかと思っていたがこの曲で大正解だったと思う!)。岸田さんの隣でギターを弾く山内さんはずっと笑顔だった。正直私はくるりと山内総一郎の歴史を深くは知らないが、きっと当時のツアー中もバンドメンバーの一員としてあたたかく迎えられていたのだろうと感じた。
最後のアウトロの山内さんのギターソロは凄まじく、改めてこの人はギタリストなんだと思った。それに負けじと岸田さんもギターフレーズをぶつけ、2人でギターを弾き合う姿は本当にロックンロールそのもので、私の愛するロックバンドたちの姿だった。
山内さんの表情が印象的で、開放されたような笑顔は本当に久々に見た気がしたので涙が溢れてしまった。どうかずっと総くんに、この笑顔でいてほしい。そしてこの笑顔をずっと見ていたい、と思った。
ロックンロールの素敵な余韻のあとに聴く「La Pallummella」は笑顔になってしまった。この曲はラジオで聴いていてライブでどう再現するんだろうか?と思っていたが5人バンド編成もすごく良く、この新曲で終わるくるりはあまりにもくるりだ、と思って大好きだった。
自分は根底のところで音楽が好きとは言えないんじゃないか、と思うことがあるのだがくるりは聴くたびに「音楽ってやっぱり楽しいから好きだな」と思わせてくれる。ずっとワクワクさせてくれる音楽をありがとうとこの日も思った。そろそろ私はくるりのワンマンに行くべきな気がする。
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最終アクト、メインのフジファブリック。SEが鳴って暗闇の中メンバーが入場する。山内さんにピンスポットが当たり「悲しい思いはそれなりでいい 笑いあう声を聞く方がいい」という歌い出しで始まる「Portrait」。これが1曲めなのは、強いメッセージだ、と思った。この曲を初めて聴いた時、加藤慎一がバンドのことやファンについて、ここまでまっすぐな歌詞を書いてくれたことにとても感動したことを覚えている。
空っぽな僕が 何者かになれたのは
同じ景色を 見てきたからさ
映るものが 全てじゃないけど
清濁携えて 刻まれていくよ
私からフジファブリックへの感情そのものだと思った。清濁携えて、刻まれていく。そのあとにテンポが速くなり刻むギターを聴いて、今までのことが走馬灯のように流れ、過ぎ去って、未来まで続いていくような気がした。
2曲めはドラムのカウントで始まる「破顔」。この曲は15周年の大阪城ホールで、アンコールの一番最後に演奏された曲であり、今年8月の東京ガーデンシアターでもアンコールに演奏されている、フジファブリックにとって大切な位置付けの楽曲である。
私は5年前も今年の8月もこの曲で感情が溢れて泣き崩れてしまっていたが、フジファブリックが演奏する姿を1秒たりとも見逃したくなかったので、今回はなんとか、最後まで立っていようと思った。一曲めからペンライトを振るどころか持つこともできず、体を1ミリも動かすことができず、ただずっとステージを睨みつけるように凝視していた。とっくに涙腺はおかしくなっており、両目からは涙がとめどなく溢れていた。きっとステージからはあまり見たくない客の姿だろうなと思ったが、彼らの前で嘘をつかずにありのままの感情の自分でいたいと思った。
3人のコーラスの後に高く登っていくように鋭いドラムが会場を圧倒していく。照明も白いライトが激しく動いたがステージから一切目を逸らせなかった。あまりにもフジファブリックというバンドが格好良かった。
だんだん昇る朝日のよう 重ねた歌も真新しい
僕が僕らしくいることで少しは優しくできたかな
照明が明るくなり、本当に朝日が昇っていくようで、ここだけはどうしても堪らなくなり顔を覆って嗚咽してしまった。「君が君らしくいることで僕が僕らしくいれた」本当に、その通りなんだよ、と思った。
山内さんがまっすぐ指を差して「闇を切り裂け さあ鳴らそう 遮るものは何もない」と力強く歌う。私の闇を切り裂いてくれたのは山内総一郎だ。周りの全て・自分自身さえも信じられなかった時、あなたの歌声とまっすぐな言葉で何度も救われてきたんだ、と思った。
3曲めの「LIFE」で山内さんが笑顔で歌っている姿を見て、固まっていた体がやっと動いて笑顔になることができた。アジカンの「ループ&ループ」のカバーは予想外で飛び跳ねてしまった。フジファブリックの曲では絶対ないサビのメロディなのにやっぱりフジが演奏するとフジの音になってしまうんだよな、と可笑しくなった。
個人的には喜多建介のギターソロを山内総一郎が弾くギターで聴けたことに大興奮した。そして「積み上げる弱い魔法」という大好きなフレーズを山内さんの歌声で聴けたことも嬉しくて、フジファブリックも弱い魔法をずっと積み上げてきたバンドなんだよな、と思った。この曲のカバーを「当時のツアーで楽しかった思い出がある」という理由で金澤さんが選曲してくれたのも嬉しかった。
くるりの「魔法のじゅうたん」のカバーも素晴らしく、メロディの節はくるりでしかないが山内さんの歌声にピッタリであたたかく響いていた。
後半戦の始まり「ショウ・タイム」は4月のワンマンで、泣く曲ではないのにあまりにかっこよくて最初から最後まで泣いていたことを思い出した。この日も、やっぱりこんなヘンテコでかっこいい曲を鳴らせるのはフジファブリックしかいないと思った。
そして「銀河」は本当に久々に聴けて嬉しかった。私がフジを好きになったきっかけの1曲でもあり、これまで何百回も聴いてきたがいつだって新鮮にかっこいい。中学生の頃にこれを食らったらそりゃ好きになっちゃうよなと思った。間奏で山内さんが金澤さんのキーボードの要塞に登り、ギターとキーボードの音がぶつかり合う。金澤さんの「ギター山内総一郎!」で山内さんがステージ前に出てきてギターソロを弾きたおす、何度も何度も見てきた光景に胸がいっぱいになった。
「ミラクルレボリューションNo.9」「Feverman」の流れはとにかく大好きなフジファブリックでしかなかった。そして何より、前方のファブちゃん(フジファブリックのファンたち)の皆さんのペンライトの動きが洗練されすぎてて笑ってしまった。自分自身も、曲に振り付けがあるのか…と思っていた時期もあったがすっかり動きが身についてしまっていた。ミラレボではハンドマイクで歌う山内さんをみて「ボーカリスト仕草がとても様になる人になったなあ」と感慨深くなった。ずっとギターを弾いていて欲しいし、ずっと歌う人であってほしい。
本編最後に演奏された「手紙」は、山内さんがもう会えなくなってしまった故郷の友人に宛てた手紙、という内容の曲であるが、改めてそのことを考えて歌詞を聴くと過去の喪失に想いを馳せながらも「今」を抱きしめていて、とてもあたたかい曲なのだ、とこの日聴きながら思った。
「変わってくことは誰の仕業でもないから」「旅路はこれからもずっと続きそうな夕暮れ」という歌詞が優しく今を肯定しているようで、本編最後にこの曲を演奏することに、大きな意味を感じざるを得なかった。
そして、ソラニンの「さよならだけの人生か」、魔法のじゅうたんの「出会ったことが全てだったんだ」手紙の「さよならだけが人生だったとしても」とメッセージがそれぞれのバンドの曲でリンクしているのも美しいと思った。出会いと別れの人生の中で、どうしても人との別れが強く悲しく心に残ってしまうけれど、出会って、過ごした大切で愛おしい時間は確かに本物だったことは、忘れたくないと改めて感じた。
アンコールの「若者のすべて」は後藤正文とくるりが参加しており、いろんな場所で演奏されカバーもされている曲だが、ゴッチと岸田さんのカバーは初めて聴くので「ここにきてまだ嬉しい『若者のすべて』があるんだな」と思った。余談だがタンバリンを後ろ手で持って歌うゴッチの姿が完全にリアム・ギャラガーの模倣で笑ってしまった。フォロワーが出ている!
確か1サビとCメロをゴッチが歌っており、アジカンファンである私はそんな美味しいとこもらっていいのですか?と思っていた。アジカン以外で聴くゴッチの歌声で、改めて歌声がかっこいいな…と思ったりした。
一番最後に山内総一郎、後藤正文、岸田繁のユニゾンで響く若者のすべては「今とんでもない景色を目撃している」と思った。今まで聴いた中で一番祝祭感のある若者のすべてだった。
最後のMCで山内さんが話す中、鳴り止まない拍手に袖で涙を拭う姿が印象に残っている。
「来年の2月のことを考えると、寂しくないって言ったら嘘になります…けど、フジファブリックはなくなるわけじゃない」
「俺もダイちゃんも加藤さんも大地くんも森ちゃんもこれからもときめく音楽を作っていきます」
「ライブだってたくさんやる、関西にも関東にも九州にも東北にも北海道にも海外にだって、ライブしにいく」
「これからの歩みは不確かではありますけど、なんか相変わらず音楽やってんなと思ったら、また会いにきてください」
全てずっと私が欲していた言葉だった。ずっと山内総一郎の言葉で、山内総一郎の気持ちが聞きたかった。活動休止発表後に8月でライブを見た時は悲しくて寂しくて仕方がなかった。けれど、彼のこの言葉を聴いて、彼らは私の人生からいなくならないんだ、と思うことができた。単純かもしれないが、山内総一郎の言葉は嘘がなく、いつもまっすぐに私たちに届けてくれるから、信じようと思った。
この話を受けて聴く「SUPER!!」はとても前向きな気持ちでいることができた。
「まだまだ行けるさ 明日をもっと信じたいんだ」「今を生きている」
自分は捻くれているので、前向きすぎる歌詞が浅く響いてしまいがちなのだけど、山内総一郎のたくましくまっすぐな歌声は本当にどこまでも行けるような気にさせてくれるから凄い。
彼らには彼らの人生が続いていき、私は私の人生が続いていく。それぞれがまた自分らしく歩んで行った先の未来できっとまた会えるような気がした。
山内総一郎のこの日の一番最後のフロアに向けての言葉は「また会いましょう!」だった。山内さんがそう言うんだから、絶対に会える。
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終演後、大阪城ホールから外に出たら小雨が降っていた。ああ、ノンフィクションが終わってしまったのだと思った。でも、寂しさは確かにあるけれど、思いの外、とてもあたたかい気持ちだった。ただ「あなたに出会えていい人生だった」と思った。そして「これからも確かに良い人生だ」とも。
フジファブリックに出会わなければ、ここまでバンドを好きになることも、今いる大切な友人たちとも出会うことができなかった。手の中にある大切なものはほぼ全てフジファブリックがくれたものだった。
自分の世界にフジファブリックとわたししかいない時期が確かにあって、そんな時期も過ぎ去って、近年は家族のような存在になり、彼らに対して自分自身の言葉で言えないことが増えていった。
山内さんがよく「みんなもフジファブリックなんやから」ということを言ってくれたが、私は本気でそう思っていた。フジファブリックによって人格形成をされた人間なので、私はフジファブリックなんだと思っていた。だから、活動休止の発表には「どうして私の人生からいなくなるんだ」と思った。託して、甘えて、依存していたところが大いにあった。
けれど、この「ノンフィクション」を以て、私はやっとフジファブリックと道を分ったのだと思う(妙な事を言っている自覚はある)。彼らひとり一人の未来を応援したいと心から思った。2月を超えた先に何があるのか、寂しさの中にも今はほんの少しだけ未来が楽しみな気持ちさえある。そして私にも私の人生があり、私が私らしく生活をやって人生を重ねていった先に、もう一度彼らに胸を張って会える気がするのだ。
2024年11月10日、フジファブリック、くるり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの3バンドが歩んできた軌跡が交差し、そして自分の人生も重なった、生涯忘れられない一日となった。
転がり続けるロックバンドが、私の世界の中で何よりも強く輝いている。これからも一緒に人生を転がっていこうとつよく思った夜だった。
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セットリスト
01. 茜色の夕日(フジファブリック)
02. 君という花
03. リライト
04. ソラニン
05. 君の街まで
06. 荒野を歩け
07. 迷子犬と雨のビート(w / 金澤ダイスケ)
08. 今を生きて
01. 東京
02. 潮風のアリア
03. Morning Paper
04. ブレーメン
05. Time
06. 琥珀色の街、上海蟹の朝
07. ばらの花
08. ロックンロール(w / 山内総一郎)
09. La Palummella
01. Portrait
02. 破顏
03. LIFE
04. ループ&ループ(ASIAN KUNG-FU GENERATION)
05. 魔法のじゅうたん(くるり)
06. ショウ・タイム
07. 銀河
08. ミラクルレボリューションNo.9
09. Feverman
10. 手紙
<アンコール>
11. 若者のすべて(w / くるり、後藤正文)
12. SUPER!!