Ulysses at Random (original) (raw)

一時期的不在が企図または実行された場合に於ける男性的目的地の何処

第186回。606ページ、2294行目。

How?

By various reiterated feminine interrogation concerning the masculine destination whither, the place where, the time at which, the duration for which, the object with which in the case of temporary absences, projected or effected.

What moved visibly above the listener’s and the narrator’s invisible thoughts?

The upcast reflection of a lamp and shade, an inconstant series of concentric circles of varying gradations of light and shadow.

如何にしてか。

一時期的不在が企図または実行された場合に於ける男性的目的地の何処、所在の那辺、時間の何時、期間の多少、及び客体の如何に対する女性的詢問の反復により。

聴者と話者の不可視の想念の上方に可視的に動いたものは何か。

ランプと傘の上方に投影された反映、即ち光と影の幾次段階的変化による不規則な同心円の重なり。

第17章の終わり近く。夜中の2時過ぎ、ブルーム氏は帰宅しベッドに入った。妻のモリーとブルーム氏は会話を交わしているようだ。

この章の文章は幾何学的な構成となっており、言うまでもなく下は対句。

feminine - masculine
visibly - invisible
listener's - narrator's

以下は頭韻になっている。

lamp and shade - lighit and shadow

また、この章は初めから終わりまで、質問と答えの形で書かれている。ここはブルーム氏の行動が妻または娘により、どのように制約されているかを問う問いと答えになっている。話者とはブルーム氏のことで聴者とはモリーのこと。

第2の問いと答えに出てくるランプとはブログの第69回にでてきたランプだろう。

このランプは別の問答で次のように説明されている。円錐台型の傘のついた灯油ランプ(a paraffin oil lamp with oblique shade)と考えられる。

What visible luminous sign attracted Bloom’s, who attracted Stephen’s, gaze?

In the second storey (rere) of his (Bloom’s) house the light of a paraffin oil lamp with oblique shade projected on a screen of roller blind supplied by Frank O’Hara, window blind, curtain pole and revolving shutter manufacturer, 16 Aungier street.

(U576.1171)

昔の円錐台の傘のついたランプの画像をみつけるのは案外難しい。

Farmor Manufacturing Co.(USA)のオイルランプの公告(1937)

傘のついたランプの光が天井に同心円を描いているのだろう。これまでにみたように第17章は天体と光に関わるモチーフを多く含んでいる。この同心円も惑星の軌道をイメージしているにちがいない。

Astronomie Populaire en Tableaux Transparents(透かし絵による一般天文学

Bruxelles Kiessling & Cie., [1858]

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これで全員だね。

第185投。72ページ、9行目。

—Are we all here now? Martin Cunningham asked. Come along, Bloom.

Mr Bloom entered and sat in the vacant place. He pulled the door to after him and slammed it twice till it shut tight. He passed an arm through the armstrap and looked seriously from the open carriagewindow at the lowered blinds of the avenue.

ーこれで全員だね。マーティン・カニンガムが尋ねた。さあさあ、ブルーム。

ブルーム氏が乗車し空いた席に座った。扉を自分の方へ二度打ち付けてきっちり閉めた。揺れ止めの帯に腕を通して、開いた馬車の窓から神妙な顔で外を見た。道沿いの家並みの日よけが下ろされている。

第6章。午前11時ごろ。ブルーム氏は友人のディグナム氏の葬儀に参列するため、ダブリンの南東部、ニューブリッジ通り(Newbridge Avenue)のディグナム家から、馬車で市の北西のはずれ、グラスネヴィン墓地へ向かおうとしている。

〇 ディグナム家はこのあたり

Map of the city of Dublin and its environs, constructed for Thom's Almanac and Official Directory 1898

ここは第6章の冒頭で、アイルランド総督政庁に勤務するマーティン・カニンガム、警察隊に勤務するジャック・パワー、小説の主人公であるスティーヴンの父サイモン・デッダラス、そしてもう一人の主人公であるブルーム氏の4人が馬車に乗り込む場面。

カニンガム、パワー、サイモンの順に乗り、最後にブルーム氏が乗る。

ブログの第54回で詳しく見たように、4人は下の位置に座ったと考える。ドアの取っ手は現代の自動車と逆で、進行方向上の前のほうに付いている。

“armstrap” というのが何か分からない。

馬車の画像は数多あれど、内部の画像というのはなかなかみることができない。検索してようやく"Carriages of Britain"というweb サイトを見つけた。

下のリンク先の画像を順に送って見てもらうと馬車の内部の画像がある。座席の脇に付いている帯のようなものが、“armstrap”のことではないだろうか。①の馬車の説明では、“hand holder”と呼ばれている。②の馬車の説明では、“swing holders”と呼ばれている。馬車が揺れるのでつかむためのものではないかと。

①Travelling Chariot

②Travelling Chariot

彼らの乗っている馬車は、だいたいこういう感じのものと思う。

イタリア、コゼンツァ国立博物館所蔵のランドー型馬車。

File:Carrozza landau betau, xix secolo.jpg - Wikimedia Commons

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道路工事人:(2人の英国兵をつかんで、よろよろ進む)

第184投。369ページ、632行目。

THE NAVVY: (Gripping the two redcoats, staggers forward with them.) Come on, you British army!

PRIVATE CARR: (Behind his back.) He aint half balmy.

PRIVATE COMPTON: (Laughs.) What ho!

PRIVATE CARR: (To the navvy.) Portobello barracks canteen. You ask for Carr. Just Carr.

THE NAVVY: (Shouts.)

We are the boys. Of Wexford.

PRIVATE COMPTON: Say! What price the sergeantmajor?

PRIVATE CARR: Bennett? He’s my pal. I love old Bennett.

THE NAVVY: (Shouts.)

The galling chain.

And free our native land.

(He staggers forward, dragging them with him. Bloom stops, at fault. The dog approaches, his tongue outlolling, panting.)

道路工事人:(2人の英国兵をつかんで、よろよろ進む)さあさあ、英国の軍人さん。

カー兵卒:(後ろから)こいつ狂ってるにちがいねえ。

コンプトン兵卒:(笑って)なんだよ。

カー兵卒:(道路工事人に)ポートベロ兵舎の食堂にカーを訪ねてきな。カーでわかる。

道路工事人:(大声で)

僕ら。ウェックスフォードからやって来た。

コンプトン兵卒:特務曹長のざまはどうだ。

カー兵卒:ベネットのことか。よく知ってる。いい人だよベネット殿は。

道路工事人:(大声で)

…憎き鎖。

祖国を解放せん。

(2人を引っ張ってよろよろ進む。ブルーム氏はとまどい足を止める。犬が寄って来て。舌を垂らしあえぐ。)

第15章。夜中の12時過ぎ。ブルーム氏は酔っ払ったスティーヴンとリンチの2人を追って、娼家街へやってきた。このブログの第25回第140回のちょうど間のところ。

ブルーム氏は、この章の終わりの方に登場し、スティーヴンともめ事を起こす英国兵のカーとコンプトンを目撃する。当時ダブリンは英国の都市なので英国兵がいるわけで、英国兵は赤い制服を着ている。

ブログの第39回でみたとおり、ジョイスは彼らに個人的に因縁のある人物の名を付けている。

カーは、ジョイスチューリヒにいたころ立ち上げた劇団で主役に抜擢した英国領事館の職員で、出演料などでジョイスと紛争になったヘンリー・カーから取られている。

コンプトンは劇団の仕事をしくじった経営マネージャーの名前から。

ベネットとは、小説の現在1904年6月16日から1月ほど前、5月22日に行われたボクシングの試合のボクサーの名。この小説上の架空の試合で、アイルランド出身のキーオウが、英国特務曹長ベネットを打ち負かした。劇団の立ち上げの承認を求めたジョイスに横柄な対応をした英国領事、A・パーシー・ベネットから取っている。

ポートベロ兵舎(Portobello Barracks)はダブリンの南側に、1810年~1815年の間に建設された英国軍の兵舎。後に教会(1842年)と食堂(canteen)(1868年)が増築されている。アイルランド独立戦争終結後はアイルランド国防軍の部隊が駐留しておりカハル・ブルハ兵舎(Cathal Brugha Barracks)と呼ばれる。

道路工事人は英国兵をもぐり酒場へ連れて行こうとしているようだ。

彼が歌っているのは「ウェックスフォードの少年たち」The Boys of Wexford (1872年)の一節。1798年の英国政府に対するアイルランドの反乱、特にウェックスフォードの反乱を題材としたアイルランドのバラードである。ロバート・ドワイヤー・ジョイス (Robert Dwyer Joyce)が作詞、アーサー・ウォーレン・ダーリー (Arthur Warren Darley)が作曲し

歌詞

♪ YouTube

We are the Boys from Wexford

Who fought with heart and hand

To burst in twain the galling chain

and free our native land

僕らはウェックスフォードからやって来た

わが心わが身で戦いて

憎き鎖を断ち切りて

祖国を解放せん

1900年ごろのポートベロ兵舎

Portobello Barracks in Rathmines

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―何でしょう、父上。

第183投。33ページ、86行目。

—Yes, sir?

—Malt for Richie and Stephen, tell mother. Where is she?

—Bathing Crissie, sir.

Papa’s little bedpal. Lump of love.

—No, uncle Richie...

—Call me Richie. Damn your lithia water. It lowers. Whusky!

—Uncle Richie, really...

—Sit down or by the law Harry I’ll knock you down.

Walter squints vainly for a chair.

―何でしょう、父上。

―リチーとスティーヴンに酒をだせって、母さんに言ってくれ。母さんはどこだ。

クリシーを入浴させてます、父上。

パパの幼いベッドの友。愛の塊。

―おかまいなく、リチーおじさん。

―リチーと呼べ。リチア水なんか飲めるか。体に悪い。ウヰスキーだ。

―リチーおじさん、ほんとに…

―座ってくれ。ええい、でないと力ずくだぞ。

ウォルターが斜視の目であるはずがない椅子を探す。

前回に引き続き、第3章。スティーヴンは第2章でデイジー校長の学校で教師をしたあと、サンディマウントの海岸にやってきた。彼は母の兄弟のリチー・グールディングの家に行こうとしたが結局いかなかった。グールディング家はストラスバーグ・テラスに(Strasburg Terras)ある。

〇 ストラスバーグ・テラス

⇒ スティーヴンの行路

Map of the city of Dublin and its environs, constructed for Thom's Almanac and Official Directory 1898

彼はここでグールディングの家にいった場合のことを空想している。または過去に行ったときのことを回想している。

リチーの妻がセアラ(Sara、Sally)で夫妻の息子がウォルター(Walter)。クリシー(Crissie)はウォルターの妹だろうか。

リチーとウォルターとスティーヴンの会話で、台詞の1行目と3行目がウォルター、2行目、6行目、8行目がリチー。5行目と7行目がスティーヴン。例によって誰が誰に言っているかは明示されない仕方で書かれている。

リチア水は、ブログの第75回で見ました。1880年代から第一次世界大戦にかけて、大流行したミネラルウォーターで、天然の鉱泉水ではなく水に炭酸水素チリウムを加えたものであった。

“whusky” は綴りが変だが、”whisky” の方言だろうか。検索ではわからなかった。

“by the law Harry” は “by the Lord Harry” の間違いだろうか。後者は「誓って,きっと」の意と辞書にある。

さて、ウォルターの目は ”squint”とある。

ジョイスは目が悪かったからか目の描写に特徴がある。”squint” は小説全体にわたり大事な単語として使われているように思う。

辞書でみると次の通り、微妙に異なる意味がある。 → wiktionary

1.An expression in which the eyes are partly closed.(目を細めた状態)

2.The look of eyes which are turned in different directions, as in strabismus.(斜視)

3.A quick or sideways glance. (横目で見る)

4.A short look; a peep. (ちらっと見る)

5.A hagioscope.(ハギオスコープ:キリスト教会堂建築において、死角部分から聖体を見ることを目的とし、壁・ピアを斜めにくり抜いた窓のことを指す。)

それではこの小説での使われかたを順に見てみよう。

①第3章、まず今回の個所。

少し前に、下の記述あり、”skeweyed” は「斜視」なので、ウォルターは斜視と考えられる。

And skeweyed Walter sirring his father, no less! Sir. Yes, sir. No, sir.

(U32.67)

②第6章。ディグナムの葬儀に向かう馬車のなかで、スティーヴンの父のデッダラス氏が葬儀屋のコーニー・ケラハーは “squint” という。後の⑩と考えあわせると、ケラハーは斜視と考えられる。

—Corny might have given us a more commodious yoke, Mr Power said.

—He might, Mr Dedalus said, if he hadn’t that squint troubling him. Do you follow me?

(U74.93)

③第8章。ブルーム氏が少年時代のことを回想している。通りかかりにいつも “squinting in” したやつの名前を思い出そうとしている。目が悪いと言っているので、これは「目を細めて」だろう。

Stream of life. What was the name of that priestylooking chap was always squinting in when he passed? Weak eyes, woman. Stopped in Citron’s saint Kevin’s parade. Pen something. Pendennis? My memory is getting. Pen ...?

(U128.177)

④第10章。スティーヴンの妹のケイティーが台所で “with squinting eyes” 鍋をのぞく。ここは目を細めてだろう。

Katey went to the range and peered with squinting eyes.

—What’s in the pot? she asked.

—Shirts, Maggy said.

(U186.207)

⑤第12章。この章の語り手が、酒場のカウンターにおいてある男性向け雑誌に載ってる女性の写真を ”give us a squint” という。これは「ちょっと見せろ」だろう。

―Give us a squint at her, says I.

(U266.1167)

⑥第13章。海辺で子守をしている少女たち。ガーティーがイーディーのことを “squinty” という。

She knew right well, no-one better, what made squinty Edy say that because of him

cooling in his attentions when it was simply a lovers' quarrel.

(U287.127)

ここの少し前に下のようにあり、イーディーは近視であることが分かる。目が悪いので目を細めてみるのだろうか。他の個所をみてみよう。

―I know, Edy Boardman said none too amiably with an arch glance from her shortsighted eyes.

⑦同じく第13章。イーディがガーティーを ”squinting” する。イーディーは眼鏡 “specs” をかけている。やはり「目を細めて見る」だろうか。

Edy Boardman was noticing it too because she was squinting at Gerty, half smiling, with her specs like an old maid, pretending to nurse the baby.

(U295.521)

⑧同じく第13章。浜辺にいるブルーム氏は少女たちを眺めている。ブルーム氏はイーディが眼鏡をかけていて、“squinty one”であると描写している。遠くからみているのだから、斜視であるとはわからないだろう。やはり「目が悪い」という意味だろう。だからイーディーは近眼で目が悪いことをもって "squint" と描写されていると考える。

Hot little devil all the same. I wouldn't mind. Curiosity like a nun or a negress or a girl with glasses. That squinty one is delicate.

(U301.777)

⑨第15章。ベラ・コーエンの娼館のゾーイがブルーム氏をSquintingする。“with sidelong meaning at”が「流し目」なので、Squintingは「目を細めて」か「横目で」と思う。

ZOE: (Makes sheep’s eyes.) No? You wouldn’t do a less thing. Would you suck a lemon?

(Squinting in mock shame she glances with sidelong meaning at Bloom, then twists round towards him, pulling her slip free of the poker.

(U417.2299)

⑩同じく第15章。ブログの第124回で見た通り、娼館を出たブルーム氏とスティーヴンは英国兵にからまれるが、葬儀屋のコーニー・ケラハーの馬車で助けられる。ケラハーは “asquint” と描写されるので「斜視」と考えられる。しかも彼は、“drawling eye” 「たるんだ目」(片目だけ?)をしている。(U87.685)(U493.4813)

BLOOM: No, in Sandycove, I believe, from what he let drop.

(Stephen, prone, breathes to the stars. Corny Kelleher, asquint, drawls at the horse. Bloom, in gloom, looms down.)

(U495.4887)

⑪第16章。馭者溜まりで、馭者が新聞を読み上げるとそこにいた水夫が “Give us a squint at that literature”という。これは⑤と同じで「ちょっと見せて」だろう。

―Give us a squint at that literature, grandfather, the ancient mariner put in, manifesting some natural impatience.

(U538.1669)

⑫第17章。ブルーム氏が11歳の時に新聞の懸賞に応募して作った詩の一節。“squint at my verses”とある。ここは単に「見る」だろう。”print”と押印するため特殊な単語の “squint” を使っているのだ。

An ambition to squint

At my verses in print

(U554.396)

ユリシーズ』に登場する斜視の人物は2人、スティーヴンの母方のいとこウォルター・グールディングと葬儀屋のコーニー・ケラハー。

19世紀オランダの牧師の肖像

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両の足はにわかに堂々としたリズムで

第182投。35ページ、207行目。

His feet marched in sudden proud rhythm over the sand furrows, along by the boulders of the south wall. He stared at them proudly, piled stone mammoth skulls. Gold light on sea, on sand, on boulders. The sun is there, the slender trees, the lemon houses.

両の足はにわかに堂々としたリズムで砂のわだちを越えて行進しだした。丸石で組まれた南岸壁に沿って。堂々と丸石を睥睨。積まれた石はマンモスの頭蓋。海に、砂に、丸石に注ぐ金の光。太陽はあそこに、細い木々、レモン色の家並。

午前11時ごろ、ダブリンの南東サンディマウントの海岸。遠浅の砂浜を歩いているスティーヴンの心中の声。

ティーヴンの思考は、詩的言語として周到に書かれていると思う。

"proud" ー "proudly" ー "south" に "au" の響き。
"boulders" ー "gold" ー "boulders"に ”ou” の響き。

"proud" と "march" から行軍のイメージを感じる

しかし彼はどうして "proud" に歩くのだろうか。

ブログの第161回で見たところでも、彼は "proudly"に歩いていた。その時と同じくやはり彼の友人で同居人のマリガンをまねているのだろうか。彼はマリガンにもらった靴を履いているのだ。

なぜリズム”rhythm”なのか。彼は詩を作ろうとリズムをとってるのだ。数ページ前にこうある。

Rhythm begins, you see. I hear. Acatalectic tetrameter of iambs marching.

(U31.23)

”south wall” は、今はダブリン港のグレート・サウス・ウォール(The Great South Wall)と呼ばれる岸壁。プールベグ半島の先端からダブリン湾まで4キロメートル以上伸びている。建設当時は世界最長の防波堤。この防波堤は、ダブリン湾の堆積を防ぐために建設された。1717年に工事が開始され、1795 年に完成した。

ティーヴンはいま印のあたりを歩いている。その先にはピジョン ハウス発電所(Pigeon House generating station)があった(〇印)。小説の現在(1904年)の一年前に稼働している。

Admiralty Chart No 1415 Dublin Bay, Published 1875

現在の地図(Google map)と対比してみる。スティーヴンのいる場所()はうめたてられて街の中になっている。

ピジョンハウス発電所は1976年に廃止され、現在は隣に建設されたプールベッグ発電所Poolbeg Generating Station)が稼働している(〇印)。有名な高い煙突はこの発電所のものである。

ティーヴンの眼前には細い木々やレモン色の家並みはないだろう。それらは1年前に留学していたパリの風景の回想だと思う。

サンディマウントの砂浜からプールベック発電所を望む

"Sandymount Strand, Perspective 7: Poolbeg 2" by Michael Foley Photography is licensed under CC BY-NC-ND 2.0.

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第181投。500ページ。

このブログでは、乱数に基づいてランダムに『ユリシーズ』を読んでいます。500ページが当たりましたが、500ページは第16章の手前の白紙のページですので今回はパスです。

ヘンリー・ホリデイによるルイス・キャロル『スナーク狩り』(1876)の挿し絵から、『海図』

"The Hunting of the Snark: Plate IV (Ocean-Chart)" by sjrankin is licensed under CC BY-NC 2.0.

ブルームは如何にして異教徒に斎日零食を供したか。

第180投。553ページ、355行目。

How did Bloom prepare a collation for a gentile?

He poured into two teacups two level spoonfuls, four in all, of Epps’s soluble cocoa and proceeded according to the directions for use printed on the label, to each adding after sufficient time for infusion the prescribed ingredients for diffusion in the manner and in the quantity prescribed.

ブルームは如何にして異教徒に斎日零食を供したか。

2個の茶碗にスプーン擦切2杯合計4杯のエップス可溶性ココアを投入、商品標示に印刷の使用説明に従い十分な溶入時間の後、規定の方法と分量に従い規定の溶散成分を添加した。

第17章。深夜、ブルーム氏はスティーヴンを自宅に連れて来た。泥酔したスティーヴンにブルーム氏はココアを飲ませようとする。第17章は始めから終わりまで問いと答えの形式により進行するが、ここはその様子を問いと答えで描写している。

“gentile”「異邦人」とは、ユダヤ人の父を持つブルーム氏にとって、カトリック教徒に見えるスティーヴンのことを指す。

“collation”とは、カトリックで断食日にとることを許される軽食のことをいう。小説の現在は、夜中の0時を過ぎており、1904年6月15日の金曜日なので、金曜は肉を絶つ「魚の日」(ブログの第177回)であることから、こういっているのか。スティーヴンは歯痛のせいか何も食べていないので(第161回)こういっているのかもしれない。

infusion” ー “diffusion” は対句になっている。

infusion” 「溶入」されたのはお湯で、“diffusion” 「溶散」する "ingredients" 「成分」とはクリームのことと思う。

この次の問と答えで彼がココアにクリームを入れていることが分かる。これはブログの第61回でみたとおり台所の戸棚にある「アイルランド模範酪農場のクリーム」である。彼が砂糖をいれていないと考えられる理由は後述します。

ブルーム氏は、この日、一日の始まりに豚の腎臓のソテーを食べ、一日の終わりにココアを飲む。この特異な食事は読者の印象に残るだろう。ココアとは、特にエップスのココアとはいったいどういう飲料なのか検索してみた。

ココア

まずココアの歴史について。以下のWeb記事があり、これに基づいてまとめてみる。

→ 日本チョコレート・ココア協会―チョコレート・ココアの歴史

→ 森永製菓―読むココア

キャドバリーのボーンヴィㇽココア缶

File:Ephemera collection; advertisement for Bournvelle cocoa. Wellcome L0030505.jpg - Wikimedia Commons

ホメオパシー

次にホメオパシーについて。

ホメオパシー(英: homeopathy, homoeopathy、homœopathy)とは、1796年にドイツの医師ザムエル・ハーネマン(Christian Friedrich Samuel Hahnemann 1755 - 1843)が提唱した代替医療である。

ホメオパシーは、病気の症状をもたらす原因となる物質(薬物)を少量ごとに、病気に罹患している人体に投与することで、体内の自然治癒力を増大させて、その病気を克服させるという発想の自然療法である。

19世紀は、自然科学と技術の発展による工業化が進み、都市化と大量消費時代をむかえたために、社会生活のありかたが激変していった時代である。そうした社会の変化を衰退とみなした人々にとって、自然療法の登場は近代の発展を否定する妥当な回答だと思われたのだった。

(森貴史『ドイツの自然療法』平凡社新書、2021年)

エップス

エップス家は、イギリスにおいて、何人ものホメオパシー医師と薬剤師を輩出した一家。ロンドンで食料品商を営むジョン・エップスの成功が一族の繁栄の基礎を築いた。

彼の息子、ジョン・エップス(John Epps 1805–1869)、ジョージ・ナポレオン・エップス(George Napoleon Epps 1815–1874)の2人はホメオパシーの信奉者で著名な医師、ジェームズ・エップス (James Epps 1821-1907) はホメオパシー化学者で、大規模なココア事業の創始者だった。

エップスのココアについて。検索すると以下の記事が見つかったのでまとめてみる。

Sue Young Histories

Lets‘s Look Again

ラウントリーのココア缶

File:Rowntree's Cocoa - TWCMS-G11480 (16692709351).jpg - Wikimedia Commons

エップスのココアとは、①アステカからの伝来以来ヨーロッパで飲まれてきた強壮飲料、②伝統医学に対抗する自然療法の観点から健康に良いとされる飲料、という意味を合わせ持つものだっただろう。

ブログの第158回でふれたように、20世紀初頭のイギリスにおいて、国民の体力衰退、つまりは国力の衰退が懸念されていた。1904年政府によりにまとめられた「体力衰退に関する部局間委員会報告書」“Report of the Inter-Departmental Committee on Physical Deterioration Fitzroy Report” が参考になる。懸念される衰退の要因として以下が挙げられている。

都市化/アルコール依存/人材流出による地方の衰退/出生率の低下/食品の品質/青少年の生活環境の悪化、

これに対したいわば「反衰退」の活動に関心が集まっていた。例えば、

郊外でのレクレーション/海水浴/自然療法/優生学/菜食主義/禁酒・禁カフェイン/清潔・衛生/滋養強壮のための飲食物/運動による体力増強

ブルーム氏は、これらすべてではないが「反衰退」の思潮に大きく影響を受けている人物として描かれている。

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