先輩OBからのアドバイス 音信 12750字 (original) (raw)

先輩OBからのメッセージ

対象は、5年以上在籍して、プロレベルの実力を習得し、ここのトレーナー,多くの受講生仲間を知った先輩へのアンケート,音信です。

学び方の参考にしていただければと存じます。

<お願い

最近、研究所で学ぶ意義やヴォイストレーニングについて、混乱している人、続かない人も出てました。そこで先輩諸氏が、ここで得たもの、学び方のヒントや活用法を教えていただきたいのです。

ここの体制、方法や指導の問題点、限界、マイナス点についても,思うままに述べていただいて構いません。研究所のPRのためでなく、あくまで、ここを利用した体験として、新しい人の学び方のヒントにしたい主旨です。

私自身、自分よりも、歌、音楽の才能のある皆さんと共に過ごせた至福の日々を至らぬ点を多々、反省しつつも、なつかしく思っています。 忌憚なくアドバイスください。

福島 (トレーナー,スタッフ一同)>

先輩OBからのメッセージ

1.研究所での日々、学べたこと

基本的な声を持つということがいかに大切なことであるかがわかった。とにかく、日本人が魅力的な、話し声を持っていないので、歌えるわけがない。

とにかく、息呼吸が、基本であり、それを得ることができたと思っている。外国に来てみると、やっと同じスタート地点に立てただけなのですが。アメリカにも下手な人はたくさんいます。でもうまくなりたければ、最低マスターしておかなければならないこと。

2.私にとってのここのトレーニン

今の自分のベースになっていること、正確なブレスをマスターしたうえで、今のトレーニングが理解できている。今の学校では、日本人もたくさんいるが、きちんとした声で話す人、歌う人は一人もいないと断言できる。自分は、言葉の問題を除けば外国人と同じ土俵で、レッスンしていると実感している。これは、何年もかけてブレスを練習し、獲得してきたからだと思い、自分のしてきたことに間違いはなかったかなと思う。

3.思い出、心に残ること

ただがむしゃらにやってたような気がする。好きでやってたことなのであまり苦ではなかったが、毎回、考えることが多かった。ノートとか今みてみると真面目でけっこう笑える。

あそこまで声にこだわったのは、自分の歌いたい歌を唄っているシンガーと自分の声。差をわかっていたからだと思う。客観的に自分を見ている冷静な自分と、自分ならできるという、うぬぼれともいえる。自信があった。今も、自信はないようなあるような。

今、ここで苦労しているのは、理論やイヤートレーニング。できれば、初見がきいたり、音を楽譜におこせると、仕事がとりやすくなるでしょう。音楽で、生きていこうとするなら早いうちに獲得しておいたほうがいいかもしれません。音楽は、インプットされた以上のアウトプットはありません。とにかく、たくさん聞くことをおすすめします。(しかもうまい人)

福島先生とは、そんなに言葉をかわすことも多くありませんでしたが、今でも学んだことは体の中で生きています。

どこの学校であろうと、それを活かすのは、生徒自身です。講師はあくまで素材です。人のいうことに素直に耳を傾け、自分で考えて消化し、自分のものにしていって下さい。あまりに自分の考えにこだわりすぎると、人の意見を聞かなくなります。あまりに受身だと自分で考えなくなります。自分自身をしっかりもちながら、心をオープンにして下さい。

1.研究所での日々、学べたこと

とにかく熱中していました。レッスンは片っぱしから出てみて内容をつかんでゆきたいと思っていました。その間、作品も150本は観ました。

この場所を最大限利用しよう(したい)と思って過ごしていました。レッスンに出た分、ステージ実習に出た分、一流・他の人から学べ、自分をチェックできました。感覚耳と声が大変身についたと思う。

2.私にとってのここのトレーニン

母校、スタートした所。原点に戻れる場所。学べる場所。他にはない貴重な場所。変わった所。自分恥ずかしい部分をさらけ出した場所。気の引きしまる場所。自分が選んだ場所。一生忘れられない場所。

3.思い出、心に残ること

BV座に出させて頂き、十曲歌ったこと(自分の中では熱唱!)と、その後の打ち上げが楽しかったこと。Xmasライブオーディションでの屈辱と挽回。

軽井沢合宿での練習と発表。毎月のステージ実習で、緊張しながら歌ったこと。レッスンで、一流のフレーズを聞いて感動したこと。フリーズまわしで、集中したこと。他多数。

私の心の中では、ここは永遠に不滅です。在籍中はいろいろお世話になりありがとうございました。

又、いろいろ利用(活用)させて頂き感謝しております。

最近、混乱したり続かない人が出てきたとのことですが、一つには、レッスンの内容が高度でついていけない、わからない、おもしろくない…と思う人が増えてきたためではないでしょうか。

わからない、やれないと思ってもついていけばよいのですが、すぐあきらめる人が増えているのだと思います。レッスンの内容を易しくするクラスなどはいかがでしょうか。

安定した運営、安心して学べる場所+魅力ある先生がいるというのは、大事なポイントだと思います。以上、いろいろと書きましたが、これからもここを応援したいがためですので、どうぞお許し下さいませ。

1.研究所での日々、学べたこと

行き始めたキッカケが「何か歌っても歌っても、決定的に足りないものが、私にはあるのではないか」という抽象的なものだったので、最初の2年はただやみくもにガムシャラに通ってた。ステージ実習とかライブ実習とか合宿とか、次から次へと追いつかなかったし、こなせなかったから余裕がなかった。

ここは何かを教えてくれる、というより、自分自身に何か問題がある、と気付いた時に、全てをゼロにもどして、見つめ直す場だった。何も教えてくれないからこそ、求め続ける歩き方そのものを身につける場だった。

2.私にとってのここのトレーニン

私にとっては、息吐くことそのものより、精神的に、こんな地味なことをやり続けることができるかと問われている感じが大きかった。モノトークや合宿で「なぜ私は歌うのか」ということを見つめて、実は私の中には歌にこだわる必然的動機などないのでは、という逆のことに気付いてしまった。2年、3年かけて、私は「いわゆる歌うために生まれてきた」人種ではないことを認めなければならなかった。

3.思い出、心に残ること

前の古いスタジオ、合宿で走った時、稲穂が黄金だったこと

私はずっと歌うことイコール生きることが完全一つになっているような人に憧れていた。プロになって、そのすごさを知れば知る程、私の歌がゴミみたいに思えた。「なんとなく歌っちゃう」私の歌のウソっぽさに吐き気がした。だから今、時間をかけて今までのゴミみたいな歌を、私の体から追い出そうとしている。ちゃんと忘れるのを待っている。私の歌の致命傷は、結局、体の芯から歌わずにはいられない「何か」が、私の中には、貯まっていないこと、歌わなくたって生きていける自分の「人生のゆるさ」だった。だから今、色んなことを真っ直ぐに見つめて、全身の細胞で受けとめて、毎日やるべきことを、勢一杯やっていくしかないと思っている。明日か来年か、10年後か、歌えるようになる日が、すごく待ち遠しくワクワクする。それまでは役者でもして、自分とは違う他人の人生を生きる苦労をして、感性の自由さを鍛えていこうと思っている。

1.研究所での日々、学べたこと

世界の基準。それを知り、それに追いつくことしか考えていなかった。心と体と呼吸と、声と、音楽。それらが一体になった時、“自由”が手に入る。空を飛べる。そのよろこびに勝るものは、この世にはないと確信している。

2.私にとってのここのトレーニン

ここに出会って、ゼロからスタートした。そのため、自分にとって“自分の音楽”と呼べるのは、研究所にいる5年間で、自分が感じられた確かなものだけ。だがこのことは、正直悔しい。世界の基準と比べた時の、あまりに貧弱な自分のバックグラウンド(基盤)

3.思い出、心に残ること

いくつかの、自分のステージ。悔しくもあり、うれしくもあった仲間達の鮮烈なステージ。音楽が渦巻いていた孤独な日常。

1.研究所での日々、学べたこと

とにかく、本物のアーティストに出会うことができました。それまで、オリジナルをただ歌っていたのに、今では、ゴスペルを中心に歌うようになっています。研究所に入っていなければ、今の声もありませんでした。まだまだ途上の身ですが、これからもマイペースで頑張っていきます。

2.私にとってのここのトレーニン

今の私の声は、90%がここであるといっても過言ではありません。個人レッスン30分のテープを毎日聴きながら練習しています。これに出会っていなければ、結婚式でゴスペルを歌う依頼もなかったと思います。

3.思い出、心に残ること

「歌っている人は誰ですか?」マヘリア・ジャクソンのサイレントナイトを聞いていた時、福島先生に尋ねたことは、今でも忘れられません。フォークを歌っていた私が、なぜマヘリアを聞かなくてはいけないのか、わからなかった入門当時のエピソードです。今では、5本の指に入るフェイバリット・シンガーなのに…。

いずれにしろ、私自身の今の声は、福島先生とここから学んだものであることに間違いありません。私の歌や声に興味を持った人に、私の歌のテープを聞いてもらうことがあります。ここを始める前、始めて2年程、そしてそれから2年程...昨年、今年といったように...です。理屈ではなく、こういう声が、こうなった...という証拠を聴き比べてもらうためです。他に何をやった...というわけではないので、他のものを無責任にすすめられません。自分が体験してきたものしか、わからないので...。しかし、「いい声をしている」といわれると、福島先生の顔を思い浮かべます。この人のおかげですから!

1.研究所での日々、学べたこと

「歌で表現するために足りないと感じたことを自分で埋めていけばいい」と福島先生はよくおっしゃっていたと思う。私自身、研究所のなかで学ばせてもらったというよりは、研究所におけるレッスン、福島先生の発言や文章等で剌激を受けたことを日常生活の中に持ち帰り、自分自身で探究したり深めていって、自分自身のやり方で何かを学んでいったのだと思う。

実際、学ぶことや、学ぶための具体的な方法や道筋は、ひとりひとり違ったものだと思うし、ひとりひとり試行錯誤して自分にあったものを見つけていくものだと思う。

私は人間が成長するために絶対的に必要なものは、自ら問いをつくることだと思う。不思議なことに、問いをつくると、宇宙は満足できるような答えを与えてくれるような気がする。

私が当時持った疑問として今でも印象に残っているのは、「なぜゴスペルを歌う黒人はあれほどまでに神を信じているのか?」「神とは何か?」「宗教とは何か?」「人が感動したり、特定のグループに引き付けられるのはなぜか?」「人間の意識・身体の構造はどうなっているのか?」「そもそもこの世の仕組みはどうなっているのか?」「創造のプロセスとは?」…。これらの問いについては、自分自身、ある程度納得がいく結論に達することはできた。今後は、日々、自分自身が創造のプロセスを続けていくだけだと思っています。

2.私にとってのここのトレーニン

私にとってのここのトレーニングについてあらためて考えてみると、私が取り組んでいたポイン卜は主に次の二つでした。一つは、深い意識から声を発するためのトレーニング、もう一つは、イタリア語やスペイン語などの母音を主とする言語の歌のように「日本語の歌でもアクセントがそのままフレーズとなるような深い声の歌い方を探究することでした。後者については、私自身納得できるまでできたとはいえませんが、前者については、いろいろ探究した結果、意識が深くなって声が深くなっていくと不思議なことにそれまでの感覚を超えた部分が認識できるようになるし、もっと重要なテーマを追求したくなってくるのです。そうして、一つのことを繰り返すことによって深い意識の自分を探っていくに従って、人間の仕組みであるとか、この世の仕組みなど、もっと本質的な事柄を探究する方向に進んでいきました。

「本当の私」を探究するにつれて、入る頃の「歌い手になりたい」という動機そのものが、ただ単に「みんなの注目を浴びたい」という、今から考えれば子供じみた動機があったと思いますが、実は世の中そんなに甘くなくて、何かを与えることによって、人との関係、社会との関係が続いていくんだということに遅ればせながら気が付くことができました。だから、本当に歌い手になりたいのなら、お客さんに何か価値のあるものを提供して、お金という価値のあるものを受け取れるようにならない限りプロにはなれないのですが、今考えればそんな当たり前のことも、若い頃には理解できていなかったと思います。

3.思い出、心に残ること

「思い出」という言葉に触発されて出てくる印象深い記憶は2つ。一つは、数年前は福島先生が塾生を褒めることはほとんどなかったと思うのですが、特別ライブ実習での私のステージに対して、一度だけ認めていただけたことが印象に残っています。

もう一つは、合宿で行った、喜怒哀楽を表現したり、天と地の声を出すエチュード。現在は、「天と地をつなぐのが人である」という考え方に落ち着いているのですが、「天」と「地」というのをはじめて意識することになったのがこのエクササイズでした。また、合宿で演習を行ないましたが、このとき初めて「聖なる予言」という著書を知り、ちょうどその頃ゴスペルがきっかけで宗教について調べていた私は、その後、たくさんの精神世界関連の本を読みあさりました。そして、現在、こういった方面を教える仕事をすることに繫がっています。

私は、ある時期から正攻法のトレーニングではなくて、いろいろと別のやり方を試したりしていました。まず試みたことは、ヴォイストレーニングに精神世界のノウハウを取り入れるというものでした。これは、あるとき気が付いたのですが、深い声でシャウトするためには、自分に嘘をついていては絶対に無理で、自分に正直になって心の底から本心をさらけ出す必要があるということでした。もし、歌訶に自分の思いとは整合しない部分があると、その歌詞の言葉を深い声にすることができないと感じたのです。そこで、自分に正直になる、ということは精神世界においては特に重要とされることですが、日常生活の中で、本当に自分に正直に何でも発言し、行動していると、何もトレーニングをしなくても声が深くなっていくという体験をしました。どうやら人間というのは、本音で生きていると、本物の音(声)が生まれてくるような気がしました。

もう一つは、発声に関する世間の常識としては、声は身体の器官が共鳴していると説明されているのですが、どうしても納得ができない感覚がありました。声が身体の外で響いているような感覚があるのです。精神世界系の本を読むと、チャクラという目に見えない構造が人間の身体に7つあるということなのですが、私はこの7つのチャクラが、発声に重要だといわれている器官と位置が重なっていることが、どうしても気になりました。そこで、チャクラを意識し、その部分を響かせる練習などもしてみました。

最近、流行っているヒーリングというのは、基本的にはエネルギーの流れを滞らせているブロックを取り外し、本来の人間が持っているパワーを出させ、現実創造がスムーズに行われることが目的だと思っているのですが、こういった方法が発声トレーニングに活用できるのではないかとも思っています。

私ほどレッスンの数はそれほど出席していないにも関わらず、福島先生からたくさんの影響を受けている塾生はいないのではないかと、自分自身思っています。というのは、福島先生の歌に対する思い入れだけでなく、観察力の鋭い福島先生が何を考えているのか、とにかく何でも吸収したいと思い、ほとんど読みあさりました。研究所においては、「書くこと」も重要な位置を占めていましたが、「書くこと」の重要さだけではなく、「メモ術」「情報とは活かすもの」「表現」「アウトプット」「仕事とは?」「感性について」「クリエイティブとは?」「ライフワーク(一芸)」等に対する福島先生の考え方が、ビジネス書にも関わらず本質的な言葉としてちりばめられていて、この核の考え方が私の現在の活動のベースになっています。

1.研究所での日々、学べたこと

当時、何がなんだかわからないけれど、とにかく「体を使って歌を歌うのだ」と、ひたすら息を吐いていた自分を思い出します。あの頃は、ここのトレーニングの生き証人であるトレーナーもいて学ぶことはとても多かったと思います。

NYに来て改めて、自分がここのトレーニングを学んで、本当によかったと実感しています。別に福島先生にごまをすろう、というのではありません、念のため。とにかく、「基本」なのです。リズム、フレージングが、いかに大切か、こちらでのJAZZワークショップなどでもいつもいわれていることで、これがないと音楽にならないのです。どんなに美しい声で、メロディーどおりに歌えても、評価されません(クラシックは別だと思いますが)。そして、リズム感を養い、自分のフレージングで歌えるためには、体から歌が生まれてくる感覚を知っていなければならず、それを知らない人の歌は、一見うまそうに聞こえても伝わっては来ません。

私は、はっきりいって、ここのトレーニングにおいては落ちこぼれだと思っています。そんな私ですが、聞いた本物達の歌声、思いっきり表現することを学んだレッスンでの経験、が、今の私の歌の基本となっており、NYに来てから、パフォーマンスの後、「いい声をしているねえ」、といわれることがよくあります。

1.研究所での日々、学べたこと

ここのトレーニングをやっている人たちが必ず苦しむ問題が、「トレーニングの時の状態で人前で歌う」ということだと思います。たとえば、パフォーマンスしている最中に、「声を胸でキープしなくちゃ」、とか、常に考えてしまうこと。私も、これでかなり苦労しました。もしできるのであれば、最初、ここのトレーニングについて自分なりにわかるまで、人前で歌わない方がやりやすいかもしれません。

基本の1オクターブができたら、高い音につなげていくやり方も自分の体でわかってくると思いますが、これはかなり私にとっては難しい作業で、今もできてはいないです。

NYに来て、ヴォイストレーニングを受けて、感じたことですが、上級者になったら「舌を前に出す」「パレット(喉ちんこの両脇の部分)をACTIVEにする」など、声がもっともっと前に飛ぶような方法をとりいれるとよいと思います。

最後に…福島先生がレッスン室で私たちに要求していることは、ここNYで、世界で共通に必要とされる「基本」だということを感じています。

1.研究所での日々、学べたこと:

最初の1年は、納得できるまでやりきれなかった。会社を辞め、自分で時間をコントロール可能になってからのほぼ1年〜2年、集中して濃い関り方をしたように思う。とにかく、ある期間、ある密度をもって事に当たれば、方法が正しかろうが間違っていようが、基準となる何かは得られるものだ。私にとっては、その時間にここで得た、心と体と声の結びつきが、その後の核となっている。

誤解を恐れずいえば、研究所は何も教えてくれない。ここにはただ材料と場所と時間、そして同じように何かを得ようとしている何人かの人がいるだけだ。だからいつも渾沌としている。学生の時のように、何かを与えてもらうのを待っていても、何ももらえない。自分で渦中に飛び込み、手掛かりを探して、自分の欲しいものを見つけ、自分の物にする。もしそこに、仮に答えが転がっていたとしても、自分に見つけだすだけの準備がなければ、それは答えとして認識することができない。まったく不親切きわまりない。他人には「研究所っていいよー」とは薦められない。しかし、だからこそ、信頼できると私は思っている。学ぶということの本質がそういうものであるから。その学び方が私がここで獲得した最大のものだと思う。

だから、ここには終わりがない(目下のところ。私が知るかぎりでは。)。学びたいことが自分の中に沸いてくるかぎり、ここには学ぶべきことが転がっている。

もちろん、ここのほかにも、勉強できる場所はたくさんある。世の中そのものが大きな勉強の材料である。だがしかし、いざ何かを探し始めると、引っ掛かってくる情報はえてして、加工され、整理されすぎている。

研究所は、根底に音楽への強い欲求があるうえで、渾沌としているから、かえっていろいろなものが丸裸で存在しているように思える。ここで、様々な講師を見ること、日々変化する研究生を見ること、こんなおもしろい材料は他にない。何かを教えてもらうためではなく、この貴重な場所を確保するために授業料を払っているという感じ。

2.私にとってのここのヴォイストレーニング:

始めは体で声を出すという概念に出会っただけでぶっ飛んだ。が、その後、何もそんなことここのトレーニングに限ったことじゃなく、あたりまえのことだと知った。とにかくここにいるとわからない事だらけだから、半端じゃなく本を読んだり、他の情報を集めたりする羽目になる。で、散々あちこちに首を突っ込んだ結果、思いっきり、はしょってしまえば、あらゆることが同じだとわかる。声を出すことも、体をうごかすことも、字を書くことも、皿を洗うことも…。研究所は特別じゃないということに気づかせてもらったという点で、研究所は私にとって特別なものになった。

3.思い出、心に残ること:

うーん。私にとってはまだ過去のことにはなっていないので。

この場所を拓き、維持しているということが何よりも素晴らしい。やめる理由はいくらでもある、むしろその方が多いのかもしれない。でも、続けているということ。このことは本当に尊敬に値する。

福島先生ご本人はそんなこと望んでいらっしゃらないでしょうが、結果としてこれがいかに社会にとって大きな仕事になっているか。少なくとも私は、ここにこなければ今歌ってなかったし、一生音楽を続けていこうなどと決心もしていなかったに違いない。私の勝手な言葉遣いだが、何かを「あきらめてない」感じがする。人が生きていくときにとても大事なこと。うんと抽象的になるけれど、「希望」のようなもの。個人が切実に生きていくことが、結局いつか社会と交わり、何か(誰か)を変えていくということかもしれない。

今後も、この場所と、福島英という類いまれな耳を最大限に利用して、わがままに自分本位に私の音楽を探していこうと思っています。できれば、なるべく多くの人に、途中退場せず、密度は濃淡様々でも、いろんな形で関りながら、自分勝手に利用し続けて欲しいと思います。そういう古漬のような連中が何人もいた方が、この場所は豊かになると思います。時にはマンネリのふぬけた姿をさらし、若者たちに「ああはなりたくない」見本となりながら、何年かに1回ぐらいは、薄い皮を一皮脱いでみたりして、一生変われるということを見せつけてやりたいものです。10年20年などというサイトで物を考えられるようになったのも本当に最近のこと。

入門するときに「遅くないでしょうか」とオリエンテーションで質問したのを憶えています。今思えば何をおそれていたのでしょうか。今となっては年をとってほんとによかった。

ここにはあらゆるものがあります。声のレッスンだけではありません。楽典の基礎を学べるレッスンもあります。ピアノだって教わることができます。最もすばらしいのは、過去のさまざまな音楽を観賞するチャンスがあります。

ならば、ここにないもので、かつ私がここに通いはじめた以降に出会ったもので、私が多大な影響を受けたもので、もしかしたら他の人にも役にたつかもしれないものとは何か。それを考えてみました。そういうものがあれば、それが伝えるべき一番のものではないかと。

で、ありました。でも、それは、私が今も欲しがっているものであって、私から人へ手渡せるようなものではありませんでした。

歌おうと思ったこと。歌ってみたこと。声が欲しくなったこと。ここへ来たこと。それらは全部つながっています。それと並行して、なぜ、歌いたいのか、なぜ声が欲しいのか、もっと遡ればなんで音楽がやりたいのか、という問は、誰でもそうだと思いますが、常にとなりにありました。それは人間が生きていきながら、生きることは何なのか、自分とは何なのか問い続けることと同じでしょう。これを考え続ける助けとなったものにいくつか本があります。

音楽哲学というと大仰ですが、音楽を通した思想の本は、声を得ようとする過程で、決定的に私を支え、また反対に、声や身体に現れる変化が、考えをより魂深くまで浸透させてくれるような気がしました。

結局、この手の話になると、魂とか心とかを避けて通れないので、とても繊細な問題になってきて、それこそ個人のレベルでしか扱えないものになってしまうのが難しいところです。

しかし、音楽を追いかけていくということは、私にはそういうこと、つまり「音楽って何?」「生きるって何?Iと問い続けることと同じ意味になってしまいました。

そして、そこが私がここにいた間に最も大きく変わったところだと思うのです。それが結果として歌に結び付いているのかどうか、客観的な判断はまだしかねます。しかし、最も興味があるのは、このことですし、今後も中心になると思っています。

多分今20代の人達は、私よりもずっとたくさんの音楽が身近にあったようでいて、実は、ぜんぜん音楽的な体験は少ないのじゃないかと思うことがあります。倍音や共鳴を生で身体に浴びる、それに浸るというのは最も貴重な音楽的体験です。メディアが発達した分、楽器がお手軽になった分、そうしたものに触れるチャンスはかえって減っているようです。

頭が頑張ると心が鈍くなります。心がよく動く状態にもどさなくてはいけません。私は自分の魂の形を知りたいです。たくさん重ね着した、あらゆる抑圧から自由になりたいです。

レーニングをすると、回り道はしながらですが、少しずつ薄い皮をはぐように声というものが変化していきます。これは別のものに変わっていってるのではなく、もともとあるものにたどりつこうとしているのだと感じます。同時にそれは社会で上手に生きるために厚着した魂が、一枚一枚身軽になって、表に近づいていくことでもあります。魂のない歌はありません。それは隠れているだけです。

社会的にあるいは個人的にでも、とても強烈な状況に置かれると、魂はやむをえず露出してきますが、私が生きている世界は、魂を隠すことで大勢の幸福が守られると共同で幻想しているような世界です。だから、いつも隠れている魂が出やすいように、出口を作ってやることがトレーニングです。魂から出たものしか魂に届かないし、魂は本来出たがっているのだと思います。私の魂はどんな形をしているのか、私は本当はどんな人なのか。とてもとても知りたいです。

380225

音信

ただセリフを怒鳴っているのと、何かが込もっているの違いを思い出した。歌はなおさらだ。ところが芝居以上に、歌でそこに、日本では先生以上にこだわってる人っていないと思った。

皆、長く歌ってるうちに忘れてしまったり、マヒしてしまうのでは...

自分の課題に関しては、構成するのが楽しかったし、初心に戻れたと思う。自信も取り戻した。

無名塾じゃないけど本物が排出されていく、いいですよね。

今はまだ過程、しかし結果は出さねば。私も本物であり続けなければと思いました。

授業で油断したりすると、やっぱりがんばってる人、がむしゃらな人にはかなわない、じゃないけど人間それがなきゃ落ちるだけだし、人前で何かやるなら、気力、体力、モティベートは基本ですね。

今の日本の業界でこれだけ本物にこだわっている人(こだわり続けてそうな人)って福島先生だと思います。最近、どこも不景気ですが、本物の時代、次の時代が来る予感がします。

(私も含め)皆いつまでも先生の”バラの花”ですよね。

皆先生の一種のファンなので、もっと認めてほしいのだと思います。(先生も基準を下げられないと思いますが)Privateな会話はまだ一度もしたことなくても、(気持ちの上では賛同、支持していても)、もっと皆、私だけ先生を独占しているように感じているだろうし、申し分けないと思ってる、私も気くばりできるようでありたいです。

きっと皆先生が大好きなのだと思います。だから認めてほしいし、(ほめると止まるから何かいってほしいのだと思う。難しい所ですが)

最近先生のブラックユーモア的コメントがきけなくて、ちょっぴり物足りない。いつもお元気でいらしてください。記念のキャンペーンどうもありがとうございます。

今日はプロシンガーの方の公演の日ですね。参加できる人たちがうらやましい限りです。

私は今、家業に追われ、働きに出ている毎日です。しかし、先生の個人レッスンのテープに合わせ、発声はずっと続けています。ここのことなども記載しましたが、ここには書ききれない事もたくさんあります。でも少なくとも、今の私の声は、福島先生と出会っていなければありえない...ということだけは声を大にして言いたいと思います。

24時間、歌や声のトレーニングだけに打込める環境があっても、集中できなければ何にもなりません。家のこと...などという言い訳はせず、マイペースですが、地道に勉強と思っています。

まだまだ途上の身、これからも勉強して、聞く人に鳥肌を立たせるような歌を歌っていきたいと思います。

「続けることが才能」先生のお言葉、私の座右の銘です。

「オレがお金を払っても、なんとか、歌を続けてもらいたい。」

東京を離れる際、そういってくれた仲間の言葉も、忘れません。

どうぞ、お体お大事に。

例え最初は小さくとも、何か新しい動きを始める時に、その中に自分も参加できていれば素晴らしいという、唯それだけだと思います。もちろんこの場に今までいた上で、方向性に共感していると思っているからこそ、そう思うのであって、ゼロからやっていくならどんな事でもよいという訳ではありません。

今いえるのは、とにかく小さな事でもよいから自分の力が役に立てられればと思っています。

例えば自分がライヴをやらせていただくのに、自分は何にも偉くないのに、すごく他の人達にお世話になっています。前々日からギターを預かっていただいたりと、本当に分不相応のわがままをさせてもらって非常に申し訳ない気持ちで一杯でした。

その分、実演で返す事が本当の姿なのですが。自分は何のために独りで東京に出て来たのかと考えるにアルバイトしにやって来たのではなく、創作したいから、こういう活動に参加したいからやって来たのです。そのために練習しているのであって、活かし切るのは、当たり前だと思っています。