ブーレーズのふくれっ面のブラームス、または共感しない指揮 (original) (raw)

ブーレーズNYPによるブラームスの「ハイドン変奏曲」という動画をYouTubeで見つけたときは「えっ?」と思ったけれど、聞いてみると、たしかに音響バランスは70年代のブーレーズの演奏だ。管楽器のクリアな響き、低弦の運動性、内声の蠢き、リズムの硬質さ、テクスチャの透明な重層性。その一方で、管楽器がソロで吹く箇所にしても、弦楽器の一つのパートだけが浮き上がる箇所でも、フレージングのほうはコントロールしすぎないで、奏者に任せているようなところがある。その結果、NYPの雑味が強く出た演奏になっている。

それにしても何とも気の入っていない演奏だ。冒頭はとくにそう。この曲でこのようなテンポは初めて聞いた。クレンペラーチェリビダッケ的な意志的なスローテンポとは一線を画する、あえて中途半端なところに留まり続ける、宙ぶらりんな、後ろ向きに前に進んでいくような、不思議な足取り。

たとえ基調となるテンポが遅くても、細かい音型になると必然的に運動性は高まるし、変奏自体が早めのテンポを要求している場合は、相対的にはスピードは上がる。しかし、それでも、何か自然な加速を抑止しようとしている部分もある。リタルダンドの指示を執拗に遵守し、ことあるごとに流れをたわめていく。

ここにはシェルヘンにありがちな表現主義的なテンポの急変動はない。最初に設定された足のつかない浮遊感がキープされていく。

この乗り切らない音楽によくよく付き合ってみると、ブラームスの旋律が自然に要求するルバートを意固地なまでに拒絶し、メロディーを必要以上に歌わせないことで、縦ノリのリズム動機と横に流れる旋律動機とをひとつの時間軸のなかでシンクロさせることがブーレーズの狙いなのだろうかという気がしてくる。

その意味で、インテンポの演奏のようでいて、それとはまったく別のものを目指していることになるだろう。ブーレーズはたしか同時期にバイロイトのオーケストラを指揮しており、バイロイトに集う音楽家たちが、楽譜には書かれていない慣習的な演奏法をすることに苦言を呈し、彼は楽譜に立ち戻ろうとしたのだというようなことをあるインタビューで述べていたように記憶しているけれど、このブラームスもそれと似たようなところがある。「ブラームスといえば…」というような先入観を排して、戦略的なかたちで「楽譜どおり」に演奏しようとしているようだ。

おそらくそのような「あえて」の正確さ――自然に旋律をふくらませたがる奏者にたいする意地悪のような抑制――があらわになるのは、フィナーレの最後。弦楽器が16分音符で奏する上昇音型の繰り返しがディミヌエンドし、リタルダンドがかかって6連符になり、さらにリタルダンドがかかって6連符から8分音符に移行し、突如としてフォルティッシモのインテンポで16分音符の上昇音型が再帰するという一連の流れのなかで、弦楽器に何とも律義に拍を刻ませる。木管金管ロングトーンにしても、打楽器の頭打ちにしても、そしてフォルティッシモ以降の4分音符の打ち込みにしても、前のめりを許さないようにコントロールされている。

面白い試みではあるし、まったくの無表情の演奏という感じでもない。旋律は歌っていないが、それでもそこからにじみ出てくるブラームスの旋律性がある。楽曲自体が持っているテンポの変化のおかげで、必然的なかたちで音楽に生命が宿っている。

ブーレーズの他の演奏を知っていると、ここには、彼が不慣れなレパートリーを振るときによく聞かれる特徴が現れていることにも気づくだろう。インテンポを貫くのは、解釈上の要求というよりも、経験不足を補うための策であったようにも思う。BBC響とのマーラーの9番の演奏記録のなかには、3楽章がクレンペラー張りの超スローテンポのものがあったが、後の演奏ではわりと標準的なスピードになっていた。その一方で、ブーレーズは、あまりにも演奏されてきた古典を刷新するために、あえて不自然なスローテンポをとったこともある。たとえば、ニューフィルハーモニア管とのベートーヴェンの5番の録音だ。

また、第五変奏での細かな動きのように、シェーンベルクのオーケストラのための変奏曲を微妙に想起させるような部分もあるにはある。ただ、シェーンベルクのこの曲をブーレーズは決して高く評価していなかったと思う。

ただ、良い演奏かといえば、「ノー」だ。批判的な演奏と言うよりも、ふくれっ面の演奏という感じ。ただ、とてつもなく面白い演奏ではあるし、おそらく今後このようにブラームスが演奏されることはあるまいという気はする。

ここまでブラームスに共感できない/共感したくない指揮者はあえてブラームスをプログラムに入れないだろうし、ブラームスに共感する指揮者があえてこのような曲の魅力を意図的に減じるような演奏をするとも思えない。ブーレーズがこのようなブラームスを演奏したのは、NYP音楽監督が強いた現実的要求にたいする彼なりのひねくれた返答だったのかもしれない(しかし、この動画で使われている何かのマスコットとのツーショット写真のブーレーズは、それほど嫌がっていないようにも見える)。

youtu.be