我虫ゆえに俄あり (original) (raw)

「虫」に「我」と書いて「蛾」なのだから、『胡蝶の夢』を「我」をめぐる説話と捉えるのならば蝶よりも蛾が相応しい気もする。もちろん、「世(世界)」をめぐる説話と捉えれば、「世」と「木」の入った蝶こそ相応しいとも考えられる。いずれにせよ、漢字ありきの雑感でしかないが。

しかし、自分が蝶になった夢というのは、いささか厭らしいナルシシズムを感じるところでもあり、言ったのが荘子だから苦言を呈しにくくなっているものの、たとえば私みたいな奴が突然「昨日、蝶になった夢を見てさ」などとぬかしやがったら、その時点で大半の人間が聞く気を失うだろう。嘘でも「蛾になった夢」とした方が、少しは摑みとしてマシなのではないか。

いや、蛾が蝶よりも下等な存在だとするのも、統計として信用できるだけの調査が行われたわけでもない、雰囲気だけの多数決による偏見でしかなく、蚕をペットにしている者もいるため、「蝶VS蛾」的な議論自体が蛾を愛する者を傷つける不適切なものだと批判の対象となるかもしれない。荘子も現代的なコンプライアンスの中であれば、不必要に話を先回りした一部の聴衆から「蝶でなければいけないのですか? 蛾では駄目なのですか?」といった声が上がり、こんがり炎上している様子も想像できてしまう。

もっとも、荘子の着地点は結局のところ「夢が現実か、現実が夢か、それはどちらでもよい」ということになるわけで、万物は絶えず変化し、蝶でも蛾でも蟻でもなく、むしろ全てが「俄」といったところだろうか。それにしても、虫と人の差で「蛾」と「俄」が出来上がるのは、奇妙というかなんというか。

(余談)『クレヨンしんちゃん』の劇場版シリーズの中でも特に評価の高い第9作目『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』に対して、押井守監督による永遠の問題作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を連想したという声が今も見受けられるのだが、『ビューティフル・ドリーマー』が描いた終わりなき世界とそれを構築するものへのメタフィクション的批評性という点から考えると、むしろ近いのは第12作『嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』の方ではないかと思う。

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