政治に関心を持つことの重要性 我々がしっかり舵をとろう (original) (raw)
石破総理が誕生し、来週末には衆議院の総選挙が行われます。
政治家の顔ぶれを見ると、小者感が否めず、「日本の政治家はレベルが低い」
これが多くの国民が感じていることではないでしょうか。
一方、田中角栄や中曽根康弘、竹下登など昭和の政治家たちは器が大きく
存在感があったように感じます。
どうしてこのような違いが生まれてきたのでしょう?
これに影響を与えた要因がふたつあります。
ひとつは議員内閣制です。日本では国会議員の中から内閣総理大臣が指名される
間接選挙です。このため国民が国のリーダーを自ら選んだという自覚が得にくく
政治に対する関心が薄くなってしまいます。
ふたつ目が1994年に導入された小選挙区制です。それまでは中選挙区制で
ひとつの選挙区から3~5人の候補者が当選できました。そして彼らは外交や
経済政策、安全保障などで戦略的なビジョンを示せる政治家であり、日本の行く末を
明確に示し国民を引っ張ってきました。
しかし、小選挙区においては、当選者はたったひとりです。政治の世界には
「猿は木から落ちても猿だが、政治家は(選挙に)落ちたら、ただの人」という
格言があるように、当選しなければ、職もありません。そのため国民の顔色を
伺い、御用聞きのようなような政治家が増えていきました。国民に寄り添うと言えば
聞こえが良いですが、結局は応急処置しか行わない、小手先の政治家が増えて
しまったのです。
また昭和の政治家と平成、令和の政治家を比べると、その情熱が桁違いです。
その差は戦後という環境なのでしょう。戦略なき政治によって、国が焼け野原に
なり、350万人以上の国民が亡くなった経験が、大きな違いを生んだのです。
昭和の政治家は政治が道を誤ったときに、国民がいかに悲惨な境遇に陥るのか、
国家がどんな末路を辿るのかが、骨の髄まで染み込んでいます。
そのため自分の命を削ってでも、国を引っ張ていく覚悟があったのです。
地盤、看板、鞄の「3バン」は世襲できますが、経験までは相続できなかった
ようです。象徴すべきなのは、国民への語りかけでしょう。今の政治家は官僚の
作った原稿を読んでいるに過ぎません。昭和の政治家のように自分の言葉で
心に語りかける政治家がどのくらいいるでしょうか。
しかし、現在の政治に悲観して、選挙を放棄してしってはいけません。
たった一票では何も変わらないかもしれませんが、それでは現状は変わりません。
投票率が高ければ、基盤を持たない新人にもチャンスになり、新しい風が
政治の世界にも吹き込みます。松下幸之助は「民主主義国家においては、国民は
その程度に応じた政府しかもちえない」と言いました。
我々一人ひとりが、政治に関心を持ち、監視することで、すごい政治家は生まれない
かもしれませんが、ましな政治家は誕生することでしょう。
みんなで政治家を育てて、国をよい方向へと進めていく意識を持つことが
大切なことだと思っています。
選挙に行って、自分の意志を示しましょう。