うたた雑記 (original) (raw)

2024年9月28日(土)

北見第一ホテル🚘大空町ヒマワリ畑?🚘能取湖サンゴ草群落🚘レストハウスところ🚘ワッカ原生花園

今年2度目の「レストハウスところ」で、念願のほたてラーメンをいただく。

昨夜から降り続く雨は、朝になっても止む気配はない。

それでも"ひょっとして・・"と希望を胸に、いったんは川湯温泉方面を目指すものの

進めば進むほど雨脚は激しくなるばかり。

美幌町を過ぎたあたりで、やむなくギブアップ。

取り舵いっぱいと北方へハンドルを切り

手近に見つけた観光スポット「大空町のヒマワリ畑」を目指した。

ところが、ナビで案内された場所には・・

ヒマワリのヒの字もない、だだっ広い荒野?が広がるばかり。

グーグルマップのナビでたどり着いた、大空町のヒマワリ畑。

「10月上旬まで一面のヒマワリが楽しめる」はずのエリアは、ごらんの通り。。

降りしきる雨のなか黄色い花を探して歩き回るも、収穫はゼロ。

おそらく今年は早めに収穫したのだろうと、肩を落として車へと戻った。

気を取り直し、さらに北を目指すことに。

次なる目的地は、オホーツク海につながる能取湖を代表するスポット。

ご存知、サンゴ草群落だ。

ちょうど見頃だからだろう、道路脇の駐車エリアに何台もの大型バスが並んでいた。

いったいどこにいたのか!?と驚くほど多くの観光客で賑わっていた。

・・・とはいえ、大多数はちょっと眺めるだけで慌ただしくバスへと戻ってゆく。

おかげでサンゴ草群落の遊歩道は、途中まで行くと一気に人口密度がダウン。

赤く萌えるサンゴ草をじっく楽しむことができた。

にしても雨模様でさえ、この鮮やかさ。

もし青空が広がっていたら・・と、ついついないものねだり。

ーーま、天気ばかりは仕方がない。

肌寒いなかを行き来して冷え込んだこともあり、早めに昼ごはんをいただくことに。

能取湖から西へと走り、目指したランチスポットは・・

4カ月ぶりに訪れたレストハウスところ。

折しも土曜日のお昼時、地元の人たちが次々と車で乗り付けていた。

かろうじて残っていた空きテーブルを確保。

さて何を食べようかと迷う視線の先に、ほたて日本一の暖簾が。

前回頼んだのは「帆立づくし定食」だったけど・・・やっぱここは"ホタテ一択"だな。

てなわけで、前回相方が注文し、やたら美味そうだった「ほたてラーメン」に決定。

ひとくちスープを飲むと、口の中いっぱいに濃厚なホタテの旨味がひろがる。

個人的には、「帆立づくし定食」よりもこっちの方が美味しく思えた。

相変わらず天気はぐずつきっぱなしだけど、お腹はポカポカ気持ちいい。

さあ、次はどこへいこうか、と気合を入れて出発する。

サロマ湖の東側に広がる、ワッカ原生花園

その入口に建つ、サロマ湖ワッカネイチャーセンター。

展示休憩施設とカフェ、工芸品から衣類の販売処など盛りだくさん。

格安だったウインドブレーカーを衝動買いしてしまった。

風は冷たいけど、せっかくここまで来たのだからと原生花園を歩く。

花の盛りは終わったのか、一面の枯れ野原が広がるばかり・・と思ったら。

よく見れば、足下にはアジサイっぽいピンクの花。

咲き残ったハマナスの花も頑張っていた。

ここにもハマナスの花ーーいや、これは実のほうだった。

後で調べてみると、食べられるとのこと(あまり美味しくはないらしい)。

小雨がポツポツ落ちてきたので、ワッカ原生花園の散策は15分ほどで終了。

・・・ここもまた、機会があったらぜひ再訪したい場所だった。

空は暗いけど、時刻はまだ午後1時半を回ったあたり。

このまま今日の宿に直行すると、チェックイン前に着きそうなので

もう一カ所、立ち寄ることにした。

道の駅サロマ湖を過ぎてほどなく、南へと進路を変更。

雨に濡れる無人の道を走ること7~8分。

不思議なフォルムの建物のなかに、目指す「お店」はあった。

その名も「若里ジャージーミルク工房ARBO(アルボ)」。

ここで、ほたてラーメンと肩を並べる――別物だけど――うまい!!に出逢った。

ではでは、またね。

もし自分に姉か妹がいたら、人生はずいぶん違ったものになっていたに違いない。

鋭くも的確な女性たちの心理描写が 、そんな確信を強く抱かせてくれる。

第一章 十月三日 山梨県甲州市 カフェ

古橋由起子(旧姓・三枝)チエミの小学校から高校の元同級生、部活仲間

家を出たことは一度もなく、高校卒業後も地元の短大に進み、そのまま県内で就職したという彼女の「すごいね」には、言葉通りの感嘆と、それ以上に、突き放した「違うもの」を語る感覚があった。それは彼女だけではなく、地元の他の友達と話すときにも共通していた感覚だ。

羨望ではなく、興味がないという突き放し。彼女たちの持つ夢や欲望は、職業や環境に由来するような「外の世界」にはなく、「ここ」で「幸せ」になるというシンプルなものがすべてだった。 [25]

十月四日 甲府市 ファミリーレストラン 北原果歩 地元の遊び仲間

当時の遊び仲間と付き合うコツ、評価されるコツは一つだけ。正直であることだった。近況、特に男関係はこまめに報告し合い、女子間では計算しないこと。どれだけ装っても、計算はバレる。だからこそ計算高かった私は、もう見抜かれて愛想を尽かされてしまっているが、果歩は今もあの子たちの誰とも仲がいいはずだ。私とは違うし、だからこそ、果歩はその素直さから、私とだって連絡を取り続けてくれた。

あまりに清く美しい者は、誰に汚されても汚れず清くいられるのだと、私は彼女を見て、初めて世の中にそういう無垢-むくさが存在するのを知った。 [35]

合コン盛りのあの頃から、本当はいい人脈なんてとっくに残っていなかったのかもしれない。オススメのいい相手にはそれなりの相手がもう自然といて、それはたいてい合コンのような「出会い」の場以外のところ、大学からの同級生とか、職場の同僚や取引先とか、結婚式で披露する際に何の支障もない場所から生じた関係だった。案外そんなものなのかもしれない。あれだけ頻繁に合コンに参加してた私だって、結局は、そこでは誰にも出会わなかった。啓太と知り合ったのはまったく別の場所だ。 [49]

素直で優しい果歩。好きだからこそ、敬遠されるのが嫌で、水は差さなかった。それは、あの頃の遊び仲間全員に共通していた。本当にためになること、言わなきゃならないことは絶対に言わない。無条件に相手の望む言葉をかける。

よかったね、好きなんだもん、仕方ないよね。

誰もが認める「美少女」だからといって、ギャルだからといって、恋愛慣れしいているとは限らなかった。

相手が、果歩が職場を去る時期に計ったようなタイミンクで声をかけてきたことも、「これでお別れなのかもと思ったら耐えられなかった」んだと言われたら納得し、別れると言っていた奥さんとの間に第二子が誕生しても、果歩は揉めながら、でも言いくるめられてしまう。「奥さんが求めてきてどうしようもなかったんだって」。

果歩が泣き、男をかばう口調で語り、物語のボロを修復し、そして、果歩と彼の間にも子供ができた。嬉しそうに、上辺だけ困惑した声で夢を語る電話を私にしたことを、果歩は覚えているだろうか。もう、あれが甘かったことに気づいているだろうか。 [57]

浸ってる、と思っていた。中絶は、相手の都合だけど、それ以上に果歩自身の都合だと。彼女の語る「ハハオヤ」は薄っぺらく、子供の遊びの域を出なかった。何もなかったのに、あることにしたい衝動。日々の退屈を殺すために必要なイベント。後悔も罪悪感も、すべては自分のためのアクセサリーであるようにしか見えなかった。

今、あったものが失われて、私も、赤ちゃんを連れてくる母親を見たり、おなかの大きい妊婦の姿を見ると、足が止まる。

果歩ちゃん、ごめん。

影のようになった彼女の姿が車に乗り込むまで、長く、手を振っていたかった。

彼女が私に振ってくれたよりも長く。 [59]

「人」を相手に記事を書くライターは一握りなのだ。大御所のアーティストや女優には、記事を書くときインタビュアーとして毎回決まった人間が名指しされるのだとも聞いた。この人にこそ任せたいという信頼関係が結ばれた相手、プロのライターがそこにいる。顔のある「誰か」に肉薄し、彼を、彼女を語ること。

人を相手にすることは難しい。 [69]

十月五日 甲府市山梨県立社会教育センター

添田紀美子 チエミの小学校時代の恩師

地元新聞は、県内のお悔やみや婚姻、新生児の誕生を網羅して知らせる唯一の媒体だから、この辺りではどの家も皆これを取る。『誕生』の欄を、目がほとんど無意識に見てしまう。 [108]

十月九日 甲府市内 ファミリー・レストラン

飯島政美(旧姓・永井) 遊び仲間のまとめ役、合コン幹事

絶交、という言葉を政美が使うのをあの当時はよく聞いた。

男には「別れる」、女には「絶交」。

誰がリーダーか、相手が何を言えば喜ぶのかを、女なら誰でも本能で読む。

「私、~な人だから」という、強い自己主張の言い回し。自分の個性を仲間内で人に踏み込ませまい、かぶらせまいとする予防線。私たちは互いを褒め合ってばかりいた。「かわいい」、「かわいい」。お互いの男や好きな人を「かっこいい」「優しそう」と言い合い、自分がフラれた男や、この場とのかかわりのない第三者の気に食わない友人のことは「ひどい」と一斉に袋叩きに悪く言った。

子供の頃想像してた二十代は、大人だった。そんなお兄さん、お姉さんが、「絶交」なんて言葉を持ち出してるとは思っていなかった。 [122]

身内に対する甘い声は、砂糖のコーティングで表面を覆うケーキのようだ。

フォークの一刺しで簡単に壊れる。中が脆-もろいからこそ、私たちは甘ったるく外側を互いに覆うのだ。あの頃の、余裕のあるおしゃべりの大半がそういう言葉で埋まっていた。 [127]

人間は、本当に気にしてることを他人に先に指摘されるとむきになる。チエミにも、それは例外ではなかった。もともと、おとなしいことと気が弱いことは必ずしもイコールではないのだ。チエミは気が強かった。彼女は言い張った。

照れてるんだと思う。付き合ってるって言い方をしないのは、彼が純情だからだと。

プライドが高いのだ。水を差すようで、深追いして聞くのは躊躇-ためらわれた。

男がはぐらかすように話す軽さと、周囲から聞く彼とチエミの付き合い方の間の乖離-かいりが激しくなっていく。 [129]

「わかるよ。チエちゃん、大地くんの前は、私の知ってる限り、いっつもよくない男ばっかり隙になってた。あんなにかわいくていい子なのに」

言葉の最後を甘くごまかす。これは悪口ではないのだ、心配なのだとすりかえるのは、女社会で生き抜くための習性のようなものだろう。私は黙っていた。

明け透けな言葉で、政美が覆い隠した真実を掘り起こすことは容易にできる。チエミは、一度として相手と「付き合えた」ことがなかった。 [134]

若さ。

女が女として勝負するための源泉。

三十でそれが枯渇したとは思わないが、二十代の真ん中はもっと切実な、焦りにも似た気持ちでいた。結婚に繋がらない恋愛はすべてが無駄で、そこに若い時間を捧げることはとんでもない痛手に映った。今では、それでもまだ二十七じゃないか、と軽く考えることができるだろう。だけど、同じ年の友達が結婚する披露宴の会場で、自分ははっきり誤ったと知ったチエミはどんな気持ちだったろう。

結婚することが人生の前提にあり、未来に能力を繋げる仕事なんか望みもしない。経済的にも精神的にも一人立ちできない女たちにとって、結婚は間違いなく唯一の成果だった。その価値観しかないから、三十代以上夫なし子供なしの女性を指す「負け犬」の言葉は、本来の意味を離れてここで受け止められた。

私の周辺の多くが、傷ついたようにやがて来る三十代の影にますます怯える結果になった。 [150]

「子供産むとしたらいずれわかるよ」と彼女は答えた。

「母親ってさ、結局自分が母親になると、悔しいけど許せちゃうんだ。全部わかっちゃうから。無理なのは男親の方。お母さんのことは許せても、お父さんとの溝って全然埋まんない。今はそっちの方が気になる」 [158]

「――よくうちのお母さんとケンカすると、あの人『素直じゃない』って言葉を使うんだけど、私はそれを言われるたびに『素直』って何だよってムカつく。私は私の心にきちんと『素直』なのに、お母さんの言う『素直』はあの人にとって都合のいい『素直』なの。思い通りにならないことを、こっちの責任にして怒るんだよ」 [166]

十月十日

公立の中学校から先の高校や大学は、自分で選んだ進学先だけあって、私と同じ程度の志向の、似た種類の人間が集まる。学力はもちろん、家庭環境、考える力までが釣り合っていたように思う。

山梨に戻って、チエミたちと再会したとき、驚かされたのは、彼女たちの圧倒的な関心のなさ、考える力のなさだった。驚かされた、というよりは、思い出した、というべきか。中学校の頃と同じく、自分の身の周りの範囲と芸能ニュースにしか興味がないのだ。

県議会議員と国会議員の区別がつかず、選挙があってたとえ投票しても、自分が今投じた票が、何を決めるための選挙なのかがわからない。不況だ、不況だ。景気が悪い、と現状を嘆いていても、その原因がどこからくるのかは興味がない。不況の煽りを食って勤めている会社が傾いているかどうかもわからない。倒産したとき初めて会社の文句を言うというイベントを経て、別の同じような勤め先を探すだけ。

それで、生きていけてしまうのだ。何も困らずに。

私が気を張っていることが滑稽に思えるように、周りの時間はゆっくりと淀むように流れていた。 [181]

「女同士の付き合いって、相手の様子見ながらですからね。私も相手が小食なのにあんまり自分が食べ過ぎたり、人が化粧直しが丁寧なのに自分がずぼらだと、反省したり、肩身狭いです」

「そうそう」

義母の味方のような声を出しながら、この間政美の前で同じことを敵として言われたことを思い出す。彼女がハンバーグを食べるのに、私は付き合わなかった。 [191]

この家が心地いいのは、義母や義父を無条件に好きだと慕えるのは、他人だからだ。一緒に住んでいないからだ。きちんとわかっている。距離が近づけば、それだけ今は見えていない問題が見えてしまうのだろうということも。 [196]

十月十三日

啓太に白羽の矢を立てたのは、母だった。

だから、私は啓太を選んだ。ほっとしながら、これで私はすべてを母のせいにできると安堵したのだ。この人は母が選んだ男。不幸になっても、私はその責任を母に求め、ぶつけることができる。母を罵ることができる。

私が母の気に食わない相手を選び、いちいちそれが招いた不幸の原因を彼女につつかれることは、これでもうなくなるのだ。そう思い、復讐するぐらいの気持ちで啓太からの食事の誘いを受けた。 [225]

十月十八日 東京都 品川区ホテルラウンジ 柿島大地 チエミの元恋人

「あの子、とにかく結婚のことで頭がいっぱいなんだもん。友達が結婚した、式はどうだった、子供が生まれて、家庭がどうでってさ。俺は、求められたことに、優しさで夢を返したようなもんだよ」

「付き合えない、責任を負わない夢を語るのを、騙すっていうの。自分のやった詐欺を正当化しないで」

「あれ、知らないの、みずほちゃん。夢ってのは、いつか絶対に醒めるんだよ」

おどけた調子に話す。大地は、動じなかった。それどころか、さらに勢いがついたようだ。「感謝して欲しいくらいだ」と、彼が言った。 [244]

体が熱く火照っていた。大地は話す。必ず話す。警察にも話さなかったかもしれない。誰にもこれまで言わなかったかもしれない。けれど、絶対に明かしたいはずだ。何故なら、彼は深く考えなどしないから。理路整然とした理由では絶対に動かないのに、何もなければ天邪鬼にこっちを揺さぶる。

大地は、人生にイベントが少ないという言葉を使った。チエミの巻き込まれた大きなイベントは、大地にとってもまた、どうしようもなく浅はかな武勇伝であるはずだ。人に明かせないささやかな自慢は、それでも人に披露される瞬間を、それに相応しい機会と場所を、きっと待っているはずだ。

私がそれだ、と確信していた。私と彼は、言われた通りの同類だ。 [252]

いったいどうやらったら、こんなに"裏読み"できてしまうのか?

辻村美月の小説を読むたびに、考え込んでしまう。

そうしてまた、次の一冊に手を伸ばす。

ではでは、またね。

昨夜遅く、バリ島の旅(9日間)から戻ってきた。

雨季の始まりだったので、猛烈な暑気&湿気と対決する覚悟だったが

ほぼ連日激しいスコールに遭遇したものの

意外にもムシムシ感は少なく、夕方以降は気温も下がって快適に過ごせた。

旅自体は、突発的トラブル・両替サギ・転倒怪我騒動などなど

まだあるのかと呆れたくなるほど、アクシデントの連続だったけどね。

そんな珍道中の報告は「紋別編」の完結後に、改めて書き出すことにして

月が改まって一発目となる今回は、恒例の"読書記録"なのだ。

ちなみに、先月中に読了した本は以下の通り。

2024.10

★★『私たちの特別な一日 冠婚葬祭アンソロジー

飛鳥井千砂・寺地はるな・雪舟えま・嶋津輝・高山羽根子・町田そのこ

★『The Catcher in the Rye』JDSalinger 村上春樹

★『ルーズベルト暗殺計画』㊤㊦ デイヴィッド・L・ロビンズ 村上和久訳

★★『太陽の塔森見登美彦

★★『旅のつばくろ』沢木耕太郎 ●『私的読書録』堀江敏幸 角田光代

★★『世界しあわせ紀行』エリック・ワイナー 関根光宏訳

★『五感でわかる名画鑑賞術』西岡文彦

〔コミックス〕

★※『数寄です!』全3巻 ★※『続・数寄です!』全2巻 山下和美

★『世田谷イチ古い洋館の家主になる』全3巻 山下和美

★★『異世界おじさん」※➀-⑫〔⑪⑫以外は再読以上〕 殆ど死んでいる

★『黄泉のツガイ』※①-⑧〔➆⑧以外は再読以上〕 荒川弘

コミックは賑やかなれど、活字本の総数はわずかに9冊。

久方ぶりの(たぶん)ひと桁台である。

いくらバリ旅行の準備に追われていたとはいえ

もうちょっと頑張れよな、俺。

そんな寂しいラインナップのなか、10月の《揺さぶられた本》に輝いたのは

【小説】★★『太陽の塔森見登美彦

ご存知、京都が育てた異才のデビュー作。

文庫版ですら21年前に入手できた、古典に片足を突っ込んだ作品なのだが・・

既読の『夜は短し歩けよ乙女』『ペンギン・ハイウェイ』などに比べると

圧倒的に本書のほうが楽しく、ほぼ一日で読了していた。

なにより凄いのは、冴えない&モテない男子大学生の

真面目になればなるほど滑稽に転じてしまう、思考と行為の"反復横跳び"だ。

おかけでほぼ2ページに1回、笑いの発作に襲われてしまった。

とりあえずこの"名調子"を追体験するべく、彼の全著作を読むとしよう。

★★『私たちの特別な一日 冠婚葬祭アンソロジー

飛鳥井千砂・寺地はるな・雪舟えま・嶋津輝・高山羽根子・町田そのこ

太陽の塔』に出逢う前は、本書がトップだった。

今を時めく(古っ・・)人気女性作家の"技"が見事に発揮された

文庫オリジナル・アンソロジー

【小説以外】★★『世界しあわせ紀行』エリック・ワイナー 関根光宏訳

タイトルから連想したのは「世界で一番素敵なリゾート地を探す旅」だったけど

実際はそうしたお気楽&能天気な内容などではなく

ひたすら内省的かつ哲学的な"魂の模索"が繰り返されていた。

ーーなんて抽象語を並べただけでは、何を語っているのかチンプンカンプンだろう。

だから、その謎を解くために、ぜひ本書を手に取り

519ページにわたって展開する"幸せ探し"を、追体験していただきたい。

こいつは、ほんとに、歯ごたえあるぞ。

だけど、読み通した後の充実感は、これまたハンパないのだ。

★★『旅のつばくろ』沢木耕太郎

そんなしんどい読み物はいやだ~!

としかめ面になった方には、迷わずこちらがオススメ。

メチャ分かりやすくて読み易い「旅にまつわるエッセイ」だけど

実はいたるところに、底なし沼のような"思索トラップ"が仕掛けてある。

もし気づいたら、めっけもの。

著者と一体化して、どぶんと飛び込んでしまおう。

【コミック】★★『異世界おじさん」※➀-⑫〔⑪⑫以外は再読以上〕殆ど死んでいる

またもや、第一席に挙げてしまった。

これを読み返すたび、オノレの「オタクぶり」を再認識させられる。

この歳になっても好きってことは、死ぬまで治らないってことなのだろう。

万人にはオススメできないが、美少女系好きオタクには鉄板の大傑作シリーズだよ。

ではでは、またね。

顧客と衝突して会社(百貨店)を辞めた森くん(26歳)の

足掛け8日間にわたる放浪生活を描いた作品。

よくある若者の成長&自立物語だろうとナメてかかると

予想外に強烈なボディーブローを喰らって膝をつくハメになるだろう。

ライトな語り口のはしばしで、ギラリと光る"言葉のヤイバ"に魅せられた。

水曜日、第一夜

商品のよさを力説すれば、いいね、との言葉は引きだせる。ただ、そのあとの、いいけどいらない、を、いいから買うよ、に変えられない。人にものを売るのがいかに難しいか。それがよくわかった。買いに来てくれた人にものを売るのと、こちらからすすめてものを売るのは、まったく別のことなのだ。

口がうまければいいというものではない。実直ならいいというものでもない。

口がうまいという印象はマイナスに働くこともあるし、そうとわかっていながらプラスに働くこともある。実直もまた同じだ。 [026]

就職事情が厳しいとはいえ、大卒者でも三割が三年以内に退職する。そのことが常に頭にあった。仕事が自分に合わなかったら退職してもおかしくはないのだ。三年在籍すればキャリアとして認めてもらえるのだから、むしろ積極的に退職するべきなのだ。そう認識していた。つまるところ、大学での四年のあいだにやりたいことを見つけられなかったわけだ。 [037]

第二夜 路上

「次の仕事は、どうする?」

「そこなんだよなぁ。バイトの履歴書なんかウソの住所を書いてもよさそうなもんだけど、暮らせるぐらい稼ぐとなると、税金のこととかで、じきバレるだろうし。はみ出し者は許さないよう、うまくできてるんだよ、法律って。それでもはみ出すには、相当な覚悟がいる」 [050]

映画の趣味が合うからといって、人としても合うわけではない。むしろ価値観がちがう人のほうが付き合うにはいいよな、などといかにもな理屈をこねて付き合ったが、無理だった。映画の趣味なんて合わなくていいから、占いは信じる派か信じない派か、いや、せめて朝食はパン派かご飯派かくらいの価値観は合うほうがいい。最後にはそう思った。実際にそう言って、別れた。[056]

助手席のシートを最大限に倒し、寝そべってみる。上半身はそれで少し楽になるが、下半身は無理だということがわかった。

運転席で同じくシートを倒した啓太が言う。

「わかるだろ? 足を伸ばせないのがツラいんだ。たった三日で、サッカーをやってるときのひざの痛みがぶり返したよ。だから、何日かに一度は公園で寝るんだ。夜はあぶねえから、昼のうちに。これを夏も冬もやるのは無理だって、すぐにわかったよ。人間てさ、たぶん、自分で思ってる以上にもろいんだ。体より先に気持ちが参っちゃうんだよな」 [061]

ついさっきファミレスで啓太とした話を思いだす。何てことはない。時間つぶしにした、サッカーの話だ。

いいプレーが三つ続くと点になるな、と啓太が言い、僕も同意した。プロでもアマでもそうだ。いいパス、いいトラップ、いいシュート。いいパスカット、いいサイドチェンジ、いいフェイント。何でもいい。相手を凌駕-りょうがするプレーが三つ続くと、それは得点につながる。と、そんな話。[066]

いいプレーが三つ続くと点になるということは、裏を返せば、よくないミスが三つ続くと点をとられるということでもある。よくないミス。それは不運に置き換えても。

第四夜 世田谷

「もうちょっとビクビクしてほしいな、ウチの生徒たちには」

「おれもそう思うよ」

「ビクビクしてないんですか? 今の生徒たち」

「教師に対しては、しないわね」とミーさんが応える。「生徒たち同士の関係では、常にビクビクしてるけど」

「そうだな。友だち相手に何をそんなにビクビクするのかっていうくらい、してるよ。仲よくしたいっていうよりは、嫌われたくないっていうのが先に出ちゃってる感じだな」 [135]

「いかにも先生みたいなこと言っちゃうけど、いい?」

「はい」

「自分のことは、大事にしなよ」

「えーと、はい」

「自分を大事にできるのは、まず自分だから。自分を大事にできなかったら、人のことも大事にできないから。以上、わかった?」 [146]

壁を取り払ってみれば、隣人は、ぎょっとするぐらい近くにいるものなのだろう。たまたまテーブルの配置場所がそこで、実は毎日同じ時刻に向かい合ってご飯を食べていた、などということだってあるかもしれない。アパートでもマンションでもいい。同じ階に並ぶ各部屋の壁を一気に取り払ったら、さぞかしおもしろい眺めになるだろう。

要するに、見えないことが大事なのだ。見えなければ、殺人の目撃者になることもない。視界に入らなければ、その存在は消える。見えないものは、ない。

人間は、そう錯覚することができる。

たった一枚の壁。その向こうにあるものを知っていれば、そこにあえて壁を作ることで、それへの希求は強くなる。理屈は刑務所と同じだ。壁の向こうに思いを馳せない囚人はいないだろう。たぶん。 [151]

第五夜 町屋

東京は、街から街へ歩いて行けるところがいい。例えば新宿から渋谷へ、銀座から秋葉原へ。お茶の水から四谷へ。どこも信号が多いのが難だが、街ごとに風景が変わってくれるので、歩いていて飽きない。

地方の町ではこうはいかない。まず町を街と書けない。書けそうなところが少ない。駅前の印象はどこも同じ。そこを離れるとすぐに何もなくなってしまうのも同じ。国道を歩いていくと、ファミレスがあり、パチンコ屋がある。パチンコ屋は、およそ三割がつぶれている。そしてしばらくすると、また別のパチンコ屋になる。

ただし、東京にも、歩いていて楽しくない道がある。首都高の高架沿いの道。

僕にとっては、そこがそれだ。

以前はあまり意識しなかった。だが無意識に避けてはいた。最近になって、そのことに気づいた。空が見えないのは、どうもいやなのだ。 [154]

前からくる自転車を右へ左へとよけながら狭い歩道をすたすた歩く小春さんについていく。場所によっては東京スカイツリーが見えたりするのかと思っていたが、とてもそんな感じではない。建物が密集しているうえに道が狭いので、そう高いビルはないにもかかわらず、真上にしか空が見えないのだ。

通りから一本入ると、ほとんどの道が一方通行になる。戸建てもアパートも、狭い土地にびっしり詰められている。隣家とのすき間は無きに等しい。

町屋もやはりごみごみとしているが、三軒茶屋のごみごみとはまたちがう。

東京の西と東、そこに漠然とあるこのちがい、漠然としてはいるがあることはあるこのちがいは、いったいどこからくるものなのだろう。 [163]

「森はデパートだったっけ」

「はい」

「やめたんだ?」

「ですね」

そこで、何で? と続かないところが小春さんだ。興味がないというより、聞いてもしかたがないことは聞かないという感じ。姉ちゃんの言っていたことがよくわかる。余計なことは訊いてこない。でもこっちが話すことは聞いてくれる。求めれば、意見もズバズバ言ってくれる。だから好き。だから嫌いって人も、いるだろうけど。[164]

「役者と作家はいいよ。資格がいらないから、誰でも勝手にそう名乗れる。

その分、うさん臭く見られたりもするけどな。いつかおれみたいになったら、お前もそうしろよ。頭の悪い女なら、何人かは引っかかるから」 [173]

最終ページが305ゆえ、今回もちょっぴり勇み足。

ラストの3行まで紹介せずには、いられなかった。

ではでは、またね。

2024年9月27日(金) 癒恵の宿 一羽のすずめ🚘三国峠展望台🚘層雲峡温泉🚘紅葉谷入口👣紅葉滝👣🚘北見第一ホテル👣炭焼味覚園総本店

3度目の北見訪問で、ようやく名物の焼き肉とご対面!

だが、ここに至るまでの道は決して平坦ではなかったのだ・・・

とりあえず、6時間ばかり時計を巻き戻したい。

北海道中央部・層雲峡の外れにある紅葉谷遊歩道に足を踏み入れたところだ。

踏み分け道に入ると、いきなりうっそうとした森に包まれる。

濃厚な緑の香りを胸いっぱいに吸い込みつつ、一歩ずつ足を進めてゆく。

ほどなく、遊歩道にしては険しい渓流沿いの登り坂が始まる。

雨の多さを物語るシダ類が、いたるところにニョキニョキ頭を出していた。

マシンガンを喰らったような穴だらけの枯れ木。

樹木の中で育つカミキリムシなどの幼虫を探して、クマゲラが作った"食卓"の跡。

滝まで残り260mと案内板には書いてあったけれど

実際には、ここから先が長く険い道のりだった。

登り出して間もなく、外人(ヨーロッパ系)の四人家族とすれ違って以来

行き交う人の姿は1人か2人ーーなんて静かで心地よい山道か。

鳥のさえずり、風に揺れる樹々の葉擦れ、そしてせせらぎの音に包まれ

踏みしめ踏みしめ登ってゆく。

歩き出してから30分弱で、小さな滝の前に出る。

一瞬ここで終点かと思ったが、まだまだ道は続いていた。

空は薄い雲に覆われていたがものの、ときおり明るい陽射しが降り注ぐ。

天然のスポットライトに感謝し、いち早く色づいた葉にフォーカスを合わせる。

さらに歩くこと十数分、終点・紅葉滝の前に到着した。

両側にそそり立つ柱状節理の間を縫って、ドウドウと力強く水が流れ落ちる。

すぐ近くは温泉街だっていうのに、かくも重厚な自然に出逢えるなんて。

これだから、北海道はクセになる。

帰り道のなかばで、ポツリポツリと雨が降り出した。
ニンゲンは困るけれど、水分大好きのシダたちは大喜びでツヤツヤ輝く。

遊歩道のど真ん中に、高さ2メートルほどもあるコケだらけの岩が鎮座する。

そのたたずまいは、ほとんど動物それとも妖?

天辺にもしゃっと生える低木は、緑なす豊かなる黒髪か。

入り口まであと数分というあたりで、大きな雨粒がパタパタ落ちてきた。

危ない危ない、あと30分遅かったら下り坂ですっころんでたよ。

右手はるか上の稜線に「天狗のまな板?」っぽい奇岩が見えたら、ゴールは間近。

雨が本降りになる前に、紅葉谷散策は無事終了。

この後、雨脚は強まる一方だったので、やはり天気運は悪くない。

刻々と激しさを増す雨のなか、本日の宿を予約した北見市内へひた走る。

途中、道の駅(温根湯温泉)に立ち寄り、いももちなどを購入して小腹を満たした。

午後4時半、北見駅近くのホテル(北見第一ホテル)に無事チェックイン。

小休止を挟んで、5時過ぎには再び冷たい小雨のなかへ。

実はこの日の夕食は、絶対「焼き肉を食べよう!」と心に決めていた。

これまで2回北見で食事したものの、地ビール+帆立とラーメンを口にしただけ。

一番の名物である焼き肉は、食べそびれていたのだ。

とはいえ当日は金曜の夜、人気の店はどこも混雑しているはずだ。

おまけに到着時間が曖昧だったから、予約も入れていなかった。

となれば、あとはダメ元で開店と同時に直接アタックするしかない。

そこで評判の高い順に「鳥源」「百萬力」「四条ホルモン」「味覚園(銀座店」」と

足を運んでみたけれど、店員の答えはすべて"予約でいっぱい"。

やっぱ、読みが甘かったか・・・

なかば諦めつつ、最後のアタックとばかり「味覚園総本店」へ。

エレベーターを6階で降り、早くも満席近い状態の店内を覗きつつ

迎えに出た元気な兄ちゃんに"予約入れてないけど、今から2人入れる?"。

すると彼は一瞬眉間にシワを寄せながらも、"ちょっと訊いてみます"

と、店内に入っていった。

ほどなく戻ってきて"7時半まででよかったら大丈夫ですけど・・"とのこと。

たまたま7時半から予約していたテーブルが、空いていたらしい。

時刻はまだ6時を過ぎたばかり、一も二もなく飛び付いた。

文字通り「ラストワン」のテーブルをゲット!

さて、何を食べようかな・・・って、ほぼ決まってたんだけどね。

焼き肉は、元祖冰締めホルモンと牛サガリの2つのみ。

あとは焼タマネギのダブルと、締めはもちろん「目丼」だ。

これ以上注文しても、お腹が苦しくなるのは目に見えている(高齢者の常識)。

生ビールをお供に、ゆっくりじっくり味わった。

舌でとろける牛サガリと新鮮そのものの冰締めホルモンは、まさしく絶品。

喰えて良かった~~!!と、名もなき悪運の神に感謝の祈りを捧げるのだった。

ほろ酔い気分で雨の北見駅前をぶらぶら。時刻はまだ7時半前。

セイコーマートでゲットしたスイーツを土産に、今夜の宿「北見第一ホテル」へ。

駅近バスタブ付きツインルームが最も割安だったので、ここに決定。

建物自体はやや古いものの、室内はゆったりしており余裕で充分に寛げた。

7階(最上階)の窓からホテル前の通りを見下ろす。

天気予報は、明日も「曇りときどき雨」・・・どうか良い方に外れますように。

ではでは、またね。

2024年9月27日(金)

癒恵の宿 一羽のすずめ🚘三国峠展望台🚘層雲峡温泉🚘紅葉谷入口👣紅葉谷散策路

紅葉谷の手前で遭遇したエゾシカの母子? 国立公園内なので警戒心は薄い。

夜明け前(4時半ごろ)、目が覚めたので1階に降りて三度目の貸切温泉を堪能する。

晴れていたら近くの林道でバードウォッチングをするつもりだったけど

(シマエナガに逢える!らしい)

残念ながら夜半過ぎから降り出した雨が収まらず、朝には土砂降り状態へと悪化。

しかたなく部屋に戻って二度寝することに。

結局、朝食の時間(8時だったっけ)まで熟睡し

新鮮な食材をふんだんに使った(牛乳がうまい!)をじっくり味わう。

こんな雨降りじゃ、紅葉散歩はできないよなぁ・・

ギリギリまでふて寝でもするかと2階の部屋に戻ってみると

妙に屋外が明るくなっているではないか。

でもって、あれよあれよという間に雨は上がり、太陽まで顔を出したのだ。

――よし、これなら行けるかも!

前言を撤回し、慌てて荷造りにかかるのだった。

廊下の突き当りが今回泊った畳敷きのツインルーム。

あちこちに本棚があり、マンガ・小説・ガイドブックなどが並んでいた。

1階の受付でお会計。料金は、二人合わせて1万7000円ちょうど。

1泊2日2食付&貸切温泉付き(それもつるつる!)でこの値段は手頃すぎる。

受付脇のシマエナガ(アクセサリ-)も「また来てね!」と送り出してくれた。

いまだ低く雲が漂う国道39号線を、層雲峡方面へと走り出す。

すると、10分も過ぎないうちに・・

雲が切れ、ごらんのような青空が顔を出した。

やった――これなら、"第一希望"も不可能じゃない!

実はこの日、あわよくば大雪高原で「温泉沼めぐり」にチャレンジ。

ヒグマが暮らす原生林をトレッキングする気でいたのだ。

だが晴れたとはいえ、昨夜から降り続いた雨が乾く間はなく

沼巡りのトレッキングルートは、確実にベチョベチョ&ドロドロ。

のんびり紅葉を愛でる、なんて気分にはなれないはず。

また晴れ間が続く保証もなく、降り始めたらまさに"泣きっ面にハチ"・・・

一人往復2千円也のシャトルバス代を払ってまで賭けに出る気にはなれず

悩んだ末、大雪レイクサイト行きのシャトルバス乗り場(臨時駐車場)はスルー。

その先にある三国峠(北海道で一番高い?)を目指すのだった。

峠が近づくにつれ、色づいた木々がポツポツ灯りをともし始めた。

午前10時、三国峠の展望台に到着。

観光バスもトイレ休憩を兼ねて一時停車するから、なかなかの賑わいだ。

眺めのいい南東方向は残念ながら曇り。それでも彼方まで見通せるのは嬉しい。

足元のすぐ先には険しい緑の斜面が。一度入ったら戻ってくるのは大変そうだ。

原生林の間を縫って走る糠平国道(273号線)、南下し続ければ帯広だ。

二台の大型バスから大勢の観光客が降り始めたところで車に戻り、来た道を北上。

次に目指すは、層雲峡温泉

本日の宿泊地である北見市街に直行する選択肢もあったが

それだと昼過ぎには予約したホテルに着いてしまう。

雲は広がってきたものの、幸い天気が急に崩れる可能性は薄かったので

一度も訪れたことがない大観光地・層雲峡温泉を、ぶらついてみることにしたのだ。

三国峠から糠平国道を北へ、39号線との合流地点を左折して

走ること20分あまりで、車は層雲峡温泉の公営駐車場へと入ってゆく。

さすがは北海道有数の観光地、モニュメントも立派。

9月27日にして、早くも色づき始めていた。

・・といっても、本格的な紅葉はまだまだ先だなぁ。

山合を流れる小川、いかにも「温泉地」といったたたずまい。

このあたりから、ときおりポツポツと雨粒が落ち始めた。

河の向こうにあった観光案内書を訪れ、近くに遊歩道などがないか尋ねてみる。

すると、車で5分ほど山に入ったところに「紅葉谷散策路」があるという。

名前の通り紅葉の名所だというその場所へ向かうことに。

徐々に厚みを増してゆく曇り空に向かって

"もうちょい我慢してくれよ~~"と祈りつつ、紅葉谷の入口まで移動。

路肩を踏み固めた数台分の駐車スペースに車を停め、いざトレッキング開始!

と思ったら、道の先にいた母子連れが脇の草地を熱心に眺めていた。

なにかいるのかな・・・と、同じ方向に目線を向けるとーーー

草をはむ2頭のエゾシカ

ツノがない右が母親、左がひと回り小さく毛も生え揃ってないから子供だろうか。

人の姿を見ると一瞬警戒するものの、すぐまた食事に戻る。

子供を連れた野生動物の母親は警戒心が強いものだが

ここが国立公園内で、狩られる危険がないことを承知しているのだろう。

とはいえ調子に乗ってズンズン近づくと・・いいかげんにせーよ!!と睨まれた。

これ以上食事の邪魔ほするのはやめようと、紅葉谷へと続く林道を歩き出す。

まだまだ紅葉には早いけれど、温泉街の間近だというのに人の姿は少なく

聞こえてくるのは鳥のさえずりと葉擦れの音ばかり。

5分ほど歩くと、整備された広場?に出た。

左手に駐車スペースがあり、どうやらここまで車で入れたみたいだ。

だけど、早とちりのおかげでエゾシカの親子に逢えた。

そっちのほうが、ずっと嬉しい。

広場を右に登ってゆくと、いよいよ踏み固めただけの小路がはじまる。

ところどころで、気の早い紅葉たちが色づきはじめていた。

案内板が示す通り、ここが「紅葉谷散策路」のスタート地点。

"散策路"なんていうソフトな呼び名を裏切り

実際に歩いてみると、これが予想外のハードモード。

ちょっとした登山気分を味わわされたのだった。

ではでは、またね。

ときおり見かける「内側(生活者)から見た台湾ガイド」だろうと思ったら

――えっっ、こんなに日本と違うの!?

と、最初から最後まで唖然愕然の連続だった。

毎年のように台湾に通うトラベラーはもちろんのこと

ほとんど興味がない方もぜひ手に取り

余りにも日本と勝手が違う〇〇や△△や✕✕に、心を揺さぶられてほしい。

はじめに――台湾との縁

今の幸せがあるのは、間違いなく夫や子どもたちのおかげだ。だが、台湾で暮らすことによって、私が長年植え付けられていた呪縛から解放されたのも、砂からず影響しているように感じている。「人に迷惑をかけてはならない」とか「女性は男性を立てるべき」といった価値観は、私が日本で暮らしていた頃は自然とまとっていたけれど、台湾では必要ないから脱ぎ去ることができたものだ。

脱いだ今だから思う。

「あれは、本当に必要があるものだったのだろうか?」 [6]

第1章 たくましくて人間味あふれる台湾人 台湾社会におばちゃんは欠かせない

オードリー・タンさんから教わった「雞婆」

台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンさんを取材していた時のこと。

コロナ禍で大活躍した台湾政府の「マスクマップ(医療用マスクの在庫がリアルタイムで分かるアプリ)」が、もともとは民間人がボランティアで開発したものであり、オードリーさんはそれを参考に政府版を作ったのだと聞いた私は驚いて、

「なぜ台湾人はこんなにも社会問題を自分ごととして捉え、解決しようと行動できるのでしょうか」

と尋ねた。オードリーさんの答えはこうだった。

「台湾には『雞婆-ジーポー』という形容詞があります。不公平なことを見かけた時、警察や町内会の会長のような人が解決してくれるのを待たずとも、どうにかしてもっと良くできないか考え、それを他の人に惜しみなくシェアするような精神です。台湾人は皆、その精神を持っています」

鶏おばさん――オードリーさんから教わった言葉「雞婆」は、その後もずっと、私の心に残り続けた。 [16]

子どもを産んだ途端、「おばさん」認定

自分が「おばさん」であることを売れ入れられるようになったのは、台湾における「おばさん」のイメージが、それほど悪いものでもないと思うようになったからだ。台湾で暮らして11年も経つと、台湾社会はおばさんたちで回っており、彼女たちは欠かすことのできない存在だと思うようになった。ただ、「おばさん」というよりは、「おばちゃん」という日本語の方が、元気で、チャーミングで、笑顔が似合う彼女たちのイメージにしっくりくる。 [21]

力強く「自分軸」で生きるおばちゃんたち

おばちゃんたちは「自分軸」で生きている。好きなものを着て、好きなように食べる。何歳になっても、自分が着たければ短パンやミニスカートを堂々とはいている。私のママ友たちも、おへそを出してホットパンツをはいている。

人の目を気にする必要はなく、自分が納得すれば良いのだ。 [25]

「台湾の最も美しい風景は“人”(台灣、最美的風景是人)――台湾には、こんな言葉がある。それは主に台湾の人情深い人々のことを指すのだが、そこにおばちゃんたちが大きく貢献しているのは、間違いないのだろう。 [26]

同調圧力がない台湾 「当たり前」を押し付けない キャリアにも、「こういう経歴が当たり前」といったものがない。そもそも台湾には日本のような「新卒一括採用」という概念がなく、大学在籍中はもちろん、卒業後も「すぐに就職して当然!」という雰囲気はない。大学院に進学したり、30歳までのワーキングホリデー制度を利用して海外へ出たりする人も少なくない。どのようなキャリアを歩むにせよ、就職活動は各々が卒業後に自分のペースで行なうものなのだ。私の台湾人夫も、リーマンショックで就職先が経営危機に陥ったために自主退職し、そこからは半年ほど単発のアルバイトで食いつないだ後、ワーキングホリデーで日本に行ったのだそうだ。

日本だと「社会人は定職に就く」とか、「女性は化粧をする」といった「世間の当たり前」にそぐわなければならないような同町圧力が働きそうなものだが、「そういうこともあるよね」となるのが台湾だ。 [28]

迷惑をかけることにひるんだりしない

確かに、台湾では「人さまに迷惑をかけること」が日本ほどネガティブではないように思う。むしろ、「人が生きている上で、人に迷惑をかけるのは仕方のないこと」「お互いさま」といった雰囲気だ。コロナ禍でも、ひたすら「同理心-トンリーシン(思いやり)を持とう」という呼びかけが目についた。「コロナに感染しても、周囲から非難されるのが怖くて打ち明けられない人が出てしまうと、結果的に感染を抑え込むことはできなくなります。こんな状況では誰がかかってもおかしくないのですから、感染した人を責めてはなりません。お互いに思いやりを発揮しましょう」と。[31]

台湾に同調圧力がないのはなぜ? 日本に育った私自身、「人と同じでなければならない」と教えられたきた世代だが、台湾で働きはじめて「自分と人は違って当たり前。自分のことを尊重してもらいたいし、私もあなたを尊重する」という姿勢で議論する台湾人たちからはとても刺激を受けた。これも本当に人や職場を業界にもよるのだろうが、私が仕事をしているメディア業界やマーケティング業界、IT業界などでは、実績さえ残せていれば、上下関係なく比較的フラットに意見を出し合えているように思う。[32]

台湾人がよく使う言葉 「歿關係(大丈夫)」――スルー能力がとにかく高い

周囲には申し訳なくて仕方がなかったけれど、皆は口々にこう言うのだ。

「歿關係-メイグァンシー(大丈夫)」

台湾人はつくづく「実を取る」人たちだなぁと思う。要は、その人がやるべきことをやってさえいれば、他はあまり気にしないのだ。[38]

日本人の粘り強さも、個人的には素晴らしいと思う。台湾人は、何かを聞かれるとすぐに「歿辨法-メイバンファ(仕方がない、どうしようもない)」と言う。でも、「台湾人の歿辨法は、そのまま信じてはならない。そこには必ず「辨法-バンファ(対処する方法)」がある。粘りすぎても嫌がられるけれど、本当に必要だと思う時にはしっかり交渉して良いのだと、私は思っている。 [41]

良くも悪くも「差不多(大体、ざっくり)」

台湾で暮らしていると、頻繁に耳にする言葉のひとつが「差不多-チャーブードー」だ。「差が多くない」という字面の通り、「大体」とか「ざっくり」といった意味を持つこの言葉には、助けられる時もあれば、苦しめられる時もある。

まず挙げられるのが、約束時間だろう。

ビジネスマナーで驚いたのが、台湾では「時間ぴったりに訪問するのはあまり好まれない」ということだった。私は、企業を訪問する際には約束の時間の15分前にはビルの1階で待機しておき、会議が始まる5分前になったら訪問するようなバリバリの純ドメスティック日本人なので、これは衝撃だった。良かれと思ってしたことが、相手にとって迷惑になるのなら改めなければならない。

聞けば「日本人は会議の始まりの時間に対してはこだわるのに、終わりの時間は全く守ってくれない」と思われているらしい。これは耳が痛い。台湾人的には、約束の時間ぴったりか、5分過ぎたくらいがちょうど良いらしい。もっとも、日本人慣れした台湾人はの辺りの文化の差は了解済みなので、相手次第ではあるのだけれど。 [41]

「EQ高い」が褒め言葉

日本で人を褒める時によく使う言葉というと、どんなものがあるだろう。

「気遣いができる」や「上品でスマート」といったところだろうか。私が台湾の企業で働いたり、ママ友たちとおしゃべりしたりする中でよく使われているのが「高EQ」だ。「EQ(心の知能指数)が高い」という意味で、ニュースの見出しやSNSなどでもよく使われる。〈中略〉

世代や人にもよるので一概には言えないが、台湾には「お金や名声」よりも、「心」などの実質的なものを大切にする人が多いように思える。そしてそれは、すぐそばにある大国が「人口や経済の規模」で迫ってくることへの抗いのようにも見えるのだ。 [46]

あけすけでパワフルな処世術 遠慮なく買い物を頼む

「台湾人はたくましいな~」と思うのが、彼らの「ダメもとでも一度は頼んでみる」精神だ。特におばちゃんはずば抜けて強い。

中でも日本人の私が多く頼まれるのが、日本での買い物だ。「日本での買い物代行」は専門業者もあるが、一般台湾人の間でも割の良いお小遣い稼ぎとしてずっと存続していて、電子レンジや炊飯器などの家電から、薬品やコスメなど、その範囲は多岐にわたる。シングルマザーで生活が苦しかった頃には、台湾人の友人から「ヤエコもやればいいのに。稼げるよ!」と言われていた。 [50]

悪気なくストレートな物言い 日本のように周囲に気を遣わなくていい代わりに、台湾の――特におばちゃん界隈では――コミュニケーションが直球ストレートだ。最近の私は、コロナ禍と執筆ラッシュのおかげですっかり体重を増やしてしまったのだが、久しぶりに会ったママ友から、会った瞬間に、

「ヤエコ。あなたは太ったの、それとも妊娠したの?」と、真顔で言われた。

普通そこは「久しぶり~!」とかじゃないの? と思ったが、台湾人はいつでも悪気なしにストレートだ。ショップで洋服を見ている時も、店員さんから、

「あなたにそれは似合わない。こっちの方が顔色が明るく見えるね」

「その服は太って見えるからやめた方がいい」

などと、バッサリ斬られる。こればっかりは今でも慣れず、ちょうど良い距離感で接客してもらえる日本の方が落ち着くので、台湾で洋服を買うことはほとんどない。[52]

自分軸の仕事観 「石の上にも三年」は皆無

一般的な台湾人にとって「石の上にも三年」という考え方は皆無なのだろうということだ。専門職だったり、待遇が良かったり、家族や知人が経営しているなどといった事情がない限り、ほとんどの台湾人が、数年間だけ在職してキャリアや経験を積み、それを糧に転職しようとする。目的はただ一つ、転職時により待遇の良いポジションを得たり、経験が積める役職につくためだ。 [62]

それと、台湾では経営者がとても尊敬されている。会社に対する不平不満があるのが会社員の常かもしれないが、自分の責任で会社を経営している人は、不平不満を言うことができない。もちろん、やりたいこと/やりたくないことを自分で決められるという自由さは持っているが、失敗しても成功しても、自分でその責任を取っているからだ。口先だけでなく、行動が伴っている人を、台湾人は評価する。 [64]

見切り発車でOK、やりながら考える

コロナ禍でも、政府の補助金や医療用マスク支給などの施策が見切り発車でスタートし、「外国人も税金を納めているのだから対象にすべきだ」といった社会からのフィードバックを取り入れる形でアップデートされていった。社会全体が「物事は思い立ったが吉日、始めてみてやりながら考えればいい」といった雰囲気なのだ。だからみんな本当に気軽に起業したり、プロジェクトを始めたりする。[72]

第2章 とにかく「食」を大切にする 朝ごはんはお店で食べる

食べたらそのまま登校・通勤 台湾人は根っからの旅行好き。人口に対する出国率は72・5%という驚異的な数値を叩き出し、日本政府観光局の報告書には「台湾人にとって外国旅行は生活の一部と言える」と記載されるほど。

なかでも日本は大人気の旅行先で。訪日観光客のうち、台湾はここ5年以上、上位3位以内にランクインしている。観光・レジャー分野における訪日リピータートップは台湾で、日本を訪れる台湾人観光客の9割が訪日回数2回以上のリピーターだ。旅行消費額では中国に次いで第2位と、日本にとって大切なVIPであるといっても過言ではないのが台湾人だ。

そんな彼らから口々に言われるのが、

「日本に行った時はいつも朝ごはんに困る。朝食店はないの? 日本人はみんなどうしているの?」

ということだ。私は日本の『&Premium』という雑誌で「台北の朝ごはん」というコラムの連載をかれこれ4年以上続けており、台湾の朝食文化の豊かさには、日々驚かされている。定番の豆乳と蛋餅-ダンピン(ネギを加えたクレープ状の生地に卵など好きな具材を挟み、お好みでソースを付けていただく)、台湾式おにぎり「飯團-ファントゥアン」、スープなし麺「乾麺-ガンミエン」、肉つみれのとろみスープ「肉羹-ロウゲン」‥‥例を挙げればきりがないほど、バラエティ豊かな朝食店が街の至るところにひしめきあっており、人々はその日の気分で朝食を選ぶことができる。 [74]

なお、台湾では公立私立問わず、幼稚園でもお粥や中華まんといった「午前のおやつ」が提供され、それを子どもの朝ごはん代わりにする家庭が多い。家族で身支度を整えたらまずは子どもを幼稚園に送り、親はどこかで朝食を取ってから出社するのだ。 [76]

台湾の朝食店は、往々にして街に開かれたような作りをしていることが多い。

道に沿った店先部分が調理台で、その奥が店内といった形だ。それは単に調理台が外にある方が煙が店内に充満しないとか、冷房の効いた店内にお客を通すことができるといった利点からなのだろうが、私はその、店と道路の境界線が曖昧であることに魅力を感じている。いつも街からはおいしい匂いがして、朝食店で働く人々の視線は道ゆく人に向けられている。通行人がヒョイっと店に入ると、

「いつもの?」

と訊かれるような人と人との距離感だ。

台湾で「こんにちは」の挨拶は、「吃飽了嗎-チーバオラマ?」(ご飯食べた?)」と表現することが多い。相手を気遣う時に、「ご飯だけはしっかり食べなよ」と表現するのが台湾流というわけだ。私には、そんなカルチャーを体現しているのが朝食店であるように思えてならない。 [78]

昼食とお昼寝はセット 昼休み、職場は消灯

東京の出版社でがむしゃらに働いていた私が台湾に来て驚いたのは、みんなが本当に「無理をしない」ということだった。

就業時間ひとつとっても、ぴったりに出社する人はほとんどおらず、5分10分の遅刻は当たり前。悪びれる様子もなく、出勤の道すがらテイクアウトしてきたと思しき朝ごはんをビニール袋から取り出し、食べ始める。

「え? 遅刻しておきながら朝ごはんは食べるの? そもそも朝ごはんを買わなければ遅刻しなかったのでは?」

なんと考えるのは私だけ。なかには、出社してタイムカードを打刻してから、悠々とコンビニに朝ごはんやコーヒーを買いに行く強者も(これも台湾では普通の感覚)。

会社によっても違うが、私が働いていた会社は昼休みが1時間半もあった。

お昼ごはんを食べた後、オフィス内は消灯され(クーラーは付けたまま)、皆がデスクで昼寝を始める。うつ伏せ寝ができるマイ枕とひざ掛けが常備され、快適な睡眠環境がしっかり整えられている。 [80]

幼稚園から高校まで昼寝時間がある

台湾では幼稚園から高校までずっと昼寝の時間が設けられており、すっかり習慣になっている。男性は18歳以上での兵役が義務付けられており、その間に昼寝の習慣がさらに強化されるようだ。私の台湾人夫もまた、昼寝が欠かせない人だ。昼ごはんの後に昼寝をしないと、頭が回らないらしい。

では勤務時間中は鬼のように働いているのかというと、実はそうでもない。

もちろん素晴らしい効率で働いている人もいるのだが、勤務中もLINEでチャットしたりネットサーフィンしてニュースサイトやFacebookを見ている人も多い。お菓子や魚などの生鮮食品をグループ購入するお誘いもしょっちゅう回ってくるし、「タビオドリンク飲む人いる~?」などと声を掛け合い、デリバリーで飲み物を頼んだりする。

ワーカホリックの傾向がある典型的な日本人だからか、私などは、

「この状態で残業もしないなんて、仕事はちゃんと終わるの?」

などと思ってしまうが、台湾はそれでもしっかり経済が回っている。私は最近、こう思うようになった。

「従業員が残業したり、ギリギリで無理して働かないと回らないことが前提にされた事業は、そもそも事業の設計自体が間違っているのかもしれない」 [81]

「身体を温める/冷やす食べ物」に気を遣う

成功すれば大富豪。飲食業は儲かる !? おいしいと聞けばとにかく試す

台湾人は食事の時間を本当に大切にする。

そんな食に対する飽くなき探究心からか、はたまた新しい物好きだからか、皆「おいしいと聞いたものはとにかく試してみよう」という好奇心が非常に強い。だから、飲食業界の競争は非常に激しいものの、成功すると大富豪も夢ではないのだそうだ。

観光客から見るとなんてことのない屋台や食堂も、決して侮ってはならない。

人気店になると、オーナー一族たちが店周辺の土地を次々に買い占め、そのエリアの大地主になっていることも珍しくない。 [91]

お金持ちになっても行きつけの屋台に通い続ける 巷子の文化

台湾人にとっての“おふくろの味”は、2種類あると思う。ひとつが自分の育ての親や親せきが作ってくれたご飯の味で、もうひとつが近所の「巷子-シャンズ」――台湾で路地のことをこう呼ぶ――にある、行きつけの店の味だ。

台湾人と一緒にご飯を食べていると、みんなこう言う。

「悪くないけど、私の実家近くの巷子にある店の方がおいしいね。あの店は台湾で一番おいしい」

彼らは、自分が幼い頃から食べてきた味を一番に思っているのだ。 [96]

巷子の美食を愛するのは、若者だけではない。日本から来たばかりの頃にびっくりしたのが、社会的に成功したお金持ちも、巷子にある屋台や食堂で当たり前のように食事を取るということだった。お世辞にも衛生的とは言えないような店でも、自分がおいしい、応援したいと思う店であれば、彼らは通い続ける。[97]

「おいしいものがあるから、きっと帰ってきてくれます」

人材の海外流出を防ぐ秘策 **!?**「流出、とってもいいじゃないですか。どんどんしたらいいと思います。台湾人がアメリカで起業しても、台湾にふさわしい環境があると思えばまた帰ってきます。その時、彼らは一人ではなく、仲間を連れて帰ってくる。人材の交流はとても大事なので、海外へ行こうとする人を止めてはならない。大丈夫です、台湾にはおいしいものがたくさんありますから(笑)」 [103]

第3章 台湾での妊娠・出産 私たちは、もっと堂々と甘えていい

「我慢の呪い」から自由になろう 台湾で長男と次男を妊娠し、どちらも台湾で出産した。そんな私が日本に向けて伝えたいのは、毎月の生理はもちろん、妊娠しようと準備している時、妊娠中、出産時、産後といったそれぞれのシーンで「女性はもっと大切にされていいし、甘えていいのでは?」ということ。ここでは私がそんな思いを抱くようになった訳を綴っていきたいと思う。[106]

ではでは、またね。