積殖の山口から朝妻湊趾 10月9日 (original) (raw)

雨は上がると聞いていたが、伊賀の山中ではまだ残っていた。柘植から草津米原へと移動するうちに雲は晴れて気温も上がった。振り返って見た伊吹山は、まだ雲に覆われていた。f:id:vinhermitage543:20241013032531j:image平日の朝の電車は、通勤、通学の人で混んでいる。ICカードを利用している私は、ローカルな乗降ルールに戸惑うことがあった(結構あります)。なので、地元の方の後について乗り降りしている。今朝も近鉄から乗り換えた伊賀鉄道は駅のホームでタッチ、JR関西本線は列車内でタッチだった。

柘植駅はかつて通過したことはあったが降りるのは初めてだ。雨が残り、肌寒い中、積殖(つむえ『日本書紀』)の山口を目指した。f:id:vinhermitage543:20241013033546j:image壬申の乱の際、吉野を立った大海人皇子大津京を脱出した高市皇子が合流したのがこの付近とのことだ。f:id:vinhermitage543:20241013033931j:imageその正確な位置はわからないが、古代から柘植が交通の要所であったことは間違いない。現代も関西本線草津線の乗り換え駅である。

次に都美恵神社に向かった。f:id:vinhermitage543:20241013034519j:imagef:id:vinhermitage543:20241013034530j:imageこの社号は大正11年(1922)に村内の神社を合祀した際、『倭姫命世記』などに因んで名づけられた。倭姫がアマテラスを奉じて伊勢へ行くまでに滞在した宮の地と言うことだ。この神社自体はかつては「穴石神社」と呼ばれており、これは『伊勢国風土記逸文(一説)』に見える伊賀の安志の社ではないかと言われている。f:id:vinhermitage543:20241013035525j:imagef:id:vinhermitage543:20241013035537j:image穴石神社は江戸時代に洪水の被害を受けたために、今の高台に移された。拝殿前からの眺めも良い。

私は草津線に乗り、米原を目指した。古代から近世まで栄えた朝妻湊の跡を見るためだ。

19代允恭天皇の諡(おくりな)、「雄朝津間稚子宿禰(おあさづまわくごのすくね)」、また24代仁賢天皇の皇女「朝嬬皇女(あさづまのひめみこ)」は葛城の朝妻(奈良県御所市)に由来すると言われているが、近江の朝妻も関係しているのではないかと考えている。アサヅマの地名は少ない。京都府与謝郡伊根町がかつて朝妻と呼ばれていたらしい他には見つけられなかった。f:id:vinhermitage543:20241013041050j:image米原駅から北上して天野川に至る。蛍の生息地として知られる流域には謎の豪族、息長氏に関係すると思われる山津照神社古墳などが点在する。f:id:vinhermitage543:20241013041431j:image湯倉神社。何の説明もなく、鳥居も狛犬も新しい。平成18年建立とのことだ。おそらく古い祠を再建したのだろう。こう言う神社を訪ねるのも良い。朝妻の町に入るとすぐに朝妻神社がある。f:id:vinhermitage543:20241013041758j:image本殿の彼方に伊吹山が見える。この辺りは近江国坂田郡に当たる。息長氏の本拠地とされるこの地は伊吹山が全ての中心にあるように思える。大和における三輪山二上山のようである。f:id:vinhermitage543:20241013042304j:imageここから琵琶湖畔は近い。すぐに朝妻湊趾の碑があった。f:id:vinhermitage543:20241013042358j:image天野川の河口から湖西の山々を見る。f:id:vinhermitage543:20241013042610j:image天野川の北岸は世継と呼ばれる地でここにある蛭子(ひるこ)神社は川を挟んだ朝妻神社とともに七夕伝説を語っている。f:id:vinhermitage543:20241013043010j:imagef:id:vinhermitage543:20241013043022j:image本殿の脇にある石が仁賢皇女の朝嬬皇女の墓とされている。f:id:vinhermitage543:20241013043235j:image各地の神社に祭られている「さざれ石」の類に思われるのだが。

対岸の朝妻神社には雄略天皇星川皇子がいて、朝嬬皇女との天野川を間にした恋物語が作られている。

興味深いのは世継の地名で、これが古代まで遡るのかどうかはわからないが、息長氏が古代天皇の系譜成立に深く関わっていることに因む地名ではないかと、想像がふくらむ。また、朝嬬皇女が祭られている意味も考えて見たい。

追記 朝妻の七夕伝説は『椿井文書』が始まりらしい。近世、最大級の偽書群だ。